諦めるな、丸山田 誠一郎
だが、泣き言を言っている場合ではない。
誠一郎はなんとか足に力を入れ、ふらふらしながらも立ち上がる。まるで世界が揺れているかの様な錯覚に陥るが、それに構わず木に刃をくくりつけた即席ステークの元に向かう。腰を落とし、抱きかかえるようにステークを持ち上げようとするが、うまくいかない。
それでも、二回、三回と同じ様に繰り返してみるが、一向に持ち上がる気配はなく、時間は刻一刻と過ぎていく。
闇の向こう側では、印藤が藤内に加勢し、エリーを挟み込む形で対峙している。
印藤が囮になり、藤内がエリーの見せたスキを付いて斬り込むが、決定打にならない。
やはりここは印藤の言う通り、自分がこの馬鹿でかい原始的な武器を使って、トドメを刺さなければならないだろう。
そうこうしている間にも、ムダな時間を消費していく。だが印藤のもたらしたZealotなど何の効果もなく、いくら力を込めても、ウンともスンとも言わない。
――重すぎる。
誠一郎の額に滲んだ汗が鼻をつたい、唇の上に垂れる。口内に塩辛さを感じ、誠一郎は腕に力を込めるのを諦めた。
「……無理だよ……これは」
荒い息遣いで尻を地面につけ、天を仰ぎハアハアと苦しみを吐き出す。やがて何かを引きずる音が聞こえ、誠一郎は音源を探るべく、辺りを見回した。
音の発生源はエリーだった。
エリーが両の手を引きずり、闇の中を突き進んでいる。行かせまいと、藤内が背中から斬り付けたが、エリーには何の効果もない。
こちらに気付いた様だ。
「何やってんだ、デブ! さっさとしろ!」
印藤が遠くから叫ぶが、相変わらず力が入らない。
誠一郎は動けずただただ息を飲み、事態を見守るだけだった。
「ごきげんよう」
エリーは左右の手をだらりと下げ、可愛らしい笑顔を不気味に歪ませた。
「ブタのおじさんに選ばせてあげる。合い挽き肉になるなら、どっちの女とがいい?」
物騒な質問を受け、誠一郎は答えに窮した。しばらく無言を貫いていると、エリーが巨大な両手で誠一郎を持ち上げ、首を絞める。
「じゃあ、全部ミックスでいいわね。ついでにガキのご要望通り、チーズも挟んでチーズバーガーにしてあげるから安心なさい」
チーズバーガー……そういえば、今日の昼間に食べたあれは最高だった。もう、食べることはできなくなるのだ。ハンバーガーも、ラーメンも、渡辺部長のくれたビーフジャーキーも、美雪の手料理も。
そしてエリーの手で皆、肉の塊にされてしまう。そうなれば……もう家族の顔を見ることはできないだろう。
瑠奈の顔が浮かんだ。浮かんでは消えて、また浮かんでは消える。
遠くで誰かが叫んでいる。若い女性の声だ。瑠奈だろうか?
瑠奈……そうだ、結局朝の誤解をまだ解いていなかった。そして美雪の弁当も忘れていた事も思い出し、誠一郎は目を開けた。
家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。家のローンだって、まだ残っている。孫の顔も見たい。
娘婿は誠実な男がいい、まっすぐでひたすら真面目な男なら、瑠奈を任せれるのだが、春川の様な男だけは絶対にダメだ。
……まだ、死ねない。
誠一郎はエリーの両手を、引き剥がした。そして今度は逆にエリーの首に手をかけ、高い高いをするかのように持ち上げる。
エリーは抵抗できないでいる。誠一郎の圧倒的な力の前に成す術がない――というのも理由の一つであったが、 紅く染まった瞳の誠一郎は、エリーが唯一恐れるそれと同じだったからだ。
「お父様……」
エリーの瞳には誠一郎ではなく、愛する父『T』こと、田中 聖一郎……ヴァンパイアの王とも呼べる父が写っていた。