第四十八話『大門で縛られろ』
朝日と拠点内部に戻ると、もう既にフィリと春も目覚めており、準備万端という風だった。
「朝日の嬢ちゃんはポチをよこしな……無理させてたみてぇだ、悪い」
仕掛け屋が珍しく真剣な顔で頭を下げている、だがその顔は酒で赤らんでいた。流石にあの状況を見ていたならば、飲まずにはいられなかったのだろう。
「いいんです。これを振っていられた私は、ほんの前の私よりも少しだけ強い私ですから」
キーパーが灰になりショックだろうに、朝日は笑顔を作って青刀ポチを仕掛け屋に手渡す。
彼はそれを重そうな素振りを見せずに受け取って、腰に括り付けた。実は彼自身剛腕の持ち主だったのかもしれない。
「ほれで、ひふ所によると追ふぇきが来るわへじゃな?」
スッキリとした顔のフィリが、おにぎりをほうばりながら出口に向かう。
実に気楽な物だ。大量に来るとまでは伝えられていないのか。それともそれを撃退出来るという自身があるかもわからない。
「フィリさん……、はしたないですよ……」
いつもは朝日が注意する所を、春が注意し、フィリは不満足げに咀嚼しているおにぎりを飲み込む。
「急ぐんだからしょうがなかろうに、ゆっくりプリンを味わう時間も無い朝なんざ。最悪じゃな」
「あれだけ汗かいたのにシャワーも浴びられないのもね!」
朝日が少しだけ冗談っぽく笑って自分の持ち物を取りに行き、タオルで身体を拭いた後に何かしらのスプレーを身体にかけながら、それをリュックにしまってこちらへ駆けてきた。どうやら服の類は殆ど置いていくようだ。それを見ていたのがバレたのか。
「オシャレもしていられないしね」と朝日は笑う。
全員で警戒しながら外に出る。
仕掛け屋の提案で仕掛けやそのままにしておいた。一応はブラフとして残しておきたいという事なのだろう。
急いだからなのもあるかもしれないが、未だにキーパーが予測していた敵の大勢はまだ見えていない。キーパーを撃ち殺した銃弾よりは、人間や悪魔の足の方が遅いのは当然といえば当然だ。だが一刻を争うということには変わりないだろう。
「しっかし、どう行くもんじゃろうな。春はどう思う?」
「えっと……、悪魔陣営に行くとして、人通りが多くて道も広いのは此処をT字の頭と考えて、直進ですかね……。右だと私と芥さんが行った方向になるので、陣営からは少しズレて遠回りにはなりますが、人は少ないかと。左は……戻っちゃいますね」
意見を求めるというのも信用の証、それを体現するかのように春は嬉しそうにそれに答える。
「なんでちょっと嬉しそうなんじゃ……つまり撃退の直進、警戒の右、撤退の左……じゃな」
春が話した道の情報通りに敵が来るのであれば、フィリの言う通りで間違いない。全員で移動するのは当然として、これは少し悩む。何故ならば、絶対に意見が異なるという事が分かっていたからだ。
「わ、私は、一旦左へ戻って見るべきかと……」
「私は右から様子見がいいかなー」
「ワシは直進じゃな、有象無象に怯えてられるか」
思った通りに、女性陣は三者三様に意見が割れる。
「はは、どうするよ」
俺は仕掛け屋に意見を求めるが、彼は溜息を吐いて、口を開いた。
「そうさな、一つ言えるなら直進は無いわなぁ……」
その言葉に、道に敷き詰められているような大勢の進軍が見えていた。
「俺は何処だって最善を選ぶ、だから無効票だ。急げ、行き先は兄ちゃんが決めな。多数決とするにゃ、丁度良いだろ」
その大群はまだ遥か遠くだ。だが俺達がそれを視認出来た以上、向こうも視認している事は間違い無い。つまりはもう既に何処に行こうと追われる立場になってしまった事を意味する。
俺は朝日と春が頷くのを見てから、フィリに視線を向ける。そうして、フィリが渋々頷いた瞬間、右方向、つまりは俺と春が昨日歩いた右を向いて、一旦間を開けてから走り出した。つまりは朝日に一票、多数決により朝日の『右からの様子見』に決定ということだ。俺の後に続く足音で、納得してくれた事を理解しホっとする。
「俺と春なら道にも慣れてる。逃げの一手は、結果として戦うのと同じ。だったらこっちしか、無いよな?」
「まぁ、言えとるな。ワシの中で撤退の選択肢は無かった。じゃが進むというのなら、飲み込んでやろう」
フィリもあの大群を見て考えを改めたようで、素直では無いものの、俺の意見には納得してくれたようだ。
「確かに、逃げても戦わなきゃ、ですもんね……」
俺の『結果として戦うのも同じ』という言葉によってか、撤退を考えていた春も納得している。
「道に慣れてるなら、まぁいいよねー」
朝日だけが、その意見に賛同にしたのにも関わらず少しむくれているようだったが、ともかく全員が三度目の足跡を辿っていく。
一番足が遅い春に合わせた、そこそこのスローペース。
追いつかれた時に膝を疲れていてはしょうがないからこそ、合わせるというのは大事な事だ。
「しっかし、どう動くのが正解じゃ? 春は一応道順は分かるんじゃろ?」
「とりあえずは……、このまま直進で……私達が行ったミセスさんの家に付きます……が、時間もかかるし何処かで曲がる必要が……あるかと……」
少し走った時点で体力のない春は既に息を切らしていた。
フィリと仕掛け屋は持ち前のフィジカルで余裕そうだ。朝日も少し疲れた顔をしているが、それはキーパーとの鍛錬が効いているのだろう、事実俺もそれなりに疲れは残っている。
後ろを見る度、大群との距離が近付いている事が分かった。
「向こうも覚悟を決めて来たもんだな」
「コックさんに……ついては、油断を誘わせて、セーレ……さんに、ついては、手練の方だったはず……ですから、人海戦術に……切り替えたん、でしょうね……」
話すのも大変だろうに、春が情報を補足してくれる。
「しかしまぁ……、このままじゃ結局ジリ貧じゃの。仕掛け、春を抱えろ」
「合点、失礼しますよ春の嬢ちゃん」
仕掛け屋が春を持ち上げ、俺達は走るペースを上げる。
とはいえ、何処かでぶつかるのは必至、というよりも直進するとミセスの家にぶつかり、彼女を危険に晒す可能性がある。
「芥君……、スロー、使う?」
朝日の提案に俺は首を横に振る。確かに俺達の持っている生命の時間は『60秒』だ。彼女がスロータイムを使う事である程度の時間は稼げるだろう。だがそれは彼女自身が大群に近づかなければ出来ない事だ。元々なりふり構わないタイプではあるが、流石に危険すぎる。
「助かるけど、良くない所だぞ。朝日、お前が死んだら、耐えられるもんも耐えられなくなる。俺も含めて、全員がな」
そう言うと、朝日は少しだけ顔を赤くして、頷いた。
だが、朝日がそんな事を言い出すくらいには、状況は悪い。
そろそろ銃弾も届く距離、俺は単純であろう灰魔法『灰壁』を立てて定期的に遠距離からの攻撃を防いでいるが、それでも数の暴力には勝てない。
軽くではものの、もう一時間近く走っている。全員の疲労も大きくなっているのが分かり、途中から時折数十秒休み各々が水分を補給するが、それがまた相手との距離を縮めている。
何度かの休憩の後、走り出そうとすると、体力を回復して仕掛け屋のお姫様抱っこから降りていた春が不意に大きな声を上げる。
「芥さん! あの道!」
言われるがままに横道を見ると、その地面には浅緑の芝生が続いていた。その色には、俺と春にだけ、見覚えがあった。
――ミセスの、能力か。
「ん? 地面に緑なんて……珍しいもんもあるもんじゃの。まぁ、言ってる場合じゃないがの」
ピンと来ていないフィリ達に向かって、俺はその細い横道に行くように誘導する。
「いや、言ってる場合で良い。皆! その芝生を伝っていってくれ! このままより必ず分がある!」
俺のその言葉に、春は真っ先に走り始めた。フィリは困惑を隠せないようだったが、仕掛け屋は無言でその芝生の上を駆けていくのが見える。だが、俺がその場で立ち止まっているのを見て、鞘から刀が抜ける音が聞こえた。
この場所には刀を持つ刻景使い二人が残る。
「何しとる! 急がんか!」
「いいや、この際だ。数を減らす。限界になったらバトンタッチだ。浅緑の先で、待っていてくれ」
春はそれを聞きながらも、振り返らずに走っていた。俺と春だけ分かる魔法使いの手助け。それはきっと、純粋に信じていいもののはずだ。
「行くぞ、お嬢。兄ちゃんの言う事も、春の嬢ちゃんのやってる事も、間違ってねえ」
そう言われて、フィリは何かを言おうとして口を噤んで、悔しそうな顔をしたまま緑を上を走っていった。
「ねぇ芥君、向こうには歓楽街でもあるの?」
敵の大群が到着するまで、まだいくらか時間があった。その間に俺と朝日は、少しだけ体力を回復させる。軽く水分を取り、ストレッチをしながら、目の前に死の可能性が近付いていながらも、取り止めない話をしていた。
「いーや、まぁどうだろうなぁ。しかし、此処が大門って事は変わりないのかもな」
「『明烏』かぁ。芥君は落語も好きだったんだね」
「軽くはな。朝日には教養として勝てないだろうけど」
「買いかぶってるなぁ、私だってそんなに詳しくは無いよ。でも、好きな落語は?」
大群の足音が聞こえてくる。けれど俺はこの時間が妙に大事に感じて、強く堅いイメージの『灰壁』を立てた。銃も遠距離魔法も、通さない強い灰の壁に、朝日が「わぉ……」と驚く。
「『鼠穴』かな』
「それってこの世界来る前は絶対違ったでしょ?」
いい得て妙だった。『鼠穴』は自堕落だった人間が然るべき悪待遇を与えられて、それに負けず努力した結果良い人間になり、だがまるで現実のような夢を見て絶望を抱きながら起きるという、簡単に言えば努力が夢によって粉々になる所を夢オチに救われるという話だ。
「あぁ……、かもしれないな。そっちは?」
「ん……ついさっき『明烏』が好きになったよ」
明烏は落語の中でも廓噺と呼ばれる色街――当時の花魁が集う街『吉原』をテーマにした話だ。つまりはあまり上品な噺とは言い難い。実際に明烏も女性を知らない初心な青年が無理やりに吉原に連れられ、泣きながら帰りたいと言う所に連れ合った札付きの悪が吉原の唯一の入り口である大門について「複数人で来たのに一人で大門から帰るとなると怪しまれて縛られる」という嘘を吐かれ、泣く泣く花魁と夜を共にした結果、どうにも上手く花魁を虜にしてしまい、帰りたがる連れ達に「大門で縛られろ」なんていう噺だ。
――つまり彼女は、自信がついたのだろう。
落語の解釈はいくらでも出来たとしても、泣いていた青年が札付きの悪の嘘を信じたまま「大門で縛られろ」なんていうのは、ある意味での成長でしかない。
「つまりは此処から先へは通さないってことか。大きく出たな……」
「だけれどそれも、嘘かもしれないね。だって元々大門で縛られるなんてのは嘘だったわけだしさ。だからヤバくなったら、逃げよ。それまでは、思いっきり、がんばろ」
灰壁が崩れ、俺は朝日の周りに灰石を纏わせる。
「対遠距離のデコイ、七発分だ。覚えといてくれ」
「流石魔法使い……、でも、私も負けないからね!」
それと同時に朝日の刻景が前へと広がって行く。そこに合わせて、俺は小さく「灰屋」
と呟き、動作が遅れて倒れ込んだ敵を纏めて灰で包み混む。
「一旦刻景解いていいぞ……灰撃」
俺が手を握りしめると、圧縮されたドーム状が一気に狭まり、その灰に押しつぶされた十数人の姿が灰と化していた。
圧をかけるには充分な数、実際に後ろに歩いていた敵達には軽い怯えも見えた。
「じゃあ、やろうぜ。相棒。俺に負けないんだろ?」
少し朝日を煽るように、俺は笑う。
「はは……、お手柔らかに、ね?」
朝日も流石に少しだけ引いていたようだったが、それでも構わない。
この、芝生の手前は、俺達の大門だ。嘘でも良い。だが嘘を認めるまでは、誰も彼も通さない、ふん縛り、叩き斬る、吉原では男性しか入れなかった聖域だったのかもしれないが、今は俺達しか通れない聖域として、立ちふさがる二人の刀使いの、矜持の見せ所なのだと、そう思った。




