お腹が空いたら我慢するな、食べろ、丸山田 誠一郎
暗闇の中で瑠奈は目を覚ました。何故か体は動かない。頭の中で一生懸命に記憶の糸を手繰り寄せ、考えた。ここはどこか? 何故、ここにいるのか?
しかし、お腹が空いて考える所ではなかった。可愛らしい音がして、瑠奈は頬を赤らめる。
「このお腹の空き具合からして……最後に食事を摂ったのが、午後6時のデスバーガーゴートゥーヘルセットだったから……あれ。うそ、25時間も経ってるじゃん!」
瑠奈は腹時計で現在の時刻を知り、驚いた。これも、父親から受け継いだ使えないスキルの一つである。
「んー……あれれ? ここって……どこかのレストラン?」
暗闇に眼が慣れてきて、周囲に目をやると、ここはレストランの様だった。自分はレストランのフロアの中心に、何故か設置されたベッドの上で、鎖により拘束されているらしい。瑠奈はなんとなく右を見て、さらに驚いた。
「ららちゃん!? どうしてここにいるの?」
すぐ隣にベッドがあって、そこには自分と同じ様に鎖で体を繋がれた、ららちゃんこと、留子がいた。
「瑠奈おねーちゃん?」
「待ってて! すぐに助けてあげるからね!」
「無駄だよ。この鎖、相当頑丈だから……昨日からずっと試してるけど、どうにもならない――」
留子がそういい終わる前に、破壊的な音がして、じゃらじゃらと鎖が砕ける音が室内にこだました。
「は?」
留子は目が点になった。あろうことか、瑠奈はたった一撃鎖に力を込めただけで引きちぎってしまったのだ。昨日、吉村達が去って行った後、暴れまわったり、かじったりして脱出を試みたのに……留子は丸山田家の特異さを、改めて思い知った。
「こんなの大したことないよ~。いちご先輩の膝十字固めに比べたら、綿アメみたいなもんだし! ららちゃんも今助けてあげるね~」
瑠奈が嬉々として飛び上がり、留子のベッドの鎖に手をかけた時だった。
レストランの従業員用の扉……そこから目が空ろな数人の男達がやってきた。ヴァンパイアである。おそらく見張りの兵隊だろう。
「瑠奈お姉ちゃん! 逃げて、こいつらは――」
「解ってる、チカンでしょ? 任せて、ららちゃんは私が守ってあげるから!」
瑠奈はにっこりと微笑み、襲い掛かってきたヴァンパイアに、母直伝のカカト落としをお見舞いした。ヴァンパイアは脳天にそれをくらい、衝撃で床を割り、床下に体をめり込ませ動かなくなった。
その様子に満足しているヒマもなく、二体目のヴァンパイアが瑠奈の肩を両手でつかんで、瑠奈は苛立ちを隠さずに声を上げる。
「東京都迷惑防止条例! あんたみたいな犯罪者はあたしが制裁してやるわ!」
瑠奈は両手をバンザイをするかの様に上げて、ヴァンパイアの手を振りほどき、そこから両肘を引いて背後のヴァンパイアに直撃させる。そして、振り向き様に軽く跳躍して回し蹴りを放つ。ヴァンパイアはテーブルの上を飛び、窓を突き破って派手なスタントを披露した。
「ママが言ってた。チカンは蹴り殺せって!」
瑠奈の目には恐怖はない。いつものチカン狩りと一緒なのだ。
男の一人が拳を振りかざし、瑠奈に向けて突進してくる。それをあっさりと受け止め、足払いをして転倒させる。無防備に腹をさらけ出した所に拳で一激。沈黙。
留子は呆気にとられた。実力だけなら、体術検定2級クラスはある。丸山田家はあらゆる意味で想定外で規格外だった。
「オヤジが言ってた。お腹が空いたら我慢するな、食べろ。それを邪魔する奴はミンチにして、ハンバーグにして、デミグラスソースで煮込んで、フライドポテトを添えて――以下略!」
瑠奈が闇を舞う。空中で電光石火の如く3発の蹴りを繰り出し、ヴァンパイアの顔面にそれが炸裂する。ヴァンパイアはそれをまともに食らって、レジスターに背中から倒れこむ。すると、チン! と音がして、レジスターの中からコインケースやらお釣りが出てきた。
殲滅。時間にしてわずか数十秒。お見事としか言いようが無い。留子はヴァンパイアハンターにスカウトしたくなった。
「よいしょっと。はい、ららちゃん。どこか痛くない? ケガとか、大丈夫?」
「う、うん。すごいね……瑠奈おねーちゃん」
留子は瑠奈によって鎖を引きちぎられ、自由となった。瑠奈は留子の手を引いてレストランの入り口へと向かう。
「早く逃げなきゃ……携帯も家に置いてきちゃったし……どこだろ、ここ?」
瑠奈は呟きつつも、留子の手を引き駆け足で出口を目指す。ドアノブを握ろうとしたとき、唐突に開いて、そこから瑠奈も良く知る人間が室内に入り込んできた。
50代の男。地味な黒いフレームの眼鏡。でっぷりと太った体。口元のだらしない不精ヒゲ……。そして、真紅の瞳。
「……オヤジ? もしかして、助けに来てくれたの!?」
瑠奈が前に飛び出そうとしたとき、留子は呟いた。それは、留子の実の父親であった。
「お父様……」
その一言に瑠奈は驚き、振り返る。
「え? ……ららちゃんの……パパ? それって、もしかして……」
瑠奈は驚愕の真実をそこで知った。
「ららちゃんは……オヤジの隠し子で……あたしの妹だったの!?」
瑠奈の思考が暴走しだす。留子はそれを抑えようとしたが、父……田中 聖一郎の手が留子に伸びる。
留子はそれを振り払い、顔面に蹴りを放ち、レストランの外へと追いやった。
「ちょ、ちょっとららちゃん!? いくら腹が立つからって、そこまでやっちゃダメだよ! お小遣いもらえなくなっちゃうよ!」
瑠奈は留子を制止しようとするが、留子は面倒になったので、瑠奈の首筋に手刀を入れ気絶させた。
「悪いな、瑠奈。少しそこで眠っていてくれ……」
留子は気を失った瑠奈をレストランの入り口に座らせ、父に向き直る。
「お父様……ついに、来たのですか……」
聖一郎はむくりと立ち上がり、紅い目を瞬きして、にっこりと笑う。殺意や敵意といったモノはなく、優しい空気を纏っていて、穏やかに、ゆっくりと留子に向かって両手を広げ歩いてくる。
「留子~お父さんだよ~。今日は何をして遊ぼうかぁ? 留子のためにアメリカから飛んできたんだ。お土産も、ホラ。かわいいお人形さんだろう? 留子のほしい物なら、何でもあげよう。欲しい物を言ってごらん? 何でもお前の思い通りだよ」
留子も歩き出す。聖一郎に向かって、そしてレストランの壁を蹴り、空中から強襲する。
「欲しい物は……お前の命だ!」
聖一郎はがっくりとうなだれる。
「お父さん悲しいなあ~。そんな親不孝な娘に育てた覚えはないんだけどなあ~。そうだ。お仕置きしちゃおう。留子はいけない子だから、お仕置きだ、うんうん。それがいい。じゃあまずは腕をサヨナラしちゃおう。足ももうちょっと短く、コンパクトに。それから、そんな汚い言葉を使うお口にチャックだ。お父さん、裁縫も覚えたんだよ」
「うるさい!」
留子の靴底が聖一郎の腹を直撃するが、脂肪に阻まれ威力は大きく減衰する。足が聖一郎の腹にめりこんでしまい、抜け出せなくなる。
「捕まえた~」
聖一郎の目に邪気はない。しかし、言葉とは裏腹に、留子の右足をつかむその手は殺人的な握力であった。留子の額に脂汗が浮かぶ。このままでは、折れてしまいそうだった。
「は、離せ!」
留子は体をひねり、左足で聖一郎の鼻を蹴り上げた。
「痛い! 何をするんだ、お鼻をすりむいちゃったよ、もう。相変わらずやんちゃな子だなあ。留子は~」
しかし、留子の右足は依然聖一郎につかまれたままで、逃げ出す事はかなわなかった。
「うふふふふふ。久しぶりに留子と遊べて楽しいよ。さあ、もっとお父さんと遊ぼう、ね?」
「オレが遊んでやるぜ、このヘンタイ野郎!」
言葉と同時。聖一郎の腹に3つの穴が空いた。そして、爆音。衝撃で留子は吹き飛ばされ、レストランの壁に叩きつけられる。
「あれ? 僕のお腹に穴が空いてる」
聖一郎は首を傾げ、後ろを振り返る。そこには、トライデントを構えた春川がいた。