99年前のあの日、丸山田 誠一郎
燃え盛る炎の中に少女はいた。満天の星空を燃やし尽くすかのように天に伸びた炎。その中に、いた。
少女は自室のベッドの上で膝を抱え込むようにしてうずくまり、最後の時をただただ待っている。
生まれ育った家は今や炎の塊同然。すでに逃げる場所などどこにもなかった。
火元は一階の玄関ホールなので、二階の自室に火が回るのも時間の問題だ。それに、一階には『あいつ』がいる。だから、最後の時をせめてここで過ごしたいと思った。
ふと、階下から足音が聞こえてきた。どうやらまだ殺したりないらしい。
兄と姉はあいつに殺された。生まれてすぐ母を失った少女にとって、姉は母親代わりでよく可愛がってくれたし、兄は真面目が服を着ているような人間だったが、とても尊敬のできる人だった。二人とも年が離れているからといって、いじめるようなことは無く、末っ子である自分を大切にしてくれた。その二人はすでにこの世の人間ではない。
ギシギシという音が廊下から聞こえてくる。一歩一歩確実にこちらに向かっているのが、解る。足音は死へのカウントダウンと同義であった。その音が聞こえる度、ベッドの上で小さな体をより小さくして最後の瞬間を待つ。
悪魔がやってくる。人の皮を被った悪魔が。
兄や姉。そして使用人達の命だけでは物足りなかったようだ。やがて部屋の前で足音は止まり、ドアをガチャリと開ける音が聞こえた。
目を閉じて耳を塞ぐ。何も聞こえない、何も感じない。
突然、体が重力から開放される。おそるおそる目を開けると、少女は若い男の腕の中にいた。
20代後半くらいだろうか? 日本人ではない……髪は黒いが、高い鼻と高い身長はこの国の人間とはとても思えない。服装も見たことのない西洋の物だ。
「あなた誰!? 降ろしてください!」
男は口元に人差し指を立て、黙っているよう目配せをする。
少女もそれを察し、口を押さえ押し黙った。お姫様抱っこのまま部屋を出ると、階下から『あいつ』がやってきた。
変わり果てた父だった。優しい笑顔のまま、片手に使用人だったモノを抱えて階段を昇って来る。幸せの象徴だったその大きなお腹を揺らして、階段を赤い瞳を輝かせ昇って来る。
一時間前までは確かに、あれは父親だった。それが突然……帰宅してしばらくしてから、凶行が始まった。惨劇。である。
「しっかり捕まって、行くよ!」
「え? 行くって?」
男は銃を取り出し、窓に向かって数発発射するとそこから少女を抱えたまま飛び降りた。
暗闇の中を家々の屋根を飛び移り、空を舞うように移動している様は、まるで自分が鳥になったようで気分がよかった。しかし、すぐに先ほどまでの出来事を思い出し、顔をしかめる。
「お父様……どうして?」
「ヴァンパイアに噛まれたんだ」
「ヴァンパイア?」
「そう。僕達ヴァンパイアハンターの敵だ」
男は橋の下に着地すると、そこで少女を降ろした。
「君のお父さんは……ヴァンパイアに噛まれてしまったんだ。親は殺したけど、君のお父さんはその子になって、人を捨ててしまった。ごめんね。もうちょっと早く僕が来ていれば、止められたかもしれないのに」
男はかがみこみ少女の涙を右手ですくう。
「私……お父様に噛まれた。突然。それをお兄様とお姉様が止めて……でも……」
突然、男の顔が険しくなった。
「君……噛まれたんだね?」
さっきまでの男とはまるで別人の様に、少女を今にも殺してしまいそうな目で睨む。少女は恐ろしくなって一歩後ろに下がる。
「君が進む道は三つある」
男は一歩踏み出す。
「僕に殺されて人間のまま生を終えるか」
もう一歩。
「そのままヴァンパイアとなるか」
ついに目の前に迫る。拳銃を懐から取り出し、少女の眉間に銃口を向ける。
「あるいは、人を捨てバケモノとなるか」
「何ですか、それ……?」
「選ぶんだ。時間がないよ。時間切れはそのまま最初の質問の答えとなる。僕もできれば、君のような年端もいかない子供を殺したくない。……どうか、最良の選択を」
しばしの沈黙の後、少女は結論を出した。殺されるのも、父親の様になるのも嫌だった。ただ、生きていたい。まだ13歳の自分が……人並みに恋もしてもっとオシャレもしたい。
だから、選んだ。
「私、死にたくありません」
男の顔は柔らかいものへと変わる。そして、拳銃を懐にしまうと、代わりに手の平大の白い陶器を取り出し、少女に手渡す。
「これを飲んで。ちょっと苦しいかもしれない。でも、大丈夫。飲めば君は新しい人生と力を手に入れることになるから」
男から手渡された液状の薬品。少女は陶器に入ったそれをおそるおそる飲み干す。
「まだ……名前を聞いていなかったね。僕はアーサー。アーサー・クラインだ。君の名前は?」
薄れ行く意識の中で最後の力を振り絞って自分の名前を、青年に伝える。言葉は音にならなかったが、青年は唇の動きだけでそれを読んだ。
「留子。いい名前だね」
留子がヴァンパイアハンターとなった瞬間であった。