第五十六話『奇妙と奇天烈』
灰の中から掴み出した剣が無様に叩き潰されて、まるでアンドラスの墓のように見える。
アルゴスはさっさといなくなったが、俺は仕掛け屋とミセスから話を聞かなければいけない。きっと、フィリも。だけれど、その前にしておきたい事が俺にもあった。
話し始めようとする仕掛け屋を再度止めるのは申し訳なかったが、俺はアルゴスの大曲刀によりグニャリと潰れたアンドラスの墓標にも似た剣を思い切り蹴り上げて、空中で灰握を行った。
「馬鹿は二人もいらんぞ、アルゴスのマネはやめい」
フィリが苦々しい顔で糾弾してくるが、俺だってやられたらやり返したい気持ちは充分にあった。
「これで、塵芥だ。悪いな仕掛け屋、何度も話の腰……頭を折って」
「まぁいいけど葛籠の兄ちゃんよ。決しておもしれぇ話じゃ、ねえんだよなあ……俺に」
仕掛け屋とミセスが気まずそうに目を合わせる。
「言わないって事は、言う必要が無いって事。それでも知りたいの? 芥ちゃんは」
「面倒じゃのう、ワシが聞きたいんじゃ。はよう話せ緑筋肉」
フィリの横暴かつ尊大な口調に、ミセスは額を抑えながら「自己紹介もまだだったわよね……」と呟く。だが実際の所フィリが彼女を名前で呼ぶ事は無いのだろうし、ミセスが本当の名前を教える事も無いのだろうなと思って、眺めていた。
「改めて、助かったわ。アタシの事はミセス・グリーン……いや、ミセスって呼んで頂戴ね……お嬢ちゃん」
「いいからはよう説明せいミドリ、なんでおぬしと仕掛けが知り合いなんじゃ。魔法使いじゃろう、おぬしは」
やはり名前では呼ばない。せめて緑筋肉の中から筋肉ではなく緑が残っただけマシだろうか。ミセスはフィリのテンション……というよりも横暴さについていけずに少々困り顔をしているが、そこに仕掛け屋が助け舟を出す。
「まぁ……簡単に言えば俺らは兄……じゃなくて姉と弟の関係ってヤツ、だな」
「ちなみにアタシが上、やっぱこのくらいの方が油乗ってるでしょ?」
わざとふざけて見せるミセスだったが、その事実は意外と驚くべき事でも無いように思えた。実際に考えると俺だって出会っていないだけで兄も妹も異世界病で亡くしている。そうして俺もまたこの世界にいるのだから、会う可能性はいくらだってあるだろう。
「でも、それだけじゃあんなすぐ状況にピンと来ないだろ。お互いの事、知ってたんだよな?」
「そりゃあねぇ……けれどこの世界で会うのは二度目なの。アタシと……仕掛け屋ちゃんが次会った時、つまり今、味方同士だったかどうかは一度会った時は分からなかったわよ?」
「結果オーライだけどな、姉貴。刻景の説明も、バラしとくもんだな。家族の情かと後悔しかけたが、結果オーライだ、本当にな」
仕掛け屋は少々疲れた顔で、終始ミセスのフォローに回っているように見えた。
お互いの存在を認知して置きながら、話すのは二度目。ということは彼らは一度目のこの世界での邂逅の時点で、何かしら知ってはいけない秘密を手に入れたという事になる。
「要はな。この世界に連れて来られる基準さえ滅茶苦茶なんだよ。姉貴は異世界病なんかじゃあないし、俺もまぁ……自殺願望なんざねぇ、無かったんだよ。でもこの世界には自殺志願者の海になってやがる」
「でも結果的にこの世界にいるって事は、じゃ。死んだんじゃろ? おぬしら二人とも」
フィリは尤もな疑問を口にする。この世界には死ななければ……少なくとも死のうとしなければ来られない世界の筈だ。それはおそらく間違い無い。そもそも生をどう捉えるかも疑問ではあるが、それでも現実の生について何らかの問題を抱えた人間が辿り着く場所なのは確かだろう。
「死んだわよ。相方に無理心中を迫られてね」
「あぁ死んだな。自分から卵食ってな」
最重と最軽の死因が並ぶ。いや、卵アレルギーの人間に罪は無い。実際に死ぬのだから重篤な理由でもあるが、それでも自分で食べるあたり、何があったのか聞くのもはばかられる。
「だから私は、異世界病でも無いのに、相方に連れられる形でこっちに来たわけね」
「そんで俺は、最高に幸福な人生を味わっていたのにこんな所に落とされたわけだ」
世界のルールが歪になっていく。
「異世界病でも無くて、人生に絶望もしていない、か」
魔法使いと刻景使いの区分なんて物すら、この世界は曖昧にしてしまっているというのだろうか。
「あぁ、俺はやりたい事は大体やったからな。後はまぁ、たらふく食うだけよ」
「大概馬鹿よねぇアンタも……」
ミセスが溜息を付いて、苦笑する。彼女のそういう楽観的な性格は生来の物のようで、その見た目からは想像出来ないくらいには、暖かみのような物を感じた。それも緑色の。
「姉貴も死んだ。親も元々いねぇ、良い歳もこいた。玩具弄りもあんな時勢じゃねぇ……。だからまぁ俺は最高のディナーとして腹いっぱい卵食って死んだ。言わなきゃいけねえから言うが、言いたかねえ事なのは承知しろよ? 笑ったら鉛食わすぜ」
「いいや、笑わんよ。ワシも食い物は……大事じゃからの」
フィリは何かを、誰かを思い出すかのように呟く。その顔を見て、仕掛け屋は自分で笑うなと言ったのにも関わらず、小さく笑った。
「どうして俺らが、選ばれたんだろうな」
仕掛け屋が呟くその声に、ふと一つの疑問が生じ、心臓が小さく跳ねた。
――選ばれた。
一体、俺達は誰に選ばれてこの世界に来たのだろうか。
「なぁ、二人共、どうやってこの世界に来た?」
「そりゃあ引きずり込まれたわよ」
ミセスの言葉に、俺は汗が吹き出ていく感覚を覚えていた。
「誰かに、連れて行かれなかったか?」
「いーや、目が覚めたら天使陣営の中だったな。そっからはまぁ、適当に出来る事をやって今に至るってとこだな。姉貴の話はすぐに分かったから会いに行った。緑髪のオカマなんて噂、あっという間に広まるしな」
何となく、何となく話していく仕掛け屋とミセス。
――じゃあ、なんで俺と朝日は"天使"に連れられて来た?
それも、刻景を無効化するなんていう対刻景使いの為の力を持った俺と、響が元々使っていたストップタイムには劣ったとしても最強レベルのスロータイムを使える朝日。
どうしてほぼ同じタイミングで、完全なパートナーになるような能力を持つ俺達が、この世界に引っ張り込まれた?
魔法使いの能力が、その人生から発せられるというのはおそらく本当の事だろう。だが今度は刻景がうんと胡散臭く思えてくる。けれど俺と朝日が響に連れられてこの世界に来たという事は、黙っておいた。何となく、嫌な予感がした。これ以上不和の可能性は、考えたくなかった。
「要は、この世界の人間は、自分から来ているわけじゃないんだろうな」
「まぁ、そういう事じゃろう。この世界そのものに誘われてるってとこかの……」
フィリが難しい顔で仕掛け屋とミセスの顔を見比べる。
「アタシは普通に真っ暗闇の中で悪魔の手を取ったわよ? 相方よりも先に、ね。だってあの人ったら私にしがみついてるんだもの。まぁその結果、まぁアタシが特殊色格になるんだけど……」
「その、魔法の適正を見るとやらか……ワシらのも見れるのか?」
「まぁねぇ……それと芝生を生やすくらいしか出来ないしね、アタシ。魔法使いとしちゃあ下の下よ? それでも生きていられたのはやっぱりこれがあるからでしょうね……」
ミセスは相変わらず溜息混じりのように見えて、息を大きく吸って一気に言葉をまくしたてた。
「神の子と天使悪魔は基本適正無し! もん……っとと、仕掛けちゃんも駄目ね、撃ちまくんなさい! 刀を持ってた女の子もさっと見たけれど、あの子も魔法は駄目でしょうね。ほーんと、芥ちゃん連れて来たあの子は良い眼してるわ。合流後のメンツで戦う為の魔法がまともに使えるのは春ちゃんと芥ちゃんだけ!」
俺の時は仰々しい手段で色格を見られたが、簡易的に見る方法もおそらくはあるのだろう。毎回あんな儀式めいた事をしていたはたまらない。
「簡単に見えるなら俺にもそうしてほしかったんだけどな……」
「いーえ? ほんとはねぇ、最初から見えてたのよ。だからアレは芥ちゃんから魔法というものを引き出す為の行為。苦しかったでしょ? 改めて悪かったわね」
今言うくらいならあの時に、とも思ったが。魔法を使う実感としてああして貰わなければ納得は出来なかったかもしれないと考えると、ミセスも伊達に特殊色格持ちでは無いという事なのだろう。
「少しのブラフは乙女の鉄則よ? アタシくらいになると尚更、ね」
そう言って笑うミセスに、今度は仕掛け屋が溜息を付く。
「まーた姉貴のそういうのが見れちまうなんて、思っちゃいなかったよ。本当、最高としか言いようがない。出来れば二度と見たくなかった」
仕掛け屋の嫌味には、少しだけ嬉しそうな雰囲気も感じられた。
響は自分をこの世界に落としたヤツを殺したと言っていた。
俺も、もし家族と出会ってしまったならば、どうするのかは分からない。
けれど、こういう家族の再開には、少しだけ心が洗われるような気がした。
「芥ちゃん、正直私達はこの世界の事、始めから疑ってかかってる。だからね、状況がおかしくなった今、本当の事を知りたいの」
「まぁ、どうでもよくないのは確かじゃな。何が起こっとるのかくらいの事も知らんのは癪じゃ」
ミセスの言葉にフィリが賛同し、俺もそれに頷く。
――この世界の歪が、繋がっていく。
話す度に、バラバラだという事に気づいては、少しだけ繋がって、話さなきゃいけないことが、話さなきゃいけない相手が、生まれていく。
「あぁ、知らなきゃいけない」
――俺は、天使と、話をしなければいけない。
アルゴスの置いた使い魔の方を見ると、仕掛け屋が銃弾を装填し終わった銃をホルスターに入れ、アンドラスの剣があった場所の灰を蹴り飛ばす。
「ってなわけで、行こうぜ。卵の話は、本当に内緒にしろよ?」
「あぁ、気を遣って誰も言ってないだけだぞ?」
後ろで珍しい声を出した仕掛け屋に一人笑いながら、俺は少しだけ皆より前へと駆けた。
響が俺と朝日を意図的に連れてきたとするならば、その理由は、一体なんだろうか。そんな事が頭からずっと離れなかった。だからこそ、そんな顔を見られたく無かったのだが、フィリが珍しく少し心配そうな顔をしたまま、俺に並んで「大丈夫か?」と聞いてくる。
流石に、新たな疑問について考えすぎていたのか、俺も顔に出ていたのだろう。もしかすると俺はひどく難しい顔をしていたのかもしれない。
「あぁ、大丈夫さ。きっとな」
俺はそう言ってから、改めて後ろを振り返ってから、並んで走っている奇妙な姉と奇天烈な弟を想って、少しだけ無理に笑ってみせた。




