出発の日
約一か月後——
「エミル、次はこの荷物を積んでおいてください」
ロイドが大きな鞄を抱えて寄ってきた。
「はーい」と返事をし、鞄を両腕で抱えるようにして受け取る。
再び僕の家の方へと戻っていくロイドを横目に馬車の荷台にそれを詰め込みにいった。
「別れの挨拶は終えたのですか?しばらくこの街に戻ってくることはありませんよ」
黒猫事件の帰りと同じ木柵に寄りかかって、遠目にエミルの後ろ姿を眺めるカルナにロイドが声をかける。
「ううん、まだ考え中」
————母さん、僕、ロイドさんのもとで魔道具の勉強をしたい!
爛爛とした目で駆け寄ってきたエミルが目標とも呼べない目標を告げてきて。
まあいいかと旅立ちを認めたあの日からずっと考えを巡らせてきた。
のだが、相応の台詞は一向に思いつかなず、時間だけが過ぎてゆき。
今日を迎えた。
荷詰め中のエミルの背を見つめながら首を横に振ったカルナは寂しげに笑った。
「こういう時ってなんて言えばいいんだろう、ロイドは何か知ってる?」
カルナが寂しさを誤魔化すように笑顔で覗き込む。
「見送る立場ですか…体に気をつけて…とかですかね?」
ロイドが顎に手をやった。
「それではあまりにも単純ですかね…」となどと呟いている様子に自然と笑みが浮かぶ。
「なんです?」
不思議そうに見つめてくるロイドに「なんでもないよ~」と再び笑って返す。
「別に単純でもいいんだけどね~」
遠目にエミルを眺めながら呟くと今度はいい案を思いついたのかロイドが手を打つ。
「では、いっそこの場であなたの研究の事を伝えて続きを任せるのはどうですか?魔道具の世界じゃ勉強も研究も言葉ほどの差はありませんし」
「嫌よ~、別れ際にそんなことする親がどこにいるのよ。それに、あの研究も子供の人生使ってまで成し遂げたいことじゃないわ」
「そうかもしれませんが…エミルなら興味持ちそうですけど」
「そういう問題じゃないわよ。なんて言うか押し付けてる感じがしちゃうじゃない?それは嫌」
首を横に振るカルナを見たロイドは「確かに…」と呟くとさっきの体勢に戻る。
真剣に悩んでいるときはいつもこのポーズ、特に人の事となると話が聞こえなくなるくらいには一生懸命になる、必死になれる。
そんなロイドだから何の心配もなくエミルを預けられるのだろうと今になって気づいた。
世事を知らないエミルにとって良い先生になってくれる確信があった。
「まあ私なりに伝えてみるよ。ロイド、エミルをよろしくね」
少し顔をあげたロイドは一瞬固まる。
言葉の理解に時間をかけた後、表情を崩して「わかりました」と頷いた。
すぐわかってくれるのもロイドの良いところ。
そんな感じでひと段落ついたタイミングで、砂の小道を駆けてくる小さな音が聞こえてきた。
「ロイドさん、荷物の積み込み終わりました」
エミルだ。
これから始まる旅への期待に胸を膨らませた少年の足取りは軽く、表情は明るい。
あの人もよくこんな顔してたっけな。
「そうですか。では、私は馬車にいますから」
ロイドは母にそう声をかけると馬車へと向かっていった。
母さんと二人きりの時間なんていつも通りだ。
なのに今はなんか気まずい。
目も合わせにくく、視線が自然と下にいってしまう。
沈黙が続く中、母が組んでいた腕を広げて言った。
「う~ん、考えても分かんないね」
何が…?
思わず顔をあげると、母と目が合った。
目を細め、口端をあげ、首を僅かに傾けた母の優しい笑顔はいつも通りだ。
何が…?と疑問を口にしかけたその時
母が僕の体を両手で引き寄せ、優しく抱きしめた。
少し膝を曲げて僕の肩に顎を乗せた母が耳元でそっと囁く。
「しっかり魔道具について勉強すること」
「いろんな出会いがあるはず。一つ一つを大切にね」
「困ってる人がいたら、手を差し伸べなさい」
「旅は最大限楽しむのよ」
「体に気をつけてね」
母の肩で静かに頷く。
「最後にロイドの言うことはちゃんと聞くのよ」
…ん?
今の最後の言葉、妙に引っ掛かるな…
ん、そういえば。
「母さんってロイドさんと知り合い?」
記憶が正しければ、母さんがロイドさんとあったのは黒猫事件後の家の前の少しだけなはず。
その短時間に呼び捨てにできるほどの関係になるか?
それとも、これは違っていてほしいけど、裏では呼び捨てにしているとか…?
様子を伺っていると
「い~やっ……そんなことないけどっ」
分かりやすく目を逸らした母が上ずった声でとぼけた。
母さん、嘘苦手すぎるでしょ…
目を細めて遠くの空を眺めている母の顔をジーっと見つめていると
「…詳しくはロイドから聞いて」
観念したようにため息をついた母が馬車を指さして呟いた。




