デジタルは敵、丸山田 誠一郎
スーパーフジタニ三合店の店長室で、誠一郎は春川らと合流し、ソファに腰掛けて藤内の出勤を待っていた。家にも帰っていないし、どこを探しても留子の姿は無い。携帯は置いたままであり、同時に姿を消した渡辺にも連絡が付かない。そこで3人は藤内も交えて今後の対策を練ることになった。
時刻は7時48分。藤内の出勤は朝8時からだったので、その10分前には必ずタイムカードを打刻するはずだ。藤内はマメな性格で、タイムカードはどれも必ず出勤10分前ちょうどを刻んでいる。そして退出時間も常にシフト上の時間ちょうど……残業はしない主義でもある。
「おはようございます、皆さん」
7時49分20秒。藤内が店長室に入室すると、一礼する。誠一郎と春川は頭を上げる瞬間を刮目してその時を待った。藤内の胸が揺れる瞬間、流れていた時間がゆっくりとスローモーションの様になり、二人の心は一つになる。『生きててよかった』と。その横で印藤が自分の胸を見て、右の拳をわなわなと震わせていることに気付いているのは、藤内くらいであろう。しかし、あくまでポーカーフェイス。気付かないフリ。
「あら、マルちゃん。今日は早いんですね。それに、春川くんも印藤さんも……あら、田中さんは?」
タイムカードが7時50分を打刻したのと同時、藤内は振り返って言った。スーパーフジタニの出勤システムは、古めかしい打刻機に紙のタイムカードを差し込んで、その時間帯を印字するタイプであった。今時分、デジタル式やタッチパネルでデータベースに書き込むタイプもあるというのに、スマートフォンのアプリ開発をするくらいなら、出勤システムも留子になんとかして欲しい。当の本人がこの場にいない事もあって、その名前がすぐに出た。
鼻の下を伸ばしたままの、アナログ人間こと誠一郎が慌てて藤内の問いに答える。
「ごちそうさま、じゃなかった――。おはようございます、藤内さん。実は師匠が昨日大怪我をして入院していたんですけど。今朝方唐突に姿を消したんです。ここにも来ていないようだし、藤内さんの所に来ていないかと思って……」
藤内はしばし、腕を組んで目をつむる。組んだ両腕が藤内のチャームポイントを押し上げることになって、二人の男の心はその瞬間また一つになる。『おほっ! もっと考えろ!』と。
「いただきます、じゃなかった――。アヤちゃん、トメちゃんとどう繋がるかわかんないんだけど……田中 聖一郎ってどこのどなた?」
春川の問いに、明らかに藤内は動揺した。
「田中さん……まだ春川くん達に話していませんでしたね。田中さんの失踪とはどう関係があるかは解りませんが……。何か異常事態のようですし……仕方ありませんね」
そう言うと、タイムカードを元の場所に戻し、ソファに腰掛け、3人の目を一人ずつ見て口を開いた。
「田中 聖一郎は30年前に現れたAランクヴァンパイアです。そして……私と光彦さん……いえ、吉村を噛んだヴァンパイアなんです」
「じゃあ、アヤちゃんは30年前に?」
「ええ。雨の日でした。スーパーフジタニで買い物を終えた私達夫婦はその帰りに、旧日本支部……買い物をしたフジタニの店舗で田中さん達の戦いに巻き込まれたんです。その時、あの男に……私はかろうじてヴァンパイアになることなく田中さんに助けられたのですけど、吉村は間に合いませんでした。いえ、田中 聖一郎の力に魅せられ、人であることを進んで捨てたんです。そしてその時……田中 聖一郎の事を田中さんは『お父様』と呼んでいました」
「お父様……じゃあ、トメちゃんって……」
「私もちゃんと本人に確認したわけではありませんが……そうなんだと思います」
留子の父が『T』……ふと、誠一郎の脳裏に研修初日の夜の記憶が蘇った。
『師匠は……自分の家族を殺せといわれれば、殺せるんですか?』
『――殺せる』
『私には守る家族は無いが、お前にはあるんだからな』
……もう何十年も前に、その覚悟をしてきたのだろう。父親を止めるため。父親がしでかした過ちを断つために留子は戦っているのかもしれない。
「じゃあ留子の奴、『T』にさらわれたのか?」
印藤が難しい顔をして藤内に問いかける。
「解りません……そもそもあの病院はヴァンパイアハンター専用の施設です。セキュリティも、ヴァンパイアが接近すればすぐに警報が鳴って、私達のところにも何らかの報告が来ているはず……それがないという事は、少なくともヴァンパイアの仕業ではなさそうですね」
「結局、なーんも解らないんじゃねーか」
春川たちは店長室でうなだれた。何の手がかりもないまま、時間は無情に過ぎていく。しかし、心の中でそれほど心配もしていなかった。それだけ留子の事を皆信頼していたし、渡辺も一緒かもしれないとも考えていた。
留子がこれまでに唐突にいなくなることもあったが、ちゃんと三日以内にお腹を空かせて帰って来ていた事例もあるので、その内ひょっこり玄関のドアを猫のように爪でカリカリやって、『開けろ』と言って帰ってくるかもしれない。最終手段として、世界中のプリンをかき集めておびき寄せる案も出たが、誠一郎がそのすべてを食べつくしかねないという懸念があったので、却下された。当然、誠一郎は最後まで反対していたが。
とりあえず捜索は一旦打ち切り、その日は留子もいない事、連日の激闘の疲労を考慮して、藤内以外は休日ということになった。
こうして、留子のいない休日が始まったのだ。