第五幕その2、ゲーム
「黒猫先生、どんな感じっすか?」
ドアを開けて入ってきた男はそう言いながら、ナギの横に腰かけた。
「はじめまして。星野さん、起きたんっすね。僕は三毛猫ってことで。よろしく」
キツネ目をしたおそらく二十代前半の細身の男は、旧友にでもあったかのように手を差し出す。ナギは差し出される手に、ノリに押されて握り返すが、三毛猫の視線は既にナギには向かっていなかった。
「可愛いなぁ、ルナちゃん。ねぇ、ナギくん、どこまでしたの?」
三毛猫はルナを見たまま、まるで「元気?」とでも言うようにしれっと言う。
「はじめまして。まだ、っていうかこれからもするつもりありませんけど?俺は変態じゃない」
さっき胸に触った事は棚上げして言う。
「うん、してたら殺してる。世界中の幼女はみんな僕のものだ☆」
すやすやと寝ているルナを眺めながら三毛猫は言う。
「スラ・・・、じゃない。三毛猫は重度のロリコンなんだよ」
「黒猫先生、ダメっすよ、本名は。コードネームにしないと楽しくないって、チェシャ猫が怒りますよ」
三毛猫はおどけるように言って、
「ところで、お二人さん、気が付いていないんっすか?」
「なにをだ?」
ノリの軽さに唖然としながらナギが言うと、
「ルナちゃん、起きてるよ」
言われてルナの方を見ると、彼女は照れるようにゆっくりと目を開く。
「ビンゴ!僕の幼女レーダーの前で寝た振りなんてさせないよ、ルナちゃん」
実のところ、ナギはルナの存在を一時忘れていた。自分達を拉致したとは思えない二人の言動に気を取られていたのだ。
「ルナ、大丈夫か?」
言うと、ルナは
「ばれちゃった。このままお話し聞いてたかったのに」
これまた場違いな発言をする。ナギは文字通り頭を抱える。比喩でなく頭痛がしていた。
「ルナ、いつから起きてたんだ?」
「ナギがベーグルサンド食べてたところからだよ」
セクハラ行為はぎりぎりバレていないようだった。もっとも、それで起きた可能性も高いが。
「な・・・。セラちゃんになにか言われてたのか?」
「ううん、これはフィーからだよ。男の本性見抜くにはまず寝たふりをしてみるのが初級編だって言ってたから」
「(九歳の子供に何を教えているんだ)」
「ルナちゃんは素直だなぁ、いい子いい子。それでこの男の何が分かった?」
三毛猫はルナの頭を撫でる。
「え、えっと、やっぱり男の人ってみんなエッチな事ばかり考えているんだなって」
ルナは既に三毛猫のペースに呑まれている。
「エッチな事だって!」
三毛猫はそこに過剰に反応する。
「あんた、俺のルナちゃんに何をした?答えろ」
三毛猫はナギを睨みつける。その顔は思いっきりマジだった。
「ちょっと身体に触っただけだよ。っていうか俺達は恋人同士だもんな、だよな、ルナ」
ナギはルナに目配せして優しく言う。ルナは恥ずかしそうにうなづく。
「っていうか何が『俺のルナちゃん』だよ。あんたら頭おかしいんじゃねえか?」
「私まで巻き添えですか」
三人を眺めていた黒猫は苦笑して言って、
「私達は至って真面目ですよ。三毛猫はちょっと性癖が変わっているだけです。」
「ちょっとかどうかは疑問だけどな。まあ、あんたが根はちゃんとした人間だってのは認める」
「そうですか、光栄です。では、三毛猫も来たことですし、私達の目的でも話しましょうか。ルナちゃんも、聞いててくださいね」
言われてルナは、黒猫に視線を向けたままうなづく。緊張しているのだ。三毛猫はルナの横で、目の前に人参をぶらさげられた馬のようにルナを見つめている。
「私達は3年程前まで、人類の宇宙進出を拒むテロリスト集団、スペース・バリアラインに属していたんですが、例の事件が起きてからは組織は分裂してしまいました」
黒猫は昔を思い出すように言う。
「テロ組織っていってもね、全員が全員崇高な理念を持っている訳じゃないんですよ。誘われてなんとなく入った、みたいなね。その中でも多くの人は理念に共鳴していって、根っからのテロリストになっていきます。大国相手ですからね。命を賭けてでも大儀のために戦う。素晴らしいことですよ」
若干呆れたように両手を上げて、続ける。
「組織が分裂してからは小さなテロリスト集団がたくさん生まれました。そして今、彼らは様々な施設を爆破したり、そこにはもう、理念なんてありません。ただ惰性でやってるんです。
ですが私達は、もともと理念なんて持ってはいませんが、正常な灰色の脳細胞をもってぃるのです、モナミ(あなた)。知りませんか?アガサ・クリスティーのミステリー小説に出てくるエルキュール・ポワロの名言のもじりですよ。
まあ、それはいいとして、私達は部外者的な目線でいたからこそ、組織の元々の目的忘れずにいられたんです。そう、それはつまり、月資源の平等配分です。」
そこまで言って、黒猫は
「ちょっと喉渇きません?長く喋ると疲れやすいんですよ、私の喉」
椅子を立って、タンスの横にある小さな箱から水の入ったペットボトルを取り出す。
「飲みます?冷えてませんけど」
「いや、俺はいいです。ルナはいるか?」
ナギが聞くと、ルナはコクン、とうなずく。
「じゃ、はい、ルナちゃんの分」
黒猫はルナに水を手渡して、
「失礼しました。では続けますね」
水を一口飲み下す。
「元々スペース・バリアラインは宇宙進出を拒む組織でした。人類は母なる大地である地球を汚し、それでも飽き足らずに宇宙まで汚すのか、といった具合にです。しかし、それは表向きの目的です。裏というか本来の目的は、月資源・宇宙資源の平等配分なのです。私達の故郷であるアフリカや中東の国々は、石油等の資源で国力が保っていました。しかしその資源も枯渇の一途をたどっています。でも先進国は平気です。
宇宙資源を独り占めにしていますから。彼らは私達には武器しか与えてくれません。
ですから、私達は本来の目的に立ち戻って、故郷を救うために一か八かのゲームをする事を決めたのです」
言って、また水を口に含む。
「なんとなく分かったけどさ、なんでゲームなんて言い方するんだ?それに、俺達を拉致したのは偶然だってさっきいってたと思うんだけど?」
「聞かれると思っていました。まず前者について答えますね。私達は他のテロリストとは違うんですよ。ある意味で本質的に真面目なんです。ですが他の方達は真剣なくせしてなにが目的なのか見失ってしまっている。なのでそれを皮肉ってゲームと言っているんです」
「へぇ、真面目なんだな。でも他の連中とは考え方が合わない、と」
「はい、私達は暴力を好みません。血を流さずに故郷を救いたいんです。ですが、実はまだ計画段階だったんですよ。中途半端な状態。あなた方を拉致したのは偶然だと言いましたが、言葉の通りです。昨日私達、といっても全員じゃないですが、は下見に行っていたんですよ。人質を拉致する方法を考えるために」
「それがあの病院で、標的はルナだったと」
「はい。ですが、実際は予想外の方向に向きました。月面でたわむれるあなた方を見つけたのです」
「たわむれるって・・。まあ、否定は出来ないけどさ」
「偶然でした。千載一遇のチャンスです。逃す訳にはいきませんでした」
「それで拉致した、と」
「ええ、男の方まで有名人とは思いませんでしたけどね。それも私達に多分に関係のある方だとは」
「なりたくて有名になったんじゃない」
ナギが言うと、またドアが音をたてて開き、数人の男女が入ってくる。
「遅れてすいません。計画の準備をしてたら遅れてしまった」
先頭の二十代らしき大男――スコティッシュフォールド――が言う。
「良いのよ、別に。先生はそこの男に説明する必要があったし、変態ロリコン猫は止めても早く来たんだろし。私達が早く来る必要性なんてこれっぽっちもない」
これまた二十代前半らしき女――白猫――が言う。白い肌と燐とした佇まいは、威圧感すら感じる。
「お褒めいただきありがとうございます」
三毛猫がわざとうやうやしく言う。
「誰も誉めてねーよ。この変態ロリコン野郎」
悪態をつくのは例によって二十代前半の男――ロシアンブルー――である。
「キミ、星野くんだっけ。俺にルール破らせたんだ。その分コマとして使わせてもらうよ、よろしく」
「ロシアンブルーでいいんだっけ?いい?OK。彼はゲームが好きでね。人生を長いゲームだと思っているんだ。だからというか、自分で決めたルールにはしっかり従うし従わせる。ちょっと面倒な奴なんだよ」
黒猫は少し呆れたように言う。
「ルールを破らせただって?いつ俺がそんなことをしたんだ―――!」
「気がついたようだね」
「ああ、昨日は押し倒してくれてどうもありがとう」
ナギは皮肉で返す。
「どういたしましてと言いたい所だけど、俺が押し倒したのはそこのでくのぼうだよ。なあ、スコティッシュフォールド」
「別に嫌ってはいないけど、たまに嫌悪感を覚えるな、お前は」
「ハハハ、温厚なスコティッシュでもロシアンはアレか」
黒猫が言う。
「どうでもいいですけど、ここ狭すぎる。目的は顔見せなんだし、出てっていいですか?先生」
今までだまっていた二十代後半らしき女――シャム猫――が言う。
「姉貴が言うなら」
「私もそうおもってたところ」
「この組織のルールブックは先生だから、先生次第だよね」
「僕はまだここにいる。ルナちゃん眺めていたいし」
テロリスト達は一斉に言う。
「相変わらず空気読まないなあ、三毛猫は」
黒猫はそう言って、
「一応みんなの紹介をちゃんとしてからだね。右から、巨体のスコティッシュフォールド、Sっ気のある美人の白猫、ルール好きなロシアンブルー、姉さん的存在だけど実は乙女なシャム猫だ」
「先生、最後のは言わなくても良いんじゃないですか?」
「そう?どうせ分かることなんだからいいじゃないか」
「そうですけど…」
「そうだよ。あ、でもみんな国籍は秘密っていうことで」
「なんでですか?」
敢えて聞くけど、というようにシャム猫が言う。
「なんとなく。謎の組織っぽくて良いんじゃないかと思ってさ」
「先生がこの組織のルールらしいから、なんでもいいわ」
シャム猫は呆れたようにロシアンブルーの方をちらりと見る。
「先生が決めたら白も黒に変わる。独裁者っていうのはそういうもんだろ」
「独裁者って・・。もっと他に言い方っていうものがあると思うんだけどな」
黒猫はぼやいて、
「まあ、いいや。君たちはもう戻っていいよ。私達はまだもう少し話すよ」
「了解です。さ、戻って準備の続きしましょ」
シャム猫が言って、4人は部屋から出ていく。
「さて、私達はこれで全員です。何か聞きたい事はありますか?」
黒猫が背もたれによっかかりながら言う。
「なんて言うか、統率はとれているんだろうけど、バラバラな感じに思えた。どういう集まりなんだ?これは」
ナギが言うと、
「僕達はゲームのプレイヤーなんだよ」
ルナをずっと眺めていた三毛猫が、視線を変えずに言う。
「さっき先生が僕らの事を真面目だって言ってくれたけど、僕らは根っこの方では、この計画をゲームにしか思っていない」
「分かってはいるけど、そんなにはっきりと言われると傷つくなあ」
黒猫は頭をポリポリとかく。
「まあ、でもそういうことなんだ。私達は生きる事とか、一生懸命頑張るとか、そういう事に対して欲を持てないんだよ。
理由はそれぞれだけど、どうせ無意味に生きるなら一世一代の賭けをしてみる。それで故郷が救われるなら喜ばしいことだ」
「まあ、故郷を救いたいって気持ちだけは理解できるよ。それ以外は相当にクレイジーだけどな」
「ええ、私達はイカレ野郎の集団ですから」
イカレ野郎だけ日本語である。
「そっか。なんにしても、俺達は危害を与えられる事はなさそうだな。特にルナは」
ナギは三毛猫の方を向く。ルナは終始、照れるように顔を隠していた。
三毛猫はナギを見据えると、ピシッと親指を立てる。
「それでは、我々ももどりましょうか」
黒猫が言い、三毛猫は渋る。
「そんなにいたいなら、いてくれても構いませんけどね。そうだ、ルナちゃんに食事を与えなくてはいけませんね。三毛猫くん、お願いしてもいいですか?」
「いいっすよ。ルナちゃんから聞いたけど、そこの馬鹿がルナちゃんの分まで食べたみたいっすからね。とびきり美味しいのを買ってきます」
「じゃ、何日になるかは分からないけど、ここに監禁されてもらうよ」
黒猫が言って、二人は外へ出る。ガチャリ、としっかり鍵のしまる音が聞こえた。
「セラ、どうしてるかな」
ルナが心配そうに呟く。
「大丈夫。ルナもセラちゃんも、一人じゃない」
そう言って、俺はルナを抱き寄せた。