今回は出番がないよ、丸山田 誠一郎
二人きりの時間が始まった。
しかし、彼女は口を固く閉ざし、何もしゃべろうとしない。
当然だろう。自分が怒らせてしまったのだから。
未だ凶悪な腕力で自分の首根っこをつかむ藤内の顔は、無表情のままだった。
春川 優人が彼女と知り合ったのは1年前の事。予備校の帰りにコンビニで漫画雑誌の立ち読みをしていた時だ。
ガラス越に美人のお姉さんが目の前を通り過ぎるのが見えた。即座にコンビニを飛び出し、お姉さんの残り香を頼りに追跡を始めた。
「ちょっとちょっとちょっと!」
春川が彼女を見つけるのに、そう時間がかからなかった。路地裏で彼女を捕まえると早速口説き始める。
(バリバリのキャリアウーマンって感じ? ポイント高えぜ!)
相手は20代後半のOL風だった。
月明かりが照らす路地裏で、女性は妖しく笑う。
「おいしそうな子、フフ。ここでつまみ食いしちゃおうかな」
(あっさりOKが来た。さすが俺! しかもノリノリと来た。さ~て、今日もトバシちゃいますかね)
女性の方から春川に抱きついてくる。
甘い匂いと柔らかい感触。生暖かい吐息が春川の耳にかかり、春川の意識はすでにその先へ進もうとしていた。だがその余韻に浸る間もなく、首筋に痛みが走った。
「ちょっとちょっとちょっと! 刺激的すぎよお姉さん、痛いって!」
痛みに耐え切れず女性を突き飛ばす。
「ご馳走様、おいしかったわボウヤ」
唇が赤く濡れているのはルージュのせいではない。舌なめずりをすると牙にも似た凶悪な犬歯が姿をあらわす。
「ちょっとちょっとちょっと! 俺の守備範囲がいくら広いからってバケモノはノーサンキューっすよ!」
逃げようとするが全身がマヒして動けない。
「ママに対してひどい口ぶりね。お仕置きが必要かしら」
「お仕置きはあなたに必要ですね」
突然、ママの体を銀色の光が切り裂いた。
スーパーフジタニの制服を身に纏い金色の髪をなびかせ彼女は姿をあらわす……右手に銀色の剣を持って。剣を握る彼女は勝利の女神か戦乙女か……。
「ヴァンパイアハンターです。お掃除に参りました」
ニコッと笑顔で一礼。完璧すぎる営業スマイルに春川はノックダウンした。未だかつてこんなスタイルの良い美人に出会った事が無い。目の前の噛み付き女の100倍はポイントが高いだろう。
「ヴァンパイアハンター!?」
「Eランクのお客様ですね……よかった。楽なお仕事で」
携帯の画面を確認した藤内は笑顔を崩さず、剣を構えなおす。
女ヴァンパイアはその立ち居振る舞いを見て、圧倒的な実力差を直感したのか、一歩後ずさりする。
「もっともっと血が要る……かわいいボウヤ、あなたの血を全部……ママにちょうだい」
春川に覆いかぶさろうとする女ヴァンパイアだったが、彼女がかろうじて目の端に捉えることができたのは、『藤内 彩華』と書かれたネームプレートと、笑顔の消えた藤内の瞳だけだった。
月光に照らされる中、藤内の手が春川に差し出される。その光景は、春川の目と心を奪うのに十分なものだった。
――それから1年。
春川はヴァンパイアハンターになった。理由はもちろん、藤内だ。
「あのおっさん……フツーじゃねえよな」
店の搬入口で缶コーヒーに一口つけた春川がつぶやいた。
「春川くんも気付きましたか?」
藤内は紅茶のペットボトルの口を閉め、ふと星空を見上げる。
「田中さんもあれで見る目はありますから。今後の経験しだいではかなり伸びるかもしれませんね」
通常、ヴァンパイアの唾液が体に進入すると全身にマヒがかかり動けなくなる。例え中和薬を服用したとしても、丸3日はベッドの上だ。それが、元気にどうどうと歩いているなんて……。
丸山田 誠一郎。
ただのメタボ親父ではなさそうだ。