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第三幕、英雄とイケメン


 見た事もない青が、そこには広がっていた。どこまでも吸い込まれそうな程澄み広がっている空。冷たい水。眩しい光。


「(私は今、海で泳いでいるんだ。夢が叶った!)」


 ゆっくりと感動が込み上げ、少女は喜びの声をあげる。何も身に付けていないその姿は、転生した神のような、純粋無垢な輝きを放っていた。


 波紋が静かに広がり、カモメが祝福する。



「(あれ?でもセラがいない)」

 

―――ルナ!


 誰かが呼ぶ声がして、少女は耳を澄ませる。


「(セラ?・・・違う。リュシー?どこ?)」


 少女は歩き廻る。


 ドサッ!



 ??


「ルナ!早くどきなさい・・・」


 

「(あれ?これが砂浜?・・・じゃなくてリュシー!?なんで?)」



 少女――葉月ルナがさっきまでいた砂浜がどこにいってしまったのかと困惑していると、


「いつまで寝ぼけてるの、ルナ。早くどきなさい!」


 砂浜――否、リュシーがルナの下敷きになりながら言う。


「…そっか、そうだよね。夢だよね……」


 毛布をギュッとつかむ。暖かいがどこか冷たいオーラを放つ毛布が、ルナを現実に引き戻す。涙が、とめどなく溢れてくる。

 地球に行けたと思ったのに、夢だったから。もちろんそれも大きかったが、何より、現実が変わらずにあるというのが、今のルナにとって辛かった。


 涙をぐしぐしと拭う。 リュシーが庇ってくれたと理解する。




 ルナを始めルナリアンとムーンチャイルドは守られるべき存在だった。なぜなら、彼女達は月産まれだからだ。生まれつきから低重力下で育ったため、身長は地球人のそれより高くなる。しかし、低重力障害のため、骨や筋肉、心臓機能が身体の成長についていけなく、ルナリアンの体は地球の重力には耐えられない。そればかりか、体が弱く、激しい運動は禁止されている。

 言い方は悪いが、宇宙酔いや宇宙白血病、ガンなど、宇宙で起こる病気の研究にとっても彼女達は貴重なサンプルだった。もちろん危険なことは行われていないが。



「(なんでこんな夢を見たんだろう。)」


リュシーの存在を忘れ、ルナは悲しみの海にただよう。


 海にいくのが夢だから。


 それは確かにそうだったが、まだ9歳のルナにとって、ここ最近心がはち切れそうなほど、悲しい事が起きすぎていた。

 始まりは、ルナとセラの仮想家族の、年の離れたいとこのそのまたいとこにあたる、レイニー・ブルックマンが不慮の事故で亡くなったことだった。

 ブルックマンは骨粗鬆症による骨折で入院していて、階段から転落し、死亡した。骨粗鬆症は三カ月ほどで治るから、普通に退院したとしてもすぐに二人の家族ではなくなってしまう。しかし、たとえ少しの間でも、病院という同じ屋根の下で暮らした人はだれでも、二人の大切な家族だった。

 

 その日から、1ヶ月程の間に、8人もの「家族」が、死亡した。

 死因は、医療ミス、自殺、事故、と様々ではあったが、病院側の説明にははっきりしないことが多く、殺人やテロ、果ては病院の不正を暴いたために口封じされただとか、うわさでもちきりだった。

 しかし、幼いルナはそんなこと分からず、ただ悲しくて、苦しくて、見えない恐怖に震えていた。

 よく遊んでくれたヴェルムおじさんが1週間程前に亡くなり、今度はついに、看護師のアンカ・クライドが事故死し、立て続けに、家族になったばかりの黄民白が自殺した。

 家族が次々に死んでいく。その悲しみは計り知れない。


「私、どうしたらいいのかな」


 言葉が、出てくる。


「取り敢えず私からどいて、シーツを洗濯室にもっていきなさい!」


 下からリュシーの怒った声が聞こえる。


「ご、ごめんなさい、リュシー」

 

 慌ててリュシーから離れる。


「全く、あなた達に何かあったら責任を問われるのは私達なんだから。それと、おねしょ、珍しいわね」

「え!?」


 慌ててパジャマのズボンをさわる。ぐっしょりと、ぬれていた。そういえば股からももにかけての辺りが生暖かい。


「せ、セラ達には言わないでね!」


 スボンを手で隠しながら言う。こんな事、6歳くらいから、なかったことだった。


「はいはい、分かったから、急ぎなさい。学校に遅れるわよ」


 ルナがずっと顔を赤くしてうずくまっているのに、リュシーは冷静に言う。余計に恥ずかしいし、胸の痛みが、ルナを闇に引き込む。


「(みんながいなくなっていくのが、こんなに辛いなんて。私も、みんなの所に行きたいよ…。)」

「早くしないと、セラが待ってるわよ」


 ルナの思考を見抜いたように、リュシーが続ける。


「(セラが、待ってる!)」


 闇に覆われかかっていたルナの心に、聖母のような優しい光が射す。

 そうだ、私にはセラがいる。イエス様なんて目じゃない。神様や天使よりも、優しくて、輝いてて、私の憧れのお姉ちゃん。



―――ルナ、悲しいなら、あたしの所に来なさい。 あなたに涙なんて似合わないんだから。あなたは、この病院のアイドルなんだから


セラの声が、どこからか聞こえた気がした。

しかし、辺りをみても、セラはいない。


 ルナは急に立ち上がって、導かれるように机の引き出しの中の『大切なものいれ』にしている紙の箱を取り出す。ふたを開けて、一番上にある折り畳まれた紙を手に取って広げる。 


 SAINT


 大きく書かれたその言葉のそばに、セラの凜とした字で、詩が書いてある。



『神なんていない

 なぜならこの世には人しかいないから


 神なんていない

 いざというとき、頼っても何もしてくれないから


 神なんていない

 なによりも大切なものが神って言うなら、それはあなただから


 神なんていらない

 あたし達がお互いの神さまだから』 



 読んで、紙を胸にあてる。胸のあたりがじんわりと温かくなるのを、ルナは感じた。


「違うよ」


 小さく言う。


「セラはやっぱり、神様なんかじゃなかった。天使でもなくて、ただの私の大好きなお姉ちゃんだよ。だって、涙、もう出てないよ。こんなすごいこと、神様なんかに出来るはずないもん」

「じゃ、早くその大切なお姉ちゃんに会いに行きなさい、私はもう行くから。ちゃんとパジャマとシーツ、片付けるのよ」



 リュシーが言う。ルナは彼女の存在を忘れていて、ビクッとする。


「う、うん。ちゃんとやります」


 リュシーが部屋からでていってから、ルナは急いで着替え始める。

 着替え終わったら言われた通りにシーツとパジャマを洗濯ルームに持っていく。

 部屋に戻って、学校の支度をして部屋をでる。大好きなお姉ちゃんに会うために。


 部屋を出る時、ルナはなんとなく、セラの詩の紙をポケットに入れた。



    ***



「じゃ、まずは、前回の授業の復習をするわね」


 アンナ・ホワイトが言う。ここはナースステーションの隣にある小さな部屋。ホワイトボードと2つの椅子と机が仲良く並んでいる。少女達のささやかな学校だった。

 アンナはルナとセラの宇宙学の教師で、黒人。すらりとしたモデルばりのビューティーボディーを持っている。出身はアフリカだと言っていたが、どこかはルナは忘れてしまっていた。


「二人共、交互に初期宇宙開拓の偉人の名前を言って、セラはその名言やどんな人だったか言いなさい。はい、すぐ。」


 えー、と言ったのはルナだけだった。さっきまで泣いていたのが嘘のように、笑顔だった。

 そんなルナ見つめて、セラはくすくす笑いながら椅子から立つ。


「ルナもたまには復習くらいしなさい」

「大丈夫よ♪このくらいなら。だって私は頭良いんだもんっ」


 言って、頭を巡らせる。


「早くしなさい。ルナ立って」


 アンナの口調が強くなる。彼女は気が短くて怒りっぽいからと、ルナは急いでガタガタと立つ。


「えっと、ツィオルコフスキー」


 だよね、とセラの方を見ると、彼女は、そうよ、と言うように


「ゴダード」と言う。

「オーベルト?」

「フォン・ブラウン」

    ・

    ・

    ・

「ガガーリン」


 ルナが最後にそう言うとアンナが、


「はい、じゃあ、セラお願い」


 何にも誉めないで言う。ルナが膨れていると、


「よく出来たわね、ルナ。いつもこのくらい出来たらいいのに」


 余計なお世話、というルナの言葉を微笑みながらスルーして、セラはすらすらと喋りだす。



「ツィオルコフスキーは、『地球は人類にとってゆりかこだ。しかし、ゆりかごで一生を過ごすものはいない』といった、『宇宙旅行の父』。ゴダードは、ガソリンと液体窒素を使った世界初の液体燃料ロケットを打ち上げた人だけど、生きている間にほとんど評価されなかった別名『月男』。

    ・

    ・

    ・

 それと、初めて宇宙旅行をしたガガーリン。『地球は青かった。されど宇宙に神はいなかった』という言葉が有名です。」


「すごーい、セラ!さっすが、私のお姉ちゃんなだけはあるね」


 ルナがえっへん、となぜか偉そうに誉めていると、アンナは表情を変えずに、


「よくできたわね」


 と言う。


「ちょっとアンナ先生、もうちょっとセラを誉めてあげてよ!」


 ルナがアンナにつっかかると、セラはいいの、と止める。


「セラから、この中で一番偉いと思う人を言いなさい」


 アンナは二人を無視して言う。


「(ホント、嫌な人)」


「はい」


 セラは不満気なルナにウインクして、また立ち上がる。


「えっと、・・・」


 天井を向いて考えて、彼女は続ける。


「ゴダードです。ツィオルコフスキーみたいにただ理論を言っているだけじゃ何も意味がありません。

ゴダードは名声が無くても一生懸命やっていたから、凄いと思います」

「そうね。理屈だけじゃ何も生まれない。何事もただ、一生懸命にやらないとね」


 アンナは珍しく微笑んで、次はルナに同じ事を尋ねる。ルナは立ち上がって、


「・・・えっと、・・・やっぱり、ガガーリンが偉いと思います。だって、一番最初に宇宙に行ったんだし」


 セラの頑張って、という声援に答えて言ったが、すぐにアンナが喋りだす。


「ガガーリンが偉い?なぜ?彼はただ旧ソ連の政治宣伝の道具として使われただけなの。ルナの言う人類初の宇宙飛行での彼の扱いは、スプートニク二号に乗せられた犬よりは少しマシだったという程度だったの。それに、『宇宙に神はいなかった』という言葉はソ連共産党の主張の代弁だし、『地球は青かった』なんて要は彼がバカだったからそんな表現しかできなかったの。

 そんな人間を偉いなんて、甚だしいわ!」


 アンナの口調は荒い。


「それは違うと思います、アンナ先生」


 ルナが頭を混乱させていると、セラは思い切りよく椅子から立ち上がる。ガタン、と椅子がゆれる。


「たとえ国の操り人形だったとしても、作られた英雄だったとしても、彼は彼なりに一生懸命生きていたはずです。その中で彼は偶然か必然か、彼は初の宇宙飛行士となった。一生懸命生きている人間に優劣をつけるなんて、間違っていると思います」



 セラはなぜか唇を噛んでいて、その目からは一粒の涙が流れていた。


「そして、私達も・・・」


「・・・・・・」


 セラの勢いに圧されて、アンナは少し黙る。


「そうね。年甲斐もなく少しムキになりすぎてしまったかもしれない。謝るわ」

「あたしこそ、すいませんでした」


 セラは、何に対して「すいません」なのかは言わなかった。しかし、二人の間では、伝わっているようだった。


 ルナには二人の会話の真意がよく分からなかったが、空気を察してただノートを広げた。


    ***


「―――はい、今日の授業はこれで終わり。宿題を出します。セラはホワイトホールについてのレポートをまとめる事。ルナはビッグバンについて簡単にでいいから説明できるようにしておく事」


 チャイムの代わりに雄雌の猫の形をした目覚まし時計が『んみゃーお、ふしゃー、んみゃーお・・・』と啼いて、アンナは言った。

「えー」と言ったのは相変わらずルナだけで、セラはくすくす笑っている。


「じゃ、さよなら。セラルナ」

「ありがとうございました」


 アンナは扉を開けて外に出ようとする。が、


「セラルナ、またいつものお客さんよ。私はもう行くけど」

 

 突然、呆れたように言う。

 その直後、アンナと入れ換わりに男が入ってきた。


「ねえルナ、今から入ってくる人、私とあなたどっち目当てだと思う?」


 セラがささやく。知らない人が聞けば、間違いなく誤解するだろう。言葉だけ見れば、渋谷やシャンゼリゼ通りでナンパ待ちをしている女子高生だ。

 しかし本当のところ、出待ちを受けるアイドルというのが、ピッタリな表現だった。


「可愛さならセラにだって負けないんだからっ」


二人が笑いあっていると、ドアがガチャンと閉まる。


「おはよう、それとはじめまして」


 男は、「つっても俺は君たちの事知ってるけどね」と白い歯をのぞかせて微笑む。


「はじめまして。お名前は、なんていうんですか?」


 セラがうっとりとしながら言う。男は、イケメンだった。黄色がかったさらっとした肌はほどよく焼けていて、顔は鼻筋がきれいに通っている。

 シャープな輪郭は、セラよりも少し高い身長とベストバランスで、それでいて黒目の綺麗な少し可愛らしい感じのたれ目が、二人の乙女心を捕らえていた。

 男は松葉杖をしていたが、そんなもの、セラとルナの目には映っていなかった。


「星野凪一、ナギって呼ばれてる」


「ナギさんっていうんですか?なんかクールな名前ですね。私はイ・セラ、この子は葉月ルナです。

 あの…日本人ですか?」


「セラちゃんにルナちゃんだよね。知ってるよ。

クール?ありがとう、初めて言われたよ。こんな目してるから」


 セラが言うと、ナギはおどけてみせる。


「素敵だと思います。…それで、なんの用でこられたんですか?」


 セラの頬は、まるでチークでもつけたかのように、紅く染まっていた。


「ああ、忘れてたよ。君たちがあんまり可愛いから見惚れてた」


 少女達の心音が高まる。


「はいこれ、宇宙オーロラもなか。同僚が見舞いに持ってきたんだけど、俺甘いもの食べないからさ。おすそわけ」

「ありがとうございます。それで…」


 セラが何か言おうとすると、


「はいはい、ナンパ野郎は去った去った。ハーイ、仲良しシスターズ!授業を始めるよ」


医師でもある数学教師のマルコ・フロイトがハイテンションで入ってくる。 


「(今来ないでよぉ)」


ルナは思ったが、マルコはナギを追い出し、授業を始めた。



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