第3章 ―終幕―
維はゆいと読みます
どうしようもなく光っていたその光は、小川であった。
梅雨があけたばかりだからだろうか。どこからかとっぷりと真っ黒な水がながれている。
水面は月光を力強く反射させてみせた。
俺の顔が水面にうつりこんで、地上のいるのに水中にいる気分にさせる。
「なんだよ。それは押してくれってサインか?」
一瞬誰の声だかわからなかった。もう17年もいっしょにいるのに。
顔に似合わずドリフのようなボケをかましてくれたのは、もちろん維であった。
「おまえ。俺のストーカーかよ。…よくここがわかったね」
「おまえのストーカーやるくらいなら、腹切るわ。んまあ、ここが1番静かだしな」
さらりと酷いことを言ってくれる。俺のストーカーは命がかかわるくらいですか。それにしても、切腹とはチョイスが渋くないか?
最近時代劇をみたっていったから、その影響か。感化されてんなあ。
ともんもん考えていたら、俺が怒ったと思ったのだろうか。悪いと小さく謝ってきた。
気を取り直して。
「維が俺を愛してくれていることはよーくわかった。で、俺が聞きたいのはなんで来たかっていうこと」
親友にきくことではなかったかもしれない。ふつうそんな野暮なことは聞かないだろう。
自分はそれをちゃんと自覚していた。言葉の重みでさえ。
彼は黙る。それから、目じりの筋肉がゆるんだ。
彼は、維は月が似合うなあとぼんやり思った。
「おまえが死ぬと思ったから」
あーあ。
君はなにを言っているんだろう。
俺が、死ぬわけないじゃないか。
俺にはちゃんと家族だっている。おまえだっている。悲劇の主人公なんかじゃない。
かわいそうなんて思われたくない。ちょっと気になる女の子が死んだくらいで、俺が崩れるわけないんだ。
俺の幸せは俺のものだ。いくらおまえだからって、その物差しで俺を量るな。
「おまえはさ、馬鹿だよ」
空気がたるんだように思えた。俺はその一瞬を逃すまいと、すかさず冗談をなげこんだ。
「いーや、維さんには言われたくないねー。こないだ自転車のペダルを下げたまま走ってるの見たんだからな!」
うまくいっただろうか。彼の気をうまく逸らしてくれ。これ以上俺の核心をつくな。
彼の顔は黒い長めの前髪でうかがうことはできなかった。彼の見えない後ろのほうで草を握った。
「えい」
え。視界が反転する。
維が俺の足元へ流れていく。あり得ないスピードで俺の視界いっぱいに夜空が入り込んだ。三半規管がぐるりとまわって、自分が川へ落ちていくのか、空へ落ちるのかわからない。
そんな思考が頭をよぎったとき、俺はやっと着水したのだった。
どぼん。
あれ、さっき真っ黒にみえたのにここからは水面が真っ白にみえる。
綺麗だった。とても。
俺の、ウソしか生み出さなくなったのかもしれない口から出る気泡でさえ、美しく感じさせるほどに。
これが自然なのだ。俺はここから生まれたのか。こんなにも綺麗なところから。
だいぶ汚れてしまったなあ。このままここにいればまた帰れるのか。
もう汚れなくていいのか。自然と俺のあいだには壁はなかった。
俺は強く強く肺に力をいれて、そして、口をあけた。
「なんだよ。帰ってきたのか」
殺人未遂犯がよく言う。俺が立ち上がらなければ、おまえは務所いきだぞ。このやろう。
ゆっくりと顔をあげた。さっきは見えなかった維の顔がみえる。
やっぱりおまえには、月が似合うよ。
「おかげさまでな」
先ほどとは打って変わって、口角があがっていく。今日は珍しい顔をみてばかりだ。
「おまえ今日めずらしいな」
「なにがだよ。補語をいれろ補語を」
「透、ずっと仏頂面だぞ」
すとん。俺の中にきれいに治まった言葉。
「…そうだね」
最後の滴が俺の頬にむかってゆっくりと流れて行った。
「おまえはそのほうが似合うよ」
ありがとう
ございました




