食い物の恨みは怖い、丸山田 誠一郎
時が止まった……ハルカワユウト? だが、同姓同名ということもある……留子はもう一度確認してみた。
「もしかして、ちょっとちょっとちょっと! って言う口癖の人?」
『ちょっとちょっとちょっと!』は、春川が興奮したときに出る口癖だ。やかましいので、やめろと言っているが、本人はなかなか直そうとしない。
「そうそう、先輩の第一声がそれだったんだー。廊下ですれ違った時に、後ろから声かけられてね。振り向いたら、我が校ナンバーワンのイケメン様だったってわけ!」
留子は今日の日付を思い出した。先ほど午前0時を回ったところなので、今日は6月7日火曜日。4月1日ではない。
春川はあれでいて、外ヅラはかなりいいらしい。だがそれにしても、詐欺の様な話だ。付き合ってまだ間もないのなら、クーリングオフで丁重に返品したほうがいい。箱を開けてみれば単なるバカなのだから。
「あれ、ららちゃん春川先輩の事、知ってるの?」
「え、うん! 私の中学でもちょー有名なんだよ! カッコよくて、優しい高校生のお兄さんの噂」
もちろん、そんな噂などないのだが、怪しまれない様に適当なウソを付いておく。
春川のメッキが剥がれるのは時間の問題だろうが……面白いからこのまま当人には黙っておこう。
誠一郎本人の耳にも入れない方がいい。やはり、その方が面白いからだ。
「デート頑張ってね! 私も応援してるよ!」
「うん、ありがとう。私先にあがるね、冷蔵庫にプリンあるから、後で一緒に食べようね」
これは今度の日曜日が楽しみだ。
湯船の中で一人ククと笑うと、留子はまた目を閉じつぶやいた。――長くて楽しい最後の一年になる、と。
その後、お風呂を上がった留子が目にしたのは、テーブルの上で空になった二つのプリンの容器を突っ伏して、満足げに見つめる誠一郎の姿であった。
すれ違いざまに腹に一撃蹴りを入れて、二階に上がる。サンドバッグよりも叩きがいのある感触が足に残り、誠一郎がどさりと崩れ落ちる音が階下より聞こえた。
留子は基本的に辛党なのだが、プリンだけは別で、大のプリン好きであった。本人曰く『プリンの為なら死ねる』らしい。
そんな留子から、知らなかったとはいえプリンを奪った誠一郎への怒りは、相当なものなのだろう。食い物の恨みは怖い。
支部で備品申請したサンドバッグを、明日申請取消しておこう。代わりにいいモノが見つかった。ベッドに潜り込み、また留子は一人ククと笑った。
*****
翌朝。
スーツ姿の誠一郎と制服姿の瑠奈、そしてセーラー服姿の留子が玄関を出た。
中学二年生という設定で、丸山田家に同居する事になったので、朝出勤するときは制服を着用して出て行く事にした。偽装のため、近所の中学の制服を準備しておいたのだ。
瑠奈はブンブンブンと、名残惜しそうに手を振って、駅前の方に歩いて行った。
「覚悟はできたか? 今日からお前は地獄を見る事になる」
瑠奈の姿が見えなくなるのを確認すると、そのままの視線で誠一郎に言った。
「家族の為ならなんだってできますよ。ヴァンパイアハンターだろうと、なんだろうと」
家を振り返って誠一郎が言う。その顔は家族を思いやる父と、使命感に満ちた男の顔のものであった。
「いい覚悟だ。よかったよ、お前がイジメがいありそうな奴で」
朝日の中二人は歩き出した、ドでかい重箱を脇に抱え、どすどすと。