7 ひはしらに いてたるによしやう かたりける
博頼は、菊理の案内で、灯語寺の書庫へと足を踏み入れた。
書庫は、都の大寺院に比べれば遥かに小規模だが、
簡素な造りの中に整然と棚が並び、経典や寺院の記録が並んでいた。
土壁と木の棚からは、古い紙と墨の匂いが深く漂っている。
「こちらにございます」
菊理は一冊の古びた書を棚から取り出し、表書きを博頼に見せる。
「真峯命御縁記。
この書は、かつて筑前を治められていらっしゃた蘇我臣真峯命様の偉業を記したものです。
蘇我様の業績は多くありますが、この書はなかでも四つ郷のことを記したものです」
「なるほど。蘇我様の頃と言いますと」
「四〇〇年前のことです」
きっぱりと言い切る菊理に、博頼はわずかな違和感をもった。
「四つ郷は、それはそれは古い歴史をもちますのじゃ」
のんきに忠塘が口を挟む。
「拝見しても」
「どうぞ」
菊理は書を博頼に手渡し、文机を案内する。
博頼は書を開き、真剣に読み始めた。その傍らを、忠塘と菊理が見守る。
「菊理殿、少し良いでしょうか?」
「何なりと」
博頼は、ある記述に目を留め、尋ねた。
「この『かたりなるもの』とは何でしょう?」
「……お見せした方が早いかと、案内いたしましょう」
菊理は書を博頼から受け取り、書架に戻した。
そして博頼と忠塘を促し、外へ誘う。
菊理に導かれ、一行は本堂から少し離れた場所にある仁王堂へと向かった。
仁王堂の中に入り、奥へと進む菊理。
するとそこには、岩壁に囲まれた半地下の小空間があった。
中央の炉で、炎が静かに揺れていた。
「ここは語りの間と申します」
菊理が静かに告げた。
「語りの間。これは一体?」
博頼は、その異様な空間に呆然とする。
都の寺院には決して存在しない、原始的かつ儀式的な場所であった。
「中央の炉は、火座、その前の水盆は水座、
左手にある鐘は風座、そして、右手の土器を**土座**と呼んでいます」
「ううむ」
博頼は、その場の要素と名前に込められた意味が、まるで分からなかった。
それは、都で博頼が学んできた一切の知識の枠から外れたものであった。
隣の忠塘は、その様子をニコニコと笑って見ている。
「少し説明が必要ですね。私たち日見の者は、はるか昔から語りを受け継いできています。
私は百代目の語り部となります」
「語りを受け継ぐ?」
「語りとは人々の記憶。
語り部は火、水、風、土から記憶を聴き取るのです」
「なっなんと」
博頼が絶句する。
この女性が言う「語り」とは、まるで知らぬ、摩訶不思議な古の理であることは明白だった。
「お見せしましょう」
そう言うと、菊理は火座の前に座る。
祈りを込めて手を胸に掲げ、そっと目を閉じる。
おもむろに左手を回し始め、右手を炎に向ける。
すると、奥壁に、朱で描かれた五重の同心円が淡く光り始めた。
「こっこれは?」
目を開く菊理の瞳が朱に染まっていく。
そして、突如として炉の炎が天井まで届くほどの火柱となってあがる。
その熱気は、半地下の空間全体を満たした。
「火よ、語れ。 我が身を通して、 この地の記憶を」
小さく呟かれた言葉は、不思議と、博頼の耳にも明瞭に届いた。
「あっ……」
火柱が割れて、その空間に、まるで熱気の揺らめきそのもののような女性の影が浮かび出てくる。
幻想的で、神々しい光景だった。
菊理はその女性と語り始めたが、今度は博頼たちには声が聞き取れない。
「ごきげんよう。久玖里様」
「菊理、息災か?」
「はい、今は火も騒いでおりません」
「ふむ。良き世じゃな」
「おかげさまで、本日は蘇我臣真峯命様のことを少々お聞きしたく」
「よいぞ。真峯様は……」
女性の影と菊理との対話はしばらく続く。
やがて、菊理が頭を下げる。
女性の影が揺らぎながら消えていき、炎が元の静かな高さに戻った。
博頼は、信じられない光景を目の前にして、言葉がなかった。
語りとは太古の霊的な交信の類か。
博頼の知性は早くも、この不思議な現象を解析しようとしていた。
うつつにも ふるきよのこと まみえけり
かたりてこその うきよなるかな
(現実に、遠い昔の出来事がはっきりと目の前に現れたことだ。この語りこそが浮世を作っているのかもしれない)




