婚約破棄を許してくれない愛しい恋人
あらためて気付いたよ、君が強いということを。
その強さに僕は惹かれたんだ。
◇◇◇◇◇
「婚約を無かったことにしよう、ヴァーヴァンシー」
『はあ? なにを言うとるんじゃ、お主は?』
通信機の向こうから聞こえるのは、少し呆れたような君の声。
『ワシと結婚したいと言うてきたのはリディオル、お主じゃぞ』
いつもの楽しげに弾むような声で、今はからかうように僕をなじる。女性が自称『ワシ』なんて、と出会った頃は奇妙に感じていたっけ。
『だいたいじゃな、婚約というのはいずれ結婚しようという約束のことじゃろ? ワシにそう教えたのはリディオルぞ』
僕がキーボードを叩く音をバックミュージックに君の声が届く。基地の中、薄暗い地下施設の機械に囲まれた無機質なこの部屋。ひとりぼっちの孤独な作業。だけど君の声が聴こえるだけで僕の心は晴れやかになってしまう。通信機越しでヴァーヴァンシーの顔が見えないのが残念だ。
『約束というのはな、二人でするものよ。ひとりで勝手に決めたり無しにしたりするものでは無いわ』
「それはそうなんだけどさ、だけど状況がね、それを許してくれそうに無いというか」
『なんじゃ? なんぞしくじったのか? 珍しい』
「しくじった? 僕の策が失敗するものか。今回も作戦目標は達成している。そっちはどうだい?」
『おうおう、奴ら見事に釣られよったぞ。主力はあらかた出撃して要塞に残るはわずかな雑魚ばかりじゃ。手応え無いわい』
「ほら、上手く行ってるじゃないか」
『それならなんで婚約を無しにしよう、なんぞと言い出した?』
「あー、それは、だね、」
『怒らんからはよ言え』
「この施設の機械を直して敵に誤情報を送りつけるのは成功。だけど、エネルギーパイプが切られていてね。そこ直して動かすには持ってきたパックだけでは足りなかった。なので帰りの足のエネルギーパックまで全部使うことになってしまってね」
『それ、しくじっとるじゃろが。それでは脱出できんのか?』
「いいや、しくじってない。作戦は成功しているのだから、僕の策は失敗してはいない。これまで全戦全勝だろう? ただ今回は僕がここから逃げ出すことができないというだけだ」
『負けず嫌いじゃのう。じゃからワシがリディオルについて行くと言うたのよ』
「ヴァーヴァンシーがこっちに来たら要塞襲撃は誰が指揮するのさ?」
『あー、いかな天才といえども手駒の少なさはいかんともしがたい、か。それで? どうするんじゃ? 今からワシがそっちに行っても、』
「間に合わないね。釣り上げた敵の主力は既にこっちに向かって来てるだろうし」
『では敵に降るか、捕虜になるかというところかよ』
「ヴァーヴァンシーの不利になることはしたくないからね。拷問で情報吐かされる前に自死しとこうかな、と。僕は拷問に耐える訓練とか受けて無いんだよ」
『ふうむ、それで? それがどうして婚約を無しにしよう、という話になるんじゃ?』
「僕が死んだら僕のことは忘れて、この戦いが終わったあとヴァーヴァンシーは新しい恋を見つけて幸せになって欲しい」
ヴァーヴァンシーの重荷にはなりたくない。君のことを想うからこそ婚約を無しにしよう、と言えるうちに言っておきたくて。
戦争の終わった平和な未来で、君の隣に立ちたかった。だけどどうやら無理そうだ。
「この戦乱の中で、ヴァーヴァンシーと出会えた運命に僕は感謝している。愛しているよ」
『あー? リディオル? 浸っているところ悪いんじゃがなあ、なぜにワシがお主のことを忘れねばならん?』
「え?」
『べつにお主のことを憶えていても、結婚の約束があろうとも、他の男と恋もできるし結婚もできるじゃろ?』
「?……」
少し混乱する。ヴァーヴァンシーと話をするとこの混乱はしばしばある。彼女は鋭い。僕の理屈や理論を越えた正解を彼女は感覚で捉える。
生物としての本能とか、人の心の機微とかいった僕の苦手な分野だ。その感覚が優れているからこそヴァーヴァンシーはいくつもの不利な戦況の中を生き延びてきた。野生の獣じみたカンの鋭さ。
彼女は真意を過たず、ということは?
「あ? あ! あー……、そうだった、君はそういう人だったね……」
『今さら何に気が付いたんじゃ? まったく、ワシの尻のホクロのことまで知っとるくせに、そういうところは抜けとるのお』
「身体のホクロの位置と心の意思の在り方になにか関連性でも? 僕は僕なりに君の幸せを願って覚悟して婚約破棄したつもりだったんだけど」
『ははっ! あの国のイカれた情熱的恋愛主義に染まっておるんじゃないか?』
「そうかも。まったく染み着いた習慣というのは厄介なものだね」
『で? リディオルはワシに忘れられたいのか?』
「みっともなくも本音を言えば、ヴァーヴァンシーに忘れられたくはない」
『カッコつけとらんとスパッと本意を言え』
「最後の最後だと覚悟したからカッコつけたいんだけどな。分かったよ、言うよ。君に忘れられたく無い、いつまでも君の側にいたい。僕が死んだら悲しんで泣いてくれると嬉しい。これでいい?」
『フフ、ワシが愛人は初ものじゃ』
「だけど君は僕が死んでも、直ぐに立ち直って恋したり結婚したりとできる鋼のメンタルの持ち主だった」
『直ぐに立ち直るは無理じゃな。ワシとてお主が死ねば悲しいぞ。悲しいがの、それで涙を流して泣くかと言われても、どうじゃろな?』
「僕のために泣いてはくれないと?」
『すまんのう。しかしじゃな、これまで何人ワシの愛する者がワシの目の前で死んだと思う? お主には悪いがの、もう慣れてしもうたわ』
「あぁ、善くも悪くも人は環境に慣れる生き物だからね」
彼女の故郷は既に無く、その奇妙な方言で話すヴァーヴァンシーの家族はもういない。もうそれに慣れてしまった。慣らされてしまった。いや、取り戻す為に抗っているから戦いになっているのか。
家族も仲間も、幾人も失ってきたヴァーヴァンシー。それでも彼女は強くて、明るくて、
「もっとも人は、その適応力の高さで地上で繁栄してこれたわけだ」
『そういうことよ。だいたいじゃな、隊を率いて前線で指揮する者が部下に泣き顔見せられるものかよ』
「立場というのも厄介だね。じゃ、泣いてもらえないのは悲しいけれど、僕は君の愛しい者リストの中に入れてもらえたことを光栄に思えばいいのかな?」
『おうよ。それに、お主のことを忘れられる訳が無かろうよ。ワシにこの名と戦う力を与えてくれたはリディオル、お主じゃぞ』
「僕にできることをしただけだよ。新しい機体の調子はどう?」
『至極!! 反応鋭く思いのままに動く、人機一体とはこのことよ!!』
「君の為に作って君の為に調整したんだ。僕の新技術をありったけ詰め込んであるから調整に時間がかかったけど、ようやく完成した。もっともヴァーヴァンシー専用に作ったから、他の操縦者が乗ってもまともに歩かせることもできないだろうね」
『ハハッ! 最新鋭の専用機とはまるで正規軍のエースのようじゃな! これならば奴に勝てようぞ! これで四つ!!』
通信機の向こうから微かに聞こえる爆発音。要塞襲撃は順調なようだ。強襲作戦中の砲火の下でこんなお喋りができるとは、流石は僕のヴァーヴァンシー。
予定通りに要塞が落とせそうならば、そのことを皆に教えないと。キーボードを叩きプログラムを追加でひとつ走らせる。録画しておいた全世界に向けた声明文を。
彼女の勝利の為に手を尽くす。そのために僕のこれまでの人生があったのならば、僕があの国に生まれたことを少しは許すこともできそうだ。
だけど向こうは僕を許す気は無いらしい。
けたたましく鳴る警報音。慌てて立ち上がろうとする前に天井が割れて落ちてくる。
◇◇◇◇◇
「……う、ぐ、あ、あぁ……」
喉から変な声が漏れる。自分の声で目を覚ます。頭が痛い、身体のあちこちが痺れている。
目を開けて見れば天井が割れて青空が見える。地上二階分の基地施設を壊して地下のここまで突撃してきたのか? バカじゃないのか? いくら放棄された基地でもいきなり叩き壊すなんて。
いや、僕の作業を止めるには有効だったか?
視線を落として見れば天井を突き破ってきたモノの姿がある。あの国の軍隊のカラーに染められた強襲騎士型戦闘機が一騎、片膝を地に付けた姿勢で僕を見下ろしている。趣味の悪いペパーミントグリーン色の装甲が動き、胸の操縦席が開く。
中から操縦者が出てくる。強襲騎士型戦闘機の立てた方の膝の上に立ち、接続兜を外す。その動作のひとつひとつが妙に気取っているように見えて癇に障るのは、僕がコイツのことを嫌いだからだろうか?
接続兜を外すと金の髪がバサリと流れる。結っていたのがほどけたのか、あれではまた接続兜を被るときに苦労しそうだ。
僕を見下ろす金の髪の高貴な雰囲気の女。顔の造形は整っているのに、その目付きの薄気味悪さで台無しだ。
僕を見下ろし何か言おうと口を開く前に、僕の方から声をかける。
「やあ、ミス悪役令嬢」
「私を悪役令嬢と呼ぶな」
不機嫌に言いながら腰から凝集光銃を抜き僕に狙いを定める。
「リディオル博士、なぜ裏切った貴方がここにいるのです? ここにいる筈の友軍は? 大使は何処に?」
「はあ、ろくに確かめもせずに地下まで突入してくるなんて。本当に大使がここにいたら僕と同じ目に会っていたかも、なんて想像もしなかった?」
仰向けに倒れたまま、身体を起こそうとしても動かない。両足の膝から下が落ちた天井に潰されている。頭痛以外の痛みをあまり感じないのは、衝撃が強すぎて身体が麻痺しているからだろうか?
やれやれ、頭が潰されることも無く動けないまま半端に生き残るとは。これはまた厄介なことになった。手は痺れて満足に動かないが、頭は回るし口も動く。と、自分の身体を確認していると、僕の頭の近くの右側で、小さな瓦礫がジュウと音を立てて溶けた。悪役令嬢の凝集光銃の威嚇射撃。
「応えなさいリディオル博士、ここで何をしている? 大使は何処におられる?」
「それを僕から聞いてどうする? 裏切り者の言うことを素直に信じるのかい?」
「戯れ言に付き合う暇は無いのです。自白剤で脳を壊されることをお望みか?」
「その機体を僕に返してくれるなら、少しは教えてあげてもいいけれど?」
悪役令嬢の乗ってきた、無駄に鮮やかなペパーミントグリーン色の強襲騎士型戦闘機。もとの形を誤魔化すように装甲を改造し色も変わっているが、骨格を見れば解る。随分とカッコ悪くしてくれたものだ。
「その機体は僕の作った『ガンキティ』だ。それを勝手に盗んで我が物顔で乗り回すなんて」
「テロリストから危険な兵器を奪った結果です。ならばリディオル博士は、国を裏切りテロリストに兵器を与えていったい何がしたいのです? 祖国を滅ぼす気ですか?」
「祖国、ね。僕としても生まれ育った故郷のことは悪く思いたくは無い。だから僕は、僕のやるべきことをやっている」
「やるべきこと? 世界を平和から遠ざけ、野蛮なテロリストに新兵器を流し、戦乱を激化させたことをやるべきことなどと、」
「医療保険組織」
悪役令嬢の言うことを遮って言えば、悪役令嬢は動揺して口を閉じる。
「あの国の医療保険組織が資金を得る為に、世界の軍需産業に投資している。他所の国で紛争が激化すれば兵器の需要が増え、軍需産業の株価が上がり、医療保険組織は投資で利益を得る。
自国の国民の健康を守る為の資金は、他所の国の戦争で稼ぐ。まったく紛争ビジネスで得た利益で自国の病人や怪我人を治そうとは、随分と狂った経済学だ」
「あれは政府の下部組織が勝手にやっていたことです! 私たちは、国民は何も知らされていなかった! 医療保険組織の幹部も責任をとって辞職して、」
「知らなかったから仕方無い? 責任をとって辞職? 辞職程度で家族を殺された者の恨みが、友を殺された者の怒りが鎮まるとでも思うのかい?」
「私は何も知らなかった! 私は悪くない! 私は国を守る為にすべきことをしているだけです!」
「はは、それを君が言うのかい? 医療保険組織と縁の深い製薬会社のご令嬢の君が?」
僕の言うことに悪役令嬢の目尻がつり上がる。凝集光銃を持つ手が震えている。
「お前が断罪する資格は無い! 人殺しの為の新たな兵器を作ったお前が!」
「たしかにね。強襲騎士型戦闘機を喜んで研究開発していた僕に、善悪の判断も正義の断罪ものたまう資格は無い」
騎士型の戦闘兵器を楽しく作っていた。何に使われるかを知りながら。僕が地獄に落ちるのは確定だろう。
そんな僕でも気に入らないものは、気に入らないんだよ。
「だから全世界の人たちに問うてみた訳だ。ひとつの村を焼き払い、それを武装勢力の仕業に見せかけて民族の対立を煽る。紛争に燃料を注いで知らん顔をする。その事実を目の当たりにした世界中の人たちはどう思うのか? と。
その結果に君が世界から悪役令嬢と呼ばれることになった訳だ。おめでとう」
「あ、あ、あの動画を流したのは?」
「その『ガンキティ』は僕の新技術のテスト機だ。当然モニターしてる」
盗んだ兵器を使うことで他人の仕業に見せかけようだなんて。そんなことの為に僕の『ガンキティ』が使われるだなんて。
もっとも、最初に登録した操縦者の脳波に最適応される『ガンキティ』は、今のところ悪役令嬢にしか動かせない。僕でなければリセットができない。
その『ガンキティ』で村を襲い武装勢力の仕業にみせかける。そんな作戦の為にこの女は村をひとつ焼いたのだろう。
紛争ビジネスの為のイカれた作戦が、真相はバレることは無いとでも過信していたのなら、愚かとしか言い様が無い。
その作戦は僕の作った強襲騎士型戦闘機を盗んだ時点で、既に終わっていたんだ。
「『ガンキティ』に仕込んだFDR通信機に気がつかないとは、君のところのメカニックはポンコツしかいないのかい? 映像も音声も鮮明に残っている」
「お、お前のせいで私はあッ!!」
激昂した悪役令嬢が凝集光銃の引き金を引く。僕の身体に立て続けに穴が空く。肉が焼ける。
「あ! ぐ、が、あぁ!」
熱い、焼かれる。は、はは、これで自死する手間が省ける。肩、胸、腹といくつ穴が空いたか分からない。視界がぼやける。カチカチという引き金を引く音が聞こえる。
なんだ? 弾倉が空になるまで撃って、それでも頭に一発も当たらなかったのか? 頭に来ていたとはいえ、なんて射撃がへたくそなんだ。
『……ザ、ジー、ザ、ザザ……』
ノイズが聞こえる。
『……聞こえるか? おい、リディオルよ、おーい、返事せい』
ヴァーヴァンシーの声? 通信機? まだ壊れていなかったのか? 返事をしようにも声が出ない。
『リディオルよー、死んだか? 何が起きた?』
「この、声は、殺戮女蛮族ッ!」
『あぁ? ワシをそう呼ぶとは、そこにいるのはミス悪役令嬢か?』
「私を悪役令嬢と呼ぶなッ!」
『悪役令嬢がそこにいるのか。なんとも悪運の強いヤツじゃ、要塞に残っていたなら殺してやれたというのに』
「なに? 要塞?」
『まだ気づかんかボンクラが。貴様は嵌められたのよ、リディオルの策にの。なにが不沈の絶甲要塞じゃ、既に制圧は終わっとるぞ』
ヴァーヴァンシーの要塞襲撃は成功。これで分水嶺は越えた。日和見していた勢力も勝ち目を見て動き出す。
医療保険組織の投資撤退が遅れた時点で、あの国は他国の紛争で稼ぐ国の烙印を押されている。
これまでしていたことを受け取る順番が回ってきたことになる。
『次は何処を攻めてやろうか、ほれ守らんでいいのか? こちらはまだまだ余力があるのでなあ』
「この外道ッ! この平和の敵がッ! 逆恨みで無辜の民を幾人殺すつもりだッ!」
『黙れ悪役令嬢ッ! 何が無辜じゃ逆恨みじゃッ! 命を奪った代償は命で購えッ!』
「私は悪役令嬢じゃないッ! 私は何も悪くないッ! 攻めてきたお前たちが、国際憲章を無視するお前たちテロリストがッ!」
『じゃかましいッ! 貴様の腐った理屈なんぞ理解したくも無いわッ!!』
「こここ、この道理も知らぬ野蛮人がッ!」
『貴様は殺すッ! 貴様も貴様の国も! もとの形が解らぬほどに踏み潰してくれるッ! ワシとリディオルの作りし、この『ガンライオ』でなあッ!!』
そうだ、やってしまえヴァーヴァンシー。僕の最高傑作の『ガンライオ』で。
あぁ、まったくもって罪深いな、僕は。死ぬ間際まで自分で作ったロボットを誇るなんて。
それでもヴァーヴァンシーに会えて、少しはマシな人間になれたかな? 狂気の騎士製作者から、少しは人間らしくなれただろうか?
『……聞こえるか? リディオル? もう死んでしもうたか?』
まだ聞こえるよヴァーヴァンシー。暗くて何も見えないけど、指先の感覚が無くなってきたけど。
不思議だね、君の声はまだ聞こえるよ。
『先にあの世で待っておれ。なに直ぐにワシもそちらに逝く』
そうはいかない。君は簡単には死なないし、死なせない。その為に作った『ガンライオ』だ。僕の最高傑作が君を守る。
だからヴァーヴァンシーがこっちに来るのは戦いが終わったあとのこと。まだまだずっと先のことだよ。
『リディオルよ、あの世で再会したときには、地獄で派手な結婚式を挙げようぞ!』
あぁ、それはとても楽しみだ。
地獄も天国も関係無い。
ヴァーヴァンシー、君の傍らこそが、僕の楽園なのだから。