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異世界病者の灰を踏む  作者: けものさん
第三章『メン・イン・マジック』
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第四十四話『変わった二人、同じスピード』

 セーレの灰を踏み、コックの灰を踏まずに歩く。

それらの場所が意図的だったのかは分からないが、その二つの灰は近しい場所で風に吹かれていた。

「混ざるのは少し癪だな」

「灰になった時点で、きっと全てが一緒なんです」

 春の言葉から、迷いが消えているように見えた。

「芥さんは、それでも私を春と呼んでくれましたね」

 セーレが春を差して言った『ラハル』という言葉についての事なのだろう。

 中原春。ナカハラハル、ラハル。それは言葉遊びのようで、深い意味を持つような、何処かの国の言葉だという事は分かる。


「私の両親……始まりの二人にとって、此処はあの人達が主人公の世界なんですよ。だから自分達の名前だって、いくらでも変えられる。憧れた西洋風でも、ファンタジー風でも良い。だから、中原なんて名字の人間は、本当は存在していない」

 言わんとしている事は、分からないでも無い。

たとえば、強くファンタジーに憧れている『太郎』という名前の冒険者が『ロングソード』を持つのは、人によっては違和感があるかもしれない。これは名前がどうというよりも、和名と洋名の違いのようにも思える。


 では名前を自由に変えてもいいとして、死を望む程、現世の自分を捨てる程の魔法使い達は、果たして自分自身の名前をも捨ててしまうのだろうか。

「だから、あの時は春って呼んでも……」

 俺は、春の事を色格で呼ぶまで、彼女が呼ばれていた事に気付いていなかった時の事を思い出す。

「実際に、色で呼ばれる事も多かったんです。ですが中原春と名乗ったのは、芥さん達が始めてでした。そもそもが、個を認識する程優しい場所ではありませんでしたが……ただ、私の場合は悔しいけれど別格でした。始まりの二人の子供、唯一この世界で生まれた子供には、その両親が好きに決めた『ラハル』という名前が付き纏う。この世界で生まれたから付ける事が出来たような、呪いを込められた名前」

 その声色から、余程、春が『ラハル』という名前を忌み嫌っている事が分かる。

セーレに見せた怒気も凄まじかったが、まるで苛立ちと共に呟かれる独り言かのように、けれどハッキリとした口調で話し続ける。

「ラハル、意味なんてきっと、分かりませんよね……?」

「あぁ、聞いたことは無いな。言わせるのも、悪いが」

 彼女は首を振って、精一杯だろう……きっとこれが精一杯なのだろうと思う程の悲しい笑顔を作ってみせた。

「火山泥流、そんな意味を持つ言葉です。本来の私は、この世界を丸ごと飲み込み灰へと変える、炎を象徴とした存在として生まれたんですよ。ラハルとしての私の力、覚えていますか?」

 確かに、元々春から聞いていた茶褐色の色格の能力は『雷』や『地』に関する物だったはずだ。

だが、コックを灰にした時の火柱の威力は、普段使っているそれらを軽く凌駕するような凄まじさだった事を覚えている。

「騙すのが、上手いな」

「騙されるのが、上手いんですよ。きっと考え過ぎなんです、芥さんは」

 あの時はただ、詠唱のような物を唱えている事もあって、彼女の実力の内なのだと思っていた。

だが、実際の所、彼女が扱う最大の力は『火属性』という事なのだろう。

「じゃあ、その色格は……」

「私の色格が茶褐色であるのは間違いないですよ。色自体は間違いなく茶褐色です。それに『中原春という弱気な魔法使い』もまた、正しく紫格と同じくらいの力しかない、怯えた魔法使い」


――魔法は、イメージから始まる。


「暗示、か」

「戦う内に思い出してしまったんでしょうね。ただ、元々の私がああいう風なんだと思います。だからこそ、あんな風でありたいと、思います。弱々しくても、怯えながらでも、立ち向かうような、春でいたい。最初から全てを持ち合わせた、灰を創り出すラハルなんかでは、いたくなかった」

 だからこそ彼女は自分自身をイメージしたのだろう。話を聞く限りでは、おそらく彼女にとって容易な事のはずだ。戦闘時に感じた違和感、それはその瞬間戦いに臨んでいる魔法使いは春であり、ラハルだったのだろう。

「自分を騙すのも、上手いんだな」

「ええ。私、本当はズルい子なんです」

 春は、今まで見たことの無いような、自嘲しつつも明朗な笑みをこちらに見せる。


 今の彼女は、一体どちらの彼女なのだろうと思った。

だが、少なくとも春と見てきた俺には、今の彼女が無理をしているように見える。


「私の事を、悪魔陣営は取り戻そうとしている。セーレはそう言っていました。『中原春』ではなく、あの人達は『ラハル』を探しているんでしょうね。何かしら、私を奪って使う手段があるんでしょう。だからこそ、やっぱり私は『ラハル』でいちゃいけない。私は『中原春』でいなきゃいけないんだと思うんです」

 そう言いながら、春は自分自身の手を頭にあてた。

「だから、ラハルはおしまい。今度こそ私は『春』になります」


 誰かを守る為の力を、ラハルは持っているのだろう。だが、誰かを傷つけてしまう可能性を彼女は危惧しているのだ。それは、本当の名前も生まれも関係ない。彼女が彼女であるという証明以外の何物でも無かった。

「二人共、きっといい子だ。でも、それはきっと春にとって、必要な事なんだよな?」

「……はい、私は今この時を以て、ラハルであるという自覚と、今の会話を忘れます。始まりの二人の子として中原春として生まれ、茶褐色の魔法使いであるというイメージに、身を委ねます。向こうにどんな手段があろうと……私を、使わせてなんかやるものか」

 彼女の手が、少しずつ赤く、光っていく。それは熱のようで、光のようで、熱く温かい光だった。

「でも……、もし私の本当の力が欲しい時には『彼女の名前』を呼んでください。その時だけ私は、今した話を含めて、本当の私を思い出すように魔法をかけます。悪魔陣営の情報については、記憶していますから安心してください」


 彼女の言う『本当の私』という言葉が、どうしても悲しかった。


「こんな事を言う俺は冷たいのかもしれないけれど、本当の所はどっちの名前だって良いんだ。君が『ラハル』と名乗っていたならそう呼んだし『春』と名乗ったからそう呼んできた。どっちの君も、俺から見れば君でしかない。それでも、君が春を選ぶなら、春で居続けるのがきっと正解だ。だけれど、その時は頼むよ、ラハル。二人とも、本当の君だ」

 彼女の目が一瞬パッと見開くと同時に、少しだけ身体の肩の力が抜けているように見えた。

「こんな時に、何を言うんですか……。芥さんは、温かいですよ。……だからごめんなさい、甘えますね」

「あぁ、喜んで。甘えるのは、子供の特権だしな」

 あえて、少し意地悪く笑った。すると春もまた、へへっと年相応の笑みを浮かべる。見た目は子供でも、彼女のやっている事は決して子供らしくない。大人と子供の二つの面が垣間見えた。

「じゃあ、芥さん。私の名前を、貰って下さい」

 もし、俺がもっと歳を取って、子供がいたなら、こんな子が良かったなんて事を、ぼんやり思った。

有り得なかった未来の事。有り得たかもしれない未来の事。それらを捨てた俺の事。それらを想う事すら出来ずに生まれた彼女の事。

「私の名前、はじめて、ちゃんと、呼ばれた気がする、なぁ……」

 彼女の中からラハルというイメージが、消えていくのだろう。少しずつ彼女の言葉がぼうっとしたものに変わっていく。

「もう一度、眠る私の名前、呼んでもらっても、いい、ですか?」

 親から貰った名前を忘れるという行為が、どのくらいの決意に基づいているのかは分からない。

それでも、彼女にとっての、一つの大きな選択だった事は間違いないだろう。

「あぁ、おやすみ、ラハル」

 俺のその言葉を聞き、朗らかな表情をして、彼女は灰の上へと膝を付く。


『奉仕の気持に、ならなけあならない』

 中原中也の詩を思い出す。


 今の季節は、この瞬間に於ける今の季節は、『春』の『日』なのだと、決めつけた。

『狂』った世界で生まれた、一人の少女を『想』う。


 彼女は、自身の強大すぎる力を、奉仕以外に使わせない為に、ある意味で自分を殺したのだ。


 ぽふん、と春の身体が灰の上に倒れ込む。

それと同時に彼女は焦ったようにその場から立ち上がった。

「っぷぇ! っぷぇ! あれ?! 私どうしたんです?!」

「いや……、こっちが聞きたい。立ち眩みか?」

 口に入ったであろう灰を吐き出しながら、困惑している彼女は、もう既にラハルの事を忘れているのだろう。貰った名前だ。大事に、持っていなくちゃいけない。

「み……みたいです? 始めてだったのであまりピンと来ませんが……」

「色々あったし、疲れも溜まったんだろ。少し休むか?」

 彼女は林檎ジュースで口をゆすぎ、俺から見えない場所までトトトと走って、俺に聞こえないようにそれを吐き出しているようだった。上品のような、そうでもないような。だが『彼女』らしい。きっとどちらの『彼女』であれ、同じような事をするのだろうなと思った。

「た、ただいま戻りました……」

「おかえり、春」

 その言葉に、春は少しだけ首をかしげる。

「た、ただいま……?」

「あぁ、おかえり」

 頭にクエスチョンマークを浮かべ続けている彼女の頭を軽く撫でて、俺は思わず笑っていた。

「こ、こどもあつかいは……」

「いーや、子供だよ」

 急な事に焦りつつも、良く分からない状況に困惑しつつ、だが彼女は嬉しそうに笑っていた。

時刻は夕方に近づきつつあっただろうか。暑いというよりも、暖かい日差しが降り注いでいた。

春の頭から手を離すと、彼女は少し寂しそうに俺の手を見た。やっぱりまだ子供だろうと俺はまた笑う。

「大人になるってのも、楽じゃないさ。でも辛い事ばかりでも無い」

 彼女はさっきの話を一つも覚えていない。けれど彼女が取った選択は、子供じゃ絶対に出来ないような、勇気ある大人の選択だ。『大人』である彼女と『子供』である彼女、『二人の彼女』の事を教えてもらえた自分を、嬉しく思う。彼女は、彼女自身で救われようとしていて、彼女自身で救おうとしている。それは、俺がずっと探し求めていた光景の一つだった。


 俺達は、ミセスの家に行く時につけてきた足跡をゆっくりと辿る。

行きと帰りで、明らかに何かが変わった俺達の事を、静かに想いながら。

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