DevilSide4『半壊した半界は全壊の後、全界となるでしょう』
志賀縁は希望を持っていた。
ただ、多様性を認めない現実というものには、絶望していたといってもいい。
だからこそ、彼が現実を壊してやろうと思ったのは、志賀縁という一人の男が、一人の女性が、幼少期から歪まされて生きてきたからだと、彼は疑ってやまなかったし、実際の所、他者が見てもそうだろうと思わせるには充分な人生を送らざる得ない境遇なのは多くが共感出来ただろう。
だからこそ、彼が……彼女が始めた世界規模の革命の礎は、インターネットを通して金になる配信業として大成した。
彼が彼女であるという事は、障害なのだと、彼自身は気付いていた。
納得もしている。だけれど現実はあまり気付いてくれない。永遠にそれを許さない人間がいる。
彼がミセスと名乗る事を許さない人間は、現実ではことさら声が大きかった。
――彼は彼女として、あらゆる性差別と結婚したというのに。
古い知り合いの頼みで、でっち上げの動画を撮るなんて事になって、志賀縁の世界は一変した。彼だけではなく、世界が一変した。それも彼が望まない形で。
「あーあ、アタシ達も燃え尽きたかしら。あの子達は、まぁ大層な土産を置いてったのにね」
「アレでしか覆せないなら、これしか無いだろ?」
ミセスは、古い記憶を思い出す。
現実での最後の記憶、異世界病が病気と認められ、国がかり、世界規模での対策が行われる中、蔑ろにされる事柄は多かった。だからこそ、彼もまた異世界病を憎んでいた。
――きっかけの一つに、自分が関わっていたのにも関わらず。
異世界病の発端として、ミセス――志賀縁の配信チャンネルは爆速的に伸びるが、同時に運営側からのアカウント停止の要求も来ていた。
だが、ミセスがその要求を性差別にあたると主張してみると、そこで小さな暴動が起きた。だが、異世界病で世界が壊れていく中では、簡単にねじ伏せられる程度の、ちょっとしたニュースになって終わる程度の話だった。
もし、異世界病がなかったならば、大きな一歩になったのかもしれないくらいの、人を大きく巻き込んだはずの闘いだった。だから、異世界病に取って代わられたことを、彼は恨んだ。
――それもきっかけは、異世界病者の始まりの二人を彼が撮影したからなのに。
人はある意味で移ろいやすく、またある意味で物凄く頑固で、移ろいにくい。
志賀縁は長く、長く戦った。
彼は、彼女は、悪だろうか。
そんな事は、決して無い。
偶発的に起きた。異世界病という悪しきブームの火付け人。
彼が元々目指していた、性差別を無くすという大義からは、遠くかけ離れた人間になってしまっていた。たった一つの間違い、後悔。
虐げられてきた、陰に生きてきた。けれど、報われなかった。
ただ、報われた例を、彼は知っていた。
異世界なんて物があるなんて、彼は信じちゃいない。
けれど確実に、彼の友人夫婦は世界を変えたのだ。
――だから彼の取った最後の方法は、なんてことのない、二番煎じだった。
消された彼の配信チャンネルの最後には、自殺配信が残されていた。
彼の全力を以て言葉を選んだ。性差別の撤廃と、それに苦しむ人々の未来を願いながら、彼は異世界病という病を創り出す事に加担した事を謝罪しながら、世界で苦しむ人々はそれだけではないと心から叫び、次の日にほんの些細なニュースとなって消えた。
彼が最後の最後に絞り出した「明日を掴んでほしい」という言葉は、何の意味も、成し得なかった。
異世界病を作った、怠惰で絶望の果てに呟いた言葉は世界に響き、自分自身がその希望を以て送り出した命の言葉は、殆どの人間には些細なニュースにしかならなかった。
けれど、その事実を彼は知らない。
「ちなみに、アンタは信じる? 異世界」
「まぁ……あったらいいよねぇ」
配信前、パートナーとの最後の会話を、ミセスは一人、灰を歩きながら思い出す。
一緒に死んだパートナーの名前も、もうあまり意味が無い。
沢山、沢山いた自分に群がるファンの一人、その中から、そのタイミングで、死ぬ気概があった人間を選んだだけだ。若者だったし、気に入られたくて嘘を言っていたのかもしれない。ミセス自身、"ばえ"れば良いと思っていたから、若者を選んだ。
だが、彼は異世界病者だった。
――だから志賀縁は、半界に、自分が送り込み始めた悪魔の世界に、自ら堕ちる事となる。
パートナーは半界に来てすぐに灰になった。
薄っぺらい人生程、魔法使いとしては弱い。
そう、気にする必要もなかった。けれど、気にする素振りをするのは、彼の癖だった。
そこから、彼が自分の名前を完全に捨て、ミセス~と名乗り始めるまではあっという間だった。
もはや彼は、壊れてしまっていた。だから彼は完全に彼女となった。一人の中に男と女が存在する、二人分の心、二人分の人生。それがミセスの中には入りこんでいる。
――魔女と呼ぶ事を、ミセスは絶対に許さなかった。
最後に自分の名前をも壊し縁を緑として、彼の人生は終わったのだ。
だからミセスという名前の一人の膨大な魔力を持つ魔女は、現実で人間として死に、半界で男として死んでいる。残った最後の彼女は、言うならば魔女でも魔人でもなく、悪魔だった。
ミセスはそのうちに、灰の無い、明るい森に辿り着く。
というよりも境界線のような物だった。一歩進んだ瞬間、世界は一変する。
半界が半界と呼ばれる理由を、ミセスは知っている。
答えを望み続けている彼女と、答えを探し続けている芥達は、根本的に別々の答えを求めている。
「半分の世界、ね。ばっかみたい」
憎々しく呟いて、彼女は森の奥へと進んでいく。
いくつか村も通ったし、"未だ攻略されていない洞窟"もあった。
「こりゃ、飽きてるわね。ほーんと……人間って……」
嘆く獣の骸……所謂"こちらの半界"でいう所の魔物という存在をミセスはその魔法で一掃する。
色格・緑など彼女が言い出したただのブラフ。
そもそも色なんて物は彼女には見えない、ただ魔力と、所謂ステータスという物がゲームのように見えるという力が彼女の力。それもまた、彼女にとっては付随する事でしかない。
現実で異世界病を生み出す事を手伝ったという業を背負った彼女は、この世界に於ける魔の第三位だった。
一位と二位は、言うまでもない。
「入るわよ、雪」
森を抜けて、朗らかな湖畔の近くにある木製の小屋をミセスはノックする。
灰の気配も無く、太陽のようなものからは日差しが降り注ぎ、鳥のようなものが鳴いている。
――のどかなような、場所。
「今度はスローライフ、飽き性も此処まで来たら病気ね。ファンタジーの作り手さん?」
「あぁ……縁ちゃん……。久々だねーぇ」
ミセスが話しかけた女性の長い髪がふわりと揺れる。灰の一つも触れた事の無いような、暖かな雰囲気に、縁はそのパーマがかった短い髪をクシャリと崩す。根本が黒い緑色の毛髪が数本、ハラリと床に落ちた。
「旦那は? もう半分では命が溶けていってるわよ? アンタの名前通り、雪みたいにね」
「あははー、面白い事言うよねぇ縁ちゃんは。タッくんはしらなーい、もう一年くらい会ってないよ」
始まりの二人――そのうちの一人、魔の第二位の中原雪がのんびりとした顔で笑う。まるで、灰の積もる世界の事など知らないように。
事実、彼女はそんな事は一つも知らない。
この世界に於ける魔の第一位中原啄人こそがもう片方の半界の創造主であり、悪魔としてゲームマスターを続ける元人間であった。
「そのたっくんが、やらかしてるわよ? この世界はもう、そう長くない」
「んー……、でも! もういっかなーって私は思うんだよねー。思えば、現実も悪くなかったしなー」
笑いながら、この十年の間に世界の半分を何度も作り変えて、何度も主人公をやり直していた雪が笑う。
その笑みは決して邪悪ではない、無自覚な悪。無垢とは言い難い。
「良かないわよ! ファンタジーに堕ちた人間の果てがこれじゃ……誰も報われないでしょうが!」
「んでもさー、人間飽きるもんは飽きるじゃんかー。そだ、春ちゃんどうしてる? まだ生きてる?」
悪意は無い。ただ、中原雪はただ、ただ……怠惰であった。
「タクももう一人じゃ手に負えない。ファンタジーが消えたらこの世界はお終いなのよ!? 私が無理矢理動いて……」
「ねぇ縁ちゃん、私それ、頼んだ?」
中原雪の目の中に、邪悪が揺らめいた。それと同時に、好奇に黒目が小さく揺れていた。
「ふふ、異世界病、だっけ? その人らがジャンジャン死んでくんでしょ? ならへーきだよ。でもちょっと興味出てきちゃったな。タッくんが苦しんでんだぁ……、見たいかも、今ならぶっ倒せちゃう?」
中原夫婦の仲違いなど、あっという間だった。
お互いがお互いの世界の主人公になろうとしているのだ。
片一方は飽き性で、片一方は未だに人殺しのゲームマスターを続けている。
奇跡とも言えるこの死後に与えられた世界は、半分ずつに分かたれる事になった。
既に均衡が崩れた世界、その灰の部分が壊れかけている。だからこそ、この世界の存続を願うミセスはファンタジーに加担した。少なくともこの世界で、彼女は第三位の魔法使い、ならば彼女の思い通りの世界だって、いつか創る事が出来るかもしれない。そう考えていた。
魔の第一位から第三位までの、全員が歪んでいる。
それでも、まだ魔の第四位と第五位は、人として壊れずに、残っている。
「……歪んでる」
「なぁに言ってるのさ、歪んでるのは縁ちゃんでしょー? 私達の世界だからね? 此処」
雪が手を横に振ると、小屋の壁の釘がいくつも剥がれ、ミセスの首元で止まる。
「えぇー止めるんだぁ。この世界の私はそんなにチートしてないからなぁ……」
「えぇ、止めるのよ。私が望むのはこの世界の存続。答えを聞きに来たの、もう半界は終わり。どちらかを、選ばなきゃ、ね?」
雪が送った釘が反転して、彼女の身体を串刺しにする。
「大鎌致し。首でお喋り。魔の第三位が告げる、告げる」
「ったいなぁもう! ちょっと待ってよ! こっちの世界で詠唱はあんま効果無いよ?」
雪の身体から血が溢れ、顔に焦りの色が見えるが、それでもミセスは詠唱を止めない。
「幻想を笑え、幻想を抱け、現実を呪え、現実を祝え、地獄の釜は此処に在りて」
――ファンタジーは、存在する。
「鎌は魔を狩り、釜は魔を封じ、世界は不可、半分は不可」
「それが、答えなんだね。なんだ、辿り着けてるんじゃんか」
雪は笑って、血にまみれた姿で両手を広げる。
それはどことなく楽しげで、狂気じみた美しさすら感じる程だった。
ミセスすら、息を呑む程に、この狂気の世界の始まりの片一方は、とうに身を委ねていたのだ。
死を越えた、何かに向かって、始まりが手を伸ばす。
それを、ミセスは刈り取った。
「ご明察、じゃね。大嫌いだったわよ……解答」
雪の全身が分断され、バラバラになる瞬間に一つの釜が顕現し、彼女の身体がその中におさまっていく。
釜の中から、ミセスは灰を取り出し、それをサラリと口の中に入れる。
それと同時に、小屋がふわりと崩壊した。
穏やかなスローライフの世界。
飽き性の中原雪が創り出した世界は、たった今、灰になったのだ。
ミセスの中に、第二位の魔力がみなぎると同時に、灰になって一つになった世界の法則が、合わさっていく。
「言うならば、全界とでも呼ぶのかしら、ね。でもま、この方が楽ねぇ」
ミセスは身体中に纏わりついた灰を払う。
「歩くのは、怠いのよね。さ、たっくんと一緒に、意地悪問題を作りに行きましょっかぁ」
この世界の序列が変わる。
魔の第二位、ミセスは、ニヤリと笑って、灰でしかなくなった世界から、灰しかなかった世界へと、空間転移魔法で飛んだ。
それは、中原雪が創っていた半界が、全壊し、完全に中原啄人の半界に飲み込まれたという事を意味していた。
志賀縁は希望を持っている。
ミセスとして、中原雪の代わりの世界を手に入れる為に、今は役割をこなしている。
それが歪んでいたとしても、それでも彼は、彼女は、希望を持っている。




