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第一幕、月のライオン

 時は2076年。

 人類は宇宙に進出しつつあった。月には都市と呼べるものが点在し、英雄だけでなく、普通の人々の生活がそこにはある。除々に蝕まれていく地球を見捨て、これからは宇宙で生きていこうという団体の主張が、現実味を帯びてきている。無論、その逆の団体も存在する。人類は宇宙を汚す存在であり、地球から出る事は許されない、という主張だ。しかし地球人は、すでに火星の開拓を始め、潤沢に資源を保有する木星へと、視線を向けていた。

 地球規模で見ればそんな次元の大きな話になるのだが、人個人の目線で見れば、そこまでの変化はしていない。

宇宙人がそこら中にいるわけでもなく、妖精や魔物はファンタジーの世界でしかない。宇宙に進出しているとは言っても、相対的にみれば地球に残っている人々が大多数で、宇宙で暮らす人々は小数派。 それに、宇宙にはオゾン層など、紫外線などの有害な物質から人々を守るものが極端に少ない。まだ、地球人が永住できる環境ではなく、永久に地球外で暮らすには環境が整っていないのだ。

 そう、地球で産まれた人間にとっては。


   ***


――月。宇宙生理学研究所付属病院にあるTVルーム。

 一人の少女がソファーに腰掛け、目線をテレビに向けていた。


「( なぜ人は生きるのだろう?どうして人はこんなにも脆いのだろう?)」


 少女は、ふとそんな事を思っていた。


 なぜこんなこと思うのか?──知らない振りをしてみても、悲しさはどこかにいってはくれなかった。

 理由は分かっていた。

 悲しい現実。

 涙が目から溢れそうになり、泣いちゃだめだとこらえる。


「あたしは泣いちゃいけない。だから、今ある現実にきちんと向かい合って、考えないといけないんだ」


 少女は、胸が熱くなるのを感じる。

 少女には、守るべき妹がいた。

 この世で誰よりも、自分よりも愛している存在。

 彼女は今、恐怖に怯え、見えない敵から逃げるようにして、安らぎの殻に閉じこもろうとしている。


「(あなたが怯えるもの。その正体はまだあたしにも分からない。否、あたしは知る事ができるのかもしれない。でも。禁断の鍵を廻す事に、底知れぬ空虚な空間を見て、足が立ちすくんでしまう)」


『そんなに深く考えることないじゃん』


 ぼんやりと眺めていた薄型テレビに映る子ライオンが、少女にはそう笑っているように見えた。


「動物は良いな。生きて死ぬ。ややこしいことなんて、考えなくていい」


 少女は天井を仰ぎ見る。


「といっても、あたしはまだこの子ライオンどころか人間以外の哺乳類に実際に会ったことすらないのだけど」


 少女は微笑して、画面の子ライオンに目線を戻す。

 彼らは少女の理想の姿だった。何にも縛られず、生きるために生きて死ぬために死ぬ。悩むという概念すら無い世界で生きている。その無邪気な笑顔に、嫉妬してしまっていたのだ。


 無機質な電子音が鳴る。少女はポケットの中の通信機を手に取る。

 少女は、本当は機械的なものは嫌いだった。しかし、この通信機だけは、病院から支給されているんだからと、しかたなく持っているのだった。少女──イ・セラは、一応、患者なのだから。


〈フィーからの伝言。『もうすぐルナがそっちに行くと思うから、いつものように慰めてあげてね。お姉ちゃん』〉


 セラの専属の看護師のリュシーからだった。

看護師とは言っても、彼女達は家族みたいなもので、フィーはセラが小さな頃作った仮想家族の母親、リュシーは離婚された元母親だった。リュシーが苦笑いしていたのは、よく覚えていた。


〈大丈夫。お守りは任せて♪〉


 無機質な機械文字は、どうしても好きになれなかった。ただでさえ無機質なこの場所に住んでいると、少しでも暖かいものを求めてしまうからなのだろうか?とセラは思う。


 送信して、テレビを再度付ける。DVDだから、チャプターで良い場面を探す。


「ルナは猫系統が大好きだから、今日は子ライオンでいけるよね」


 そんな思いと同時に、


「この可愛い子猫が恐ろしい猛獣になるなんて知ったら、

泣いて抵抗するんだろうな、ルナなら」


 思わず、クスクスと笑う。

 ソファーに座ったまま、無邪気に戯れる子ライオン達を眺める。



 ここは地球のただ一つの衛星、月。

 その月で二番目に大きな宇宙生理学研究所付属病院。その片隅にあるTVルーム。月生まれ月育ちの少女は『ルナリアン』、少年は『ムーンチャイルド』と呼ばれ、彼らはセラと、彼女の仮想家族の妹である葉月ルナ以外に五人いた。

 彼らの中にはこの病院にいた事のある少年少女もいたが、今この部屋を使うのはルナリアンのイ・セラと妹の葉月ルナの二人だけだった。

 彼女達は生まれ落ちたこの月で、研究のため等の検査と学校の代わり映えのない日々をおくっていた。

 この13歳と9歳という年齢と不釣り合い過ぎるくらいに高い180センチと165センチという身長と、低重力障害で月の外にはでられないか弱い体で。研究者が体を強くしてくれるのを心待ちにして。



 『トントン』と力無いノック音が聞こえてセラが、はっ、と振り返ると、スライド式のドアが少しだけ開いていた。条件反射のようにソファーから飛び立って、ドアの方に向かう。リモコンが音を立てて落ちるが、気にしている暇はなかった。

 

「(どんな言葉なら、あなたを救える?あたしが何をすれば、あなたの安らぎの場所が私になる?)」 


 セラがドアをゆっくりと開くと、長い体躯を力無く曲げて、ルナが崩れるようにセラの胸になだれこむ。

 綺麗な長い黒髪を優しくなでると、ルナの細くて、ホワイトアスパラガスのように白い腕が、セラを力無く抱きしめる。冷たいルナの肌がセラを包んで、悲しみが体の隅々までに浸透していく。


「セラぁ」


 ルナが頭をセラの胸に押し当てたまま言う。か細い声は、予想と違って、涙声ではなかった。ルナの顔を起こしてあげると、乾いた涙の跡が可愛い顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「(いったんは落ち着いたんだろうけど、悲しみを思い出してしまったのかもしれない)」

「大丈夫だから、安心して。あたしがいるんだから」


 ルナの顔をハンカチで優しく拭いて、ソファーに連れていく。

 ソファーに着くと、ルナは腕を巻きつけたまま、セラの膝に顔をうずめる。さっきもれるように言ったセラの名前以外、彼女の口は固い貝殻。 無理もなかった。最近、この病院で、一月くらいで人が死にすぎているのだ。自殺、事故、医療ミス……。今回のヴェルム・スタンリーで6人目だった。


「(元々鈍感で、感覚が少しマヒしてるあたしはともかく、繊細なルナはもうどうしたらいいのか分からないんだろうなぁ)」


 ただずっと、何も言わずに、セラはルナの黒髪をなで続けた。今のルナには何をいっても、辛さを思い出させることになる気がした。



「・・・かわいい」

 

 ルナの全部が染み渡って、セラも全部を彼女に預けていると、ルナはぽつりと言う。いつの間にか膝から少しもたげていたルナの視線の方を見ると、テレビに映る子ライオン達がいた。

 一匹が猫パンチをして、一匹が石ころを蹴って、一匹がそれで転んでいた。あえて無音にしていたが「みゃあ、みゃあ」と、楽しそうな声が聞こえてきそうだった。


「いいなぁ、地球の人は。こんなに可愛い子達いつも見れて…」


 間をあけて言うルナの顔には、笑顔が少し戻ってきていた。


『ルナは繊細だけど影響されやすくて、良く言えば純粋。悪く言えば単純。三歩歩くと鶏みたいにすっかり忘れたり、突然思い出したり。

この娘が知恵をつけたら、将来小悪魔有望…なんてね』


 これが、セラのルナ評だったが、とにかく、ルナが少しでも元気ならそれだけで嬉しかった。セラは鶏に感謝する。


「そうね。いつか行けるといいわね。その時は、地球の海で一緒に泳ごうね」


 地球の海で泳ぐ。それは少女達の夢だった。なぜなら、少女達の海は灰色のクレーターしかないのだから。

 

「うん…。でも、水着っていうのは嫌だなぁ。あんなの下着と変わらないんだもん」

「なんで?恥ずかしい?」

「う、うん」

「お子様ね、ルナは。そんなんじゃいつまでたっても地球にはいけないわよ」

「関係ないでしょ?。無理矢理こじつけないでよぉ」

「確かにそうね。でも、裸で泳ぐなんて肝の座ったこと、あたしにはできないわ」

「からかわないでよ、セラ。ちゃんと服着るもん」

「服って宇宙服?それはそれで萌えるって感じかもね」


 ルナがキッと、上目遣いでセラをにらむ。これはこれで可愛いな、とセラは思う。


「ごめんごめん。でも海に入る時は水着を着なきゃいけないの。分かるわよね」

「・・・地球の今のトレンドは普通の服かもしれないじゃない」

「それはないと思うけど」


 言ってから、セラはさすがに言い過ぎだと思い、言い直す。


「あ、でも、特に日本のトレンドはよく変わるみたいだしね。そういうこともあるかもね」

「ところでセラ。私すごく笑いこらえてるんだけど」

「え、なに?あたし変な事言った?」


 セラが困惑したように言うと、


「キャハハ・・・・・・」


 せきを切ったように、ルナが笑い出す。


「どうしたの?ルナ」

「キャハ・・・。だって、セラ・・それ。キャハハ・・・」


 ルナはセラを指さす。セラが「あっ」と思い出してパジャマを見ると、‘SAINT’(聖人)とマジックで大きく書かれた紙が貼ってあった。


「…あんた、これ、そんなに面白かったの?」

「うん、セラってば天才だよぉ。キャハハ……」

 

 忘れていたが、この紙を貼ったのはもちろんセラだった。ルナは神を信じていなくて、彼女のことをよく神様とか、大天使ミカエル様とか冗談みたいにして言うから、やってみたのだった。

 けれど、それがルナをこんなに元気にできるなんて思ってもなかった。今のあたしは、本当に聖人なのかもしれない、とセラは思う。


 表現できない満足感が、彼女を満たした。

 妹をきゅっと抱き締めて、幸せに浸る。


『トントン』


 小さなノック音が聞こえて、慌ててドアの方を振り向くと、すりガラスの向こうに人影が見えた。黙って親指を上に向けると、影は微笑んだように形を変え、すっ、と消えた。

 ルナはと見ると、いつの間にかすやすやと眠っていた。悲しみのない、無邪気なとても可愛い寝顔だった。

 リュシーにルナを部屋に送ってもらうように連絡しなきゃと、セラは思ったが、今はそんな気になれなかった。ただ、彼女を見ていたかったのだ。自分にはない彼女を。


「あたしが守るからね、るな」

 頬にキスする。涙が一粒、肌を濡らした。


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