第六幕、少女と真相
――場所は変わって、宇宙生理学研究所付属病院。イ・セラの部屋。
リュシー・グレイスは、彼女らしくもなく呆然と立ち尽くしていた。
ルナがいなくなってから二日が過ぎ、消息はまだつかめていない。リュシー
がルナが行方不明になったのを知ったのは、夜、家に帰って寝ようとしていた時の事だった。夜勤で見回りをしていたフィーから電話があったのだ。
***
「ルナが、ルナがどこにもいないの」
動揺しきっているのが声だけでも十分に伝わった。まぶたが閉じかけていたリュシーは、一気に眠気が吹っ飛んだ。
「どのくらい探したの?っていうかその事は他の看護師達は知ってる!?」
「うん、私が見回っている時に気がついて、ルナが行きそうな所を一緒に夜勤していたアリアとマークで手分けして探した。それでも見つからなかったから、病院中の夜勤していた職員全員で探したんだけど……」
フィーは焦った口調で、涙声になりながら言った。
「分かった。すぐ行くから、あなたはそのまま捜索を続けて。まだ大事になっちゃいけないから、くれぐれも患者達には感付かれないようにね」
そう言ってリュシーは、フィーの返事も聞かずに、アパートの一室を飛び出した。
「なんなのよもう!この病院、どうかしてるわ。病院の威信に関わるからとか言って連続殺人事件を隠ぺいして、挙げ句の果てにルナが行方不明?冗談きついわ。ルナがいなくなったら、実親になんて申し開きすればいいのよ!」
リュシーはやり場の無い怒りの感情を吐き捨てながら、車を全速力で走らせた。
***
「セラちゃん、あなた・・・」
目の前の惨状に、かける言葉が見つからなかった。部屋のあちこちに本やぬいぐるみが散乱し、シーツはぐちゃぐちゃ。壁紙はめちゃくちゃに引っ掻きはがされていた。セラは、疲れたのか部屋の隅でうずくまっている。
「(ルナはきっと大丈夫よ・・・、フィーならそう言ったでしょうね。でもあたしにはそんな無責任なこと言えない)」 今のセラをなぐさめたところで、彼女の心が晴れるとはとても思えなかった。しかしだからと言って、何もしない訳にはいかない。こういうときに頼りになれるのは、親だけなのだから。
リュシーはセラのそばに座って、ハンカチを取り出す。
セラの柔らかな頬にハンカチをそっとあてる。
「セラ、あなたはいつもこうやってルナをなぐさめていたわね」
リュシーはセラをそっと抱き寄せて、頭をひざにのせる。
「確かにあなたは、ルナを守るべき存在だわ。あなたがいるからルナは笑っていられるし、その笑顔を見てあなたも心を満たす。でもね、守る人もまた、誰かに守られているの。分かるでしょ。あたしとフィー、それにこの病院にいる人々全員が、あなた達二人を守っているの。今、みんな全力でルナのことを思って、助けようとしている」
焦点があっていなかったセラの目線が、一瞬リュシーの目線と重なる。
「一人で抱え込んでいる意味なんてないわ。所詮、人間なんてね、一人では生きられないの。周りにいろんな人がいて、ようやく自分を保っていられるの。だからね、割り切って人に頼った方が楽になる時もあるのよ」
「…今、ルナのそばには誰もいられてないじゃない。あの子は今、誰にも頼れない。だからあたしも、人に頼ってなんていられない」
セラはリュシーのひざから顔を離して叫ぶ。
「物理的にそばにいてあげることだけが、その人を想うことじゃないと思うわ。それに……」
リュシーは言いかけて、口をつぐむ。セラにはまだ言えないが、ルナと同時に男が一人、行方不明になっている。その男は、警察や病院の聞き取り捜査によって、行方不明になる直前、ルナと一緒にいた事が明らかになっている。その男――星野凪一――がルナを拉致したという噂が、関係者内ではまことしやかに言われているが、リュシーはそれを信じてはいなかった。なぜなら、男の名前は偽名などではなく、住所なども虚偽のものではなかったからだ。ルナを拉致するためにこの病院に入院したのであれば、足がつかないように偽名を使用するのが普通だろう。それをしなかったのだから、星野凪一は悪意を持ってルナに近づいたとは考えにくい。極めて都合の良い考え方ではあるが、リュシーは、ルナと星野凪一が同時に拉致されんじゃないかと、考えていた。もしそうなら、ルナは一人じゃない。
「それに?」
「いえ、なんでもないわ。とにかくセラ、あなたはルナのためにもあたしたちのためにも、笑顔でいてくれないと困るの。勝手な事言って、なんて思うかもしれないけど、きっとルナも、あなたに笑顔でいて欲しいと思っているはずよ」
「…あたしだって、ルナに笑顔でいてほしい……」
「そう。なら、あなた達の思いは一つじゃない。早く元気にならないとルナも悲しむわ」
リュシーは立ち上がりながら言って、
「壁紙の予備取ってくるから、気晴らしに一緒に張り替えましょ。せっかくだし、フィーもさそう?暇かどうかは分からないけど」
あえて明るい口調で言う。セラはボロボロになった壁紙を横目で見て、
「それが、ルナのためになるなら」
そっと呟いた。
***
壁紙の張り替えを終え、物が散乱した部屋の片付けをセラとしたリュシーとフィーは、本来の業務に戻るためにナースステーションへと向かっていた。
「セラ、少し元気になったみたいね。すごいわ、どんな魔法使ったの?リュシー」
「魔法って、おおげさね。セラはまだ13歳。なんだかんだいってもまだ子供なんだから、他ごとして気を紛らわせてあげればなんとかなるのよ。まあ、彼女もだいぶ無理してるし、一時しのぎにしかならないと思うけどね」
「魔法は魔法よ。種もしかけもあっても、一人の少女を元気にさせる。それは十分魔法だと思う」
フィーはまるで少女のように笑う。
「やめて、魔女って嫌いなの。ひん曲がった鼻にいやらしい目つき、しわくちゃの肌。子供の頃、近所にそういうおばあさんがいたから、トラウマなのよ」
「リュシーってば魔女のイメージ像古すぎ。日本のアニメなんかだと、随分前から可愛い女の子が魔女やってるみたいよ」
「その場合、魔女じゃなくて魔法少女っていうと思うけどね。まあ、どうでもいいけど」
リュシーはしれっと言って、
「ところで、ルナちゃんと一緒にいたっていう男の事、どう思う?」
「……ルナのことそんなに軽く言えるなんて、あなたのそういう所、好きになれないわ」
「なに、空気読めてないって?昔からこうなの。変えようがないじゃない」
「それはそうだけど……」
「今は悲しみから逃げている時じゃない。ガラスハートなのは別にいいけど、現実逃避していても何にもならない」
リュシーがそう言った直後、「キャー!!」という悲鳴が聞こえる。
「な、何かしら」
「とにかく行きましょ」
リュシーは否応なしに浮かぶ嫌な予感を振り払いながら、二人で声のする病室へと向かう。しかし、数分後、その予感は現実のものとなってしまうのだった。
「どうしました?」
野次馬を病室に帰らせてから病室に入って、リュシーは懸命に平静を装いながら、パイプ椅子に座っていた女性に聞く。
「お、おっとが、夫の息が……心臓が……」
強張った表情で、わなわなと全身を振るわせながら、女性は言う。リュシーがすぐに患者の口に手を当てるが、息を吐き返してはこなかった。脈拍もない。と、
「なにこれ」
リュシーは患者に繋がれていたはずのチューブがちぎれているのに気がつく。明らかに人為的なものだった。
「フィー、急いで医師を呼んできて!あたしはできる限り蘇生を試みるから!!」
「わ、わかったわ」
フィーがばたばたと病室を出て行き、リュシーは心臓マッサージを始める。
「(生きなさいよ!生き返れ!そしてあなたをこんな目にあわせた奴の名前を教えなさいよ!!)」
リュシーは鬼の形相で、心の中で叫びながら患者の胸を全身を使って何度も強く押す。全身から脂汗が出て、身体を冷やしていく。
「リュシー、先生よ!廊下にいたの。助かったわ」
時間で言うと数十秒、しかしリュシーの体感では何倍にも感じた時間の後、ドアが開いてリュシーと医師が入ってくる。
「マックフィールドくん、急いで電気ショックの準備を!」
「はい!」
マルコはリュシーをどかせて、手渡された電極板を患者の胸に当てる。
「スイッチを!」
「はい!」
フィーがスイッチを押すと、バチッと火花が散るような音がして、患者の胸が大きく上下する。
何度か繰り返して、息と脈拍の確認をした後、マルコはうなだれて、ゆっくりと首を振った。
「くそっ、なんでよ!」
「リュシー?」
「ご、ごめん。口に出てしまったわね。なんでもないわ」
と、ドアを叩く音がする。
「マルコ・フロイトはいるか?」
「ええ、いますけど…」
重厚な声に、マルコはうなだれたまま、答える。
「そうか、入らせてもらうぞ」
声の主である大柄の男はドアを開けてズカズカと入ってきて、既にこと切れている患者の方を一瞥してから、「ご心中察しますが、ご夫人には退席願います。申し訳ございません」と言って、部下らしき人物に外に誘導させた。
「警察だ。マルコ・フロイト、分かっているな」
言って、床に崩れるようにひざまずいているマルコの首根っこを捕まえて、強引に立たせる。
「お騒がせしました。お二人は、業務に戻って下さい」
言って、男は病室を出て行った。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「リュシー、一体どういうことなの?あなた、何か知ってるのよね」
病室に亡がらと共に残されたリュシーとフィーは、静かな空間に呆然と立ち尽くしていたが、フィーが抑揚のないトーンで呟く。りゅしーもまた、抑揚なくそれに答える。
「あ、あたしが知っていたのは一連の不審死が他殺だったってことだけよ。
「……そう。なんで、知ってたの?」
「驚かないのね、まあ、無理もないか。目の前で犯人が逮捕されたんだものね」
「…うん、それで、なんで知ってたの?」
「偶然立ち合ったのよ。三人目のイヴァン・フリーマンさんが亡くなったとき、偶然近くにいて、階段から転げ落ちてきたとき、慌ててそばに寄った。打ち所がわるかったのね。瀕死の重体だったけど、彼は虫の息であたしに教えてくれたわ。誰かに押されたって」
「そう。でもならなんで、他の人に知らせなかっ――」
「そういうこと。メンツを守ろうとした糞病院に口止めされたのよ。言ったら首にする、家族の幸せがなくなるって。警察も極秘に捜査していたみたいよ」
風なんか吹くはずもないのに、冷たい北風が肌をかすめていったような感覚を、二人は感じていた。
「でも、なんでマルコがこんな事したのかしら・・・。彼、自ら数学教師に志願して、あの子達にも親身だったのに」
「そんなことあたしに分かる訳ないじゃない。あたしが分かっているのは、被害者がしだいに、あの子達に親しい人間になっていってたってことだけよ。あなたも分かっているでしょ」
「うん。でも今回の人はあの子達とは何の関係もない・・」
「そう。だから気のせいかもね。規則性があるなんて」
「そう、ね。だといいわ」
「さ、忌まわしい殺人事件もこれで解決した。これから亡くなった患者さんのこともいろいろしなきゃだし、仕事に戻るわよ」
リュシーは無理矢理気分を入れ替えて言う。
「あなたのそういう所、嫌いじゃないわ」
「そう?物事にはなんでも二面あるものよ」
二人は言って、病室を出て行く。
しかし、この連続殺人事件は、真の意味で解決していなかったのだった。