13 ふかみにて おほきめぐる かはらけの
土実に案内され、博頼は広大な寺域の奥へと進んでいく。
都の様式美を極めた左右対称の回廊、掃き清められた白砂。
そこには、火嶺郷で見られたような原生の生命力や、地の底から湧き上がるような畏怖の気配は微塵もない。
「内記殿。ここでの調査は、たいした成果も出ませんよ。
四つ郷の古い記録など、私も見たことはありませんから」
何か変わったところはないかと、鋭い観察眼で辺りを見回しながら進む博頼を見かねたのか、忠塘が牽制するように隣で囁いた。
忠塘の故郷であるこの根深郷において、彼が何を隠したいのか、あるいは何を恐れているのか、その焦燥が言葉の端々に滲んでいる。
そのとき、博頼の目に、見事に整えられた庭の片隅が映った。 寺の秩序から唯一取り残されたかのように、そこに一本の巨大なクスノキがそびえ立っていた。
その太い根元、影の落ちる場所に、ひっそりと古い土器が置かれている。
博頼は直感的に理解した。庭園のクスノキの根元、影の中にひっそりと佇むその土器の形——それは、火嶺郷で菊理が見せてくれた土座の意匠と、驚くほど酷似していた。
やはり、ここに失われたはずの「記憶の断片」があるのだ。「根深に語りの力はない」という話は、そのまま鵜呑みにはできないようだ。
あるいは、力そのものは失っているのか。それでも見つけ出す意味はある。
されど、博頼はここで問いを発すべきではないと瞬時に判断した。土実の蛇のような鋭い視線と、忠塘の過剰なまでの警戒心。今ここで不用意に動けば、真実はさらに深い闇へと隠滅されてしまうだろう。
誰か、別の者から話を引き出すべきか……。博頼は何食わぬ顔で視線を逸らすと、平然とした足取りで土実の後に続いた。
一行は、重厚な扉が開かれた本堂へと足を踏み入れる。
土実が用意した茶は、驚くほど芳醇で素晴らしく、博頼は思いのほか満足した。博多経由でもたらされた異国の香りが、張り詰めた空気をわずかに解きほぐす。
忠塘も交えて三人で世間話を続けていると、奥の間から、音もなく一人の僧が入ってきた。
博頼の前まで来ると、衣の擦れる音をわずかにさせながら、淀みのない洗練された所作で座り礼をする。
「お初にお目にかかります、北条内記様。
拙僧は本寺の僧、従八位下、信円と申します。
葦里の出でございます」
信円の言葉に、博頼は傍らの忠塘へ視線を向けた。
「ほう、では葦里少監殿と縁が」
「信円と私は従兄弟ですな。久しいな、信円」
「はい、忠塘殿も息災なようで」
忠塘の問いかけに対し、信円は淡々と、しかし親愛の情をわずかに滲ませて応じた。 信円の肌は白く、その佇まいは都の洗練をそのまま形にしたようだった。
しかし、博頼は彼が頭を下げた瞬間、その首筋から微かに漂う「土の匂い」を感じ取った。
それは、先ほどのクスノキの根元で嗅いだ、湿り気のある重厚な大地の香りだ。
「さっそくではあるが、本寺の書庫を拝見させていただきたい」
博頼がそう切り出すと、信円は土実の顔を一度伺ってから、柔和な笑みを浮かべた。
「ほほほ。北条内記様は気が早いお方でございますな。
ただ相済まぬことでございますが、書庫はちょうど煤払いの最中でございまして。
しばしお時間を頂戴できればと。その間、『地言寺縁起』を語りましょう」
信円はあえて、「語る」という言葉に、隠しきれぬほどの力を込めて博頼に放った。
その刹那、土実の眉がピクリと跳ねた。
土実は巧みに隠そうとしたが、信円が不用意に「語り」という、この地で禁忌とされる言葉を使ったことへの苛立ちは隠せなかった。博頼はその一瞬の動揺を見逃さない。
深藤大領……案外、与しやすいか。懐かしき都の権力者と同じ匂いのする土実に対し、博頼は内心で冷徹な評価を下しつつ、再び信円へと目を向けた。その瞳の奥には、底知れぬ不思議な深さが宿っている。
「……煤払いか。それは仕方のないこと。
では、信円殿。その『縁起』とやら、謹んで拝聴しよう。
この根深という土地が、いかにして今の姿となったのか、興味が尽きぬゆえな」
博頼は、信円が提示した「待ち時間」を、彼なりの合図だと受け取った。信円に応えるように、博頼は茶碗を置いて姿勢を正した。
「かつてこの地には、土の語りがございました。
藤原の光がそれを『正しき仏法』で覆ったことが、今の地言寺へと続きます。
かつて畏くもヤマトよりこの地を治めることを許された、我らの先祖、葦里首和土尊は、沈黙という名の安寧を受け入れたのです」
「信円殿、言葉が過ぎるぞ」
土実が短く、鋭く窘めた。
信円は「おっと、これは失礼」と、すぐに都の僧らしい卑屈な笑みに戻った。しかし、その視線は一瞬だけ、博頼ではなく、隣に座る忠塘へと鋭く向けられた。
忠塘は、信円の言葉を聞きながら、茶碗を持つ手がわずかに震えている。
博頼は確信した。信円は単なる僧ではない。彼は土実に従う振りをしながら、その実、忠塘と同じ血を引き、「土の語り部」としての記憶を、仏法という衣の下に隠し持っている人間なのだ。
その後に続く信円の「縁起」は、急激に毒気を抜いた当たり障りのないものとなった。そこには土実を満足させるための、潤色された偽りの正史が並べられた。しかし、博頼はその言葉の端々に、自分だけに向けられた「合図」を聴き取ろうと耳を澄ませた。
信円が語りを終えると、土実は満足げに鼻を鳴らした。
「……このように、地言寺は、最果てとは申せど、都の光を受け入れた、ありがたき御寺にございます」
土実の声には、自負を通り越した歪な「選民意識」が滲んでいた。それは、土地の「根」を否定し、都の権威をひたすらに賞賛するものであったが、博頼の耳には、どこか虚しい響きを伴って聞こえた。
かみけぶる みてらのからん かげにすむ
つちのきほくぞ こゑなきをきく
(壮大な寺院に、神々しく霊気が立ち込めている。私は今、それらが発する言葉にならない真理を、聴いているのだ)




