第六十一話『灰と病熱』
溜め息達が幻想を追う。ファンタジーの中にいるのに、それに染まりきれない半端者達が俺達だ。淘汰されるべきが自分達だとは思いたくないが、
もしかするとその方が幸せかもしれないと思う事はいくらでもあった。けれどそれに抗った結果の俺達が報われずに、一歩ずつ灰を歩いていく。その向こうにいるのは、おそらくファンタジーの呪いに侵された二人の仲間だ。
「どうしたら、良いんだろうな」
「フィーあたりがのめり込むのはちょっと意外だったけどねー。刻景の使いすぎが仇になったかなぁ……」
フィリの事を昔から知っているらしい響が、軽い溜め息と一緒に空を仰ぐ。
「とはいっても、性格まで変わるもんなのか?」
「フィーの場合はだーいぶ特殊だしねぇ。元々は口調に相応しい聡明さ? みたいなのがあったんだよなー。だから今のフィーは無邪気というかなんというか……純真だよねぇ。まぁ自分自身の性格が変わる程自身の情報を捨ててるくらいだから元々無邪気みたいなもんだったのかもしんないけどね
彼女の刻景『ロストタイム』の使用時、相手に捨てさせる物との等価交換を行う為に、フィリが捨てる物自体は、彼女自身で選べる物なのだから、性格自体が変わるような物だとしても彼女が良いと思ったのであれば、神か何かがジャッジしてその都度捨てていける物なのだろう。
そうして、ある種色々な物を捨てていった今こそが彼女の本来の姿なのかもしれない。
「だったらまずはあの口調を捨てるべきだったんじゃ……」
珍しく春が突っ込みを入れている。何とも言えない空気が少し和んだ。
彼女もフィリとは中々ウマがあっているようだったから、気になる事は多いのだろう。決して明るい顔では無いが、その言葉は俺達に気を使っている事が分かる。
「あの子も不思議な子だからねぇ。やっぱりなんか、神の子としてのプライドみたいなのがあったんじゃないかなぁ……とはいえそも私が奪っちゃったんだけど、さ」
せっかく空気を和ませようとしてくれた春の発言を、一旦暗い雰囲気にしてから響はクククと笑いながら伸びをする。
「まー、気にする事じゃあないよ。状況は良くないけどさー? 私達は私達がすべき事をやるだけ、でしょ? アクタン」
「まぁな……どちらにせよ辿り着く場所は同じだろうし、会った時に考えるさ」
その言葉にいつもよりも少し小さい歩幅で歩いていた仕掛け屋も同調する。
「道は、同じだろうにな。だけれどお嬢をああしたのは俺の身内の恥だ。例え本当に道を違えるってえことになろうが、まずは冷水の準備をしとくさ……何度も何度も大事な物を失くしかけてたまるかってんだ」
気まずいだろうに、自身の身内に裏切られ、仲間を裏切り、それでも仕掛け屋は前を向く。
彼の事を多く知っているわけではない。それでもその葛藤と決断の辛さは、痛い程に分かる。
「失くしかけ、か。泣く仕掛け屋なんて見たくないからな。頼むぞ」
「……言うね。確かに、どうせなら馬も嘶く大仕掛けで、締めくくりてぇもんだな」
「花火とかね。あーあ、今の季節はわかんないけど。たまには大きな花火でも見たいよねぇ」
苦笑しながら笑う朝日が想う夕景には、どんな花火が咲いているのだろうか。
それを聞くにも、言うにも、そうして答えるにも、世界が違う。俺達はこの世界で出会い、この世界を歩いているのだから。
それでも俺たちは、真っ白で、つまらない空を時々眺めながら歩き続けた。
「あーあ、殆どが灰だね。苦しくも露払いにはピッタリなじゃじゃ馬達だ」
響がまだ暖かい灰を触って、何とも言えない顔をする。
全員が見上げるは長い階段、今まで歩いてきたビル街とは似つかわしくない、長い階段だった。
「此処まで来て誰もいないっていう事は、そうなんでしょうね。知っている限りでは、もう見えてきますよ」
春もまた、複雑な顔で階段を眺めていた。
「此処で、私はこの世界の敵になったんです」
そう言って、きっと温度の無い灰をすくって、小さく撫でた。
「どうにか、しないとね」
響も妙に優しく、あまりしない笑顔を春に向けていた。道化を演じていた頃には思えないような、落ち着き。それがこの世界と本当の意味で向き合う為の準備なのかもしれない。
「最初は成り行きだったんだけど、これじゃあ私達、正義の味方みたいだよね」
「……どうだろうな。それでもさ、最後に立ってたヤツが決めた世界が、より多くのヤツにとって良い物だったら、いいよな。魔法使いから見たら俺達は……」
そう言いかけると正義の味方を主張する朝日に指で口を塞がれる。
「言い合いはなーし。そう、思い込んじゃおう。少しくらいは良い、でしょ?」
後ろからヒューという声が聞こえるのが少々腹立たしく思えたが、さっきの春に向けた優しい言葉に免じて許しておこうと思った。
「あぁ、それもそうか。じゃあ正義の味方らしく、胸を張って、だ」
俺が階段を仰ぎ見ると、確かに灰の上に足跡が残っているのが見えた。
「それに、そう遠くも無いみたいだ、幻想のじゃじゃ馬達も。どうする? 対策なんてあるか? 敵意のあるないに関わらず、話し合いなんて出来るんだろうか。まともにやりあって勝てるレベルの二人じゃあないよな」
「アルゴスはねー……私が行くトコを知ってる。だからフィーとは別行動だろうね。ほら、階段の足跡もちっちゃいでしょ? 一人は上、一人はここから右向こうだ。そう遠くないあばら家に向かってるんじゃないかな」
此処に来てまた分断を強いられるのはあまり良くはない。
ただ、響はそっと俺の背中をアルゴスが向かった方へと押した。
「あのバカの面倒は、皆でやってよ。そんで、上のバカの面倒は、私達。だよね? 仕掛け」
「あぁ、行く道は同じ。全部終わったら、付いてこい」
そう言って響と仕掛け屋は、二人で一人分の足跡を追って階段を登り始めた。
「という事は、俺らであいつらをどうにかしろって事か」
そう苦笑しながら春と朝日を見ると、二人は小さく頷いた。
「離れるのは怖いですけど、それでも出会うべき道は同じだって事は私も分かってますし、仕方ない……ですよね?」
「そうだねー、汗を流す暇も無いのは何とも言えないけれど、いっちょがんばろっか、芥」
「んん……そうだな」
いつの間に朝日は俺を名前で呼ぶようになっていたのだろうと思いながら、問いかけるのも野暮かと思い、黙って背を向けた。
関係値なんてのは、知らないうちに上がるものなのかもしれない。俺としては気恥ずかしいが、そのうち慣れる。それになんだか、ほんの少しだけ心地良いのも、嘘ではない。
「へへ……おにーちゃんとおねーちゃんって感じですね」
「ふふー、良いでしょー。春ちゃんは可愛いなぁ」
あえて、あえて何も言わず、前に進む。
二人もこの空気を弛緩させる為に、何となくじゃれ合っているのだろう。
――こうでもしていないと、人間は何処か壊れていくから。
幻想でも見ないと、生きていけなくなるから。
「おじさんって言わなくて良かったね、芥」
「まぁ……セーフで助かったのは確かだけど、春の性格に寄るんじゃないか? その年頃から見りゃ、朝日はともかく俺はもうおじ……」
なんて言いかけた所で、異常な違和感が体を通り過ぎていく。
音もなく。
痛みもなく。
なのに、ただ、ただ、何かが終わったような、そんな感覚。
「……何が、起きた?」
振り返って二人の顔を見る。朝日の方は、困惑した顔。だけれど春は今にも倒れそうな程青い顔をして、小さく、ほんの小さく、何かを呟いていた。
「あ、あ……お母さんが……」
体に流れ込んでくるのは、違和感だけじゃなく、物凄い量の力。
これを魔力と呼ぶのなら、俺の中に、膨大な魔力が流れ込んでいると思うくらいに、今なら全てとは言わずとも、この世界の半分の灰くらいは容易に操れるのではないかと思う程の力。
それに、俺は思わず立ちくらみのような物を覚えながらも、春の言葉をじっと待っていた。
「これ、は。多分お母さんが……お母さんの世界が、灰に……」
「半界……か。まさか、そのままだなんて、な」
春は涙を流す事は無かった。
ただ、呆然とその事実を受け入れられないといったように、呟いていた。
「お母さんが、きっと、殺されたんです。だから今、この世界を統べられる……響さん曰くゲームマスター? の役割を持った人は父と、おそらくはミセスさんの二人に変わったってことになります」
「じゃあさっきの変な感覚は……」
朝日にもその感覚は伝わっていたらしい。魔法使いだけが感じられる特有の物では無いようだ。
「はい、間違いなく良くない異変……お母さん灰にされたんだと、思います……」
「アイツに……仲間ってのはいねぇのかよ……!」
目的の為ならば、味方も敵も無いのだろうか。
春を見て、春と知り合いで、おそらく春の母とも知り合いなのだろう。
なのにミセスは、彼は自分自身の目的の為に、この世界そのものを壊そうとしているように思える。ただただ、怒りだけが体の中を走り回っていた。
「ちょちょ! 芥! 周り! 浮いてる浮いてる!」
朝日の声にふと我に返るのと同時に、俺の周りに灰がドサっと落ちた。
「芥さん……向こうが幻想への意識を使って攻撃してくるのならば、たった今その幻想に一番近い存在が、芥さんに代わりました。どうか……抗ってください」
力がみなぎっていくのを、無理矢理に止めようとしても、それでもどんどんと体の中に力が溜まっていく。
「……とは、言っても。なんで……こんなに力が……」
「生命の灰……おそらくミセスさんは、父が有する半界の此方側ではなく、母を灰にすることで母が有しているあちら側の世界を消したのでしょう……本来あちらの半界は平和な物で、誰もが何となく幸せに暮らせる世界だから、黙っていたんです。すみません……」
俺が振り回したくなるような力に抗っている間も、朝日を挟んで春の説明は続く。
「つまり、半界って二つあったって事? 春ちゃんのお父さんとお母さんの世界で一個ずつ?」
「……はい。元々は二人で一つの世界を創っていたそうなんですが、そのうちに意見が分かれて……そこからはゲームマスターとして父が君臨する灰と殺戮の世界としての半界と、気まぐれで飽き性の母が何度も創り変える緩やかで幸せな世界が二分化される事となりました。そうしてさっきのが……」
「半界一つ分の生命が灰になった余波……か……そりゃあ俺に力が、つく、わけだ……」
灰の魔法使いと呼ばれてしまっている。ならばその大量に灰にされた命が、俺に影響を与えないと考える方が難しい。そう言いながら、俺は膝をついた。力だけじゃない。痛い程の、情報が体を突き抜けている。
「芥!」
寄り添ってくれる朝日の手が暖かいのを感じながら、俺の意識は灰の中へと落ちていった。
冷たい、冷たい灰の記憶の中で、燃えて、燃えて、灰になりそうな身体の熱の中で、俺に添えてくれている朝日の手の温度だけが、心地よい、正しい温度だと思いながら。




