第六十五話『殴り合いの為に』
衝撃波が出る程の勢いが乗った灰に包まれた拳と、それを受け止める大曲刀。
それが交わる音はまるで銅鑼。決戦の合図に、俺は一瞬身動きが取れなかった。
それ程までに、この二人の闘争はハイレベルだという事が、瞬時に分かる。
俺に出来る事はなんだろうか。朝日に何を頼めば良いだろうか、春は何を思っているだろうか。
そんな事を考えている間にも、ザガンとアルゴスの攻防は激しさを増していく。
アルゴスの愉快そうな笑い声が木霊する。防戦一方だったザガンが攻勢に打って出たのがおそらく嬉しいのだろう。つまり、彼は俺達を目にも止めていないのだ。
俺とザガンが話していた間も、とりあえずアルゴスは朝日に攻撃は繰り出していただろうけれど、それは手を抜いていたとしか考えられない。今の彼らの攻防を見れば、それは一目瞭然だった。
「何を手伝えってんだよ……」
「でもなんっか! ムカつく……刻景!」
朝日が時計を外して初めて刻景を展開する。俺の見立てならば刻景の使用で灰になることはないはずだが、この状態ではもうわからない。それでも俺達はパートナーとして
「そう、俺らにはそいつがあった、よな!」
俺は刻景・スロータイムの上を駆けて、アルゴスの足に赤刀を思い切り叩きつける。
もう時間を気にする必要は無いはず、あのフィーリスの言葉に嘘は無い。俺が信じた事を、朝日もまた信じてくれる。
「いつかを思い出す、なっ!」
アルゴスは濁神化により身体的な強化も受けているようで、俺の一撃では傷ひとつ付かなかった。
「パートナーになった日の事だよね、懐かしいな。ってコイツかったいよ!」
朝日も刻景を展開しながら、何撃か入れているのが見えたが、おそらく俺達の刀では押し切れるレベルでは無いらしい。
これが濁神になった為なのか、それともファンタジーに侵されているせいなのかは分からない。だがザガンが濁神の事以上にファンタジーに侵されている状態を気にしていたあたり、ファンタジーから遠ざかった干渉を通さない状態なのかもしれない。
「でも! 何度でも! 打ち込む時間は! あるだろ!」
「たーしかに!」
アルゴスのゆっくりになった動きを見て、ザガンもすべき事を悟ったのか。攻撃の的を一点に絞ったようだった。
「僕はさ~、君のそのフィジカルっていうか~。負けない感じがさ~、好きだったんだよ~」
その一点の的は、変わらず、大曲刀。
ザガンは刻景の外側から、アルゴスの獲物に向かってひたすらに殴打を放っていた。
「ん~、朝日ちゃんがこっち来ちゃうと、僕までゆっくりにな~っちゃ~う~か~」
朝日ももう慣れたもので、刻景の効果範囲は狭めているものの、アルゴス一人を相手にするからには流石にザガンの打撃は近すぎる。結果申し訳ない状態にせざるを得ない。一瞬範囲内に入ってしまい口調がもう完全にゆっくりした物に変わってしまっていた。
「ごめんなさい! 一旦引きますか?」
朝日もザガンが敵対しているわけではないとハッキリと理解したようで、
「い~や~、僕が~、引くね~」
そう言って範囲から出たザガンが、俺の方を見てから、アルゴスの大曲刀に向けてその手を銃の形にして向ける。
「灰の魔法使いなら、真似、出来るよね~?」
それは、あくまで魔法であり、そうして打ち出されるイメージは、リアリティを帯びている。
銃という存在。
魔法の下で虐げられ続けていた刻景使いの武器。
それは幻想とはかけ離れた、現実世界にもある兵器で、こと戦いに於いて魔法をファンタジーの産物と呼ぶならば、重火器の類はリアリティの産物と言っても過言では無いだろう。
「灰で作った銃……か。悪魔の考えだよ。ほんと、思いつきやしない」
幻想を打ち砕くという行為、それはより強い魔法で相手をねじ伏せればいいというわけではないはずだ。それでは結局、フィーリスは幻想を以て幻想に勝てと言っていたが、幻想が勝つ事自体は決して悪い事ではない。だがそれでは結局、安定した幻想の世界が生まれるだけであって、この星が納得したとしても、異世界病という魔法に苦しめられた俺は、納得が出来ない。
――ザガンは、俺の情報も見たんだろうな。
星に追随する形で生まれたフィーリスという存在、そうして幻想に追随する形で生まれたザガンという悪魔、最後に幻想に侵された現実を否定する形でこの世界に降り立った刻景使い。
本来天秤は二つでは足りないはずだったのだ。
だけれど、この悪魔はどうしてか、その天秤を俺達側に傾けてくれた。
「こうだろ? ザガン。目ぇ覚ませよ、アルゴス」
幻想と対極にある現実を、魔法として打ち込む。その矛盾は、ファンタジーという定義を壊すのに相応しい行為だった。
「灰……銃!」
「ば~んってね~」
遠距離から一発、そうして目の前で一発、悪魔と人間がほぼ同時に打ち出した灰の銃弾は、全速力でアルゴスの大曲刀に向かう。俺の弾丸がまずスロータイムの影響を受けずに大曲刀に当たり、ザガンの弾丸は当たる寸前にスロータイムの影響を受けその速度を落としながら、俺が放った弾丸を押しつぶすように、大曲刀に突き刺さり、ヒビを入れた。
バキンという音と共に、ヒビがゆっくりと全体へと広がっていく、アルゴスを象徴していた大曲刀の刃がスロータイムの中で、ゆっくりと砕ける準備を始めた。
「なぁザガン。アンタ悪魔だろ? いいのか? こんなこと」
未だスロータイムの影響下にあるアルゴスから少しずつ白いモヤが抜けていくのが見えた。
灰の残滓ではなく、真っ白な何か、アレがこの世界で言う所の希望、幻想という物なのかもしれない。
「いいんだよ~。僕は墓を掘る駒として呼ばれた時点で、終わってたんだから~……」
近づいてきたザガンは強面な顔のまま、低く、ゆっくりと、寂しそうな声でザガンは呟く。
「君達が好きってわけじゃないんだよ~? でも僕はこの世界があんまり好きじゃあないんだ~。だからかなぁ~。あと……」
そう言いザガンはアルゴスに向けて拳を握る。
「よっし! 生きてる……解除!」
ザガンがその剛腕を振るう瞬間に、朝日の掛け声と共にスロータイムは解除され、大曲刀がバラバラになっていく音が聞こえる。それと同時にザガンの拳がアルゴスの顔に当たり、アルゴスは灰の丘に叩きつけられた。
「喧嘩、したかったんだよね~」
思えば俺達の時計が持っていた時間はとうに過ぎていた。だからやはりこの選択は正解だったのだろう。ならばもし響の刻景が残っていたならと思ってしまうが、それは仕方のない事だろう。
自身の獲物を破壊され、ザガンにぶん殴られたアルゴスは驚いた顔をしながら立ち上がり、ゆっくりと自分の両手を開いては握り、開いては握りを繰り返しながらこちらへと近づいてくる。
殴られたのにも関わらず、そこに明確な敵意はもう無かった。
「目ぇ~覚めた~?」
「あ? あぁ……俺の獲物が、ねぇな……」
どうやらザガンの狙いは的確だったらしい。俺は俺なりに、彼は彼なりに灰の海から情報を持ってきたという事なのだろう。
「うん、じゃあ、やろう。ドでかい殴り合いを」
そうして、アルゴスが幻想から目覚めたと思ったその瞬間、ザガンの声色が、静かなでハッキリとしたものに変わった。
「あ? あぁ、なんでこんなとこにいるのかわかんねぇけど……まぁいいか! しかも兄ちゃん達もいるじゃねえか? なんだ? 観客か?」
「……はぁ、知るかよ」
俺は朝日に目配せし、彼とザガンを残して丘を後にしようとする。
この先はきっと、彼らの領域なのだと、何となく理解していた。
ザガンはきっと、これから始まるであろう正しい殴り合いの為に、自分勝手に状況を作り上げて、勝手に俺達は助けられた。
「ザガン、助かったよ」
「いーや、気にしないで。僕はね、きっとこの日の為に生きてきたんだ。このたった一人の友達と、一回きりの力比べをするためにね。だからさ、本当に気にしないでよ、芥君。いつか灰の海で会えたらい~ね~」
最後に、彼は確かにこちらを見て笑った。それも、少しだけ意地悪そうに、楽しそうに。
悪魔は嗤う。
悪魔は確かに、嘲笑う生き物だと思っていた。
だけれど、悪魔は笑わない。
あんな風に、心底幸せそうな顔は、きっとしない。
ザガンはこれまで出会った悪魔の中で、唯一の善の心を持ち合わせていたような気がした。
というよりも、悪の心を持ち合わせていない気がした。
であるならば、彼は魔、そのもの。
この世界の優先順位の一番に魔法があるのならば、その名前から悪を取った彼は、希望の一つの形なのかもしれない。たとえ、その理由が自分勝手なものであっても。
だからこそ、一度消えた生命を灰からもう一度創り出すという、彼がいう通りに死者を冒涜するような事をしてきた悪魔であっても、彼に纏う憂いが消えていくのが、ほんの少しだけ嬉しく感じた。
「アルゴス、ここで負けてもいいが、出来たら生きて戻ってこい。もう二度とファンタジーに飲まれるなよ」
「よく分かんねえけど、俺は死なねえよ。コイツと目いっぱい楽しんでから、気が向いたらそっちに合流してやるよ。行く場所は見えてるしな」
そういうアルゴスの目線の先では、春が階段状に響達が向かった方向へと樹木を伸ばしていた。
「世話が焼けるよね、ほんと……」
「そういうもんなんだろ、多分……」
ファンタジーの打ち破り方は、確かに教えてもらった。
あれが一つの正解なのであれば、フィリを追った響と仕掛け屋に早く追いつかないとまずい。
あの二人は確かにリアリティである重火器を主に使ってはいるが、そこにファンタジーを壊す程、リアリティとファンタジーを混合させるような、さっきの灰銃のような魔法は使いようがない。
二人の性格上フィリを灰にするという事は無いにしても、フィリの性格上どうなるかは未知数でしかない。流石に我を失いかけていたとしても、アルゴスのようになっていないと思いたいが、間に合ったとしても、俺は一体、彼女の何処にあの銃弾を撃ち込むべきなのだろう。
「リアルと、ファンタジーの融合が、ファンタジーの呪いを解く鍵だってさ」
「成る程……魔法をより強い魔法で塗りつぶすのではなく、現実世界の武器に魔法を纏わせる事で、ごちゃまぜにするというわけですか……確かに、ここは魔法の世界ですもんね」
春にザガンがしたことの一部始終を説明している最中も丘の下では戦いの音が響き渡っていたが、それは最初聞いた時よりもより早く、金属の音も無い、純粋な殴り合い、喧嘩の音のように聞こえた。
その音を背に、俺達は春が用意しておいてくれた響達と合流する為の樹木の階段を登っていく。
「異世界っていえば剣と魔法の世界ってイメージだったけれど、此処は魔法だけの世界だったんだね、結局」
その時、一つの考えが頭をよぎった。
――この世界は、剣と魔法の世界、ではないのだ。
つまり、所謂ファンタジーの王道とも呼べる剣や刀、それらは現実にも存在しうるがファンタジーにも存在しうるいわゆる中途半端な存在だと認識していた。
けれど、この世界が正しく魔法に特化した世界であるなら。
「この刀に灰を、纏わせたらなら……いけるかもしれない」
あの二人の、喧嘩の音はもう聞こえない。
その代わりに、俺達の進む先では、銃声が響き渡っていた。
「とりあえず次はこっちか!」
「あぁもう! なんか私達こんなんばっかりじゃない?」
「そういう事も……っ、ありますよっ」
俺達は銃声に向かって一斉に駆け出す。
未だに銃声が鳴っている事にホッとしたのは何回目だろうと思いながら、俺は自身の赤刀の切れ味をあえて落とすように、その刀身にそっと灰を纏わせていた。




