第六十八話『運命』
俺が灰の海で得た情報は準備も無く実戦使用した為、響や仕掛け屋、特に一部始終を見ていなかったフィリにとっては、どうやって悪魔長を倒したのか。理解出来ていなかっただろう。
だからこそ、この世界の状況を高いする為に話しておかなければいけない事がある。
響の要望で、フィーリスの話からする事にはなったが、厳密には四つの事が重要になる。
まずは幻想の破り方について。
次は俺の刻景の特徴について。
この二つは、要するに対敵した時の準備の為の話だ。
だけれど響は、精神に関わる二つの内の一つを選んだ。
フィーリスの存在と、星の意思の話が、その二つだ。
ここから進むのであれば、知っておかなければいけないであろう。到達した真実の話。
おそらくはあれだけ真実を探し求めていたミセスでさえも、辿り着けていないような話だ。
「灰の海で、俺はフィーリスと名乗る女性に会ったんだ。響は、知ってるよな?」
響はコクリと頷く。フィリも流石に此処まで言われたならピンと来たようで、少々難しい顔をしながら、こちらに耳を傾けているようだった。
「あの世界は……簡単に言えばこの半界で消えた人間の情報が集まる場所。つまりさ、フィリが失くした物達もまた、沢山の人から見たフィリという情報を再構築して、殆どロストしていない状態のフィーリスという名前の女性と出会ったんだよ」
フィリが得心した様子で、何気なく、当たり前のようにそのロストを肯定する。
「フィーリス……か。名前等、早々に捨てたんじゃろうな」
「私はダメって言ったけどね。フィーは聞かなかったんだよ」
響は自分の名前が好きだと言っていた。だからこそ、彼女が名前を失うという事に対して、抵抗があったのだろう。しかも名前はその個を象徴する大事なパーツだ。それを失うという事は早々起きる事ではない。
「あの時も……どの時も、ワシがやらなきゃ勝てんかったじゃろうが。どれだけ、どれだけの敗戦を覆して来たと思っとる。それで、コイツはいらんのじゃな?」
フィリは俺達が時計をつけていないのを見て、仕掛け屋の方に右手を出す。
「お嬢の場合は時間を使い果たす事も無かったでしょうがね……」
丁寧にバンドが切り取られた時計を、フィリは床に投げ捨て、意外にも何度も踏みつけて破壊していた。
「フン……刻景使いの死亡原因の多くがこれじゃからな。憎らしくもなるものよ」
「それを決めたのはおそらくこの先にいる中村タクト、だけれどな。元々刻景を作り出したのはフィリ、お前なんだよ」
「は? なんじゃと?」
それは流石に響すら知らなかった事で、勿論フィリすら知らない事だ。驚くのも仕方が無いがというよりも、俺が知らされるまで、灰の海のフィリしか知り得なかった事だ。
「響がフィリと出会った時の姿、覚えてるか?」
「勿論、大体はこのまんま。ちっちゃくて可愛いのは変わってないよ」
ということはやはり、身体情報の殆どと引き換えに全員の記憶からロストさせたのだ。
そもそも、そのロストタイムという刻景自体が、刻景を作った残滓とも言える。
「フィーリスは、圧倒的に弱かった俺達側の魔法を、刻景という力に創り変え、それと同時にその記憶をこの世界の全ての人から奪っているんだよ。自身も含めてな」
「つまり……それの結果残った力がフィリさんの……」
察しの良い春は、彼女がした事をすぐに理解したようだ。
「やるのぅ、つまりは完全な負け戦を無理やり持ち堪えられる程度に弄ったわけじゃな。しかしワシはそんな力を持っとったんじゃなぁ……」
「そりゃ、この世界の神だからな」
「はぁあああ?!」
アルゴスが急に大声を上げる。
「コイツが? 神の子じゃあなくてか?」
「そうだよ。おそらくだけどな。本来フィーリスがこの世界の……星と限りなく近い所にいる神そのものだったんだと思う。きっとその記憶もまた、刻景を作って記憶をロストさせた時に等価交換として失った立場だったんだろうな」
アルゴスが気に入らなさそうに、フィリをジトッと睨むが、フィリは嬉しそうにフフンと鼻で笑っていた。
「やるのう、ワシ。いらんもんはどんどん捨ててきたが、間違っちゃおらんようじゃ。流石ワシ、神じゃったか。流石すぎるな、ワシ」
「まぁそれもそうなんだが、そのフィーリスが教えてくれたんだよ、俺の刻景の事も、幻想の打ち砕き方も、この半界が何処にあるかって事も」
「へ? 異世界じゃないの?」
とりあえず皆俺の刻景についてはあまり興味が無いようで安心する。伝えておくべきなのは確かだが、ハッキリ言って大した能力では無いという事は自覚していた。
「あぁ、この世界は、ハッキリと実在している世界だよ。この星の、現実と呼んだあの世界のずっと地下深くにある。魔法で生存を可能とさせた世界。それがこの世界の真実で、本当の場所らしい」
「私は何となくは気づいてたかな……連れてくる度に下に飛んでたから。アクタンも覚えてるでしょ? この世界に来た時に地面に入り込んで行く感覚」
言われてみれば確かにそうだ。俺は響の手を取ってこの世界に来た時の、トプンと地面に浸かって落ちていくような感覚を覚えている。
「バレて困るもんでも無かったんだろうな、そのあたりは。事実、魔法の力で異世界病者はこの世界で蘇っているし。仕掛け屋と朝日あたりはショックかもしれないが、異世界病自体が、質の悪い魔法なんだって、言ってたよ」
「ワシらが幻想に囚われたように、か」
「そういう事だな。俺達の現実に侵食してきた魔法、それが異世界病だったって話だ。だからこそ、俺達は幻想を現実で打ち破らなきゃいけない。それも向こうより強い幻想を纏わせながら。じゃないと星が納得しないんだってよ」
「その……星って言うのは?」
春が困惑気味に聞いてくる、確かにこんな話は荒唐無稽だ。だが事実として伝えられたのだから、真実以外無い。実際にタイムウォーカーという俺の刻景の名前だって嘘では無かったのだ。
「外的宇宙だかを怖がる、この星の声のようなもんが聞こえたらしい。それの対策として、春の両親をきっかけとして魔法を主とするこの世界が作られていったわけだ。でもお互いになあなあの戦いをしていても何も変わらなく、今のこの状況をきっと、星は待っていたんだと思う。決着の日が来て始めて、安心するんだろうな」
「でも向こうに勝たせちゃ異世界病は終わらない。だからこそってわけだね」
朝日が立ち上がり、明烏についた灰を払う。
「そう、魔法を帯びた現代武器で戦い勝つ。そのデタラメが、幻想を壊す鍵だ。朝日の刀……明烏に灰を纏わせるだとか、さっきの悪魔長の銃弾を弾く魔法も俺の灰壁を通して銃弾に魔力を載せた。魔法が全てでは無いが、現実が全てだというわけでもない。要はどちらも正しく存在しているというこの世界のその矛盾が、星を納得させる鍵なんだと、俺は思う」
「なーるほーどにゃー。だったらアクタンと春ちゃんがキーパーソンなわけだ。春ちゃんも私達や仕掛けの銃弾に魔法を付け加える事、出来るもんね?」
無茶振りのような話ではあったが、流石伊達に魔法使いを続けていたわけではない。春はしっかりと頷いていた。
「なるほどなぁ。俺はまぁコイツで暴れろって事だろ?」
アルゴスは灰光りしている新たな大曲刀を掲げる。
「ワシは……何じゃろうな。この刻景の強さは流石に伝わっとるじゃろ。陽動か?」
「使わない事に越したことは無い。それでも必要な時は……悪い」
フィリはなんら問題なさそうに、俺を軽く小突いて笑った。
「なんだかんだでこれが最後の話になったな。恥ずかしいが、俺の刻景の話だ」
「名前がやっとついたかー。最初からおかしかったもんねー、アクタンの刻景」
響が始めてストップタイムを使った時に、驚いていた表情を未だに覚えている。
「これも、フィーリスが教えてくれた事だよ。刻景・タイムウォーカー。そのまんま、誰かの刻景の力を無視して歩き回れるという力が一つ。それと……大した事じゃないんんだけれど」
俺は皆に見えるように、三歩程前に進んでから、刻景を発動する。
灰色に染まり、全員の動きが止まっている景色、それは決して見ていて心地良い物では無いが、仕方が無い。
俺は三歩前に進んだという自身の刻を遡り、歩き出す前の位置まで戻って刻景を解除する。
「ほらまた! 瞬間移動だ!」
「そう見えるよな。実際にそうではあるんだけどさ……」
「おいおい……兄ちゃん超強いじゃねえか……」
アルゴスまで驚いている始末だが、結局この刻景は俺を中心にしか発動出来ない。
朝日のスロータイムのように何かしらの効果を敵対した相手に叩きつけるようなものではないのだ。
「それがな、前には進めないんだよ。要は俺が歩いた場所を、なぞるだけ。つまりはまぁ……」
「逃げる為のヤツだ!!」
馬鹿天が笑いながら俺の刻景の大凡考えられる使い方を口に出す。皆まで言わないで欲しかった。
「そう……いう事になる。だからまぁ、不意打ち以外の攻撃に対してはどうしようもないが、基本的に俺の事は気にしないでくれ。情けない話だけどな」
「一旦前に進むという状況を作れたなら、奇襲にも使えるのでは?」
春の提案は尤もだった。確かにそういう手段もあるかもしれない。
しかしこれから対峙する相手に容易に近づけるのならば、同時に斬り伏せられるという事にも近しい。それでもその方法も心に深く刻み込んで置いた。
皆が隙を作って俺が前に出るタイミングを作ってくれさえすれば、刻景の発動によって相手の前に戻る事が出来る。それは大きなアドバンテージだ。
「あぁ、俺が近寄りさえ出来れば、奇襲は可能かもしれない。相手に能力を気取られるまでは、隠しておくべきかもしれないな」
「おうよ、仕掛けってのはここぞって時に使わねえとな!」
仕掛け屋が俺の肩をポンと叩く。
「結局はよ。大将が肝って訳だ。頼むぜ?」
「しかし、なんで俺なんだろうな」
「そいつぁ……」
「それはよ……」
「それはじゃの……」
「それはさぁ……」
「それはですね……」
「それはね……」
俺以外の全員が物凄いプレッシャーを以て言葉を発しようとしているのが分かって、思わず逃げたくなった。
「大将が真っ直ぐ歩いてきたからだろうよ」
「兄ちゃんといるのが一番楽しそうだからな!」
「ワシが見込んだ男だからに決まっとるじゃろ」
「アクタンだから、それ以外には無いかな」
「一番頼れる、お兄さんだからですよ!」
「きっと、運命みたいなものだったんだと、思うな」
こう言われると、照れていいのか。プレッシャーをかけられているのか。分からない。
だけれど、俺が答えるべき相手は、一人だけだ。
「そうだな……運命みたいなもんだったのかもな」
「あーあ、昇天しそう」
「だぁから! もう! そういう事言うから堕天してるんだよ響は!」
朝日がおちゃらける響にやや大げさなツッコミを入れているのを聞きながら、俺は向かうべき先の巨大な城を見据えた。
「じゃあ、行こう。終わらせなきゃな」
長い階段には、足元が埋もれる程の灰が積もっていた。
皆も俺の声に合わせて、各々の武装を手に取り、歩き始めた俺に付いて移動を始めた。
俺は先陣を取りつつ、足元の灰を一歩ずつ、一歩ずつ踏みしめながら、自身の刻を前へと進ませて行く。この道の先に、この刻の先に、どうか灰の無い未来が訪れる事を小さく祈りながら。




