第五十五話『ガンパウダー・ブレインシェイク』
アンドラスは、絶命に至らず。
その生命を以てしても、憎しみを残すように、憎まれようと何ら知らぬ存ぜぬを貫くような下卑た嘲笑の声が聞こえていた。
だが、ヤツが狙ったフィリもまた、一切の手傷を負う事は無かった。
「ぱぁふぇくとじゃな、仕掛け」
フィリはパッとその場から刻景の外へと転がり抜けて、腰元の銃を引き抜いた。
「それとついでに、お主らはもう少しワシを敬うべきじゃが……まぁ、及第点って所じゃな」
その声は少し嬉しそうで、アルゴスが鼻で笑う。
「点数なんて知るかよ、身体が、たまたま動いた」
「俺は貰っておく、及第点だった自覚も、あるしな」
フィリを守ろうとした三人の内、俺とアルゴスは真逆の事を言う。
悠長に思えるかもしれないが、もう既に、フィリは仕掛け屋のバレットタイムの範囲から抜け出しており、俺についてもすぐにその場から身を引いた。
「苛立ってんのは同じだろうからな、仕方ねえ、くれてやるよ」
アルゴスはそう言うと、つまらなそうに目の前で止まったままの魔弾を叩き落とす。
「くくっ、悪いのぅ。それじゃあの、悪魔」
その銃声は、ハッキリと木霊して、確実にアンドラスの胸を、腹部を、執拗なまでに撃ち抜いていた。だが、絶命には至らないように、甚振るかのように、怒りをぶつけるかのように、急所を外していく。
「篝火を消した数だけ、痛むが良い。そうして、地獄に落ちるんじゃな」
その銃弾は、追跡しない。
真っ直ぐに飛び、その度にアンドラスの身体はうめき声と共に、灰と化していく。
「おいおい、サディストってぇのは、どいつもこいつも……。しかし、痛え、痛えなあ!!」
叫ぶアンドラスを、フィリはまだ殺さない。アルゴスもまた、それを黙ってみていた。
俺もまた、許せないのは同じ。だけれど、この窮地を救ってくれた男に関しては、違う反応を見せた。
「お嬢、はしたない事はおやめなすってくんな」
いつの間にか、バレットタイムは消え、追跡魔法もかき消えていた。
ゆっくりと近づいてきた仕掛け屋が、アンドラスの口を強引に開き、自身の銃をくわえさせる。
「食わせる弾は、一発でいい。勿体ないですぜ」
彼は、本来ならば一番怒りを顕にしても良いはずの男だ。
詳しい事は分からなくても、ミセスと何らかの関係性があるのは間違い無い。それも、浅からぬ事くらいは状況で察する事が出来る。
それでも、仕掛け屋はフィリの銃を撃つ右手をそっと抑える。
「おいお……」
「俺は料理は苦手でね。だからといってコックでも、鉛で上手いモンは作れんだろうがな」
そう言って、仕掛け屋は銃の引き金を引く。
灰が、その場でドサっとこぼれ落ちた。
「硝煙の匂いだけが、美味い。煙草やそこらよりもずっと。まぁ、灰に耳はついてませんがね。良かったですかい? 葛籠抜の兄ちゃんに、アルゴスの旦那」
仕掛け屋は、ヘラリと笑ってこちらを見る。
その眼は俺達ではなく、遠くを見ているようだった。
「あぁ、俺は一太刀入れたからな。助かったよ、仕掛け屋」
俺は言いながら、仕掛け屋が見ている方を振り返すと、ミセスが手を振っているのが見えた。どうやら傷もそこそこ治ってきているようで、遠目からも消耗具合は少なそうに見える。嬉しそうに手を振っているのが見えた。
「俺も構わん。クソの山を削っただけだからな。まぁいくらでも楽しめるだろうよ。しかし、旦那ってのは悪くねぇな。"仕掛け"」
アルゴスはヘヘっと笑い、仕掛け屋と肩を組む。
それをフィリが複雑そうな顔で見ていた。
「守られると、思っていなかったか?」
「思っておったぞ、お主は気が利くようになってきた。結局は仕掛けの手柄じゃがな」
フィリは当たり前のように言うが、俺が聞きたいのは別の事だった。
「じゃ、ないだろ」
少しだけ詰め寄ると、珍しく彼女が狼狽する。俺が言わんとしている事を誤魔化せるとでも思ったのだろうか。
「あぁ……、なんでじゃろうな」
「馬鹿、なんじゃないか」
そう言うと、フィリはくかっと笑って、俺の肩をバシっと叩いた。
その衝撃で、フィリがかぶっている、春から貰った帽子が揺れる。思えば灰駆けで飛んだ時も抑えていたのを覚えていた。
少しずつ彼女の性格が見えてきた気がする。案外、そういう事はしっかりしている性格なのだろう。
「あぁ、馬鹿じゃな。なら、仕方がないのぅ」
そう言って、フィリは溜息混じりに小さく笑った。
アルゴスは、攻めを主体とするのだと、先入観を抱いていた。
目的の為ならば、手段は厭わないのだと。
だが、実際には、馬鹿とは言ってもそこまで馬鹿ではないのだ、合理的だと言うべきか。
要は、自分の思った通りの事が成されるのならば、それを成すのは自分でなくとも良いのだろう。場合によるかもしれないが、少なくとも今回に至っては、そうだった。
自ら追跡魔法の霧に入り込み、囮を買って出て、そうして狙われたフィリの前に立ち塞がった。
仕掛け屋が間に合っていなかったならば、致命傷を負っていたのかもしれない。
「あやつも、前はああいう事をするヤツじゃなかったんじゃがな……」
「変わったんだろ。何があったかは分からないけどさ」
それを人は、成長と呼ぶのだろうか。
それともこの世界では、仰々しく『覚醒』などとでも呼ぶのだろうか。
強き者が、仲間の為に仁王立ちする覚悟は、そう呼んでも良いのかもしれないと、そう思った。
「アルゴス、仕掛け屋、助かった。このメンバーじゃなきゃ、駄目だった。仕掛け屋、フィリの事、悪かった。守り損ねた、かもしれない」
「気にするこっちゃあないんだ。葛籠抜の兄ちゃん、俺はあの灰の壁を見て、刻景を出した。だからそれだけで、構わん」
あの距離からの、正確な状況は分からなかったという事なのだろう。
であれば、フィリを視認した時点で、彼女の目の前に灰壁がそそり立ったという事は、そういう事だ。
「それでも、助かったんだ。ハッキリ言って、止められるか自信が無かった。使えば使う程、灰魔法が弱まっていく感覚が身体を襲ってくる」
「つまりは、魔力切れね……。芥ちゃんはまだ日が浅いのに、バンバン使うもんだから。おバカさんなのよ……みんなね」
ミセスが、近づいて床にへたり込む。
「私は体力切れ、でも休ませてくれても、良いでしょ? アルゴスちゃん、向こうは見てくれてるわよね?」
「あぁ、響達は今んとこは建物に引きこもってら、少し休む間くらいはある」
どうやらミセスはアルゴスとも面識があるらしい、悪魔陣営にいたならば納得も出来るが、その点で言えばこの二人の関係性。というよりもこの場にいる五人の関係性は悪く無いのだろう。フィリがアルゴスを見直した時点で、神の子の関係は良好とまではいかないものの、少し和らいだ気がする。
――尤も、仕掛け屋のミセスの話は気になるが。
それよりもまずは、次の戦いの為に『魔力』について聞いておかなければいけない。
「それでミセス、俺の灰魔法の不調は魔力切れって言ったか? 教えてくれりゃ良かったもんだけど……」
「有り得るなら、の話よ。だって私だって、多分春ちゃんだって、起こした事が無い現象だから」
そう言って、ミセスはあたり一面を緑色の芝生に変えて、身体を大の字に寝転ばせる。
「こんな魔法に、大した魔力はいらないの。どれだけ使おうがね。それはきっと春ちゃんも一緒、彼女は……出自のせいで魔力量自体が多いかもしれないけれど、切らした事は無いでしょうね」
その出自については、誰も聞かなかったが、フィリだけは少しだけ何とも言えない顔をしていた。
「灰魔法自体が、魔力を食うわけだな」
「そういう事になるんでしょうね……何せ使う人をほぼ知らないもの。それを連発してたんじゃ、可能性としては有り得るかも知れないわよ」
明確なデメリット、これが使えなくなった俺は、赤刀のみを振るう何も出来ない刻景使いに元通りだ。
「どうすりゃ、鍛えられるんだろうな」
「兄ちゃんは、灰の情報読めねえのか?」
アルゴスが、急に変な事を聞いてくる。
「俺のダチのザガンってヤツは、灰から何かしらを復活させる灰魔法を使っててよ。そいつは灰から情報を読み取ってたんだよ。要は兄ちゃんの使いのも同じ属性の魔法なんだろ、なら兄ちゃんには出来ねえのかなってよ。一々自分で作ってんだろ? あれ、ならそりゃ疲れんだろ」
そんな芸当が出来るのだろうかと思いながら、俺はアンドラスの灰に手を触れる。
「情報……か。でもザガンってヤツのは灰魔法って言っても能力だろ?」
そう言いながら俺はとりあえず灰を触りながら、情報という概念を強く意識する。バチンと灰と俺の手の間に静電気のようなものが走る。
「芥ちゃん、詠唱! 灰から物を取り出すイメージで!」
ミセスが焦るように、俺へと詠唱を促す。俺は痺れる手のひらを、灰へと近づけ、ヤツが使っていた剣を想像する。
ぶつけ合ったその力を、その形状を、その情報を、形作っていく。
零からではなく、知っている一を想像するという行為。
「遍く灰は知っている。その生命の闘争の記憶を、その生命と共に有った力の残滓を。我が形作るは生命に非ず、灰は戦いの残滓を形作るのみ。ならば顕現せよ。一を知る我の手に、その残滓を与えよ」
――手に、金属の感触があった。
灰の中に、確かにある剣の持ち手、それは灰を武器にするよりも余程疲れが少ない。何故ならば、灰の中にある情報を、俺が引き抜いただけだからだ。
「皮肉な、もんだな」
灰から引き抜いた俺の手には、アンドラスが使っていた剣が握られていた。
しかも、灰で出来ているわけではなく、本物と何ら変わりの無い形をした物体だった。
「なんだ兄ちゃん、出来るじゃねえか。灰人を作るのはザガンの特権でも、物体はイケるもんだな」
言われた通りに、出来てしまった事に、ミセスが眼を覆って、仕掛け屋が楽しげに笑う。
そうして、フィリが、小さく溜息を溢す。
「あぁ……こいつは、馬鹿なんじゃか馬鹿じゃないんじゃか……」
その言葉を聞きながら、俺はその剣を、もう一度灰へと思い切り突き刺した。
「少しずつ、分かってきたよ。ミセス、魔力の回復ってのは、体感でしか分からないよな?」
「そうね……、疲れが引いてきたなら、回復しているんだと思うわよ? 傷もほら、治っちゃうしね」
見れば、ミセスの傷はほぼ治り切っていた。少しだけナリを潜めていた口調も、少しずつ彼女らしい物へと戻っていく。
「それにしても、良かったわねぇ芥ちゃん! 何とかなったじゃないの!」
「あぁ、何とかなった。だから話を聞かせてもらおうか」
その言葉に、ミセスと仕掛け屋の顔が一瞬固まる。
聞かなきゃいけないことは、まだまだある。
「まぁ、しゃーないわな。じゃあ、何から話……」
「んだらぁ!!」
真面目にこちらを見た仕掛け屋が話し始めようとしたのを遮って、アルゴスが大声をあげる。
何事かと思ってそちらを見ると、俺が灰から情報を引き抜き顕現させ、地面に刺したアンドラスの剣を思い切り上から叩き潰していた。
「じゃ、興味ねぇから俺は先行ってるぜ、定期的に使い魔を置いてってやらぁ、終わったら追っかけて来い」
「やっぱり、馬鹿じゃの……」
フィリの声に、一同が苦笑しながら、アルゴスが遊びに行くかのように駆けていく。ご丁寧に、分かりやすく使い魔をポンポンと出していくのが見えた。
そうして、改めてミセスと仕掛け屋はお互い眼で合図した後に、この世界に隠されたままの、複数あるうちの答えの一つを俺達に話しはじめた。




