第五十四話『共に、俱に』
知らなかった事、分からなかった事、戦うという事のセオリー。
実戦に次ぐ実戦は何度あっただろうか。毎回が必死だった気がする。
だけれど今は、怒りこそあれど、頭は冷静だった。
勿論、全てがセオリー通りに動くのが正解だったわけではなかったが、それでも全てが命懸けだった。だからこそ俺にも『戦う』という事がやっと分かってきた。もしかしたら「今更か」なんてフィリは笑うかもしれない。
――けれど、今だから良い。
フィリは見るからに小柄だ、格闘センスも銃を扱うセンスも申し分無い。けれど、軽い。
その銀髪を靡かせながら、不敵な顔をしていたとしても、軽いのだ。
そうして上空からの落下の勢いを加味したとして、攻撃方法の蹴りを選んでいるならば、当たったとしても多少その身体の軸をズラされる程度だとアンドラスは思っているはずだ。
そうしてそれは蹴りを放ったフィリ自身にも言える事。だから、それを利用する。
「フィリ……押すぞ!」
「考えるようになったのぅ! だからこそ面白いんじゃ……!」
俺の灰刀での一撃がキーだと、たった今まで敵も、そうしてフィリという味方ですら思い込んでいたのだ。
だが、俺の一言でフィリは理解してくれたようだ。だからこそ、敵に気取られぬまま、俺達は二人だからこそ、仲間だからこそのコンビネーションを使う事が出来る。
やっと、俺は俺達の戦いを知る事が出来た。
「灰……推……!」
俺が先にアンドラスに一撃を入れる事は、俺とフィリの体重差から考えて当然だ。
灰駆けによって飛んだ距離も、落下のスピードは明らかに俺の方が早い。
だからこそヤツも俺の一撃を受け止め、フィリの『軽い蹴り』はその身を以て受けて構わないと判断したのだろう。
――だが、俺の灰はそれを許さない。
灰駆けに使われた灰がフィリの背中まで滑るように動き、思い切り彼女の背中に圧力をかける。
それによって、彼女の蹴りは一時的に推進力を増し、アンドラスを驚かせる程度の威力にはなるはずだ。
まず、落下の衝撃が乗った俺の一撃がアンドラスの剣を振動させる。
――ここまでは思い通り。後は、通じ合ったならば。
俺の灰刀は勿論アンドラスの剣によって、力強く受け止められる。だがそれは勿論承知の事だ。フィリの渾身の蹴りに刀身を合わせられては彼女が危ない。だが逆に彼女の蹴りに刀身を合わせてはアンドラスが俺の灰刀によってその身体を分断されるのだから、ヤツは俺の一撃に自身の防御の軸を合わせるしかない。
フィリ自身もまた、類まれなるセンスを持った『元・神の子』だ。俺の言葉によって理解した上なのだろう。空中で多少軸をズラシているのを見た。
そうしてアンドラスも俺達に気付いた時点で俺の攻撃に身構えているのを見た。
――やっと、俺もここまで辿り着いた。
俺はやっと、フィリと並び立てる。
沢山の戦場で俺も知らぬ、彼女も知らぬ事となる沢山の事を失い、そうして俺の為に神の子という立場を失い、仲間の為に左手を失った彼女と、やっと並び立てるのだ。
そう思いながら、俺は灰刀に込める力を軽く抜いていく。
アンドラスの力に押されながらも、互いの刃は少しずつ横へと軸がズレていく。
『私達は力と成るべくぶつかり合わせない!』
キーパーの叫びが頭で鳴り響いている。
本来あれは朝日に向けた言葉だったが、俺に対しても当てはまる。力の差があるならば、俺もまた受け流す必要があるのだ。
そうして、完全にアンドラスの剣が俺の身体を傷つけない位置に来た瞬間に、俺は灰刀を灰槍へと持ち替えて、思い切り後ろに振り上げた。
――此処、だよな、フィリ。
鍔迫り合いの状態から完全にバランスを崩したアンドラスに向かって、俺の『灰推』を受けたフィリの渾身の蹴りが炸裂する。
「おいおいお……ッッ!!」
アンドラスも想定していなかったのだろう。舐めた事を言おうとしていたであろう余裕が、一瞬にして消え失せる。だが、フィリの渾身の蹴りはバランスを崩したヤツの腹部を確実に捉えていた。
――此処だよ。クソ悪魔
俺は振りかぶった灰槍を思い切りアンドラスへと投擲する。
狙うべき場所は胸……もしくは頭。だが頭を狙うには外す可能性もあってやや怖い。だからこそ、俺はその胸を狙って灰槍を穿つ。
「グッ……」
ヤツの漏れる声は、俺達の一歩前進を意味する。というよりも、致命傷になっていても良い位置の筈だ。すかさず俺は灰刀を創り出し、剣を構える事も忘れているヤツへと前進する。
「おい、今までの威勢はどうした? クソ悪魔」
挑発もそのままに、俺は思い切りヤツの脳天へと朝日から受け取った赤刀を抜いて振り下ろす。
それが命中するとは流石に思ってはいない。だが、力の関係性はもう既に変わっている事が、その受け止められた感触で理解出来た。明らかに、彼女が扱っていた赤刀『タマ』は俺の使う灰刀よりも重量感がある。俺のイメージを越えた重さがこの刀には存在している。
『逆にアクタん君は力で勝てるなら絶対に押し込む』
キーパーの言葉は、痛い程覚えている。
だからこそ、彼女の言葉と、教えを以てして、彼女を灰にした相手を、俺は灰にする。
「甘く見るなよ……人間を!!」
その重量感と、全力の力を以て、ヤツの剣を押し込んで行く。
「舐めんじゃねえぞ、人間如きが……よ!」
空を斬る音、そうしてそれを弾き落とす音が背後で聞こえた。
魔弾の操作、おそらく見える範囲であれば追跡せずとも自由自在に扱えるのだろう。
――それでも、俺の後ろにはフィリが、アルゴスがいる。
「舐めちゃいねえよ。でも、お前はやっちゃあいけない事をした」
傷付いたアンドラスの力は最初に刃を合わせた時よりもだいぶ弱まっており、このまま押し返す事も出来そうな勢いだった。背中はフィリが見ていてくれる。だがアルゴスは自ら追跡魔法の中に入った事から考えて、決着は早ければ早い程良い。それに、ヤツを灰にしたならば朝日にかかっている追跡魔法も消えるのだ。
ならば、此処で逃げの一手など打たれては敵わない。
「でもよ、でもよでもよぉ! 俺様は頭が良いんだっつーの! だからこんな広い場所で、鍔迫り合いなんてしてられるかよ! 馬鹿が!」
そう来ると思っていた。一歩引く事も、分かっていた。そうして俺がそこに一歩進めば同じく鍔迫り合い。もしくはもう一歩後ろに引かれるだけ。
――だけれど俺は、それを防ぐ力を持っている。
「灰壁を、お前はまだ見ていなかったよな」
アンドラスが俺の創りあげた灰壁に背をぶつける。
両横も、その天井もまた、既に創り上げた灰壁で、覆われていた。
「馬鹿はお前だよ」
後は貫くだけで良い。困惑しているアンドラスの表情を見ながら、俺の口角が上がっていくのを感じた。それはきっと、怒りの発散に寄るものだと信じたい。
殺しを良しとする程、落ちぶれてはいないと思いたい。
それでも、この世界じゃそれを受け入れていかなければいけないことくらい、もう俺にも理解出来ている。
「じゃあな、此処も地獄だけどよ、悪魔は悪魔として、地獄に戻れよ」
改めて、強く胸を貫いた。灰槍が当たったのが右胸だったから、左胸を狙う。
悪魔の心臓もまた左胸なのかは分からなかったが、どちらかには、あるだろうなんてことを考えながら、俺は赤刀『タマ』でヤツの胸を思い切り貫いた。
「おい、おいおいおい……マジ……かよ」
「あぁ、あぁあぁ、マジだよ」
ヤツは、コックを殺した。彼が戦わざるを得ない状況を無理やり作らせた本人だ。コック自身はそれに従って俺と春と戦う事を選びながらも、最後は己の意思を貫いて、灰になった。
ヤツは、キーパーを殺した。彼女が戦わざるを彫らない状況を無理やり作らせても、彼女の心はそれを上回らわせ、朝日と俺の目に確かな炎、篝火を灯してくれた。
ヤツは、ミセスを傷物にした。彼女が俺達の為に動くのを知って、彼女がいる場所にわざわざ現れ、嫌がらせのように彼女を甚振った。
ヤツは、朝日を、殺そうとした。俺が彼女を見たばかりに、嫌がらせと言わんばかりに、それを愉悦と言わんばかりに、彼女を標的にした。
――そんな事を、許せる訳がない。
そんなヤツに、施す情など、一つも無い。
灰壁が自分の意図とは関せずに崩れ去って行く。俺が灰魔法を使う度に疲弊を覚え、その効力が弱まっていく理由を春に聞けぬままに、実感としてその力が弱まっていくのを感じていた。
魔法使いに魔力という概念があるのだとしたら、明らかに使いすぎているのだろうと思う。
アンドラスの姿が、少しずつ灰になっていく。だが、それでもヤツはその表情から悪意を崩さなかった。
「おうおうおう、じゃあ冥土の土産に、お前の絶望、見せてもらおうじゃねえの」
そう言って、ヤツは下半身がもう既に灰になりかけているにも関わらず、俺の刀が刺さっているにも関わらず、心底楽しそうに笑った。
焦って俺は刀でヤツの上半身を切り裂いてから、後ろへと振り返る。
消えかけた魔弾を器用に躱しているアルゴスと、状況を見守っているフィリ。
状況はおそらく終了したと二人とも判断したのだろう。何故ならば俺とアンドラスの会話はほんの数秒前まで灰壁に阻まれて二人には届いていない。
だからこそ、その魔弾がフィリに向いたという事に、こちらを見ているフィリは気づかない。
「あぁぁあぁ! サイッコーの気分だ! そんなら地獄で精々、楽しませてもらうぜぇ?」
彼の指が動いた瞬間、魔弾がフィリの背中を襲った。
アルゴスがそれに気付いて真っ先にフィリの元へと走ったのが、意外だった。
フィリも違和感に気付いただろうが、、躱すにはおそらくもう遅い。
消えかけている魔弾も、アンドラスが灰になるまでは顕現している。
「灰壁……!」
俺は立ち眩みを覚えながら、灰魔法を使う、フィリの目の前に灰壁がそそり立つが、その強度に保障は無い。
「ったくよ!! だから悪魔はクソばっかなんだよ!」
フィリの前にアルゴスが立ちふさがる。それをフィリが驚いた顔で見ていた。
誰かしらの犠牲が出るかも知れない。
そう思った瞬間、魔弾が、止まった。
――間に合って、くれたのか。
魔弾もまた、弾、ならばマジックバレットとでも呼ぶべきか。ならばこそ、だからこそ、それを止める事の出来る人間を――仲間を俺は知っている。
時計から減っていく時間が、これほどまでに嬉しいと思ったことはない。
それは紛れもなく、俺の知っている『矜持と粋で動く男』の、刻景の力だった。




