第四十三話『魔法使い(へ)の変わり方』
手に集まる灰のイメージは、未だ俺の力について理解が追いついていないであろう悪魔を切り裂く為の一振りの剣。
剣を実際に見た事自体は無かったが、子供の頃から『ファンタジー』としてのイメージは強く脳に刻まれていた。
「……灰剣」
そっと呟き、イメージを膨らませる。その剣は振るうのには重すぎず、だが軽すぎもしない。それでもその刃は、きっと容易に打ち崩されるような代物では無い。
――この瞬間、敵に振るう為に作り出された灰が、そう簡単に崩れるわけが、無い。
硬化した灰に、金属製のレイピアの横軸が当たる。
そう簡単に一撃を叩き込める程、相手も柔な相手では無いらしい。
「灰……属性ですか……っ!」
「らしいぞ、新米だけどな!」
灰ごときが金属に勝てるというイメージは浮かびにくかったが、それでもあの細い剣先を吹き飛ばす程度のイメージは、容易に想像出来た。
俺の灰剣受け止めたセーレのレイピアがこちらを向くが、それを切り払うように灰剣を振るう。
「それは、単純なお前の獲物か? それとも、魔法か何かか?」
彼のレイピアの縦突きを払い除けるように振り回す灰剣は、そのレイピアの刃を折り、弾き飛ばす。
「承りし宝剣を……折りましたね。折りましたね!」
彼にとって、そのレイピアは余程重要だったものらしい。
それにしては簡単に折れた物だが、もしかすると運良く一撃目と二撃目の場所がピンポイントに一致していたのかもしれない。
「で、どうするんだよ」
俺は折れたレイピアを手に持つ、セーレと呼ばれた悪魔に向けて灰剣を向ける。
その灰の集合体に大した重みは感じず、けれど振り下ろすには一瞬で済むような鋭利な光が太陽に照らされていた。
「であれば、であれば、であれば!! こうするまでです!」
手の内を知らずに近付いた事が、何よりの油断だった。
セーレは俺の目の前から消え、気づいた時には春の後ろで、俺のマチェーテを手に取ったまま、こちらを牽制していた。
「悪魔はどいつもこいつも、器用な真似をするもんだな……」
「言うが良いでしょう。それでもラハル嬢はこちら側に回収しろと、我が主からの御達しですので」
春が一瞬何かの詠唱を呟こうとしたのが見えたが、その口をセーレは塞ぐ。
「やめておくべきですよ、ラハル嬢。貴方についても、場合によっては殺すのも辞さないとの事です。そうして、私は彼を殺す事もまた必要だと仰せつかっております」
セーレの言葉を耳にしながら、俺は地面の灰から、灰槍の形をイメージしていく。手にはまだ持っていないからセーレには気付きようも無いだろうが、それを投げつけた所で、春は後ろから掴まれているからどうしようもない。俺自身が春を貫く事になる。
だがそれでも、春は地面の灰の動きを見てから、俺の目をじっと見ていた。口を塞がれ、マチェーテを首元に当てられて尚、諦める様子はない。
「盗むのが得意らしいな」
「ええ、とはいえ返すつもりも御座いませんが」
彼は俺のマチェーテをギラつかせながら、余裕ぶった表情で笑う。
瞬間的な移動と、相手の持つ武器をかすめ取るのがセーレという悪魔の能力だと考えていいだろう。
であるならば、灰を元にした俺の武器に関しては対応が難しいであろうことは間違い無い。
「殺されちゃ、困るんだよな」
そう言って、俺は腰元から銃を取り出し、セーレの方へと向ける。
これは明らかなブラフ、マチェーテよりもこの銃一つが強いだなんて、彼自身思わないだろう。
「その銃は私には必要無いですよ? これの方が余程良く出来ている。取り替えるつもりは、ありませんね」
だからこそ、この一発の銃弾が意味を成す。
春に向かって銃の引き金を引くのと同時に、彼女の足元にある灰を浮かび上がらせ、眼の前で崩す。
セーレにとってはまるで意味の無い行動のように思えただろう。
――だが、灰は空をゆっくりと舞う。灰がすべき事を、教えてくれるかのように。
銃声が鳴り響き、灰の塊が崩れるやいなや、春は首元のマチェーテにその首を差し出すように押し付け、こちらに走り出す。セーレがマチェーテを引き、春の首を裂くように動かせど、彼女の首にはかすり傷すらつかない。
「もう、切れ味なんてあるもんかよ」
逃げる春の背中を強打しようとするセーレのマチェーテを、灰が受け止める。
「今はお前の獲物なんだろ? 自分で磨けよ」
銃弾により空中で撒かれた灰は、マチェーテの刃に張り付き、斬るという行為を完全に無効化していた。殴打もまた春を守る灰によって効果を成さない。
「灰属性、不思議な物ですね。ですがこうしてみるのはどうです?」
セーレが俺の銃を盗み、彼から背中を向けて走っている春に向けて発砲する。おそらくは楽しんでいるか、俺を試しているのだろう。
当たれば致命傷であろう銃弾を、俺は灰の壁により防いでいく。だが思えば、春だってそのくらいの事は出来るはずだ。なのに彼女はひたすらにセーレの周りを走り回っていた。
「芥さん!」
そうして俺を呼んだ彼女は、セーレの周りに雷撃を飛ばす。移動魔法とやらを使うのであれば、躱されるに決まっている。
だが、無策でこんな事をする彼女では無いはずだ。地を這う雷撃を見てみると、まるで彼女がミスをしたかのように、一点だけ隙間が開いた場所があった。その場所を除けば、ある程度の広範囲に電撃が走っていた。
「……舐めた真似を」
セーレはその移動魔法で、雷撃の隙間へと移動する。もはや春の思うがまま、掌の上で動かされていた。
――お膳立ては、してくれた。
「……こんな簡単な手にひっかかってもいいのか?」
実質的に、セーレは動けないといっても過言では無い。雷撃は強く、より強く続き、その強さはとてもではないが踏み出せるようなレベルでは無いように見えた。
「流石ラハル嬢。ですが、貴方如きには何が出来ると?」
確かに、彼は知らない。刻景の上を歩き回れる事くらいは知っているのかもしれないが、今の俺はもう、それだけではない。
俺もまた、その地を走る雷撃の中、灰剣を持って彼に近づく事は出来ない。
それでも、彼女が散々走り回ってくれたお陰で、そこら中に銃弾を防ぐ為に一纏めなり、撃ち崩された灰の塊が落ちていた。
それは、たった今セーレが立っている場所を取り囲むように。
「やれるってんだろ。やってみるさ」
――灰魔法を使う度、灰を手に取る度。
雷撃の上に、灰が浮かび上がる。
春がその雷撃を強めると、灰は光を纏って、セーレの周りを浮遊していた。
「灰屋」
これは本来、外からの攻撃を守る為についさっき試してみた灰魔法だ。
だが、この場合の用途は全く別の物となる。
「……潰れろ」
――まるで灰塗れになるかのように、その魔法の言葉が心へと流れ込む。
セーレの周りに漂う電気を帯びた灰が半球となりセーレを包む、それと同時に一斉に磁石がくっつくかのように灰が彼を押しつぶした。
「まだです! ガラスボタンを!」
――そりゃ、そんな簡単に行くわけもないよな。
春の声に応じるように、俺は左手で春がくれた風魔法が施されたガラスボタンを地面に叩きつけながら、右手で灰槍を創り出す。
灰半球に入った状態のセーレは、そこから出る事でしか生き延びられないと分かっているはずだ。
だから必ず、視界の何処かへと瞬間移動してくる。だけれどその瞬間、おそらく彼が気にするのは周囲の風景だ。
――だから決して、空は見ない。
空中からの一撃、風魔法によって空中へと大きく飛んだ俺の灰槍が、周囲を確認しているセーレの身体の胸元を貫く。
それと同時に彼が血を吐き、春の近くへと着地した俺を忌々しい視線で睨んだ。
「流石に灰は、盗めませんか……」
明らかに相性の問題なのだと思った。
武器自体が少ない俺達だったからこそ、魔法で彼を制したと言える。
俺は改めて灰槍を作り出し、彼へと投擲しようとするが、その瞬間に俺の手から灰槍は消える。
武器の類を盗むという一点に於いて、彼の魔法は完全な物であるように思えた。色などは関係なく、能力と呼ぶべきなのだろう。
「やはり、駄目ですね」
だが灰槍は確かにセーレの手に移動したが、その瞬間にただの灰へと戻っていく。
「あぁ、駄目だ。だよな?」
「……そう、ですね」
俺は彼が掴んでいたその灰を以て、彼の腕を潰す。
彼の手に纏わりついていく灰は、振り払おうとしても、もう遅い。
「……灰撃」
セーレの右手が灰魔法によって潰され、新たな灰としてその場に崩れ落ちる。
イメージが、一つずつ増えていく。
まるで、元々俺自身が魔法使いだったかのように、自然と知らない魔法の名前が口から溢れる。その度に、自分の顔から表情が消えていくような、空虚を感じた。
「逃げるんだよな、知ってるよ」
右手を潰した所で、身体を射抜いた所で、移動魔法くらいは使えるはずだ。
勝敗は決している。たとえ今此処に、新たな武器があったとしても、彼にそれを扱えるとは思えない。
「いいえ、私は此処で、息絶えましょう。それが、後の怒りを買う事を祈って」
だが、セーレは空を仰ぎながら、意外な事を口走る。
「さぁ、私を殺しなさい。ラハ……ッ」
言いかけた彼の首を、一本の鋭い枝が貫いていた。
黒でも無く茶でもなく、燃やし、燃やし、焦げたような茶色。茶褐色の一撃が、彼の生命を奪っていく。
「その名で、呼ぶなと、言っているんです」
春からは見たことの無いような、鋭い怒気が漂っていた。
これこそを魔力とでも呼ぶのだろうか。その身体は、茶褐色に包まれているようにすら見える。その目が、その目付きが、その目の色が、変わっている。
「変わり、ました、ね……」
セーレはその言葉を最後に事切れて、灰へと姿を変える。
「私は、ただの『春』ですから」
春は悔しそうな顔をしながら、悲しそうな声で、それを分かってほしいかと言わんばかりに呟く。
言葉は、灰へと伝わるだろうか。ラハルと呼ばれた少女が、灰を見る。
春と呼んでいる少女が、こちらを見る。
「大丈夫だよ、春」
それだけが、俺が絞り出した精一杯の、一言だった。
春は何も言わず、彼女の頬からは一筋の涙が溢れる。
彼女の胸に、俺の言葉は届いたのだろうか。
そうしてその涙は、灰にも届くのだろうか。
分からないまま俺達は、ただ、ただ、下を向いたままだった。




