track2.姉なる……?
「今日の放送も無事終了、と」
マイクを切り、新型魔石を放送用魔道具から取り外したところで深い深い溜め息を吐いた。
「あー、予定がいっぱいだぁ……ものすごくめんどい……」
ラジオの放送だけしていればいい、なんてことは一ミリもない。ラジオを作り、そして広めるため、とんでもない人数の協力者が必要になる。だから私は彼ら彼女らと知り合い、関係を深めていかなければならない。一刻も早く綾を見つけるためには、もう立ち止まっている暇などないのだ。
正直、もっと早くに動けていた未来もあったかもしれない。しかし、これまでになかった新しい発想の魔道具であることやラジオ魔道具の完成に時間がかかってしまったこと、何より私が子供であったことが悪い方向に働いてしまい、領都内の環境整備に十四歳までかかってしまった。普通に生まれ育ったならかなり早い方だとは思うんだけど、前世あるからなぁ私。
「まずはフェルナンド商会、その次が錬金術師協会……冒険者ギルドに、あとは日輪教会か。そして明日はいよいよ、領主様と直接ご対面……」
手帳をパラパラめくりながら、この後の予定を確認していく。嬉しいことに、この世界では印刷技術や製糸技術が一定以上の水準で普及していた。そのおかげで手帳やメモ用紙が安価で手に入り、ラジオの宣伝用のビラも比較的安く作れる。あの天使モドキの口ぶりだと、記憶をキープした状態で他の世界に転生させられるというのは割とあることのようだし、ひょっとしたら過去にこの世界に転生した誰かが、印刷や製紙の技術を持ち込んだのかもしれない。
どうせならもっと暴れて、国内だけでもいいから通信網を整備するくらいまでやっておいてほしかった。というのはちょっと欲張りすぎだろうか。
「よーし、いくか!」
もう、とにかく前に進み続けるしかない。考えたくはないが、貴族とかの生まれだったらもうすでに『相手が用意されている』場合も考えられる。綾は私が同じ世界に転生したことを知らないだろうから、流れに従って婚約してしまっているかもしれない。それでなくともこの世界の成人は十五歳、許嫁とか関係なく結婚なんて十分ありうる話だ。もう、進み続けるしか道はない。
気合を入れるために自らの頬を張り、膝を叩きながら椅子から立ち上がった。放送用に改装した防音室の重い扉を開き、辺境放送局を後にする。領都の中心付近にあるこの辺境放送局、外観はちょっと古びた館といった雰囲気だが、内装は新品同様に綺麗にしてもらっている。この建物も、ラジオの開発や普及に関してかかった費用も、今から向かうフェルナンド商会からの援助があったから実現できている。そしてこのウィンディアナで、ある意味私が最も苦手とする相手がいる場所でもある。
◇ ◇ ◇
フェルナンド商会、辺境領支店。王都で人気の商会がここウィンディアナに開店したとあって、休日の昼下がりの店内は新しい物好きの領民でかなりの賑わいを見せていた。王都土産で有名な保存が効くお菓子類や、人気の小説シリーズの最新作が山のように積み上げられており、それらが飛ぶように売れている。
お菓子。そう、お菓子もだったな。先達の誰かが砂糖の生産技術を持ち込んだのか、砂糖がそこそこ廉価で手に入るのだ。流石に毎日好きなときにとはいかないが、週に一度、ちょっとした贅沢として庶民が楽しめるくらいには供給も値段も安定している。甘いものが好きだった私としては非常にありがたい。ありがとう、偉大なる先人よ……。
誰か手すきの店員がいないか探していると、番頭がこちらに気付いて声をかけてきた。
「ああ、ヘクター坊ちゃん!放送お疲れ様でした、支店長がお待ちですよ」
「坊ちゃんはよしてくださいよ、もう来年には成人ですよ?」
王都で五本の指に入るとまで言われるような大商会が、何故わざわざ辺境に支店を開いているのか。その理由がこれ、血の繋がりだ。フェルナンド商会代表、リカルド・フェルナンドは私の実の祖父である。私がその事実を知ったのは数年前の話だが。
まず私の母、エミリア・ハーフマンは協会所属の錬金術師だ。彼女は錬金術師を目指すにあたって、若い頃に実家を家出している。父親であるリカルド氏に、錬金術師になることにそれはそれは反対されたからだ。リカルド氏は錬金術師を相手にした取引も行っているのだが、おそらくそのときにキワモノでも見てしまったのだろう。取引相手としては金払いもいいしまだ許せるが、可愛い娘が錬金術師として働くことまでは容認できなかった。
家を出たエミリアは錬金術師となり、日々の生活費や素材の調達のため冒険者になった。そこで未来の夫であり私の父でもある男、ジョージと出会い、冒険の日々を共にするうち二人はめでたく結ばれた。新天地として辺境伯領に移住し、実績が認められた母は無事、辺境伯領の錬金術師協会に所属。そして、収入や住居が安定した結果私が生まれたと。
その後、私が前世の知識を使って錬金術師協会に陰ながら協力し、田舎町にしては結構な功績を残してきた。その結果、リカルド氏は和解の方向で動き始めた。最初は手紙による謝罪や資金提供に始まり、最近は利益が出にくいであろう辺境に出店して、必要なものを色々と用立ててくれるようになった。で、その出店に際してこちらにやってきたのが……。
「ターたんいらっしゃい!今日の放送も頑張ってて偉かったねぇ!!」
……こちらの方である。
ああ、こちらへパタパタと走ってくる足音が聞こえる。そう思った次の瞬間には私は背後から勢いよく抱きつかれた。私もそれなりに背丈があるはずなのだが、うなじのあたりには何か柔らかいものが二つほどあたっている。そして、これでもかというほど頭を撫でくりまわされている。
「お、お姉さま?ターたんは流石にちょっと……」
「えー?いいじゃないの。末っ子でずーっと可愛がられる側だった私がやっと出会えた、可愛い可愛い弟分なんだから」
あまりにも子供扱い、というかもう……なんだこれ?猫か?猫かわいがりというやつか?後ろからホールドされ遠慮なく撫でまわされ、挙句首の後ろの匂いを嗅がれているような感覚まである。どうなってるんだこの人は。これだから苦手なんだ、とてもやりづらい……。ホールドから解放されたので後ろを振り返れば、普段は見た人皆が『美人』と称するであろう整った顔立ちを蕩けさせたロザリアさんが立っている。
彼女、ロザリア・フェルナンドはリカルド氏の末娘である。要するに私の叔母にあたる方だ。ただ年齢は母よりも私との方が近く、まだ二十代前半なので『お姉さま』と呼ぶようにしている。というか、リカルド氏から手紙で呼び方に気をつけるよう言われている。
手紙によるとロザリアさんはこちらに来る前、私からどう呼ばれるかをかなり気にしていたそうだ。が、蓋を開ければリカルド氏の根回しが済んでいた私が『始めまして、お姉さま』と挨拶したので、凄い勢いで懐かれてしまった。
ロザリアさんは商人としてのあれこれを父のリカルド氏直々に叩き込まれたようなのだが、本人の性格が王都での成長競争にはまだ向いていないと彼に判断されたようだ。そのため実の姉であるエミリア、つまり私の母がいるここウィンディアナに修行と親子の仲介を兼ねて送られた。
何が厄介って、ロザリアさんは現状で一番太いパトロンだということ。そう、リカルド氏ではなく、彼女こそが一番ラジオに期待し、投資してくれているのだ。おそらく、その心中には私へのかわいがりもあるのだろうが……。多分この人天然信長タイプだと思う。後で何か、色々とひっくり返してくれそうな気がする。だからとにかく、彼女は仲間のままにしておきたい。そのためなら猫吸いも耐えますとも、ええ……。
「で、お姉さま。どう思いました?」
「うーん。調査した限りでは、ラジオで紹介されたお店とかの売り上げや人の入りはまぁまぁ。置き場所が限られている今でこれなら、これからもし家庭用に受信魔道具が安価で売られて普及したらいい感じにはなりそう。ただやっぱり、ここまで調査しないとなかなか踏み切ろうとは思えないかもね。特にお年寄りとかは」
「ですよねぇ」
パトロンと言ったが、ロザリアさんには資金の提供以外にもこういった調査や第三者的視点に立ったアドバイスもいただいている。商売の専門家が言うのだ。やはり受信魔道具の小型軽量化や、製造コストの削減は急がなければならないだろう。
「はいこれ資料。いつも通りお父様にも送ってあるわ、さっさと金か技術者をよこしなさいって催促付きでね」
ロザリアさんはそう言うと、ラジオによる市場への影響をまとめた資料を何部か出した。服の中から。受け取るとほのかに温かい。これ人に渡すやつなんですけどぉ……。
「あ、ありがとうございます……」
「さぁーて、可愛い弟分のためにも頑張らなくっちゃね!だからターたんも明日の交渉、頑張ってよね。もちろん、出来る限りの根回しはしてるけど」
「もちろんです。頼りにしてますよ、お姉さま」
「そこは冗談でも『大好きですよ』って言って欲しかったな〜」
などと言って、私のおでこにキスをして去っていった。
「ロザリアさんは叔母、俺には綾がいる、うごごごごごご……」
頭を抱えてその場に蹲った。肉体に色々と引っ張られているからか、さっき抱きつかれて彼女の匂いが鼻腔をくすぐってから色々と、色々と危なかった。本当に男の体というやつは『それはそれ、これはこれ』というやつなのだ、困ったことに。
「はぁ、先が思いやられる……」
これからまだ三箇所も回らないといけないと思うと、非常に気が重い。行かないという選択肢は存在しないけど。