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ハーレムの一員扱いされた王宮家政婦、本日をもって辞職いたします

作者: ふうりん
掲載日:2026/04/02

「君も、他の子たちと同じだろう?」


その一言で、すべてが終わった。


 


王城東棟、第二王子私室。


豪奢なソファに囲まれた部屋には、香水と甘い笑い声が満ちている。


王子を囲むのは、美しい令嬢たち。


剣姫。

聖女。

魔導士。

侯爵令嬢。


そして――私。


 


私は一歩下がった位置で、紅茶を配っていた。


いつも通り。

ただの仕事として。


 


「ねえ殿下、次の夜会は誰をエスコートなさるの?」


「順番だよ、順番。争わないでくれ」


軽い笑い。


冗談めいた空気。


けれど視線が、ふとこちらへ向いた。


 


「そういえば、エリナ」


第二王子アルヴェイン殿下が私を呼ぶ。


 


「君も最近、距離が近いよね」


 


……距離?


私は首をかしげた。


 


「申し訳ありません。お呼びでしょうか」


「いやさ」


王子は笑う。


悪意のない、軽い笑顔で。


 


「君もハーレムの一員なんだし、もう少し素直になってもいいんじゃない?」


 


部屋が静まり返った。


令嬢たちが面白そうにこちらを見る。


 


私は数秒、言葉を理解できなかった。


 


ハーレムの――一員?


 


私の手元には、王子の一日の予定表。


外交日程。

財務報告。

食事管理。

侍従配置。

側室同士の衝突調整。


全部、私が整えている。


 


だが。


王子の中では、それすら――。


 


「恋愛の延長」だったらしい。


 


胸の奥で、何かが静かに冷えた。


怒りではない。


失望でもない。


ただ、理解した。


 


ああ。


この人は、私の仕事を知らないのだ。


 


カップをテーブルへ置く。


音が、やけに澄んで響いた。


 


「殿下」


私は深く一礼した。


 


「では、本日をもって辞職いたします」


 


空気が止まる。


 


「……え?」


王子が目を瞬く。


 


「な、なに言ってるの? 冗談だろ?」


 


「いいえ」


顔を上げる。


声は驚くほど落ち着いていた。


 


「私は王宮家政官として雇用されております。恋愛要員ではありません」


 


令嬢の一人が吹き出した。


「本気なの?」


 


私は答えない。


王子だけを見る。


 


「三年間、職務に従事いたしました」


「生活管理、財務整理、侍従統括、日程調整――すべて本日付で引き継ぎいたします」


 


王子の笑顔が崩れ始める。


 


「ちょ、ちょっと待て。そんな急に困る」


 


困る。


 


その言葉に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。


 


だが。


続いた言葉が決定的だった。


 


「君がいないと生活が回らないじゃないか」


 


――仕事ではなく。


生活係。


 


私は微笑んだ。


初めて、業務用ではない笑みで。


 


「それは、私が家政婦だからです」


 


一歩下がる。


 


「ですが私は、殿下の所有物ではございません」


 


深く礼をする。


 


「これまで、お世話になりました」


 


背を向ける。


誰も止めなかった。


いや――止められなかった。


 


扉を開く。


王宮の廊下は、驚くほど静かだった。


 


三年間。


私はこの国の王子を支えていた。


 


だが今日、知った。


 


私は必要とされていたのではなく。


 


便利に使われていただけだった。


 


だから――やめる。


 


その日の夕刻。


王宮に一通の書状が届く。


 


差出人。


隣国第一王子直属執務室。


 


内容は、たった一行。


 


『貴女の退職を歓迎します。我が国で働きませんか』


 


まだ誰も知らない。


 


一人の家政婦の転職が。


 


王国のハーレムと政治機構を同時に崩壊させることを。


「リリア! ドレスがまだよ!」

「お茶が冷めてるわ!」

「香水は昨日と同じじゃないでしょうね?」


「はい、ただいま」


私は笑顔で答える。


――元・第一王子専属家政婦。


そして。


王子ハーレム管理係。


側妃候補、寵愛候補、愛妾候補、貴族令嬢。

三十人以上。


その全員の生活を回していたのが――私だった。


洗濯。

食事管理。

スケジュール。

健康管理。

人間関係の調整。


表向きは「家政婦」。


実際は。


ハーレム運営責任者。


でも。


それは昨日まで。


謁見の間。


第一王子は退屈そうに言った。


「最近、華やかさが足りないな」


隣には新任の宰相補佐。

若く、美しい女。


彼女が微笑む。


「もっと自由な恋愛環境にすべきでは?」


王子が頷く。


「そうだな。堅苦しい管理は不要だ」


そして私を見る。


「リリア。君は真面目すぎる」


胸が少しだけ痛んだ。


「本日をもって、ハーレム管理から外れてもらう」


――解雇。


理由は一つ。


秩序がありすぎたから。


私は深く頭を下げた。


「承知いたしました」


誰も止めなかった。


令嬢たちは安心した顔をし、

新任補佐官は勝ち誇った笑みを浮かべる。


私は静かに思った。


(……三日もたないわね)


王宮を出たその日。


私は紹介状を握りしめていた。


差出人は――


隣国第二王子。


数年前、外交訪問の際に世話をした人物。


封を開く。


「あなたの管理能力をぜひ我が国で」


「――正式に雇用したい」


私は思わず笑った。


「ハーレムの家政婦、国外就職かぁ」


悪くない。


むしろ。


最高だ。


数日後。


隣国王宮。


案内された先で、男が振り返る。


銀髪。

穏やかな笑み。


「お久しぶりですね、リリア」


第二王子だった。


「あなたが辞めると聞いて、急いで手紙を書きました」


私は礼を取る。


「採用理由を伺っても?」


王子は即答した。


「簡単です」


そして言う。


「あなた一人で、あの王国のハーレムを崩壊させず維持していた」


少し笑って。


「そんな人材、放っておく国は愚かです」


胸の奥が、じんわり温かくなる。


「では、私の仕事は?」


王子は楽しそうに言った。


「王宮全体の運営改善を」


「あと――」


少し声を落とす。


「私の婚約者教育もお願いします」


私は瞬きをした。


「……え?」


王子が苦笑する。


「政治は得意ですが、生活能力が壊滅的で」


遠くで食器が割れる音。


私は理解した。


(ああ、この国)


(伸びるわ)


こうして。


ハーレムを追い出された家政婦は、


王宮経営責任者になった。


そして――


元の国では。


まだ誰も気づいていなかった。


自分たちが失ったものに。


隣国に来て、一週間。


王宮は静かだった。


――静かすぎるほどに。


「リリア」


第二王子が書類を差し出す。


「王宮の支出報告です」


目を通した私は、思わず眉を上げた。


「……無駄が少ないですね」


「あなたが来る前は酷かったですよ」


王子は苦笑する。


「外交団の食費が三倍でした」


「原因は?」


「料理長と侍女長の派閥争い」


私は即答する。


「今日中に統合します」


王子が目を細めた。


「頼もしい」


その視線が、少しだけ柔らかい。


――距離が近い。


気づいてしまう。


この人は命令しない。


評価してくれる。


それだけで、胸が軽くなる。


その頃。


旧王国。


「ドレスが届いてないですって!?」


「朝食が来ませんわ!」


「誰が洗濯管理しているの!?」


ハーレムは混乱していた。


新任補佐官が叫ぶ。


「落ち着きなさい!」


だが誰も従わない。


理由は単純。


調整役がいない。


令嬢同士の嫌がらせ。

侍女の派閥。

食材の横流し。

予算の私物化。


今まで全部――


リリアが止めていた。


第一王子は苛立つ。


「なぜこうなる!」


側近が震えながら答える。


「……前任の家政婦殿が、全て管理しておりました」


沈黙。


王子の顔が歪む。


「……戻せ」


隣国。


私は庭園で帳簿を整理していた。


そこへ第二王子が来る。


「働きすぎでは?」


「性分です」


王子は隣に腰を下ろした。


王族なのに、同じ高さ。


それが自然すぎて。


私は少し戸惑う。


「あなたは」


王子が静かに言う。


「前の国で、正当に扱われていましたか?」


言葉に詰まる。


……考えたこともなかった。


「必要とは、されていました」


「大切には?」


答えられなかった。


王子は小さく息を吐く。


「なら」


優しく笑う。


「ここで取り戻してください」


胸が、強く鳴った。


その時。


伝令が駆け込んでくる。


「旧王国より使者!」


封書を渡される。


私は読む。


即刻帰国せよ

王宮家政責任者として復職を命じる


命令口調。


謝罪なし。


待遇提示なし。


私はゆっくり封を閉じた。


第二王子が聞く。


「戻りますか?」


少し考えて。


そして笑った。


「……いいえ」


私は伝令へ向き直る。


「お断りします」


「私は現在、この国に雇用されていますので」


伝令が青ざめた。


「で、ですが王命で――」


第二王子が静かに立つ。


「彼女は我が国の人材です」


声は穏やか。


なのに逆らえない圧。


「無理な要求は外交問題になりますよ?」


使者は退散した。


庭に静寂が戻る。


私は思わず言った。


「……守ってくださったんですね」


王子は少し照れたように笑う。


「当然です」


一拍。


そして。


「あなたを失う気はありませんから」


――心臓が跳ねた。


ざまぁは始まったばかり。


そして私は気づく。


もう。


あの国に未練はないと。


旧王国では、混乱が日常になっていた。


「また予算が合いません!」


「食料庫の在庫がありません!」


「舞踏会の招待状が二重送付されています!」


第一王子は机を叩いた。


「なぜだ!」


側近は青ざめる。


「……以前はすべて、前任家政婦が調整しておりました」


その名は誰も口にしない。


だが全員が思い出していた。


泥臭く働き、

目立たず、

文句も言わず。


――リリア。


「ただの女ではなかったのか……?」


王子の声が揺れる。


返事はない。


代わりに報告が届く。


「ハーレム内で侍女同士の暴力沙汰が発生」


「侯爵令嬢が帰国しました」


「伯爵家が資金援助を停止」


崩壊は止まらない。


「……使者を出せ」


王子が低く言う。


「今度は命令ではない」


拳を握る。


「頼むと伝えろ」


同じ頃、隣国。


王宮は驚くほど穏やかだった。


厨房の動線整理。

予算の透明化。

侍女教育制度。


わずか数週間で、宮廷の空気が変わった。


「最近、城が静かですね」


侍女が嬉しそうに言う。


私は苦笑した。


「皆さんが優秀だからです」


「いいえ」


後ろから声。


第二王子だった。


「あなたが来てからですよ」


また距離が近い。


この人は、自然に隣に立つ。


「評価しすぎです」


「事実です」


王子は少し真剣な顔になった。


「あなたは自分の価値を知らない」


胸が痛む。


前の国では――


価値など考える余裕もなかった。


「……仕事ですから」


そう答えると。


王子は静かに言った。


「では私は、あなた個人を評価しています」


視線が合う。


逃げられない。


「リリア」


初めて名前を呼ばれた。


それだけで、息が止まりそうになる。


「無理をしないでください」


優しい声。


命令でも義務でもない。


ただの気遣い。


気づけば笑っていた。


「はい、殿下」


その時、伝令が駆け込む。


「旧王国より再度の使者です!」


封書。


今度は丁寧な文面だった。


謝罪。

待遇改善。

復帰要請。


私は読み終え、静かに畳む。


王子が聞く。


「……迷いますか?」


少しだけ考えた。


そして首を振る。


「いいえ」


前を向く。


「ここには、私の仕事があります」


一瞬。


王子の表情が緩んだ。


心から安心したように。


「……よかった」


小さな声。


聞こえないふりをしたけれど。


胸が温かくなる。


遠くで夕鐘が鳴る。


崩れていく国と。


新しく始まる場所。


私はもう知っている。


選ぶべき場所を。


そして。


隣に立つ人を。

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二回転職して隣国の隣国だから最初の国とはかなり離れてしまったと言う事でしょうか。 二回の転職で漸く幸せを掴めたのですね。 世の若者に転職を畏れるなと言いたくなる作品ですね。
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