夢見る中年、丸山田 誠一郎
登場人物紹介
丸山田 誠一郎
主人公。聖水とお茶を間違えたり、娘の声を『娘のそっくりさんの声』と
聞き間違える等のお茶目さん。
本人は気付いていないが、吉村との戦闘中にヴァンパイアと同じ紅い瞳を
一瞬垣間見せるなど、実は謎がある様子。
田中 留子
緑茶でプリンを食す、変わり者のヴァンパイアハンター。
ヴァンパイアハンターの資格制度を制定したのは彼女で、テキストなどを
研修生に高額で売りつけて懐を潤している。
春川 優人
杭打ちを専門とするヴァンパイアハンター。
なぜかいつも、ちくわを常備しておりマルちゃんの餌付けに成功している。
杭打ち検定準一級。それ以外は5級という、偏った実力の持ち主。
誠一郎は海を泳いでいた。
浮き輪いらずのお腹でぷかぷかと浮かんでいる様は、泳ぐと言うよりは流されている、と言ったほうが正しいだろう。しばし波に揺られていた誠一郎であったが、やがて小さな大陸が目の前に見えてくると、歓喜の声をあげた。
その大陸は、茶色で何層も重なっており、先端部分は白く脆そうであった。
誠一郎は早速、茶色く脆い大陸に上陸すると、おもむろに地面を引きちぎり、かじりだした。口の中一杯にチャーシューの芳醇な味わいが広がってゆく。
ふと、地平線の向こうに目をやると、メンマの島やネギのさんご礁がとんこつ醤油のスープの海に浮かんでいた。
海底には細く白い麺が見える。
「ここは天国だ」
誠一郎にとって、天国はお花畑ではなく、ラーメンの世界なのかもしれない。
「起きろ、マヌケ」
突如、足場のチャーシューの大地が崩れ去り、誠一郎はスープの海に落ちた。誠一郎は精一杯もがくが、浮かび上がることはできない。
留子の白く細い足が腹に直撃し、誠一郎は天国から帰還した。
「よだれなんか垂らして幸せそうだな、おい? ハンバーガーの山で遭難する夢でも見たか?」
目を覚ますとセーラー服姿の留子が、誠一郎のお腹の上であぐらをかいていた。
ハンバーガーの山……ラーメンの海も良かったが、そちらも十分魅力的だった。
「おはよう、『マルちゃん』」
ニコリともせず、留子が苛立たしげに朝の挨拶をする。
誠一郎は自室のベッドから崩れ落ち、パジャマ姿でお腹を出し、大の字で寝ていた。どうやら、ベッドで寝ていた誠一郎を留子が蹴り飛ばし、その上に軽く飛び乗ったようだ。上半身を起こし、時計を見れば、午前7時を回っている。
「ららちゃーん、オヤジ起こしてくれた?」
ドアの隙間から瑠奈が顔を出し、誠一郎の上に乗っかったままの留子に、目が釘付けになる。
誠一郎が上半身を起こした為、腹に乗っかったままの留子を抱きかかえる格好になってしまった。
「ちょ、ヘンタイオヤジ! ららちゃんに何してんの!?」
瑠奈は留子を誠一郎から救出すると、軽蔑した目で誠一郎を睨み、階段を下りていった。
「まあ、なんだ。気にするなよ、後で私からフォロー入れといてやるから、な? ああ、ホラ。キャラメルがポケットに入ってた。これでも食べて元気だせ、ホラ!」
玄関の前で留子が少し気まずそうに、背中を伊勢海老の様に丸めた誠一郎をなぐさめた。
留子からキャラメルの包みを受け取ると、誠一郎はそれを口の中に思い切り放り込む。懐かしい味が誠一郎の味覚に訴えかける――と思いきや、勢い良く口に放り込みすぎたせいで、喉の奥に引っかかり、むせ込んだ。
「まあ、酢昆布でも……やめとくか」
瑠奈は朝食を食べるとさっさと家を出てしまい、結局、弁解する機会を得ることができなかった。
留子としても、自分が原因で親子関係をさらに険悪にしてしまった事に、少し責任を感じている様であった。
「おはようございます、丸山田さん」
声のした方向を見ると、吉村が昨晩の事などまるで何事もなかったかのような顔で、びっちりとスーツを着込み、朝刊を小脇に抱えて丸山田家の前に立っていた。
「瑠奈ちゃん、どうかしたんですか? かなり機嫌が悪いようでしたけど……まさか、恋人ができて、丸山田さんがそれに何か言ったとか?」
「はは、瑠奈を嫁にやる気はないんです。恋人なんてできたら……相手の男を太陽系の外までブン殴ってやりますよ」
留子は心の中で、誠一郎にブン殴られる春川を想像した。
「あれ、でも吉村さん。あなた何でここに!?」
瑠奈の事で頭が一杯だった為、昨日の出来事を思い出すのに少し時間がかかってしまった。
「私達ヴァンパイアとヴァンパイアハンターの戦いは、夜だけです。互いの存在を夜以外で見かけても、不戦条約みたいなのがあるんですよ。これは、かなり昔からあるみたいですけどね。私達の戦いは闇で行われ、闇に消えていく……ただそれだけの事ですから。そうでしょう、田中 留子?」
留子は吉村の目を黙って見ていたが、急に何かに弾かれる様に、叫びだした。
「吉村のお兄ちゃん、またねー! ほら、おじちゃん、早く行こうよ。このままじゃ遅刻しちゃうよっ!」
急に留子が"ららちゃんモード"に変化し、誠一郎の腕を引っ張り駆け出した。交差点の角を曲がった辺りで、振り向き誠一郎の肩を抱くように引き寄せ、内緒話をするかのようにひそひそと話す。
「危なかったな、美雪が玄関から出てきて私達の正体がバレるところだった。このままダッシュで美雪を振り切るぞ」
遥か後方で美雪が『お弁当忘れてるわよー』とドでかい重箱を両手に持って玄関で叫んでいたのだが、二人はそれに気付かないまま走り去った。