第五幕その1、笑うテロリスト
薄暗い、8畳程の部屋。
そこにあるのは、古い木のタンスと、なぜかファンシーものの壁掛け時計、部屋の隅にあるガラス製の机にはなにかのヒーローらしきフィギュアが几帳面に並べられ、その横には皿に乗せられたベーグルサンドが、一口を残して置いてある。なにもかもがちぐはぐだった。
部屋の中央にはセミダブルのベッドが鎮座している。眠っているのは一人の少女。葉月ルナだった。ベッドに腰掛けている青年は星野凪一──ナギ。
彼の目の前には一人の男。パイプ椅子に座り、ナギとなにか話していた。
「──なんにせよ、すまなかった。許してくれ──」
ナギは彼──黒猫と名乗った──の話を聞きながら、『あの時』の事を懸命に思い出していた。催眠剤のせいでボンヤリとする脳をフルスロットルにして。
***
半日ほど前──あの時から、一夜が明けていた──、ナギが気付いた時にはすでに、近くに止められたジープから二人の男が飛び出してきていた。
な、なんなんだよコイツら。
武器らしき棒を持ち、明らかにこちらに向かって来ている。
状況が読めない。
しかし、相手が敵意を持っているのは明らかだった。
「くそっ、また面倒ごとに巻き込まれてたまるかよ」
ナギは突如訪れた修羅場に呆然としながらも、必死に戦闘体形をとる。
ルナを、ルナを守らなければ!
あの忌まわしい過去と決定的に違うことは、明確に守るべき人がいることだった。
脳を捨てて本能のままに戦うことだけを考える。左足を踏ん張り、激痛がはしるが、そんなものは無視した。
ルナの前に立ち、身構える。敵の位置を確認して、強さを見極めようとする。
ZPSを着た大男が、正面から猛進して来る。右手には金属棒。
銃や電動ノコギリなど、破壊力で上回る武器はいくらでもあるはずだった。無重力下でも同じことだ。しかし、敵の得物は金属棒一本。
「拉致する気か」
ナギは小さく呟く。男達の目的はおそらく、ルナであり、その理由を考えれば殺しはしないはずだからだ。
理由――ー例えば、人質とかだ。
もう一人は大男の後ろから、ゆっくりと近づいてくる。
アホか?こいつら。
猪みたいにバカの一つ覚えみたく近づいてきやがって。
普段のナギならそう思っただろう。しかし、その時のナギにはそんな事を考えている余裕など全く無かった。どう言おうと、ニ対一。敵が有利でナギが不利。ルナほとんど失神状態。逃げる事は不可能。現実は変わらない。
ナギはルナから離れ、敵に接近する。左足の痛みは既に感じない。
死ぬ気でやるしかない。
振り下ろされる金属棒を右腕で受け止め、左腕をバックスイングさせてアッパーを喰らわせる。
左拳はたしかに男の顎を捉えた。しかし、男はよろめいただけですぐに体制を立て直す。普通ならかなりのダメージを与えられるはずだが、二人ともZPSを着用しているため威力がかなり抑えられてしまうのだ。
この場を切り抜ける手段はただ一つ。金属棒を奪い、敵のZPSを破壊──男を殺す──するだけだ。
ナギは男が大振りしたのを逃さず、しがみついてクリンチに持ち込む。
ナギは気にする余地も無かったが、もう一人の男は二人の戦闘をなぜかただ眺めていた。──しかし、クリンチに入ったのを見て、二人に駆け寄る。
「僕としてはルールは破りたくないんだけどな。ま、しかたないか」
不可解な事を言って、ためらいもなく仲間を突き倒す。
「なっ!……」
間抜けな声を残して、大男はナギの上に倒れる。ナギは月面に全身を打ちつける。
ゲームセットだった。この瞬間から、ナギの記憶は途絶えた。
意識を取り戻した時、ナギはベッドの上にいた。丁寧に毛布と布団が掛けられてあった。
起き上がり、ここがどこか知ろうとする。部屋は薄暗く、何があるのかはなんとか分かる。人はいないようだった。
「つっっ!」
頭がガンガンと痛む。その痛みで、昨日あった事を少しずつ思い出す。
「くそ!拉致られたのか……なぜだ!?」
記憶が鮮明になってくると、拳をベッドに叩きつけながら叫ぶ。
「……ルナ!ルナは!?」
慌てて横を見ると、すやすやと眠っているルナを見つけて、ホッと安心しながら、慌てて口を抑える。起こしはしなかったようだったが、果たして起こした方が良いのか、悪いのか、皆目分からなかった。
静かにルナの布団と毛布──二人で一枚づつだったが──を剥がす。彼女の息遣いを確認し、白く美しいその肌に傷がない事を視認する。
……襲うなら今だ
ホッとするのと同時に、場違いにも非常識な事を思ってしまう。男のサガってやつにナギはとても正直だった。
まだ大きくはなっていないその胸に触れ、
駄目だ!いろんな意味で
慌てて手を引く。まだ一人の男にも触れられていないだろうその胸は、うぶな聖女の『それ』のように感じた。柔らかくはなかったが、とにかく暖かかく感じたのだ。
──と、突然大きな音が聞こえる。ナギの腹の音だった。
それで初めて、ナギは自分が腹が空いている事に気付いた。ルナが起きていない事を確認してから、部屋に食べ物がないか物色する。ひとまず今は、寝かしておいてあげたかった。
寝顔をもっと見ていたいというのもあったが……。
食べ物は、すぐに見つかった。部屋の隅にあるガラステーブルの上に、ベーグルサンドが2つ、皿に乗せて置いてあった。真ん中に穴の空いたドーナツ状のパンに、レタスとベーコンが挟んであった。
空腹に任せて、一つをあっという間に平らげた。毒が入っているかも、などという考えは、浮かびもしなかった。もし毒入りなら、既に殺されているはずだからだ。
空腹は収まらず、もう一つにも手を伸ばす。それは明らかにルナの分だ。
ナギは彼女を横目で見て、
少食だろ
勝手に決めつけて、一口を残して平らげた。
「もう、起きられましたか。おはようございます」
ナギが油のついた指を舐めていると、古びたドアが音を立てて開き、四十代くらいの男が入ってきた。
男は壁に立て掛けてあったパイプ椅子を開いて床に置き、ゆっくりと座る。椅子がきしむ音が、静かな空間に、響き渡る。
「はじめまして」
予想に反して温厚そうな男の目は、しかし真っ直ぐにナギを見据えていた。
「とりあえず、お名前を教えてくれませんか?」
「何であんたに名前を教えなきゃならないんだ?おっさん」
にらみ返す。と、男は「へへへ」と少年のように笑う。
「そんなに怒らないで下さいよ。というか、実は私達はあなたの事知ってるんですけどね。もちろん、そこに寝ている女の子も。」
男はルナの方に視線を向けてから、ナギの方に戻す。
「よろしくお願いします。星野凪一さん。ルナちゃんはもう少ししたら起きると思いますよ。……あ、私は黒猫と名乗るようにいわれましたので、そう呼んで下さい」
目の前の男はここを故郷の実家とでも間違えているんじゃないだろうか?まるでルナは彼の姪かなにかのようだ。
あまりにも場に合わない軽い態度に、ナギはボケてるんじゃないかと疑う。
「・・・なんであんたが俺の名前知ってるかってのは想像つくけどよ、その口調いい加減にしてくれ。俺達を拉致したってんなら、一体俺達をどうしたいんだ!俺が目的ならルナを解放しろ。ルナが目的なら、この身を呈してでも守ってやる」
威勢よく喰ってかかる。が、この直後、ナギは言葉を失うことになる。
「んー、実はまだあんまり決めてないんですよねぇ。偶然拉致ってしまいましたので」
まるで捨て猫を拾ってきたかのように言う。
「なっ・・・。てめぇ、ふざけてんのか。こんな少女をこんな目に合わせて、遊びで拉致しましたってか?」
「そんなに熱くならないでくださいよ。まあ、言い方は悪かったのは認めます。ごめんなさい」
そう言って椅子から降り、床に座って深々と頭を下げる。
突然の陳謝にナギはどう反応したものかと考えていると、
「イッツアジャパニーズドゲーザ☆」
黒猫は顔を上げて、ウィンクをする。
「・・・、てめぇ、やっぱりふざけてるだろ」
ナギの脳の血管は、いまにもぶちギレそうだった。
「ノンノン、イッツアアフリカンジョーク。きょうどのわらいね」
椅子に座り直し、後半は日本語で言う。どうやら学歴はそれなりにあるらしい。
「郷土なんて、難しい日本語知ってますね」
ナギは急ごしらえで切れかけた血管を縫合して、冷静に返す。
「よく言ってくれました。実は私、自他共に認める語学オタクなんです。よろしく」
日本語と韓国語、それにどこの言葉かさっぱり分からない言語を混ぜこんで言う。
「俺は生粋の日本人なもんでね。日本語と英語しか分からないが、あんたが語学オタクのイカレ野郎って事は分かったよ」
イカレ野郎だけ日本語である。
「イカレ野郎?オーイエス!アイアムクレイジー」
笑って手を差し出す。
「でも、私の仲間はクレイジーじゃない。さっき偶然拉致したと言いましたが、言葉としては本当です。ですが、こういった事をする計画は前からありました。言葉のあやってやつです。申し訳ない」
「・・・あんた、根は真面目だろ。わざとふざけてる」
「はい☆。そうですよ」
黒猫はニッコリと嬉しそうに笑う。
「でも私はクレイジー。マッドサイエンティスト」
「それはこだわりなんだな」
ナギは笑みを浮かべて、
「あんた文系じゃなかったのかって、突っ込めばいいのか?」
差し出された手を軽く握る。
「ええ、ノリ良さそうですね。関西の方ですか?」
「いや、関東だ。知ってるんだろうけど」
「はい、元から少しは知っていましたけど、昨日仲間が調べてくれましてね。一夜漬けしました」
「そっか。偶然拉致したってのは、嘘じゃなさそうだな」
「なぜ分かるんです?」
「目で分かる」
ナギは黒猫を見つめて言う。
「アフリカには正直者が多いのか?よくよく見たら目が素直だ」
「さっきまで人の事を罵倒していたとは思えませんね。面白い人だ」
「あんたにだけは言われたくない」
冗談ぽく言って、
「まだ完全に信じた訳じゃない。拉致した理由もまだ聞いてないしな」
「そうですね―――」
黒猫が言おうとすると、ドアがノックされる。