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室町一記  作者: おんたま
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二話① Counting Coins, Charged Conversations

 堅吾と別れた一左はしばらくして、自身の住む村、長引ながびき村まで帰ってきていた。

 ちょうど村の外周にたどり着いたところで立ち止まり、視線をめいいっぱい上げると、空の色はすでに明るくなり始めている。

 今日の天気はやや曇が多め、といったところか。中秋の天気としては、まあ上々だ。


 (昨日、雨が降ってたら最悪だったな)


 そんなことを思いながら一左がまず向かうのは村の中心、村長の家である。

 なんとか無事に地元の村にたどり着いたとて、まだ一左の仕事は終わっていない。

 命からがら運んできたあれやこれやの品々を、まるごとすべて村長に引き渡さねばならない。


「……」

 

 そうして境を越えて、一歩二歩。

 一左はつととその場に立ち止まる。


「…………」


 慣れた道に気が抜けたせいだろうか。

 なんとはなしに、足どりが急に重くなっていた。


「…………このまま、いったん家帰ろうかな……」


 知らず、半端に開いた口からもずっしりとしたため息が漏れる。

 軽く寝不足気味で背中には大荷物、まわりに人もいなければ余計な本音もこぼれるところだ。


 もちろん、あえて誤解のないよう言っておくが、一左に背中の荷物を渡すのが惜しいとかいう気持ちは一切ない。

 そもそもこれら商品を買うための代価を、一左は一銭も出してはいないのだ。

 荷のほとんどの代金は村長の懐から支払われている(村人の頼みで立て替えている分も含む)ため、すべての荷物はまず一度、村長に届けられるべきである。そこは重々承知している。


 ゆえに一左の足が鈍るのは、単に荷物のせいだけではない。

 昨晩からのお世辞にも円滑だったとは言いがたい関所破りの経緯を、洗いざらい村長に報告せねばならないからだった。




 ようやくの気持ちで村長の家にたどり着いたのは、およそ四半刻後のこと。


「…………」


 もしかしたら寝ていてくれるんじゃないか、という一左の期待もむなしく。

 長引村村長の定保さだやすは、こんな朝早くからでもしっかりと目を見開いていて、実に元気そうだった。

 到着もまもなく、年季の入ったあごをしゃくるような態度で示され、一左が上がりこんだのは村長の家の奥まった一室。

 荷物は縁側で下ろして預け、いまは村長の妻であるふじ(・・)が中身を確認している最中だ。


 一応、一左が部屋の中まで招かれたのは、それこそ縁側の下で立ったまま話せと言われるよりかはましな扱いだろう。

 が、特にねぎらいの言葉をかけられるでもなく。

 板敷きの床に座った一左は村長に促されるまま、今回の関所破りの顛末てんまつをつらつらと喋り続けた。


「~~~~」

「~~~~~~」

「~~~」


「……それで、おしまいか?」

「…………はい」


 念押しの一言に応えるように一左が視線を上げると、こちらを見つめる定保の表情は見るからに険しかった。

 それを確認した一左は、ふたたび視線をよそにずらす。

 村長の座る茣蓙ござの横。小さな火鉢が置かれていて、暖かそうだった。


「それじゃあ、つまり、なんだ? 下手を打って捕まりそうになったから、門番の顔に石をぶつけて逃げてきたということか?」


 無論、一左が殊勝な態度を見せるだけで話が済むはずもない。

 まるで質問のてい(・・)ではない、完全に責めるような口調で定保は言った。

 やはり気になったのは、その点についてであるらしい。


 実際、一左自身もことの直後に頭を悩ませたが、『関所の門番役に怪我を負わせた』という事実は、割といかんともしがたい、深刻な状況ではある。

 合わせて柵の一部を壊してしまったこともあり、仮にあの門番が自らの手抜かり、失態を隠そうとしても、昨晩に関所破りが起きた証拠は明白。

 そうなれば当然、『どこの誰がやったのか』との話にもなるだろう。

 早ければ今日明日中にも、近隣の村に犯人探しの手が入るほか、言わずもがなあの関所の警備もより厳しいものになるはずだ。


 犯人探しについては、あの場に大した手がかりも残っていないはずだから、一左もそこまでは心配していない。

 だが、少なくとも警備に関しては。今回のような関所破りについては、ほとぼりが冷めるまで手控えざるをえないだろう。

 これを言い換えれば、村の必需品を得るための手段を一左が一つ潰してしまったということでもある。


 そりゃ確かに村長の物言いも、このように厳しくなるはずだった。

 とはいえ、その居丈高な態度にへこたれてばかりもいられない。

 一左はもはやこの際だと覚悟を決めている。


「…………はい。ただ」

「ただ、なんだ!」

「……ただ、下手を打ったのは自分ではないですし、それに荷物だけは守り通したので」


 なるべく感情を抑えて、無表情を保ったまま。しかしへその下の丹田たんでんにばかりは力を込めて言う。

 つまり、『最低限の仕事はしたつもりだ』と。

 それだけは伝わるように、一左は定保に視線を向けた。


「荷物だけは守った?」

「はい。いま見てもらっているからすぐに分かると思いますが、道中で壊れた品もないはずです」

「……」

「自分が仕事として頼まれたのは、商品を受け取って無事ここまで持ち帰ってくることで、その仕事は十二分に果たしました」


 村長は、急に開き直ったような一左の言動に何を読み取ったのか、すぐには何も答えない。

 ただ一左の目の中をのぞき込むようにして、何かを考えているようだ。

 それはずいぶんと胡乱うろんな反応で、最悪激しく怒り出すか、その流れで拳が飛んできてもおかしくはないとも一左は思ったのだが。


(…………)


 とはいえ、結局のところ、もう殴られようと蹴られようと、一左は自分の仕事に失敗したと認めるつもりはなかった。

 いま自分を守れるのは自分しかいない。なら、まず一左自身がそうだと信じるべきだろう。

 あの状況でとっさに石を投げたからこそ、いま一左はこの場に座っていられる。


 それにもしあの場面で、一左だけが脱兎のごとく逃げ去っていてもだ。

 運悪く堅吾が捕まってしまえば、芋づる式で自分の存在も明らかになる。

 まさか厳しく尋問を受けるだろう堅吾に『きっと黙っていてくれるはず』とも期待はできない。

 甘く他人の自己犠牲を信じるのは無責任に近いし、ありていに言ってたちが悪い。


 だからこそ一左は、反射的にあの場でできる限りの時間稼ぎを試みたのだ、きっと。たぶん。

 そんな明らかに後付けの理屈が見事に伝わったのか、定保は渋々といった様子で一左に尋ねる。


「……絶対に、顔は見られてないんだな?」

「見られていません」


 一左は推測を交えずに即答した。仮に見られていたとしても、そう言うほかはないのだが。

 それにどちらかといえば、そうした懸念は一左よりも後方を走った堅吾のほうに向けられるべきものだろう。


 ちなみに、向こうの上溝村でもこちらと同様の聞き取りは行われているはずだが(だからこそ、あとで裏をとられるから一左も極端な嘘をつけないのだが)、思うに堅吾も自分と似たような証言をしているはずだ。

 それこそ堅吾は一左と同じ立場に置かれているはず――、いやいや、向こうは向こうで一左が判断を間違えたのだと、やりすぎない程度にはこちらを悪者扱いしているだろうが。


「…………」


 一左の返答に、定保はしばし黙考したのち、結論を出した。


「なら、ひとまずその話はもういい」

「あ、はい」


 意外な結末。もろもろの小言を、定保はすべて飲み込むことにしたようだ。

 だが、なんとも不快そうに目をつぶり、定保は低く口を開く。


「……少なくとも。少なくとも、いまの状況は最悪ではない。最も避けるべき事態は、お前たちが捕まり、その上でそれぞれの村に連座して責任が波及することだった。現状、お前たちのどちらもが捕まっていないのだから、たとえ調査の人間が来ようと、知らぬ存ぜぬで言い逃れできるすべ(・・)はある」

「……」

「そもそも関所を管理している大元、【古市ふるいち氏】は、犯人探しに力を入れるだろうか。逃げ足の早いろくでなし(・・・・・)がひとりふたり、門の横を抜けただけ。とうてい大袈裟おおげさな悪行が行われたようではない。直接の被害も、柵の一部が壊れただけだ。そう手間もかからず、すぐに直せる。なにより、犯人をどこの誰それと特定する証拠がない。ならば、目星のつけようもない」


 まるで神主かんぬし祝詞のりとを読み上げるかのように、途中からはまるで自分に言い聞かせているような言い様だった。

 多少、聴き逃がしがたい表現もあった気がするが、一左は口を挟まない。


 すこし間があって、ふたたび目を開けた村長と視線が合う。


「肝心の荷物を持ち帰ってきたことは確かに評価に値する。だが、しばらくお前はあの関所に近づくな。いや、村から遠出すること自体をひとまず禁止とする。お前が気づいていないだけで、村まで帰る最中に門番とは違う誰かに顔を見られている可能性があるからな」

「……はい」

「あと今日から二、三日は、家からも出ないようにしろ。もし村に犯人探しの検分役が来たら、すべてこっちが対応する。お前が運んできた荷物も、村の中で回すのはその後だ」


 毅然きぜんとして告げられたこれらの判断に関しては、一左も文句は言えなかった。妥当な判断だとも思う。

 それでなくとも、いっとき危険な状況に陥ったのは確かであり、自分で言うのも何だが心身ともに疲弊したのは間違いないのだ。

 村長がじきじきに休んでいいと言うのなら、ありがたく休ませてもらおう。


 一左が無言でうなずくと定保はいちど咳払いをし、それから自身の背後に用意しておいたらしい品をこちらに押して寄越した。


「……!」


 一左は、定保から差し出されたものに目をみはる。

 それは、一文銭を紐でたばねた【緡銭さしぜに】。いわゆる、今回の報酬だった。

 全部で二束。計二百文。

 幸い、事前に聞かされていた話とズレはない。


(……よかったー)


 いまの交渉じみたやり取りで、強気に出た甲斐もあっただろうか。

 もとより一日限りの危険な仕事の対価として、この値付けは安いのか高いのか判断しづらいが、一左にすれば何よりも貴重な現金収入ではあった。


「ありがとうございます。じゃあ、俺はこれで」


 受け取った緡銭を懐に収め、下を向いたままそそくさと立ち上がりかけた一左に、定保がふたたび声を掛ける。


「待て」

「……なんですか?」


 まだ何かあるのか? 一左はやや怪訝けげんな顔つきで返事を返した。

 すると、わざわざ引き止めてきたはずの定保は、なぜかばつの悪い視線を一左の鼻先の辺りに向け、


「……これは、以前にも話した内容ではあるんだが」

「……はい?」


 いったい急にどうした。一左は戸惑いながら定保の顔を見つめ返す。

 先程までとは一転して、妙に下手に出てくるような顔色とその口調。


「実は――」


 だが、なぜだろう、確かこの顔には見覚えがある気がする。

 いまだ視線が合わないまま、定保が新たに口を開こうとした瞬間。


「あ!」


 と、一左は思い出したように短く声を上げた。

 それに水をさされた村長がはたと口を閉じた一方で、


「……『姉』のことですか?」


 一左は人が変わったようにじろりと強い眼差しを定保に向ける。

 その態度はこれまでとは明確に違う、声の調子を落とした、あからさまにすげないあしらいだった。


「その話に関しては、本人も病み上がりだし、あまり乗り気ではないからと断ったはずですが」

「……いや、お前がそう言うだろうとは思ったが、それでもやはり――」

「それでも、なんですか?」


 一左は意図的にはっきりと口答えをしていた。

 かなりぶしつけで、明確に失礼な口調。だが、定保もまだ怒りはしない。

 それで一左も勢いづいたわけではないが、


「俺も姉もそろって断ったんだから、それで話は終わりですよね。あるいはなんにせよ、俺が今回やり終えた仕事とこの話は完全に別です。もちろん、そういう意味で言ってるんじゃないでしょうけど」


 一左はいよいよ、そう言い切ってしまう。

 まさか、いまさっき自分をことさらに責めなかったのは、その話に持っていきたかったからかと。


 この皮肉が込もった言い方には、さすがに定保も気分を害したようだった。

 他人から自身の下心を推測されるほど嫌なことはない。

 それでも一左は、このような強硬な態度に出ることをためらいはしなかった。

 すなわち、村長の話とは、一左にとって唯一の肉親である姉に先日、縁組の話が持ちかけられた件について。


「しかし、私が紹介できるような伝手で、このような良い機会はもうないぞ。せっかく相手方のほうから、結納金も十分過ぎるほどの額を用意してくれると申し出てくれているんだ。お前の姉が非常に聡明であるのを褒めてくれてもいる」

「ありがたい話だとは思いますが、そんなに金払いがいい話なら、ぜひとも別の家に持っていってあげてください。きっと喜んでくれると思うので」


 そう答えた途端、急に一左は一刻も早く自分の家に帰りたい気持ちになってきた。

 そのまま定保の返事も待たず、おざなりに頭を下げた一左は立ち上がって即座に部屋を離れようとする。


「…………ふう」


 そんな一方的な一左の振る舞いには、村長もついぞ呆れた様子だった。

 とはいえ、わざわざ背中を追いかけてきてまで話を続ける気はなかったらしい。

 その隙に一左が逃げるように縁側まで出て来ると、村長の妻、ふじはまだ一左が持ち帰ってきた品物の整理をしていた。


「あら? もう話は終わったの?」


 定保との会話は聞こえていなかったらしい。

 一左の姿を見て、ふじは作業の手を止めて、こちらに声をかけてくる。


「はい。もらう物ももらったんで帰ります」


 一左は端的に答える。


「そう。いま見た限りじゃ、特に壊れているものもなかったから」

「良かったです」


 だが、その受け答えの声の響きがあまりよくなかったのだろう。


「……なにか、うちの人に嫌なこと言われた?」

 

 ふじがこちらの顔を覗き込むように、心配した顔で尋ねてくる。

 その言葉に一瞬身構えた一左だったが、ふじの目尻のしわの深さが、本当にこちらを思いやってくれているように見えたのがよかった。

 一左は小さく息を吸うと、首を横に振って答える。


「……いや、特に何も。別に褒められもしなかったですけどね」

「ああ、そう? まあ、人を褒めるのが下手だからね、昔からあの人は」

「大丈夫です。あんまり自分も、ろくなことをやってるわけじゃないし」


 これは本当に言葉の通りだ。そう言って一左はふじの横を抜け、縁側に降りる。

 ふじはその一左の言い方に「ううん」と首を振って、一呼吸おき、また首を振った。


 比較的、村長の定保が世間話などしない人柄であるためか、妻であるふじはかなりの話し好きで人好き、その分、周囲の人間関係にも余計なくらい気を回すところがある。


「でも、なにか言われたとしても気にしないでね。本当に駄目な人には、うちの人はなんにも期待したり、頼んだりしないんだから」

「はは」


 そう言われても、なんと返答してよいかわからない。

 一左はごまかすように笑ってふじに頭を下げ、村長の家をあとにした。

【緡銭】この物語では、一貫=百(びき)=千文、緡銭さしぜに≒百文(後述)、一文≒1$程度の設定で進めていきます。

【古市氏】大和国の土豪。【大乗院】派。今回の関所の元締め的存在、あるいは管理代行元。

【大乗院】興福寺の塔頭たっちゅうのひとつ。寺組織内の集団、グループのうちのひとつ。⇔一乗院

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