10 たたひたすらに おとにたくさん
夜になり、道弾が催す月見の宴が始まった。
庭園には、夜空の月を愛でるための雅な設えが施されていた。
池の水面が静かに磨かれ、空の月を映し出す鏡となっている。
舞台には道弾が座り、手に龍笛を持っていた。
「いよいよですな」
忠塘は、待ちきれない様子で身を乗り出している。
ドンッ。
腹に響くような太鼓が、夜の静寂を切り裂いて一つ鳴った。
始まった。
庭の池には、満月が幽玄に浮かび上がる。
道弾が龍笛を口に当てると、その音は、都の雅楽とは異なる、さびた音色となって夜の庭に広がっていった。
その音は、ただ単に美しいだけでなく、火嶺山の地の底から湧き上がってくるような、古の響きを持っていた。
音もなく舞台に菊理が上がった。
博頼は気配をまったく感じずギクリとした。
そんな幻想的な雰囲気をまとった菊理が静かに舞い始める。
菊理の衣には、腰のあたりに小さな鈴が付けられていて、舞うたびに鈴が音を鳴らす。
それが道弾の笛の音と重なり、場に霊的な律動を生み出した。
やがて、菊理は腕を伸ばし、舞いながら、その右手を舞台に設られたかがり火に向け始める。
彼女が一、二、三、四、五と回転する間に、かがり火は強くなっていった。
そして、急に火柱が上がった。
ドンッ。
腹に響くような太鼓が、またひとつ鳴り響く。
火柱の光を浴びた菊理の瞳が朱に染まり、その目は博頼を見つめる。
博頼の鼓動は早くなった。
笛の音は次第に速くなり、菊理の舞も激しくなる。
まさに真骨頂。
火と音と舞が一体となる。
その刹那、菊理がピタッと止まる。
音が一切消えて、月明かりだけが菊理を照らす。
博頼は、ただそれをみて美しいと思った。
都の雅とは異なる、生命の根源に触れるような、原始的な美であった。
この舞は、この地における「火」と「語り」の力の現れなのだ。
やがて道弾の笛の音が再び広がり始める。
それは博頼の心に静かに染み入っていく。
なるほど、これは見事だ。
余韻を味わっていると、菊理が酒肴を用意してやって来た。
博頼と忠塘に酒をつぐ。
少しの間三人で語っていると、道弾がきた。
「いかがでしたかな?」
道弾に尋ねられると、博頼は居住まいをただし、口を開く。
そして心のままに歌を詠む。
うかひてる あめのうすめに わかこころ
ふえのねかたる つきよのあはれ
(幻想的に現れた舞姫の姿に私の心は浮かれてしまった。笛の音色が月夜の情緒をしっかりと伝えてくれている)
「まあ」
菊理が頬を染める。
自分の舞と姿を詠まれたことに、嬉しさと照れが混じったようだった。
道弾もニヤリとする。
「これはこれは、拙僧の笛が役に立ちましたかな?」
「いえいえ、お見事な音でした。さすがは筑紫三笛の一人、お聴き出来て光栄でした」
「なんのなんの」
道弾は博頼に謙遜を返しつつ、隣の忠塘に向き直った。
「道弾殿の腕は落ちておりませなんだな」
「少監様がおられたので緊張しましたよ」
忠塘が評して、道弾が畏まる。
その様子に疑問を顔に浮かべて忠塘をみる博頼。
「いやあ、私は大した腕ではありませんよ」
「謙遜を。少監様こそ、篳篥の名手」
「なんと」
博頼は驚きに目を見開いた。
忠塘は楽を愛するのみかと思っていたが、自身が笛の名手だというのだ。
「いやあ、参りましたな」
忠塘は、隠していた特技を道弾にバラされたことに、心底まいったという表情をした。
顔には照れの色が見えるが、その瞳の奥には、芸を披露する前の静かな高揚も感じられた。
皆が期待の目で忠塘をみる。
「仕方ありませんな」
忠塘はそう言って、諦めたように笑った。
彼は、家人に命じて篳篥を持って来させて、舞台に上がった。
忠塘の音は見事の一言だった。
力強い篳篥の音が、ぶれずにゆっくりと、月夜に照らされた薄明かりの池を静かに流れていく。
道弾の龍笛が地の底の「語り」の響きを伝えたのに対し、
忠塘の篳篥の音は、失われゆくものへの哀切を纏っていた。
博頼の心にも無常感が広がった。
風景と音が究極の調和をなし、博頼に迫ってくる。
それは、まさしく幽玄の美。
いつものひょうきんな忠塘からは伺えしれぬほどの、洗練された感性が、その音色に凝縮されていた。
博頼は、忠塘の音色によって、自分たちを取り巻く世界が、
いかに優美で、そして儚いものであるかをしみじみと感じ入っていた。




