第六十話『ファンタジーの呪いに抗え』
会話は、終わりを迎える事が無かった。
最初の二人が、そうしてミセスが残した『ファンタジーの具現化』という毒に、もう既にフィリとアルゴスは完全に侵されていた。
今までただの人間や、有象無象を相手にしていたフィリやアルゴスにとって、刺激的だっただろう。
それに、おそらくは負ける事の無い戦いだったのだ。二人無いし俺や朝日がドラゴンを討伐する所までが、彼女の目論見だったのだろう。
ある種の洗脳。事実、もう既にフィリとアルゴスはこの場にいなかった。
簡単な状況説明をしたが、アルゴスは完全に聞き流し、フィリも話半分のように何となく相槌を打っていた。
「でもよ、ファンタジーだかなんだか知らねえが、そりゃあそっちの都合なわけだ。俺は結局の所戦えたら何だって良い。だからよ、先に行くぜ、兄ちゃん」
そう言ってアルゴスは、俺達の話をロクに聞かずに、俺達に背を向け、歩き去っていく。
「ワシも……先に行くぞ。久々に心躍った。それに……」
フィリも後ろを向いて、アルゴスの背中を見つめながら、小さく呟く。
「どうにも、お主らが臆しておるように……見えてな」
それは、本心だろうか。それとも彼女が見えてしまった俺達の幻影なのだろうか。
そうして、俺達は二人の神の子達を失った。
フィリとアルゴスならば、そうそう簡単に灰にされるという事は無いだろう。だが、利用されるという事は有り得る話。これがミセスの目論見ならば、本当に厄介な事をしてくれた。
柔らかな内部分裂、方向性の違いと言えば分かりやすいかもしれない。
とにかく、フィリとアルゴスはもう、自分がこの世界の主人公になってしまったように思える。
「行っちゃったかー……ま、フィーなら大丈夫だろうけどさ。なーんか、気に入らないね」
フィリの背中を眺めながら、響が呟く。
「悪い……俺がもっと早く……」
「魔法であれば、解けます。少なくとも、術者を灰にしたならば」
言いかけた仕掛け屋を遮って、春がうんと残酷な言葉を投げかける。
「ちょいちょい! 春ちゃん! そいつはあんまりにも……」
思わず響ですら突っ込む程、空気を読まない発言だった。要は傷心の仕掛け屋に、肉親を殺すべきだと進言しているのだ。
「いや……そもそも、黙ってたら俺達がやられてもおかしくない。現に俺と朝日は飲み込まれかけた。その後どうなるかは分からないにせよ。アレは何か……不気味な感覚だった。皆もフィリとアルゴスの様子を見て、違和感あったよな?」
「そーね、ファンタジーがどうのこうのは分からないにしても。まるで魔法使いが経験値を求めるみたいな感じ。ってこたぁ、この世界のお上は完全な魔法使い贔屓なわけだなー」
あっけらかんという響だが、彼女にも聞かなければいけない事がある。
だがそれはとりあえず、二人になった時でいいだろうと話を進めた。
「結局、ミセスの魔法は何だったんだ?」
生成した芝生に身を落として逃げ去り、萌ゆるなんて呟いていた。ドラゴンもおそらくは彼女自身が作った物で、色格が赤いとドラゴンになるという話も嘘なのだろう。
「刻景と良く似てんだ、姉貴のは。アイツの出した芝生は刻景の範囲のような物だと思っていい。その中にいる物を、状態を創り出す。草木が萌えるってぇだろ? 芝生の上にある物、いる者はあいつの支配下に置かれるんだろうよ。実感として、俺は意図せず葛籠抜の兄ちゃんに銃を向けていた。それにドラゴンも、姉貴が創り出した幻想のようなものなんだろうな」
仕掛け屋は悔しそうに顔をしかめながら、一つずつ持っている情報を吐き出していく。その度に、彼の表情が苦しげになっていくのが、痛ましかった。
「ん、そこまではきっと正しいんだと思う。でもフィリちゃんとアルゴス……さんがおかしくなっちゃったり、私や芥が近づこうとすると高揚感を覚えるっていうのはなんでなんだろう」
朝日が明烏を鞘に仕舞いながら、首を傾げる。仕掛け屋が実感としてミセスの魔法の言いなりになっていたように、俺達も実感として、そうしてフィリとアルゴスは実際に、あのドラゴンに近づく事で何かしらの精神の異常をきたしているような感覚があった。
「逆に言えばさ、なんで私は近づいても戻ってこられて、あの二人は戻ってこられたんだろう?」
「それはきっとあいたっ!」
何か言いかけた響の頭をカツンと朝日のチョップが襲う。
「俺達と、あの二人の違い、か」
「い、いえ……きっとあの二人と私、そして皆さんの違いなんだと、思います」
春が真剣な声色で、何かに気付いたように話を始める。
「私は、胸が酷く高鳴りました。抑えきれない程に、高鳴ったんです。後ろにいるのが耐えられないくらい。勇猛だった、大きくて、強そうで、怖くて、それで、皆の力で倒せたら、きっときっと、凄く素敵なんだな……って」
春にしては物凄く饒舌で、その時に感じていたであろう興奮が伝わってくるかのようで、少し驚いたが、つまり分けてしまえば、この世界で生まれた者と、それ以外という事だ。
「アレを、ファンタジーと呼ぶのなら、きっと私やフィリさん達は耐性が一切無いんです。異世界病……話だけでは知っていますが、私達はそうではなかったにしても、ファンタジーというものに一切の嫌悪感が、無いんです……。他の皆さんは、きっとあります、よね?」
言われてみればそうだ。朝日よりも俺がまともでいられた理由を考えれば、分かりやすいかもしれない。
俺は異世界病者と強く繋がり、そうして裏切られ続けてきた、同時に裏切り続けてきた。
だからこそ、ファンタジーという物に対してある種の嫌悪のような物を抱いている。
俺があの日、飛んだ理由だって異世界病者に関する事だ。
だが、朝日はそうではないはず。俺の話を聞いて多少異世界病者やファンタジーという世界観に抵抗があったとしても、実際に異世界病者に対して思う事は間違いなく俺の方が多い。
だからこそ、俺が耐えられ、朝日が耐えられなくなる寸前まで行ったのだろう。
「もしそうなら、春やフィリ達だけじゃない。全員危ない」
そうして、そこまで異世界病者やファンタジーと付き合い続けた俺ですら、あの時は高揚感に飲み込まれかけていた。その理由は、たった一つだ。
――色格・灰の魔法使い。
俺はもう、とっくにファンタジーに飲み込まれていた。
じわじわと、俺もまた、魔法を使う度に、俺もまた抵抗が無くなっていっていたのだ。
それでも今更力を手放すわけにはいかない・
「気を強く、か……」
俺は灰を地面から掬い上げて、握りしめた。
それを見て、春が言葉を続ける。
「きっと、この世界のパワーバランスがおかしくなっているんだと、思うんです。均衡が崩れた結果、この世界は悪魔陣営の物になるのはほぼ間違いないはず。その時に残る世界は……」
「刻景なんて変なもんじゃなくて、魔法の世界ってわけねー。やってくれんじゃん。でも、やーっと私達がトリガーを引き続けていた理由が分かった気がする」
響は自前の銃のホルスターを撫でて、小さく笑う。
「つまりはまぁ、手のひらの上だったとしても、私らは現実で、抗ってたわけだ。つまりは、じゃーなんもかわんないね!」
ファンタジーに相対するのは、アナログな現代武器。
適うはずも無いのにも関わらず、銃弾を打ち込み続けたのは、世界がファンタジーに傾倒させない為の誰かの思惑だったのだろう。
「でもさぁ、じゃあなんで今さらになってこんなまどろっこしー事してんのさ。私だってそこそこ豪かったけど、知んないよ? 始まりの二人にだって興味無いし……」
――でも、お前はあの二人よりもずっと早く、死んでるはずなんだ。
その言葉をぐっと飲み込んで、俺は今後の動きを考えていく。
「フィリとアルゴスを追おう。こうなった以上は、露払いに利用させてもらうしかない」
考えるべき事はまだ沢山あった、それでも、止まっている時間は無い。
このままこの世界がファンタジーに傾向していったならば、俺達に出てくる影響もより強まっていくだろう。
「……耐えるぞ」
「頭がお花畑になった人から、軽く一発、肩をかすめたげる。私は魔法なんて知ったこっちゃないし、刻景だってもう持ってない、多分今一番ファンタジーの影響を受けないのは私だよ、トリガーでハッピーだね」
響がテンション高めに銃を取り出してクルクルと回す、銃を愛する物として作法的にどうかとも思ったが、今はそれが少し心強かった。
「……多分、こういう攻撃方法になってきたという事は、大群を送りこむという事はしてこないはず……です。私達が魔法使いを倒す事でバランスが取れると悪魔陣営は面倒になるでしょうし……」
だが、何故今になってこんな事を始めたのだろうか。
始まりは、俺が、そしてフィリがこの世界の矛盾に気付いたという些細な事だったはずだ。
それの口封じをするために、とうとう俺達の目指す始まりの二人と悪魔陣営は、世界のバランスさえ崩し、俺達を灰にするどころか、仲間に取り込もうとまでしてきている。
「腑に落ちないよね、悪い事、してないのになぁ」
「死のうとした、罰なのかもな」
朝日の言葉に、俺はそう言って、俺はフィリ達が消えていった方角に歩き始めた。
「罰かぁ……、罪になる程の事だったのかな、あの世界で」
「この世界じゃ罪にもならないのにな」
「なーんか、腑に落ちないよね。ファンタジー、かぁ。でもあれは確かに、楽しそうだったし、我を忘れかけた。明烏を握ってなかったら、私が芥みたいに魔法を使っていたら、取り込まれていたかもしれない」
朝日は、いつのまにか気まずさも無いままに、明るい話題では無いものの何となく俺と並んで話す。
「……響とは」
「うん、仲直りしたよ。響が思う事も聞いたし、私が思う事も話した。春ちゃんが思う事もね。でも芥には内緒」
「仲直り、じゃなくて仲良くなったが正解なのかもな。俺達も、朝日と響も」
朝日はこの数時間で何か物凄く達観したような気がする。何か吹っ切れているように思えた。
俺の事を呼び捨てにしたのも驚いたが、いつのまにか響のことも呼び捨てにしている。
「……そだね。やっと仲良くなれたのかもなぁ。だから、頑張って生き残んなきゃね」
朝日はニッと笑って、数歩下がって春と仕掛け屋の歩並に合わせた。
「ほら、じゃあバトンタッチ。芥も、話さなきゃね」
そう言って、朝日は響の背中をドンと押して、俺の横まで押し出した。そうして、春と仕掛け屋に何かを言うと、三人と俺達は少しだけ距離が離れる。
――これから始まるのは、一人と一人の、閑話休題。
話す必要がある気がする、だけれど本当の本当に必要かどうかなんて、分からない。
それでも、話しておきたい事が、きっとある。
それを、朝日はきっと分かっていたのだろう。もしかしたら響に何か言われたのかもしれない。
俺と響の、大事かも、大事じゃないかもしれない。そんな話の予感。
「天使として、話すべきかな。それとも私として、話すべきかな」
「まずは、天使として、だな」
そうして、俺達は歩きながら、この世界にとってはきっとあまりにも他愛のない、だけれど俺達にとってはもしかすると一番大切な話になるかもしれない。そんなあやふやで、適当で、手探りの話を、どちらともなく、始めようとしていた。




