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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
鬼柴田とぺたんこの妻

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幕間 異なる歴史の記録 二


ここに、この物語が本来の歴史から大きく枝分かれした記録を、もうひとつ書き記しておこう。


本来の歴史において、斯波の名は、尾張において重い名でありながら、時代の流れの中で力を失っていった。


守護の家。


かつて人を集め、人を従わせ、人の上に立った名。


けれど、名だけでは家は立たない。


名を支える人がいなければ、名はやがて担がれるだけのものになる。


利用され、押し流され、都合よく掲げられ、そして置き去りにされる。


斯波義銀という若者もまた、本来の歴史では、時代の波に呑まれた名のひとつとして語られる。


織田の世が進む中で、斯波の家が、織田の隣に新たな家として立つことはなかった。


そして、もうひとつ。


桶狭間の後にも、歴史は容易く人を奪う。


今川義元を討った後、すべてが織田方に都合よく運んだわけではない。


鳴海城。


そこには、岡部元信がいた。


主君を討たれてなお城を守り、織田方を容易く近づけなかった男である。


本来なら、その奮戦は織田方にとって大きな棘となっていた。


そして、その戦の余波の中で、若い刃と槍もまた、深く傷つき、以後の道を狭められていたかもしれない。


毛利新介。


服部小平太。


桶狭間で名を刻みながらも、その後に十分な働きを残せぬ未来があった。


若く、鋭く、前へ進む力を持っていた者たちが、傷によって道を閉ざされる未来があった。


さらに、柴田勝家にも、本来の歴史とは異なるものが与えられていた。


実子である。


史実の柴田勝家には、実子がいないとされる。


家を継ぐ血を残さぬまま、鬼柴田の名は歴史の中へ刻まれていく。


けれど、この物語では違った。


忙しない姫は、柴田の妻となり、藤七丸を産んだ。


小さく、よく眠り、眉のあたりが父に似ていると皆に言われた嫡男。


その子の誕生は、藤乃ひとりの荷を下ろしただけではない。


柴田勝家という男の家にも、本来の歴史にはなかった未来を与えた。


けれど、この物語では、その分岐の中心に一人の姫がいた。


甥を食べさせるために米櫃を覗き、帳面を睨み、葱一本の使い道に頭を悩ませる、忙しない姫がいた。


彼女は、歴史をすべて知っていたわけではない。


斯波義銀が、この先どのような名で語られるのか。


毛利新介が、服部小平太が、どこでどのように名を残すのか。


鳴海城で誰がどれほど踏みとどまり、どれほどの痛手が織田方に残るのか。


柴田勝家の名が、この先どのように語られるのか。


その全てを正しく知っていたわけではない。


ただ、知っていた。


戦の後にも、人は死ぬこと。


勝ったからといって、すべてが無事に終わるわけではないこと。


傷を軽んじれば、若い者の未来が簡単に閉じてしまうこと。


子のない女として生きる重さ。


そして、守るべき子供には、いつか自分の足で立つ場所が必要になること。


だから彼女は、義銀をただ守るだけでは終わらせなかった。


傷ついた者を寝かせた。


動こうとする者を叱った。


槍を取り上げ、木刀を取り上げ、薬湯を飲ませ、飯を食わせた。


琴は見張った。


藤の方は叱った。


勝家は黙って屋敷を用意した。


その結果、失われるはずだった若い力は、別の形で残った。


新介は、義銀の刃となった。


小平太は、義銀の槍となった。


桶狭間で終わるはずだった名は、新しい斯波家の柱になった。


そして、斯波義銀自身もまた、名に押し潰されるだけの若君では終わらなかった。


柴田勝家は、斯波の名に屋敷を与えた。


織田信長は、斯波の名に娘を与えた。


織田信行は、その形が崩れぬように人と手順を整えた。


毛利新介は、友ではなく家臣として義銀の隣に立った。


服部小平太は、勢いだけの若武者ではなく、新しい家の武の柱となった。


太田又助は、始まりの文を記した。


服部平右衛門は、己の傷を荷とするのではなく、次の者を育てる役目を得た。


小藤太は、逃げ場を失いながらも、新たな家の実務を背負う道へ引き込まれた。


義冬は、ただ兄の後ろで守られる弟ではなくなった。


兄が当主として立つ背を見て、己もまた斯波の名を背負うのだと知った。


そして琴は、毛利の妹ではなく、織田の姫として、斯波の奥へ入った。


信長は言った。


我が娘を与えたのだ、と。


我が息子として、期待しておるぞ、と。


その一言で、斯波義銀はただの旧守護家の若者ではなくなった。


織田の娘を迎え、柴田の後見を受け、家臣と屋敷と文を持つ、新たな斯波家の当主となった。


さらに、信長は琴へ一振りの短刀を与えた。


備前国住長船祐定作。


永禄二年八月吉日の銘を持つその短刀は、この物語において、義銀を傷つけるためではなく、義銀が己を削ろうとした時に止めるためのものとなった。


よく斬れる刃だからこそ、抜かずに済ませる。


琴がその刃を抱いた瞬間、斯波家の奥には、義銀を支える者だけでなく、義銀を止める者が入ったのである。


ここに、本来の歴史とは異なる、大きな分岐の形が定まった。


この物語の斯波家は、消えなかった。


昔の斯波として戻ったのではない。


織田の隣で。


柴田の隣で。


義銀自身の足で、新しく立った。


そして本来なら、桶狭間の後に傷によって道を狭められたかもしれない若い刃と槍も、ここでは失われなかった。


毛利新介は残った。


服部小平太は残った。


義銀の隣に。


斯波の新しい家の中に。


それだけではない。


本来の歴史において、実子を持たぬとされる柴田勝家にも、ここでは嫡男が生まれた。


藤七丸。


のちに勝信と名乗ることになる、その子の存在は、柴田家にまったく別の未来を与えることになる。


この時点では、まだ誰も知らない。


藤七丸がどのような子に育つのか。


勝家が、実子を持つ父としてどのように変わるのか。


その子が、織田家と柴田家と斯波家の間で、どのような意味を持つことになるのか。


けれど、ひとつだけ確かなことがある。


柴田勝家の家にもまた、本来の歴史にはなかった命が灯ったのだ。


それは、戦場の勝敗だけでは語れない分岐である。


誰かが勝ったから変わったのではない。


誰かが生き残ったから、変わった。


誰かが止めたから、変わった。


誰かが飯を食わせ、薬を飲ませ、寝ろと叱ったから、変わった。


そして誰かが、子を産み、抱き、眠る顔を見守ったから、変わった。


家とは、血だけで立つものではない。


名だけで立つものでもない。


けれど、血が繋がることで生まれる未来もある。


名が残ることで守られる場所もある。


人が入り、文が残り、役目が生まれ、縁が結ばれて、ようやく家になる。


義銀は名に背負われる若君ではなくなった。


琴はただ嫁ぐ娘ではなくなった。


義冬は守られるだけの弟ではなくなった。


新介も、小平太も、又助も、小藤太も、それぞれの役目を持って、その家の中へ入っていった。


勝家は、鬼柴田であるだけではなく、父となった。


そして柴田のお藤の方となった藤乃は、その始まりを見届けた。


子のいない女としての荷。


守るべき甥たちを抱え続けていた荷。


その二つを、静かに下ろしながら。


けれど、おそらく彼女は翌朝にはまた帳面を開く。


祝いの品の返礼を数え、台所の米を確かめ、葱が無駄にならぬ献立を考える。


藤七丸がよく眠っているかを確かめ、義銀の屋敷に必要な物を数え、琴が無理をしていないか気にかける。


なぜなら、家を立てるとは、宴の日だけの話ではないからだ。


祝言の後にも、飯はいる。


赤子にも飯はいずれいる。


家臣にも飯はいる。


飯がいるなら、帳面もいる。


帳面がいるなら、お藤の方は忙しい。


斯波家が立った。


若い刃と槍が残った。


義冬もまた、兄の後ろで背筋を伸ばした。


そして柴田家には、藤七丸が生まれた。


そのすべては、歴史の大きな流れから見れば、小さなことだったのかもしれない。


けれど、小さなことが積み重なり、やがて大きな場面を変える。


米櫃を覗くこと。


葱を無駄にしないこと。


怪我人を寝かせること。


兄弟を争わせないこと。


子を抱いて眠らせること。


そのひとつひとつが、歴史の流れをわずかに変えた。


それが、この物語における、二つ目の大きな分岐であった。


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