第十章:オレは・・・・・
闘技場の床に穿たれたクレーターの中心で、アレスの肉体は原型を留めていなかった。光の結晶槍に貫かれ、焼け焦げ、もはや「死体」と呼ぶのすら躊躇われるほどに破壊し尽くされていた。勝負は決した――誰もがそう思った瞬間だった。
「……オレは……」
千切れかけた肉片の中から、か細い、しかし確かな声が漏れた。次の瞬間、異変が起こる。
ズズ……ズ……。
アレスだった「モノ」から、濃密な黒いオーラが陽炎のように立ち上り始めた。それは単なる魔力の発露ではない。もっと根源的で、冒涜的な、存在そのものを捻じ曲げるかのような異常な気配を纏っていた。
「オレは…………」
オーラは急速に濃度を増し、渦を巻く。
シュオオオオオオオオ!
渦の中心で、破壊されたはずの肉体が、ありえない速度で形を取り戻し始めた。焼け焦げた皮膚が剥がれ落ち、その下から新しい皮膚が現れるのではない。骨が軋み、肉が盛り上がり、血管が脈打つ――まるで粘土をこねるように、あるいは悪夢的な早回し映像のように、彼の「体」が再構築されていく。見る者すべてに生理的な嫌悪感を抱かせる、冒涜的な再生。
「……神になる……」
開いた傷口は、肉が蠢きながら塞がっていく。失われたはずの手足が、黒いオーラの中からぬるりと生え出してくる。
「オレは……新世界を……創造する……」
『こっ、これはどういうことだ! 貫かれたアレス選手の傷口が…肉体が! まるで時間を巻き戻すかのように再生していきます!! これが悪魔の力! 不死の力なのか!!』
実況が、恐怖と興奮の入り混じった声で叫ぶ。
そして、ドン! という地響きにも似た音と共に、アレスは完全に立ち上がった。再生は完了した。しかし、それは以前のアレスではなかった。肌には黒曜石のような光沢を帯びた禍々しい文様が走り、瞳は爛々と赤く輝き、全身からは絶えず黒いオーラが噴き出している。それは、より強く、より歪で、より「悪魔」としての本質に近づいた姿だった。
「なにアレ? 元に戻ったっていうか……もっと強そうになってるじゃない!」
青空ゆうは、目の前の異常な光景に戸惑いを隠せない。(でも……殺さなくてよかった。私の技が、あんなに効くとは思わなかったわ……)彼女は内心で安堵していたが、その安堵はすぐに別の感情に取って代わられようとしていた。
VIP席では、テオスが苦々しげに説明していた。
「高位の悪魔は肉体が破壊されても魂が無事なら復活する。アレスは王族。魔澱までんが浄化されない限り、魔力で体は何度でも再生する……奴の核を完全に破壊しない限り、本当の意味では倒せん」
その説明を、すぐ近くの客席で聞いていた真宮寺彩音は、ニヤリと口角を上げた。(魔澱が浄化されない限り悪魔は復活する……か。いいこと聞いたわ)
闘技場のアレスは、新たな体を見下ろし、そして目の前の少女を睨みつけた。
「人間……いや、青空ゆう……お前は強い。いままでの神々とは次元が違う。だが! おれは負けない……お前を倒して、おれは神になる!!!」
アレスは宣言する。(さっきの再生で魔力は底をつきかけている……黒魔刀を維持するのがやっとだ……だが、この一撃で!!!)
彼は黒魔刀を構え、残された全魔力を注ぎ込む。刀身が禍々しく輝く。
「黒極斬連刃!!」
渾身の力を込めて、アレスは最後となるであろう技を放った。無数の黒い斬撃が、空間を引き裂きながらゆうへと殺到する。
「うわっ、また来た!」
「セブンスコード・リフレクティブ!」
ゆうは即座に反応し、再び巨大な光のシールドを展開する。
ズガガガガガ!
斬撃の奔流がシールドに激突し、火花を散らしながら弾け飛ぶ。
「ゆう! あなたの攻撃は効いてるわ! 本気を出しなさい!! あの悪魔を焼き尽くすのよ!!」
客席から彩音が檄を飛ばす。
「そんなこと言ったって、私だって本気よ!」
ゆうが思わず彩音の方を振り返った、まさにその瞬間だった。
「限定版K様!! が見てるわよ!!」
彩音が高々と掲げた、あのK様フィギュア。アレスが放った斬撃の一つが、まるで意思を持ったかのように軌道を変え、シールドの外側を回り込み――
フィン!
――鋭い音と共に、彩音の手の中のフィギュアを正確に一刀両断した。
「あ!」
「みゅっ!」
彩音、ゆう、ミューミュの短い悲鳴が重なる。床に落ち、無残に割れるフィギュアのパーツ。
斬撃は勢いを失わず、そのままゆうの背後から襲い掛かった。
「きゃああああああ!」
ズガアアン!
斬撃はゆうの体表面で爆ぜ、後方の地面を抉ったが、ゆう自身は、やはり無傷だった。シールドは衝撃で消え去っていた。
アレスはふらつきながらも、拳をぐっと握りしめた。(巨大なシールドならその外から回り込ませればいい。今度こそ直接当たったはず……!)手応えを感じたアレスだったが、彼の武器であった黒魔刀は、魔力切れで霧のように消え去った。
(そうか! 直線的な斬撃をおとりにシールドの外から斬撃をまげて当てたのか!)ゼウスはアレスの機転に感心していた。
しかし、その攻撃も、ゆうには通じていなかった。
「なにっ⁉ 効いていないのか⁉」
アレスは愕然とする。もはや魔力も武器もない。万策尽きた。
「くそぉ!!! 効かないのなら、直接ひねりつぶす!!」
アレスは悪魔としての膂力を頼りに、最後の抵抗とばかりにゆうに向かって駆け出した。
その時。
「…………あんた……」
ゆうが、地を這うような低い声で呟いた。その声質は、さっきまでとは明らかに異なっていた。空気が、凍る。
(やばっ!)
(みゅっ!)
客席の彩音とミューミュに、経験したことのない強烈な悪寒が走った。
闘技場のゆうの周囲で、空気が軋むような音が聞こえ始めた。
びき……びきびき……。
まるで、張り詰めていた何かが、限界を超えて断ち切れる音。
アレスが、ゆうまであと3メートルという距離まで迫った。
「アンタ!!!!」
瞬間、ゆうの口から放たれたのは、ただの怒声ではなかった。それは物理的な衝撃波を伴い、闘技場全体、いや、辺境のはざまの空間そのものを震わせた。
ドン!!!
ゆうを中心にして半径10メートルの空気が爆ぜ、地面が放射状にひび割れる。
(なっなんだこれはっ!)VIP席のゼウスが、その異常なプレッシャーに目を見張る。
(こ、これは威圧だ!! 神格が放つ純粋なプレッシャー! 青空ゆうが、すさまじい威圧を発している!!)テオスが衝撃の正体に気づき、戦慄する。
「くっ………な……なんだ……体が……重い……」
飛び掛かろうとしていたアレスの動きが、まるで粘性の高い液体の中を進むかのように鈍くなる。金縛りにあったかのように、手足が思うように動かない。
客席の神々も、その異常な威圧の影響から逃れられなかった。「おいどうした」「圧力を感じるぞ」「体が…動かせん!」「こ、こんなことはじめてだ!」弱い神々は気を失い、屈強な神々でさえ、その場に縫い付けられたように身動きが取れなくなっていた。
闘技場のゆうは、怒気と殺気を隠そうともせず、静かにアレスを睨みつけていた。彼女を中心に、闘技場の土くれや小石が渦を巻きながら舞い上がり、まるで小さな竜巻のようだ。
「……限定版の……意味……知ってる?…………」
その問いは、氷のように冷たく、アレスの鼓膜を打った。
「ふっ…ふざけるな!!! おれは…お前を倒す……んだ…!」
アレスは残された力を振り絞り、一歩、また一歩と威圧に抗いながらゆうに近づく。だが、近づけば近づくほど、ゆうから放たれる無意識の浄化オーラによって、彼の体はジュウジュウと音を立てて焼けただれていく。
(やっやばい!!! ミューミュ! 隠れて!!)彩音はミューミュの頭を押さえ、客席の椅子の下にうずくまる。
(みゅっみゅっみゅっ、ガクガクブルブル……)ミューミュは顔面蒼白になり、滝のような汗を流しながら、ただ震えることしかできなかった。
ゆうは、目の前まで来たアレスを、感情の抜け落ちた、しかし底なしの怒りを湛えた瞳でとらえた。
「限定版の意味しっているかって……聞いてるの…………」
その瞳は、もはや「神」のそれではなく、もっと根源的で、抗いがたい「何か」の目だった。
「神に……なる…んだ……」
アレスは最後の力を振り絞り、焼けただれ、炭化しかけた右腕を突き出した。指先はボロボロと崩れ落ちていく。それでも彼は、諦めなかった。
「おれは…………新世界を……リリエルを……」
ガッ!
ついに、アレスの右手が、ゆうの首を掴んだ。
グアッ!
瞬間、ゆうの体から、制御されていた浄化のエネルギーが、純粋な破壊衝動となって奔流のように吹き出した!
「もう二度と手に入らないってことよぉぉぉぉぉ!!!!!」
ゆうの絶叫は、もはや悲鳴に近かった。浄化のエネルギーが、アレスの体を内側から爆散させる! アレスは、闘技場の床ごと、巨大な力で吹き飛ばされた。ゆうの首を掴んでいたはずの右手は、肘から先が跡形もなく消し飛んでいた。
「ぐあっ!」
アレスは地面に激しく叩きつけられ、動かなくなった。
「わたしが……」
ゆうが、静かにアレスに一歩近づく。ドン! 彼女が踏みしめた闘技場の床が、蜘蛛の巣状に砕け、低い音を立てて陥没した。アレスは左半身が炭化しながらも、必死で体を起こし、本能的な恐怖から後ずさろうとする。
「わたしが…………」
起き上がろうとするアレス。ゆうはさらに一歩近づく。ドン! 再び床が陥没し、アレスは衝撃で激しく叩きつけられる。
シュウウウウウウウウ!
ゆうの周囲の空間が、異常なほど高純度の浄化エネルギーで満たされ、空気中の塵すらも核として、小石ほどの光の結晶が瞬く間に無数に生成される。それらは見る見るうちに大きくなり、互いに結合し、ゆうの周囲を巨大な竜巻のように取り巻きながら上昇していく。そして、はるか上空で、翼を広げた光り輝くドラゴンのような形を成した。それは、神々しさよりも、むしろ畏怖を抱かせる異様な光景だった。
「いっ……息が……できない……」
アレスは床に這いつくばり、もはや指一本動かすことすらできない。浄化エネルギーの圧力が、彼の存在そのものを押し潰そうとしていた。
「あ……青空……ゆう……」
アレスは、最後の力を振り絞り、片手で起き上がろうとしながら、問いかけた。
ゆうは、足を止めた。
「お……お前は……つよい……お前は……なぜ神になった……なぜ……神々の頂点をめざす……」
その問いに、ゆうは、先ほどの怒りが嘘のように、少し冷静さを取り戻した声で答えた。
「頂点なんか目指してないわ」
「目指してない⁉」
アレスは衝撃を受ける。
「生まれつき不思議な力はあったけど、3か月前に神様として祀られただけ」
ゆうは、心底不思議そうに答える。
「生まれつき……」
アレスは、大きく目を見開いてゆうを見た。
「わたしは神様になんかなりたくない。好きなものに囲まれて、好きなことして、平穏に暮らしたいだけ」
ゆうは、それが世界の真理であるかのように、当然のこととして言った。
「平穏に……くらしたい……だけ?」
その言葉が、アレスの中で決定的な何かを破壊した。彼が渇望し、手を血に染めてまで求め、それでも得られなかったもの。強さ、地位、仲間、そして平穏。それは神になること、それを目の前の少女は「欲しくない」と言い放ったのだ。
(神様になんかなりたくないって…………)
アレスの顔に、驚きと、悲しみと、そして理解を超えた絶望が浮かぶ。
「お……お・・・おまえは・・・おまえはっ……すべてを持っているっ!!!」
アレスの目から、熱い涙が止めどなくあふれ出した。じわ、と頬を伝う。
「え?」
ゆうは、アレスの突然の涙に驚く。
「強さも! 資格も! 友だちもっ!!!」
アレスは、涙を流しながら、魂の奥底から声を振り絞る。(客席の彩音も、ただ事ではないアレスの様子に気づき、顔をこわばらせる)
「おれが欲しいものをすべて持っている!!!!! おれが……どんなに望んでも……ゆるされない……資格……」
アレスは、震える足で半歩踏み出す。
「どんなに手を伸ばしても……」
震える手を、虚空へと伸ばす。
ぽつ……ぽつ……。空から冷たい雫が落ちてきた。雨だ。まるで、アレスの絶望に呼応するかのように。
(雨?)ゼウスが空を見上げる。
「もう……触れる事すら出来ないのに……」
アレスは、力なく拳を握りしめる。そして、顔を上げ、怨嗟と絶望に満ちた目でゆうを睨みつけた。
「おまえはっっ!!!!!!」
「なっ、なによ?」
ゆうは、アレスのあまりの変貌ぶりに戸惑う。
「おれが欲しいものを! すべてもっているっっ!!!!!」
アレスは絶叫した。ザーッ! 雨が、闘技場を叩きつけるように激しく降り始めた。
「おれが欲しいものをっ!!!」
ドクン!
「がっ!」
アレスの心臓が、異常な音を立てて大きく脈打った。体が、内側から破裂しそうなほどの圧力を感じる。
ドクンッ!!!
(ま…まずい……! こんなところで……!)
ドクンッ!!!!!!!
アレスは、天を仰ぐようにのけぞった。彼の全身から、制御不能な黒いオーラが、奔流となって噴き出した!
ドン!!!!
アレスの体が、骨が軋む音を立てながら、急速に巨大化を始めた。
「へっ?? どうしたの⁉」
ゆうは、目の前で起こっている異常事態におびえる。
「魔狂衝まきょうしょう!!」
VIP席から、テオスの切羽詰まった声が響いた。
「魔狂衝?」ゼウスが驚く。
「あれは魔狂衝だ! 魔族のなかでごくまれに誕生する生まれながらの性質! 魔澱が大きすぎる場合、それを肉体や魂がうまく制御することが出来ないんだ! 正気を失い、怒りや憎しみといった負の感情に飲み込まれ、破壊の本能のままに暴走する! 本来は体の成長と共に治まっていくものだが……」
ドン!!!!!!
アレスの体は、もはや元の面影をとどめていなかった。黒いオーラを激しく噴き出しながら、闘技場の天井に届かんばかりの、異形の巨人へと変貌していく。その瞳には、もはや理性のかけらも残っていない。
「これは!! まずい! アレスの場合、魔澱が常軌を逸して大きすぎる! これは単なる暴走ではない! 魔澱そのものが魂を喰らい、暴走しているんだ!」
テオスは焦燥に駆られた声を上げる。(アレスは魔界での暴走は、これが原因だったのか! あの時はまだ、これほどではなかったはず……!)ゼウスは、アレスの悲劇の根源を知る。
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
アレスの巨大化は、留まるところを知らない。闘技場の建造物を破壊しながら、その体躯はさらに膨れ上がっていく。
『アレス選手の巨大化が止まりません!! あ、どうも……気分が……』実況が力なく呟き、ドタッとその場に倒れ伏した。観客席からも悲鳴が上がり、特に力の弱い新人の神や関係者たちが、次々と意識を失い始めた。
「新人の神達がアレスの魔澱に元霊げんれいを侵されている!!」
テオスが叫ぶ。
「テオス、どういうことだ⁉」
ゼウスが問う。
「アレスの暴走した魔澱から放たれる魔の力が強すぎる! あの邪気に当てられるだけで、力の弱い新人の神たちの元霊は侵され、破壊されてしまうんだ! このままでは、ここにいる新人の神々が死ぬ事になるぞ!」
テオスは焦りながら説明する。
「アレスはもとには戻らないのか?」
ゼウスは、アレスの身を案じるように尋ねた。
「あれは魔狂衝の最終段階だ。魂も完全に魔澱に飲み込まれ、自我を失った、純粋な破壊の化身と化している。もう……二度と元に戻ることはない」
テオスは、苦渋の表情で首を横に振った。
「そうか……」
ゼウスは、静かにうなずいた。
「ゼウス! この魔狂衝は、もはや浄化は不可能だ! これ以上被害が広がる前に、アレスを封印するしかない!!! 手伝ってくれ!!」
テオスはゼウスに向かい、覚悟を決めたように叫んだ。神々の闘技は、最悪の結末を迎えようとしていた。
『神々のリセット 女神と悪魔』、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
貴谷一至です。
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