一話②
関所破り。
すなわち、『通行税を支払わずに関所を抜ける』という、なんとも粗野で野蛮な行為。
もちろん言うまでもないことながら、これは決して笑って許されるたぐいのいたずらや悪ふざけではなかった。
ことに至れば、手足の一本や二本、いや大事な首の二つや三つも刎ねられておかしくないのだ。
もしも袋叩きを受けるくらいで済むようなら、ことさら御の字と思わねばならない。
なにせ世の都合、目に見える形ではっきりと定められた秩序に、これまた明確に反抗する態度を示しているのだから、厳しい処置がなされるのは当然ではある。
……ただ同時に、ではあるのだが。
必ずしもこの世の都合が一つに定まるとは限らず、こうした不埒な悪行を他者に要望し、求める声が、あまた星の数ほど存在するとは誰もが知っているはずであった。
(……っていうのは、悪く言えば『自分じゃやりたくないから、誰か身代わりを出したい』って意味だよな)
踏みしめた足元の雑草がこすれる音を聞きながら、一左は口もとだけで薄くつぶやく。
いま、堅吾と一左が歩いているのは、北側に大きく切り下ろされた山道の上だ。
合流地点からの道を大きく外れて、しばらくが経ち。
無駄に口もきかないためか、特に手間取ることもなく、すでに二人して関所の横は通り過ぎている。
つまりは、南の相楽郡から関所のある境を越え、山城国なかほどの綴喜郡へ。
その上でさしあたっては、特に問題も起きていない。
西側の竹柵を乗り越える瞬間、遠目に門の前に立つ番人役の顔色もうかがえたが、向こうはただただ眠そうな薄目をして揺れていただけ。
案外、すぐ横を通っても気づかれないのではと、勘違いしてしまいそうな印象ではあった。
とはいえ、念には念を入れて損はない。
ここは一刻も早く関所から離れるよう、もう少し歩く速度を上げるべきだと一左などは思うのだが――。
前方の堅吾は、まだまだ用心しながら道を進んでいるため、後ろの一左はそれに続くしかない状態だ。
(…………)
なんなら相変わらず背中でも蹴りやって、強引にでも急き立ててやろうかという気持ちはある。
それでなくとも、「さっきは『遅い』とかなんとか頭ごなしに怒っていたくせに」とその自分勝手な振る舞いに腹も立つが……、ただまあ、堅吾も今の状況にせいぜい慎重を期しているつもりではあるのだろう。
深夜、暗がり、慣れない土地。ふいにその辺の木の陰から人が出てこないとも限らない。
おおよそ杞憂に違いなくとも、この辺りは互いのやり口、流儀の違いの範囲とも言えなくはない。
まだそこに一分ほども道理があるのなら、一左もどうにか割り切れないでもなかった。
あるいは、ここで自分のやり方にこだわって、不要な波風を立てるのも馬鹿らしい。
(……さてさて、まあまあ)
そう何度か息を吸って吐き、自らを落ち着かせた一左は、いいかげん見飽きた暗闇の遠くに、ふたたび途切れ途切れに思いを馳せる。
(……)
もとより物事を単純に言ってしまえば、だ。
世の人が関所破りという手段を、消極的にも受け入れうる理由は『皆の懐に余裕がない』から。
さても食うに困る日々すら珍しくない中で、誰もかれもが徒然なるままに生きられるわけはない。
いい加減切羽詰まって盗みを働くよりは、まだマシといったところ。
まして公営・私営を問わず、関所の数自体がここ数年でいやらしくも増えている事実がある。
しかして寡聞にも一左の知る限りでは、そこかしこに関所破りの需要はあった。
そして需要があるとはすなわち、金を稼ぐ余地があるということ。
はたしてその筋道にも、たとえば売り手と買い手、おおまかに二つの立場からの要望が考えられるだろう。
まず一方は、量の限られた荷物の運搬に余計な手間賃を捻出できない売り手、つまり小商人の立場から出される要請。
さらにもう一方は、自給自足のできない必需品を何が何でも手に入れたい買い手、小集落からの切望だ。
総じてこの二つの立場に共通するのは、どちらも関所の通行税を負担しきれないほど、普段の商取引の規模が小さいこと。
前者はただでさえ少ない利益が税の負担でいっそう逼迫したものになり、後者は税を含んで値上がった品物に最低限の折り合いもつけられない。
すると自然、困った両者は往々にして手を組みがちであり、その結果としてまま、互いに手元の品と人員を出し合った関所破りは敢行される。
今回の例で言えば、堅吾と一左こそがその悪行のために、それぞれの村から差し出された生贄、もとい万が一の逃げ足の速さを期待された人員であった。
「……あそこだ」
だいぶ道も進んできたところで、突然堅吾が言った。
一左は返事を返さず、視線だけを遠くに向ける。
暗闇に慣れた目だと、確かに道の先に人の影が見えた。
向こうはまだこちらに気づいていないようで、堅吾がさきほどの一左のように口笛を吹く。
するとすぐに反応があり、口笛が数度と返されてきた。
それでもなお、堅吾は慎重にゆっくりと人影に近づいていく。
一左もやれやれと足並みをそろえて後ろに続いたが、さほど歩かないうちに月の明かりがちょうど差して、こちらと向こう、お互いの姿がよく見えた。
「……やあ、どうも。こんばんは」
先に声をかけてきたのは、向こう側。今回、一左は初めて顔を合わせる商人だ。
想像したより若い顔つきの、背の低い男。まさか自分たちと同い年くらいだろうか。
その身なりも大きくは変わらず、枯れた色合いの上下と、ただただ身軽で動きやすそうな格好をしている。
「ええと、そちらは上溝村の堅吾さんで……もう御一方は【長引村】の人、で合っていますか?」
存外に丁寧な口調。また人好きのする柔和な表情を浮かべて男は話す。
さすが客商売と言うべきか、堅吾のときとはまるで会話の安心感が違うようだ。
一左は相手の質問に「はい」と答えて、自分の名前を言い、頭を下げた。
同様に、堅吾も丁重に挨拶を返している。
すると男は安心したように、声の調子を一つ上げ、
「特に何事もなく到着できたようで、本当によかったです」
と、初対面の一左としっかり目を見合わせる。
「さても遅ればせながら。私は、利兵衛と申します。どうぞ今後とも、よろしくお付き合いを」
そのやんわりとした微笑み、その目の奥には、確かに利兵衛の人の良さが見え隠れするようだった。
一左はまじまじとその視線を受け止めた後、思い出したように「これはどうも」と再度、頭を下げる。
「――それじゃあ、さっそくですが」
一左が頭を上げるのを見計らって、利兵衛はゆっくりと横を向いた。
「そちらに用意してあるのが、それぞれからご注文を受けたお荷物ですね。すでに代金は頂戴しているので、背負子ごと持ち帰ってもらって大丈夫ですよ」
そう示された方向を見ると、確かに視線の先、木の裏に立て掛けるようにして、木製の背負子が二つ隠されている。
両方とも作りは同じで、かなりがっしりとした見た目の仕上がりだ。一握りほどの太さがある材木を頑丈に継ぎ合わせているようである。
また、片方は背負子の半分ほどの高さまで、もうひとつはその丈を少し越すくらいまで、紐で結われた荷物が積まれていた。
「中身はどちらも釘や包丁といった、鉄製の道具と日用品。ひとつひとつを藁で包んでいるので、多少乱暴に扱っても傷はつかないはずですが――。まあ、念のため。それと、こちらから見て左側の背負子が長引村、右が上溝村のものですね」
しかるに、重量のより軽そうなほうが一左の村の背負子らしい。
一応、中身の確認もしますか? と利兵衛は続けたが、すぐに一左は手と首を振って断った。
いや、正直に言うと、一左は荷物の中身について詳細を聞かされていないから、確認のしようがない。
遅れて堅吾も丁寧に断っていたが、もしかしたらあちらも同じ理由だろうか。
利兵衛は一左と堅吾の反応に、「わかりました」と笑顔でうなずいてみせた。
一左もこれで話は一段落かと思いきや、「ただ」と少し心配した表情で利兵衛が堅吾を見つめる。
「一応、どちらの背負子も背負って動ける程度の重さにはなっているはずですが――、とはいえ、これからまた長い距離を歩くはずですし、せめて関所を越えるまででも、お二人でいちど相談して、荷物を分け合ったほうがいいかとーー」
「いや、大丈夫です」
利兵衛の提案に間髪入れず、堅吾がぴしゃりと返答する。
その断固とした声色はそれまでの態度とはだいぶ異なり、対する利兵衛もわずかに面食らったような表情を見せた。
「ああ、すみません、これは余計な口出しを」
「……いや、その」
その反応に堅吾も自分の受け答えが悪かったと気づいたらしく、
「下手によその村のやつに荷物を渡して、何か物が無くなったりする方が面倒なんで」
そうまるでごまかすようにつぶやかれた一言。
これには一左も聞き捨てがならなかった。
「誰がするか、そんなこと」
まったく反射的に発した言葉。
だが、堅吾はこちらに視線すら向けない。
「……おい」
「あ――――、なるほどなるほど」
たまらず一左がさらに語気を強めたところに、すかさず利兵衛が割り込んできた。
いまのやり取りで、的確に利兵衛は目の前の二人が面倒な間柄だと感じ取ったらしい。
「いやまあ、問題がないならないで、本当に……問題はないですね。では、またご贔屓に。帰り道はお気をつけて」
早口でそれだけ言うと、そそくさとその場から逃げるように利兵衛は立ち去っていった。
自分の仕事とは関係のない、余計な諍い事には関わっていられなかったのだろう。
その言外の意味に、一左は横を向いて堅吾をにらみつけたが、堅吾はなんら気にした様子もなく、ただただ木の裏の背負子を拾いに動き出した。
【長引村】主人公の住む架空の村。山城国相楽郡東部の山間地域に存在する設定。