第四十五話『昨日の足跡の先』
俺達の拠点の周りに、戦闘の気配は無かった。
ただ、入り口には片手に青い刀を両手で持った朝日が立っているのが見える。周りに灰は無く、ただ彼女はじっと、その地面を見つめていた。おそらくは鍛錬の最中か何かなのだろう。
「朝日、帰ったぞ」
声をかけると彼女はハッとして、こちらを向く。そして多少ぎこちなくその刀を鞘に仕舞うと、ブンブンとこちらに手を振っていた。それどころか飛び込んでくる勢いでこちらに駆け寄ってくる。遠目からも、汗が空を散っていくのが目に見えた。彼女もまた、強くなろうとしているのだろう。
「おかえり! 芥くん春ちゃん!」
朝日は心底嬉しそうな顔をしながら、自分の手を服でゴシゴシとしてから春を軽く抱きしめる。
「心配したんだからねー!」
春はやや困った顔をしながらも、それでも嬉しそうに笑っているのが見える。
意外とスキンシップが多めなのが朝日だ。手の汗を拭いても身体は鍛錬で湿っていそうな物だが、我慢出来なかったのだろう。
「ってそうだ! 汗だくだよね! ごめんねごめんね」
「いえ……! 嬉しいです。ただいま朝日さん……!」
歳は離れど女子二人、フィリと春が歳の近い姉妹のようなら、朝日と春もまた少し歳の離れた姉妹に見える。随分と性格が違う三姉妹だなと、少し笑った。
「何も無かったか?」
俺は春から離れて自分の服をスンスンと嗅いでいる朝日に問いかけると、彼女は少し剥れて見せる。
「その前に言う事は無いのかなー?」
「あ、あぁ。ただいま、朝日」
春との対応の差に少ししょげそうになるが、確かにあの場を任せて二人で出かけたのだ。
ただいまくらいは最初に言うべきだったかもしれないと反省する。
「じゃなくって! 春ちゃんはこんなおめかししてるし、さぞ素敵なデートだったんでしょー? 楽しかった?」
「まぁ……、どうだろうな」
あえてコックやセーレの事は話さなかった。春もおそらくは無理をして笑顔を作ったままでいるのが見える。
「そこはさー、楽しかったっていうのが男ってもんだよ芥君、ねぇ春ちゃん」
「あはは……、楽しかったですよ?」
逆に言わせてしまった。そうして、逆にそれを聞いて朝日は笑いながらもこちらを睨んでいる。こうなってしまうと中々土産も渡しにくい。
「それで……力は? どうなったの?」
一応は一泊二日の旅ではあったが、少なくとも俺は武器を手に入れた。そうして朝日もまた赤と青の重さの違う刀を手に入れ、鍛錬を欠かしていなかった事がその汗の量からハッキリと分かる。
しかも、さっきまで振っていたであろう青い刀は確か重かったはずだ。赤く軽い刀を振らずに、あえて重い青を振るという事が、何よりの証拠。
「見たほうが早い」
俺はそこらの灰を吸い寄せ、灰刀を作り出した。イメージはさっき見た朝日の刀。使った事は無いにしろ、剣のイメージが容易であったのならばとイメージを固めると、上手く似たような刀へと灰は変化してくれた。
「とはいえ、刻景を長く使われちゃ手も足も……まぁ手ぐらいは出るくらいになったかもしれない」
朝日は少し怪訝そうな目をしてから、今まで使っていたであろう青い刀ではなく、赤い刀を抜いた。「じゃあさ、軽くやってみようよ。お互いに刻景は無しで、振り物だって素人同士、だよね?」
『軽くやってみよう』
少しだけ、楽しそうにしている朝日だが、その軽い赤の刀を手に取った時点で、少しだけ意図が読めてしまった。
――きっと、それでも彼女の中で、俺は彼女に守られる側だったんだろうな。
そんな事を思うのは、やっぱり当たり前だとも思った。バディでなければ意味の無い俺の刻景に意味が見いだせないからこそ、俺はこの力を手に入れに出たのだ。
だがやはり、簡単にはその意識は覆せない事も分かっていた。
きっと彼女のその行為は優しさから出た、無意識的な行為なのかもしれない。だけれど、次は俺が守る番にならなきゃ、いけない。
――もうこの重いを、軽くは、出来ない。
彼女を正すかのように、灰刀のイメージを強めて行く俺は、大人気ないかもしれない。
手にずっしりと重みを感じるが、振れない程ではない程度。刀を扱うのは勿論始めてではあるが、刃が当たれば確実に彼女を傷つけてしまう。
それが例え朝日からの提案であっても、傷つけてしまうのは違う。
「芥さん……」
「大丈夫、軽く、だからな」
あえて灰刀をイメージしたのには、理由がある。
――逆刃ならば、間違っても斬り落とす事は無い。
いつか見た時代劇のように、チャキっという音こそ鳴らないが、俺は灰刀を逆刃に持ち替える。
これならば、直接朝日に当たったとしても打撲で済む。それも良いとは思えなかったが、この世界に於ける打撲は、軽症に過ぎない。
俺は頭だけを狙わないようにして、赤い刀身に、灰の刀身を向けた。
「刻景は、無しなんだよな?」
「そうだ、よっ!」
俺がそういうやいなや、もう既に朝日との模擬戦は始まっていた。
とは言っても、俺が即座に灰刀で防がなければ軽い切り傷程度は出来る程度の踏み込み。元々重火器よりも短刀等の扱いに長けていた朝日だからこその、センスのようなものなのかもしれない。
ソレに加えての不意打ち。闘争という物を、短期間で彼女は理解していっている気がした。
――だとしても、やはり軽い。
俺は灰刀で赤刀『タマ』を右下へと払った。
彼女の赤刀の刃と、灰刀の逆刃が重なり合う。そうして、そのまま灰刀のイメージに重量を付け加え、手を離した。
「悪い」
その重みに、彼女は自身の赤刀を持っていられずに地面へと落とす。
即座に青刀『ポチ』を抜こうとした彼女の鞘に手を振って、灰で固定させた。
「俺の色格は『灰』だってさ。理由は……」
「沢山、見てきたからだね」
朝日は、諦めたように青刀の柄から手を離す。悲しい表情に、少しだけ胸が痛んだ。
「今度は、俺が皆を守れたら良い。その為の、力だ」
「ん、私も、負けない」
俺の力を推し量るという意味で、彼女は俺を試してくれたのだと分かった。
朝日が少し困った顔をしたまま、拠点のビルの上の方へと鞘を揺すった。
――成る程、見られていたわけか。
ビルの窓越しに、フィリが難しい顔でこちらを覗くのと、仕掛け屋が笑いながら手を叩いているのが見えた。
どうやら、結局は誰かしらの入れ知恵だったようだ。
朝日があえて赤い刀を使ったのも、俺に本気を出させる為だったのかもしれない。
俺個人としては彼女の優しさだと思いたいが、フィリくらいならそのくらい考えそうな物だ。
後ろで春が大きく息を吐く音が聞こえた。
「春も、心配かけたな」
「だ、大丈夫、です。気付いていましたので……」
春であれ、ラハルであれ、実際の所彼女の本質はやはり変わらないのだなと思った。
俺と朝日との簡単な打ち合いについて、どの時点で真相にたどり着いていたかは分からないが、その洞察力は類稀なる物だ。
「あーあ、私も結構頑張ったんだけど、なっ!」
朝日はうなだれた素振りのまま、青刀を抜き、その重い刃が俺の首元に迫る。流石に油断していた。敵であればあり得ない事だが、この状態でもう一太刀が来るとは想定していない。
俺の手に灰はもう無く、地面から吸い寄せるにも時間がかかる。避けたとしても、この距離ならば致命傷は避けられないだろう。彼女もそこまではしないにしても、これは敵との戦闘であれば負けに繋がる油断だ。
――だが、その一太刀は地から伸び上がった一本の木に阻まれる。
春は、その動作もまた、見ていたのだろう。
「油断、しちゃ駄目ですよ。芥さん」
そう言った彼女の目付きは、少しだけ鋭くなっていた。
彼女には分かっていたのだ。だからこそ、少しだけその言葉には悲しみのような物が入り混じっていた。
朝日は俺を甘く見ていた。だが、それと同時に俺も、この灰の力を手にした事で彼女を甘く見ていたのだ。
それを気付かせてくれるかのように、春はそっとその木を燃やす。ラハルが使っていた灰をも残さないように思える豪炎ではなく、そっと灰が散るような炎。朝日の青刀を防いだその木が燃えていくのだ、俺と朝日の第二ラウンドの合図だった。
「へへ……、ヤけちゃうね」
朝日は笑いながら数歩引き、さっきの軽い赤刀を使っていた時の構えとは別の構えを取る。
「……見くびってたんだな、私。ごめんね、芥君」
「いいよ。そりゃ、そうだ。だからこそ……もう一度」
燃え尽きる木の灰で、俺は灰刀をもう一度創り出す。
――イメージはより重く、硬く、そして鋭さを、消す。
俺は剣士でもなければ、刻景使いとしても半端だ。
だから、打ち合いになれば、男女の力の差こそあれど、慣れの差で負けるだろう。
それでも、俺達はただ打ち合う。もう既に俺も、逆刃では無い。ただし、その刃の鋭さを消したそれは、ただの金属質を真似た刀のような物でしかない。
それでも、俺達が力をぶつけ合うには充分だった。
刻景使いが、灰の上で、ただ刀を合わせ、汗を振りまく。
何かを想いながら、雑念を抱きながら、淀んだ刀が、共にぶつかり合う。
「……重いね」
「あぁ、想いさ」
重量として、灰が勝つのは当然だ。それだけの物を、灰は内包している。
だがそれをこの両手で持ち切れるかどうかは、別の話。
「さっきの、ズルかったな」
「だってそりゃ、ちょっとはさ。私の頑張りだって見てほしいし」
お互いの刀をしっかりとぶつけ合いながら、俺と朝日はほんの少しの想いを交換していく。
「じゃあ、俺もズルいの。いいか?」
――消耗戦は、俺に分がない。
数時間、十数時間の差でも、集中して向き合った技術は、歴然とした差を生む。
だが、朝日が二刀の刀と向き合った時間と同じだけ、俺も灰に向き合ったはずだ。
「刀を以て刀を受け止めず。灰刀は真似る、変わる、受け止めるべき、その姿へ」
詠唱と共に、手の灰刀の元の姿、つまり春が生み出した木を想像する。
――詠唱はイメージの増大であるならば、元々作った灰の姿を変える事だって、出来る。
「……変灰」
俺の手に持っていた灰刀が、春が使った魔法の木よりもより太い丸太のような形状へと変化する。振りかぶっていた朝日の青刀がその丸太へと食い込み、その勢いで俺の横をトトトとずれていく。
彼女の青刀には出来た丸太状の灰が突き刺さったままだ。俺はその丸太灰へと重みのイメージを重ねていく。彼女の青刀の剣先が地面に付く。
それでやっと、勝敗が付いた。
そう思うのは、まだ早い。
「……もう一本、あるもんなっ!」
朝日の目が灰に塗れた赤刀を追っている事には気付いていた。
俺はあえて春の目を見てから、その赤刀へと走り寄り、持ち手を踏み、朝日の方へと灰槍を創り出す。勿論撃つつもりなど少しも無いが、これによって勝敗は決しただろう。
「なぁ……これで、いいんだろ?」
俺は息を切らしながら、誰とも言わずに、明らかな勝利を宣言した。春の顔を見ると、小さく頷いている。朝日は何も言わなかったが、上で見ている見物人も満足しているようだった。
俺は朝日の青刀の丸太灰を解き、踏みつけてしまった赤刀を拾い上げ、灰を吸い寄せて落とした。
「悪いな、踏んで」
朝日もまた息を切らしながら、それを受け取った。流石にもう何かやってくる事は無さそうだ。そもそも朝日は俺達が来るまでおそらく鍛錬をしていたのだ。ならば明らかに体力的なコンディションは違ったはず。とはいえ俺達もセーレと戦った後ではあったが。
「んーん! むしろ、此処まで本気でやってくれて、嬉しい……嬉しいな」
朝日はやっと俺に笑顔を見せてくれた。何を思った笑顔なのかは、俺にはハッキリとは分からない。それでもこれでやっと、俺が刻景に頼らずとも戦える事が証明出来たはずだ。
灰魔法を使う度に心は痛んだ。それでも、それでも必要だったのだと思っている。
灰魔法をイメージする度に流れ込んでくる魔法のイメージが、異世界病者達の夢の果てである事もまた、理解している。
それでも俺は、朝日を、フィリを、仕掛け屋を、春を、そして響を守る為なら、いくらだってその痛みを背負おう。
カチリと刀が鞘へとおさまる音が二回聞こえる。
「じゃあ行こ。芥君も春ちゃんも、お腹空いたよね?」
そう言って、朝日は俺が使っていた灰を避けて拠点のビルへと戻っていく。
それを見ていた春は、こちらを見てそっと笑ってから、俺の隣へと並んだ。
何も出来ない刻景使いと何も言えない魔法使いが残した足跡は、まだ新しい。
その足跡を、灰色の魔法使いと覚悟を胸に秘めた茶褐色の魔法使いが、塗り替える事を小さく喜びながら、俺は春と共に仲間達の所へと戻った。




