第一章:追放されし魔王子、始まりの地へ
「約束よ、アレス! 魔王様になっても、会いに来てくれるって!」
無邪気なリリエルの笑顔が、今も瞼に焼き付いて離れない。
対の腕輪『デスティナ』を贈り、誓ったはずの未来。
「あったりまえだ! オレはお前たちと育ったんだ!」
あの温かな日々が、オレの全てだった。
グチャリ。
忌まわしい感触が、今もこの右手にこびりついている。
血に染まった白い布切れと、砕けた腕輪。
転がる、小さな頭部。
兄ダンティスの、魂を絞り出すような絶叫。
第一章:追放されし魔王子、始まりの地へ
「うぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!」
不意に、その静寂を破るように、叫び声をあげる。地面に倒れていた一人の少年――アレスが体を起こす 。ぼやけた視界に映るのは、見慣れぬ灰色の空と、目の前にある巨大な影 。
「……!?」
意識が覚醒すると共に、彼は目の前の影――オリジンの異様な存在感に驚く 。瞬間、脳裏に、断片的で、しかし強烈な悪夢がフラッシュバックする。自分が何者かに力ずくで押さえつけられ、自由を奪われ、封印されかけている光景だ 。
「うあぁぁぁ!」
アレスはまた悲鳴を上げ、蛇のように後ずさりした 。全身を襲う激しい痛みと混乱。
「い……石……? こ……ここは、どこだ……? お……おれは……封印……された、のか……?」
掠れた声で呟きながら、恐る恐る自分の手を見る 。動く。指も、腕も、自由になることを確認する。封印の絶対的な束縛感とは違う。
「ち・ちがう……じゃあ……て……転移……させられたのか……?」
混乱した頭で状況を整理しようと、アレスはゆっくりとあたりを見回した 。岩と砂ばかりの荒涼とした大地。そして、目の前に聳え立つ、異様な存在感を放つ石柱。その表面に、何やら古い文字が刻まれていることに気づく 。
「な……なんか書いてある……? ……古い文字だな……読めるか……?」
彼は、震える指で石柱に刻まれた文字をなぞった 。
「『コノ、セカイヲ、スベルモノ……コノチ、デ、エラバレル……』?」
読み解いた瞬間、アレスの手が、そして全身がわななくように震え始めた 。
「……『この世界を統べるもの、この地で選ばれる』……だと? そ、そんな……お、、、、オレは、、、」
――選ばれなかった。
その言葉が、彼の心臓を直接抉るように響いた 。脳裏に、鮮烈な記憶が次々と蘇る。
魔界の王子として生まれ、次期魔王と期待され、沢山の魔族を従えて当然のように王座に座ることを夢見ていた日々 。
しかし、魔王継承の儀式で、魔王の証たる水鏡は彼を認めず、制御不能な怒りに飲み込まれ暴走した忌まわしい記憶 。異形の姿となり、父の城を半壊させ、忠誠を誓ってくれたはずの従者たちを、自らの手で殺してしまった、血塗られた光景 。
その日から広まった、悪い噂。「魔王の資格なし」「出来損ないの王子」――囁かれる声が、彼の心を蝕んでいった 。かつては羨望の眼差しを向けてきた者たちが、憐憫と侮蔑の目で彼を避けるようになった 。アレスは、ただ沈んだ表情で耐えるしかなかった 。
「……おれは……」
過去の屈辱と、現在の絶望が混じり合い、アレスの全身から、怒りの闘気が黒いオーラとなって立ち上る 。
「あああ……ふざけんな……ばかに、するな……っ!!」
怒りは瞬く間に全身を駆けめぐり、彼の姿を、あの儀式の日と同じ、禍々しい暴走した形態へと変貌させた 。理性の箍が外れる。
「あああああ! すべてを! ぶっ壊してやる!!!」
心の奥底からの絶叫が響く。
『――選ばれなかったんだよおおお!!』
彼は、そのやり場のない怒りと絶望のすべてを、目の前の石柱に叩きつけた。渾身の力を込めて、石柱を殴り壊そうとする 。
ドゴォォォッ!!!
凄まじい衝撃音が響き渡った。……はずだった。
…………シーン…………。
だが、石柱は、びくともしない 。傷一つ、ついていない。まるで、アレスの渾身の一撃など、存在しないかのように。静寂が、アレスを嘲笑うかのように辺りを支配する。
「な……なんだ……? ……壊せない……だと……?」
アレスは愕然とする。自分の拳を見つめる。確かに殴ったはずだ。なのに、石柱は無傷。それどころか、奇妙な感覚があった。
「ち……ちからが……まるで……素通りしていく……?」
渾身の闘気を込めた一撃が、石柱に吸収されたわけでも、弾かれたわけでもなく、まるでそこには何もないかのように、通り抜けていったような……。理解不能な現象に、アレスの闘気は急速に萎み、元の姿に戻ってしまった 。
「それはオリジンていうんだよ」
不意に、まるでアレスの混乱を見透かしたかのような、後ろから呑気な声が聞こえた 。
「お……オリジン?」
アレスは、思わず声に出して振り返った 。
「ふーん。神々の土地……辺境のはざまにいるのに、オリジンを知らないってのは……へぇ。君はいったい何者なんだい?」
声の主が、ゆったりとした、しかしどこか掴みどころのない足取りで近づいてくる 。そのあまりに気安くかけられる声に、アレスは反射的に驚き、警戒心を最大にして戦闘態勢をとった 。
「だっ、だれだお前! いつの間にそこにいた!?」
声の主――軽やかなローブを纏った、人の良さそうな、しかし底知れない雰囲気を持つ男――は、悪戯っぽく笑って言った 。
「んー? 君がオリジンに心底驚いて、制御不能な危険な闘気をぶわっと発したかと思ったら、八つ当たりでオリジンをなぐったあたりかな?」
彼はアレスの行動を正確に言い当てると、さらに続けた 。
「で? 何に選ばれなかったのかな? 聞かせてもらおうか」
その言葉は、アレスの最も触れられたくない部分を、的確に抉ってきた 。
「く……っ!」
自分の醜態を見られたことへの羞恥と怒りで、アレスの顔に血が上る 。
「……貴様! 先ずは名を名乗れ!」
アレスは精一杯の怒気を込めて言い放った 。
「ああ。そうだね。ごめんごめん」男は悪びれもせずに軽く謝ると、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。「僕は全知全能の神、8代目ゼウス」
「!?」
アレスは息をのむ。全知全能の神? ゼウス? 神話に語られる最高神の名。
「そしてこっちが、9代目ゼウス見習いの……」
ゼウスは隣に立つ、少し怯えたような表情の少年に視線を移した 。
「あ、天音空士……じゅっ、11歳です! よっ、よろしくお願いします!」
少年――空士は、緊張で声を上ずらせながら、深く頭を下げた 。アレスは、その紹介を受けて、信じられないものを見る目で二人を交互に見た 。
「……全知全能の神……ゼウス……? おっ、お前、神なのか? ……そっ、それにその子供も……人間じゃないか? どうなってやがる……」
アレスの混乱は頂点に達していた 。神を名乗る男と、明らかに人間の子供。そして、ここはどこなのか。
「……やっぱり君は、神々の土地、辺境のはざま……しかも全ての始まりの地『オリジン』の前にいるのに、何も知らないのか?」
ゼウスは、先ほどまでの不思議そうな表情から一転、差すような鋭い眼でアレスを射抜いた 。その瞳の奥には、場合によっては全力で排除するという、冷徹な意志が宿っている。空気が、一瞬で緊迫感に満たされた 。
「……まあ、いいや。さーて、色々白状してもらおうかな?」
ゼウスは、有無を言わせぬ圧力で、アレスに問いかける。
「君は悪魔だよねぇ? ここでいったい何をしているんだい?」
その言葉に、アレスはたじろいだ 。自分の忌まわしい過去を振り返るのは、くやしく、屈辱的だ 。しかし、この全知全能を名乗る神の前では、嘘も誤魔化しも通用しないだろう。アレスは、唇を噛み締め、絞り出すように答えるしかなかった。
「……お……オレは……追放されたんだ」
その一言が、新たなる運命の歯車を、ゆっくりと回し始めた――。
『神々のリセット 女神と悪魔』、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
貴谷一至です。
是非とも感想とブックマーク!
評価!をいれてください!