覚醒! 目覚めろ、丸山田 誠一郎
頭部を撃たれた聖一郎はなおも笑顔で、微笑みを絶やさない。藤内の刃が背中を薙いだ瞬間も、印藤の拳が顎にクリティカルヒットしても、笑顔。
「な、なんだよ、コイツ……気持ち悪いな……」
印藤はなおも打撃を加える。左肩。右脇腹。鳩尾。鼻……確かにダメージを与えているはずなのに、まるで何事もなかったかのように笑顔で起き上がる。
「諦めないで、いつかは再生が追いつかなくなるはずです!」
藤内の斬撃。無数の銀色の残滓を生み出し、剣戟の嵐が聖一郎を襲う。それでも、笑顔。
「全員伏せろ! アレが来るぞ!」
留子がそう言うのと同時、笑顔の聖一郎がぱっくりと口を開ける。口内に凝縮される高密度のエネルギー。それが留子に向かって放たれた。
「留子!」
印藤が強化された体で滑り込み、留子をお姫様抱っこして光から救い出した。留子の背後にあった公衆トイレは吹き飛び、キレイな更地になった。
「今度戦うときは、うちの廃棄予定の店舗前でやったほうが経済的だな」
留子は印藤の腕の中で、声を震わせて言った。
「今度はねーだろ、今度は。しかし、なんだよありゃ……一体、HP何万あんだ?」
「春川のトライデント……あれなら、あいつをやれるはずだ。もう二発も受けている。あともう一撃。心臓に打ち込めば勝機が見える。しかし……あいつは何をためらっているんだ」
留子の視線の先には、トライデントを構えた春川がいた。しかし、一向に動き出す気配はない。あきらかに打ち込みのチャンスが何度か巡ってきていたのに、動こうとしない。
「やべえな……昨日の今日で、もう腕にきやがった……次いったら、どうなっちまうかな……」
春川の頬を汗がつたい、それが地面を濡らす。両手はすでに小刻みに震えており、痛みが感覚を奪いかける。さらに、あのビームだ。二の足を踏むのに十分な理由だった。
「印藤、私をこのまま抱いたまま走れ! ここから撃つ」
「了解」
印藤は留子の耳たぶを軽く噛んで、駆け出した。しかし、留子は射撃に集中し始めたのでそれに気付かない。
留子は左手を印藤の首にかけ、右手の銃を聖一郎に向ける。高速で動き回る印藤の腕の中から全弾を聖一郎に向けて発射。すべて命中。しかし、決定打にならない。
「クソ! おい、春川! トライデントをかませ!」
留子の声に春川は驚き体をビクつかせる。チャンスだった。聖一郎は銃弾を浴びて、留子の方向を向いている。春川の位置からは死角だ。ここから一気に突っ込めば……春川は勝利を確信する。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」
鬼神の如く吼え叫ぶ。全身全霊を賭けて貫く。勝利は目の前にあった。そこで、瑠奈が目覚めなければ。
「先輩!」
「るーちゃん……」
瑠奈は何が起こっているのか理解できず、春川が自分を助けに来てくれたと思って、春川にしがみついた。そこを、聖一郎が振り返り――光が二人を襲った。
「春川!?」
春川は逃げようと思ったが、瑠奈を置いて逃げる事はできない。かといって、抱き上げて逃げるほどの瞬発力はない……数秒で考えた結論は……見捨てることだった。
春川は瑠奈を片手で抱いて、トライデントを思い切り地面に向けて突き刺す。腕に伝わる爆発的な衝撃。それを受けて、光熱の塊から夜空へと逃れる。
「るーちゃん……無事か? ……気ぃ失っちまったか……無理もねーな」
春川は着地すると瑠奈を少し離れた所に横たわらせる。
「悪いトメちゃん……トライデント、壊しちまった。許してくれや」
銃弾が飛んでくると思った春川だったが、何秒経ってもそれはなかった。
「……無事ならいい。逃げる準備をしろ。この街から、出来るだけ早く、遠くにな」
留子は身一つで聖一郎に向かって歩き出した。すでに、切れるジョーカーはない。ならば、自分を盾にしてでも……そう考えていた。
「留子~。もっとお父さんと遊ぼう。大好きなお人形さんで遊ぼう。今日はいっぱいお人形さんがあるね。う~ん? おや、かわいいお人形さんだなあ。留子! これで遊ぼう! うん、それがいい!」
聖一郎の視線の先には、気を失った瑠奈の姿があった。
「まずい! 止めろ!」
春川が腕にしがみついて、聖一郎の動きを止めたが一瞬で弾かれ、放り投げられる。やがて、聖一郎は瑠奈の前に来て、その手を伸ばす。
「家の娘に何か御用ですか?」
誠一郎が聖一郎の手を掴み、般若のごとき形相で睨みつけていた。
「丸山田……」
「何だお前~? デブのクセに生意気だなあ」
その言葉で誠一郎はキレた。
「デブとは何だ! デブとは! お前のようなデブに言われたくはない!」
「どっちもデブだろうが……暑苦しい」
留子は目の前で起こった肉だるまの背比べに、あきれ返る。
「邪魔だ。留子との遊びを邪魔するなら許さない」
聖一郎は誠一郎のボンレスハムのような首を締め上げる。遠のいていく意識。視界の隅には額から軽く出血している瑠奈の姿があった。
「瑠奈……お前が……やったのか」
「ん~?」
誠一郎の瞳が次第に赤みを帯びていく。そして……真っ赤に変色する。
首を締めていた聖一郎の腕を掴み、思い切り握る。それまで笑顔だった聖一郎の顔が苦痛に歪んだ。
「い、痛い! 痛いよ!」
聖一郎は涙を浮かべてのたうち回った。
「瑠奈の痛みはこんなものじゃない……師匠も……るーちゃんも……お前の企画した恥ずかしい写真の撮影会でもう十分嫌な思いをしたんだ。その恨みを、思い知れ!」
留子はひそひそと春川に耳打ちする。
「おい、恥ずかしい写真の撮影会って何だ?」
「や、こっちの話だよ……」
春川はなんとごまかそうと思案していたが、春川の携帯が聞き覚えのある電子音を鳴らして、それを覗き込む。
VHナビが反応を示している。ここにはヴァンパイアがいるから当然なのだが、その数が問題だった。数は3。Bランクが1。Aランクが1。そして……。
「Sランクって……どこにいるんだよ」
紅い目の誠一郎が、聖一郎を片手で持ち上げているのが春川の目を釘付けにする。反応は目の前の50代の男からだった。
春川はVHナビの反応に驚愕する。目の前で繰り広げられる、肉と肉。筋肉ではなく、脂肪同士の押し合い、ひしめき合い。見苦しさ満点のクライマックスが、今まさに始まったのだ。
誠一郎は聖一郎を片手で掴んだまま地面に叩きつける。その拍子に地面に穴が空き、クレーターのように穴が出来て、そこに聖一郎の体がめり込む。
「お前の罪は3つ。一つは、瑠奈をたぶらかし、恥ずかしい写真を撮ったこと」
誠一郎の拳が、聖一郎の腹部に直撃する。聖一郎は壊れた笑顔でそれに耐える。
「一つは、師匠とるーちゃんをさらった挙句、恥ずかしい写真を撮ったこと」
誠一郎のドラム缶のような足が、聖一郎の左胸に墜落する。聖一郎は壊れた笑顔でそれに耐える。
「一つは、瑠奈をたぶらかし、恥ずかしい写真を撮ったこと」
誠一郎の取り出した鯉のぼりの先端が、聖一郎の股間に直撃する。聖一郎は壊れた笑顔でそれに耐える。
「ちょ、マルちゃん、被ってる!」
「春川。大切なことだから二回言ったんだ」
「あ、そう」
「そして! ハンバーグをバカにしたこと!」
誠一郎の頭突きが、聖一郎の額に着弾する。聖一郎の顔は苦痛に歪み、かけていた眼鏡のフレームが折れた。
「お望み通り、これでトドメだ!」
誠一郎はたすきのようにかけていたシール……ニ割引シールと半額シールを剥がし、左右から挟みこむように聖一郎のふっくらとしたほっぺたに貼り付けた。
そして、右の人差し指を聖一郎に向けて宣言する。
「これでお前は90%オフだ!」
間違いをどうどうと宣言した誠一郎に、留子は頭を抱えてうずくまった。
「違うぞ、丸山田……」
「言ってやってよ! トメちゃん」
「85%オフだろう。小学生からやり直すべきだな」
小さな胸を張って、留子は高々に宣言する。
「そ、そうだね」
誠一郎は勝利を確信したが、聖一郎は途端に満面の笑みを浮かべ、口をぱっくりと開いた。聖一郎の口内でエネルギーが収束され、眩い光が煌く。
光の柱がクレーターから夜空に向かって立ち上る。まっすぐに、切り裂くように。
「よけろ! 丸山田! 焼きブタになるぞ!」
しかし、留子の叫び声むなしく、誠一郎は光の中へと消えてしまう。周囲には熱が立ちこめ、真夏の夜を一層熱くさせた。
「何だそれは……それで僕を、焼きブタにするつもりだったのか?」
光の中から誠一郎が姿を現す。身に着けていた野球の防具やら、カッターシャツは黒くこげて剥がれ落ち、上半身はネクタイのみとなった。そして、驚くことに一日七食で醜く鍛えられた肉体には、ダメージがまるでなかった。
「う、うそだ! 何で? 何で?」
聖一郎がうろたえる。しかし、すぐに笑顔を取り戻し、不敵に笑う。
「ふ、うふふふ。でもこんな攻撃じゃ僕は倒せない。僕は不死身だからね、ふふふ。それに、いざとなればスペアがある……」
その瞳は傷付き、座り込んでいたエリーへと向けられる。エリーは聖一郎と目が合うと、顔を恐怖で引きつらせ、目を背けた。そのエリーの前に、印藤が立ちはだかる。
聖一郎の傷がみるみる癒えていく。眼鏡のフレームは折れてしまったままではあるが、やはり笑顔である。
「もっと……強力な攻撃が必要か……」
留子がそう考えていた刹那。
「先輩! 春川先輩!!」
再び瑠奈が目を覚まし、春川の胸に飛び込んだ。
「ちょ! るーちゃん。こんなとこでダメだって! そんな抱きつかれたらオレ……おさえられないよ?」
春川はそこで気が付く。微動だにした誠一郎の背中に。やがてそれが、ギギギと音を立て、首が180度回転した時。目があった。加奈子ちゃんビームの比ではない。
「ひゃ!? ちょっと、るーちゃん、離れて! オレ達は健全な高校生! こういうことはお家に帰ってお風呂に入った後で……じゃなかった! もっと大人になってから!」
「ダメですう。もう離さないんだから。ママが言ってました。『欲しい物は何があっても手に入れろ』って。オヤジも言ってました。『おいしそうな物は真っ先に食べろ』って。だから……先輩」
春川の目の前には、桜の花びらが二つ。それがゆっくりと確実に春川の唇に近づいてくる。
誠一郎は、聖一郎に背を向け、春川と瑠奈に向かって歩き出す。ドス、ドス、ガタン、ゴトン。まるで、重機が大地をならすように、重い音を上げて、目標をつぶさんと進む。
「これだ! 春川! 瑠奈をそのまま抱いて、『T』の前に出ろ!」
留子は閃いた。それを実行に移すため、春川に指示を出す。
「は?!」
「後で助けてやる! 今は言うとおりにしろ!」
「絶対だからね、トメちゃん!」
春川は瑠奈を担いで、誠一郎を迂回し、聖一郎の前に出た。
「春川くうん。そうか、君だったのか……瑠奈の彼氏だったのは……あの時、ちゃんと捕まえておくべきだったよお。ふふ。うふふふふ。ミンチにして、デミグラスソースで煮込んで」
「フライドポテトは嫌いなの! 目玉焼きもノーサンキュー! ちょっと冷静になろ、マルちゃんてば!」
誠一郎は不気味に笑う。春川は奇怪に笑う。瑠奈は幸せに笑う。
「丸山田! 瑠奈は妊娠四ヶ月らしい。よかったな、もうすぐお爺ちゃんだゾ!」
「ちょ! トメちゃん! ウソ言わないでよ!」
春川は見た。この世のものならざる人外の存在を。これはマルちゃんじゃない。いつものマルちゃん、カムバック! そう心の中で祈りを捧げたが、その祈りが天に届くことは無かった。
「今だ、真上に飛べ、春川!」
留子の声で我に返ると、春川は天を目指して飛び立った。
その瞬間である。誠一郎の足が動き、大地を振動させ、風を纏い、大気との摩擦熱で着火し、それが放たれる。間一髪飛び上がった春川はそれを受けることなく、後ろの……田中 聖一郎にそれが直撃する。
後に印藤によって、豚足と名づけられる誠一郎究極にして、体術検定1級取得者でも習得難易度SSSの蹴り技が誕生した瞬間であった。
留子は倒れて、今にも消え入りそうな声で助けを求める父……田中 聖一郎の前までゆっくりと近づいていく。
「留子……助けておくれ……留……子……」
「お父様。少し我慢してください。あと……半年もすれば、あっちで一緒に暮らせると思います。その時は、お兄様と、お姉さまと4人で暮らしましょう」
お茶のペットボトルから雫がこぼれ落ち、それが聖一郎の体を大地へと還す。フタを空けたままのペットボトルからは聖水がこぼれ出る。しかし、それとはまた別の水が地面に落ちた事は、誰も知らない。
こうして、この一週間の戦いに終止符が打たれたのである。
「春川くうん。ちょっと僕とお話しようかあ?」
春川と誠一郎の戦いは始まったばかりだが。