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室町一記  作者: おんたま
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二話②

 村の中心部にある村長の家から南に向かってしばらく歩き、辺りの土地をぐるりと囲む山のふもとまで坂道をのぼると、そこに一左の住む家はある。


 村長との長話の甲斐あって、すでに空にははっきりと日が昇っていた。

 近頃はだいぶ秋も深まってきたが、日中はまだ肌寒さを感じることも少ない。

 道すがら周囲を見回せば、ほうぼうに寝床から起き出した村人たちも増えてきたようだ。


 そんな中、一左は懐の銭が揺れて音を立てないよう、服の端を手でぴんと張って、静かに道を歩いている。

 一枚一枚は軽い銭も、まとめて二束分ともなるとそれなりの重さにはなるから、気を抜くと服が片側に引っ張られ、わかりやすく不格好になるのだ。

 もっと楽に運ぶ気なら、首に引っ掛ける形で垂らしてしまうのも一案だが、知り合いにあぶく銭を持っているところを見られて得することは何もない。


 まあ、すぐに村の中心からは外れたので、山のふもとの坂道を上り始める頃には人の目を気にする必要もなくなった。

 だが、今度は別の部分、しっかりと草刈りがされていない荒れた山道に気をつける必要がある。

 

(暇なうちに、少しは家の周りの草刈りもしないとな)


 村長から家にこもっていろと命じられはしたが、庭先にちょっと出るくらいなら許される範疇だろう。

 そんなことを考えながら、一左は浅く踏み固められた細い道をたどり、半日ぶりの我が家に帰宅した。


「…………あー」


 そして、嘆息。家の出入り口の戸を少し開いただけで、一左にはわかった。

 姉は一晩の間、ほとんど寝ずに一左の帰りを待ってくれていたようだ。


 もとより危険な仕事を一左が引き受けること自体にかなり反対していたから、よほど心配だったのだろう。

 家の中をのぞくと、土間から板敷きの床の先、奥の囲炉裏には小さな火が灯されたまま。

 その横で体全体をむしろで巻くようにして、うつらうつらと片膝を抱えながら、姉のたか(・・)は揺れていた。


 もちろん、一左に姉を起こすつもりはなかったのだが、いかんせん粗末な我が家の門口はすんなりと開いてくれない。

 ぎしぎしと耳障りなその音で目が覚めてしまったようで、たかはおもむろに顔を上げ、こちらを向いた。


「あ」


 そうして一左の顔を見つけると、途端に意識もはっきりしたらしい。

 細めていた目を大きく見開いて、一度だけ空咳からせき。一左と目を見合わせる。


「おかえり! 昨日は、大丈夫だった?」

「大丈夫だよ、別に初めての仕事ってわけじゃないんだから」


 後ろ手に戸を閉めながら、たかの問いかけにあえてそっけない態度で一左は答える。

 実際、別条なしとはいかなかったが、いまこの場で変に心配をかけてもしかたない。


「この前は日が上がる前には帰ってきてたから、それまでは起きてようと思ったんだけど」

「うん、まあ、ちょっと村長がいろいろ」


 それ以上、昨晩のことについて聞かれる前に、「そうだ、これ」と一左は定保から渡された銭の束、さし銭をたかに渡してしまう。


 たかは緡銭を受け取ると、「おー」とひと驚きしてその重みを確かめ、一左と顔を見合わせた。

 二百文。これと同じ額を一左が普通に稼ごうとすれば、おそらく十日近くは掛かるだろう。

 一左が頬を緩めて笑いかけると、たかも同じく笑顔になる。


 ところが、たかは緡銭の連なり、その凹凸の感触を確かめるようにひと撫ですると一転、


「あれ?」


 と、不思議そうに首を傾げた。


「どしたの?」


 床に座り、囲炉裏の火に手をかざそうとした一左の問いにも答えず、たかは銭の一枚一枚を順番に持ち上げ、つぶさに観察し始める。

 その眼差しはまさしく真剣そのもので、たわむれにも一左の稼ぎを確かめてやろうといった、古女房のような態度ではない。


(んーと……?)


 少し遅れて一左は、はたと気づく。

 【省陌しょうひゃく】法。どうやら姉は、緡銭の精銭せいせん悪銭あくせんの混じり具合が気になったようだ。

 そう思い至ってみれば、確かにその観点は一左の頭からすっぽりと抜け落ちていた。


 そもそもの話、緡銭は基本的に『一束で百文』ということになっている。

 だが、実際のところ、紐でくくられている銭の正確な枚数は『九十七枚』となるのが実情だった。

(ここに差し引き三枚の差額がある理由は人によってさまざま説明も違うのだが、とりあえず一左はそういう商いの習慣だということで納得している)


 そしてさらに、この九十七枚のうちには、売り買いの基準銭となる精銭と、そうではない悪銭が入り混じっているのが普通だ。


 この二つの違いは単純で、精銭は『一枚につき一文として通用する』もの、悪銭は『それ単体では売り買いに使えない』、もしくは『精銭の半分以下しか価値がない』もの。

 同時に、これもやはり商習慣として理解するほかないが、このあたりの土地では『緡銭一束につき二十枚までは悪銭が混じっていてもよい』とされている。


「……ごめん、気のせいだった。どっちの束にも、しっかり悪銭が二十枚ずつ混じってるね」


 かなりの手早さですべての銭を確認し終えた姉は言った。

 言い方からして、どうやら緡銭に混ざっている悪銭の数が多いように思えたらしい。


 とはいえ、強く疑っていたわけでもないというか、いちおう念の為、といった態度だ。


「悪銭が混じっていてもいいって、面倒だよね」

「うん。まあ、しょうがないよそこは」


 一左も答える。実際、どこの誰が取り扱おうと、緡銭とはざっとそういうもの。

 仮に「精銭だけを選んで寄越してほしい」と事前に村長に頼んでいたとしても、その願いが叶う目途はない。

 これに関しては、村長が好き好んで一左に嫌がらせをしているわけでもないからだ。


(……)


 ただまあ、姉が気のせいだとは思いつつも、それでも銭の混じりを確認しようとした気持ちはわからないでもなかった。

 なぜなら、一左にしろ姉にしろ、百文単位で何かを買う機会など、やたらめったらにあるものではない。

 せいぜいの買い物は、数文、十数文といった細かな単位で収まる程度だ。


 つまり、一左たちのようにみすぼら、いや慎ましい生活を送っている家においては、緡銭の束をそのまま持っていても日常的な場面では使えない。

 なにか買い物をしたいときには、普段使いの小銭を用意する必要があり、場合によっては緡銭の紐を切ってほどかねばならないときもある。


 ……となると、だ。


 ひとまとまりの緡銭だと『百文』の価値があっても、紐をほどけば『九七文』としての扱い。

 さらに悪銭の混じりによって、最悪だと全部で『七七文』の価値となり、これは単純にとらえれば、精銭二十三枚分の損をしたことになる。

 ましてや今回は緡銭が二束あるから、あわせて四十六枚分の損だ。


 あくまで紐をほどけば、という前提ではあるが、せっかくの二百文の稼ぎがあれよあれよという間に、百五十文あまりまで減ってしまった。

 これも古くからの道理、理屈とはいえ、こんなに物悲しい話もない。


「……えーと、いまうちって、け、っていくらあったっけ?」


 そんな現実はさておき、一左はうら寂しい話題を変えようと姉に尋ねる。

 掛けというのは、いわゆる「いまは手持ちがないから後で払う」と口約束して、物品を売ったり買ったり融通する『掛取引』のこと。

 ほとんどの場合、掛けは少額の取引、また見知った間柄でしか通じず、支払いは基本的に月終わりまで、もしくは粘りに粘って、年末にまとめて支払うこともなくはない。


「……いま待ってもらってるのは、だいたい、八十文くらいかな。一左と私が病気で寝込んでたときに、周りの人に融通してもらった分がまだ返せてないから」


 たかの言葉に、あれ? と一左は上を向く。


「……それって、先月末までに払わないといけなかった分だけだよね」

「そう、だね」

「じゃあ、それ払ったとして、残りは?」

「今月中に、あと五十文。年末までには、五百文くらいかな」


 改めて口にすると、かなりの金額だ。


「……結構、この稼ぎがなかったら危なかったよね。俺たち」

「……まあ、ちょっと、笑い事じゃなかったかも」

 

 姉も心なしか、顔をこわばらせながら言うようだ。

 現実はそう甘くなかった。我が家のやるせない家計事情を改めてかんがみて、一左はしみじみと思う。


 実は半年ほど前に、このあたりの土地で流行り病が出て、例に漏れず、一左と姉のたかも病で倒れたことがあった。

 不幸中の幸いだったのは、まず一左が倒れ、なんとか治った直後にたかが倒れると、順繰りに倒れられたことだろう。

 二人が一斉に病に掛かることは避けられたから、お互いがお互いを看病することができた。


 とはいえ、特にたかの方は一時、かなり病状が重く、その苦しむ姿に一左は本当に命の心配さえしたほどだった。

 だからこそ、姉の容態が安定し始めたときには、家の門口の前で一人、しばらくじっと顔を隠してしゃがみこんだことを一左は恥ずかしながら覚えている。


「まあでも、ないものはないって昔から言うからね」


 一左の顔色が曇った事に気づいたのだろう。

 我が姉ながら、たかはとんでもなく開き直った態度でものを言う。

 

「最悪、私がどっかほかの家に嫁いで行けば」

「無理。それは、本当に無理」


 姉の提案に、一左は即座に反応して答えた。


「ええ? 私が家から出ていくのがそんなに寂しい?」

「いや、違くて」


 そんな弟の反応が気に入ったのか、急にふざけだした姉の軽口に、一左は言葉を選んで答える。


「この辺りだと、ろくな相手がいない」

「あー、やっぱり? 私くらいになると、そんじょそこらの相手じゃ」


 一左が笑い半分、呆れたように片手を振って、「違う違う」と身振りで示すと、たかもいいかげん観念したようにつぶやいた。


「この前の流行り病で、けっこう死んじゃったもんね」


 そうなのだ。姉と歳の近い、互いの家の事情も分かり切っているような適当な男はもちろんこの村にも何人かいたのだが、皆ここ二、三年のうちに、やはり流行り病にかかって死んでしまった。

 実際、これは長引村に限った話でもない。老若男女の赤子や年寄りばかりでなく、溌剌はつらつとした盛りの若衆ですら気をつけないといけないほど、ここ数年、山城国内外全体の食糧事情、環境はよろしくない。

 特に二年前の夏頃は、長雨が続いたのと同じくして流行り病が蔓延はびこり、さらには家屋が潰れるほどの地震まで重なって、上下左右どこもかしこもとんでもなかった。

 そのため、本来ならもっともっと早い時期に考えられて良かった姉の縁談についても、現状、棚上げの状態にある。


「よその村とか、親類の伝手があればね、もっと違うことも考えられるんだけど」


 これに関しても、姉の言う通りだ。

 父母のどちらかでも生きていればその親類を頼って相手探しを、とも思うが、ないものねだりをしても仕方ない。


「……実はさっき、村長からまた縁談についての話をされそうになって」

「この前聞いた話?」

「うん。……一応聞くけど」


 一左は下を向き、頬を指でかきながら尋ねる。

 

「気に入らなくなった前妻、前々妻とぶん殴って追い出したおっさんのいる家に嫁ぎたい? 小さな土倉どそう(金貸し)をやってる家で、お金で苦労することだけはそんなにないだろうけど。聞こえてくる評判的には性格も最悪っぽい、二十くらい歳上の相手だけど」

「うーん……。割ときついかな!」

「だよねえ」


 一左は嘆息する。


 もちろん村長の提案は、こちらの事情をそれなりにかんがみてくれている話ではあった。

 さきほどのように、姉が金勘定を苦としないほうであることもよかったのだろう。


 だが、はたして同時に足元を見られているのも確かだった。

 単に一左の好き嫌いだけで言えば、正直そんな家への嫁入りは一考だにする価値もない。

 いくら結納金が高かろうと、誰が好き好んで自身の唯一の肉親を、はなから自明の泥沼に叩き落とすような真似をするだろうか。


 調べた限り、どうもその家では跡継ぎの子どもに恵まれなかったらしく、本人というより、その両親が孫の顔見たさに後妻を求めて、あちこちに声をかけまくっているらしい。

 結納金が並外れて高額なのも、そうもしなければ相手が見つからないからで、村長に話が来たのもその流れの一環。

 聞けば、村への有形無形の援助もうんぬんと、薦める側にも薦めるだけの事情があるらしかった。

 

「まあ、ちょっとなんとかできるか、考えてみるよ」


 一左は場の沈黙を嫌うように、とりあえずそう言ってみる。

 まずは掛けの支払いについて、次には姉の縁談話について。

 いやその他もろもろ,取り急ぎ手を付けるべき目標は数多くある。


 なんにしろ――――、一左はまずもって目先の金をいそいそと稼がねばならない。

【省陌】基本的には流通している貨幣の枚数が足りないため、だそう。土地によって悪銭が混じらないパターン、逆にもっと少ないor増やすパターンもあるとか。→九六銭


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