第四十二話『死を覗く時、魔や刻もまたキミを見ている』
春の人生とその決意を聞いた後、俺達の間には沈黙だけが漂っていた。
たまに春がコク、コクリとリンゴジュースを飲む音だけが聞こえる。
かくいう俺は春の事を考えながらも、それ以上に自分自身の力についてを考え続けていた。
覚悟や経緯は、確かに重要な事だ。
そうして、春がそれを俺に教えてくれたという事も、何より嬉しい事だと思った。
だが、だとしてもその春がその覚悟を胸に何も成し遂げられずに灰になる可能性を少しでも減らすのだ、俺に出来る一番の恩返しだ。
彼女がいなければ俺はただ刻景の上を時間消費以外のデメリット無く、効果を受けずに歩けるだけの人間だった。だが、春が俺を信用して、俺を信じて魔法の可能性を見出してくれたからこそ、今俺はやっと始めて『戦う』という行為について向き合える。
「あと分からないのは、俺の刻景か」
「……と、言いますと?」
端的に言えば、魔法使いは刻景使いを灰にする為、刻景使いは魔法使いを灰にする為にその能力を得ている。コックやキーパーのような援護するタイプもいるにはいるようだが、俺の刻景についてはそのどちらにも当てはまらない。
「俺の刻景は、単体で見るなら刻景使いと戦う為の物なんだよ。朝日や……元々は響ってヤツが持っていたストップタイムの上を歩けるという意味ではバディを組むには最適な力だと思う。だけれど俺単体で刻景を使った所で、魔法使い相手には何の効果も無いだろ? 逆に刻景使いにも追われる今となってはデメリットの方が大きい」
「た、確かに……、今までは朝日さんとのコンビでしたから気付きませんでしたが、そう言われてみるとそうかもしれません……。実際にコックさんとの戦闘時は大変そうでしたし……」
イロスの最後の足掻きもそうだったが、コックと戦った事で、よりそれがハッキリと実感出来た。
朝日のスロータイムにしろ、仕掛け屋のバレットタイムにしろ、そうして失われた響の刻止め……いわゆるストップタイムにしろ、それ単体で魔法使いと戦う事が出来る能力だ。
それと比べ、俺の刻景だけが何か違う。魔法使いの特殊色格が人生に寄って生まれる物であるなら、刻景だってそういう物があるのかもしれない。
――たとえば、これはたとえばの話だ。
コックが使っていた『タイムカード』、それは人に時間を与える能力だった。彼は、誰かに時間を与えたかったのかもしれない。
朝日が使う『スロータイム』もそうだ。彼女は生命に関わる仕事をしていたのだ。ゆっくりと止まっていく心臓も沢山見てきただろう。
仕掛け屋については分からなかったが、もしもその人生の多くを知る事が出来たならば刻景と人生をも結びつける事も出来るような気がした。
なら、俺はどうなのだろうか。医者を除けば誰よりも異世界病者と向き合ったという自負はある。ただその誰もを救えなかったという自覚もある。そんな俺だからこそ、この世界から皮肉を込めて灰という色格が与えられたのだと思っている。
では俺の刻景はどうだろうか。
他の人の刻景の影響を受けずただ歩くだけの力。それは俺の無力さと異世界病者への説得の無意味さを象徴したもう一つの皮肉なのだろうか。そうであるならば、少しだけ悔しい。
「灰を操って、刻を歩く、か」
「ですが、刻景も成長って概念があるんですよね?」
そう言われて思い出した。たしかに朝日はスロータイムの距離を上手く調節出来るようになっていたし、コックについては努力でも範囲は変えられないと言っていた。
「ああ、そういえば。ただ俺の場合、どうなんだろうな」
「私が言うのもおこがましいですが……、考えてみるべきだとは、思います」
彼女の言う通りだ。刻景の上にいる時の時間をゆっくり進めるだとか、そういった可能性自体は残っているかもしれない。とはいってもそれが対魔法使いの物では無く、対刻景使いの物になってしまっている事に変わりはない。
何か、あるような気もする。
だけれど、そこまで自分自身を信用出来ない自分もいる。
だから、今はとりあえず灰の事だけを考えていた。
「しかも。ほら、行きはよいよい帰りは怖いって言うじゃないか。行きも決して良くは無かったけれど」
俺達の足跡の上に佇んでいるのは、スラリと背の高い金髪の男。容姿端麗で洒落っ気に気を遣っている事も一目で分かった。それに、おそらくは刻景使いで無い事も、その黒色の肌の色で分かり。
この場所自体は、コックを倒した場所からそう遠く無い。コイツを退けれる事が出来たなら俺達は今日中に仲間の元に帰れるだろう。
だが、その圧が完全にコックと違う、静かな敵意が、そこに佇んでいた。
「……彼まで、来ちゃうんだ」
春が悔しそうに呟く。今まで出会った悪魔はアルゴスだけだったが、実際に彼が俺達に手を下す事は無かった。だが少しずつ近付いていくと、悪魔は明らかな敵意を俺に向け、春にはやや厳し目だが、優しい声で語りかける。
「そろそろ、お痛が過ぎますかと。ラハル嬢。悪魔長も見逃せないとの事です」
「その名前は……やめてください。私は中原春であって、ダークブラウンでも、ラハルでもありません」
春が返すその声には明らかな怒気が含まれているように聞こえた。
「セーレさん、私達を見逃すわけには、行かないんですよね?」
「ええ、少なくとも彼については」
彼の獲物――競技用などでは無い、人を殺す為のレイピアが鞘から抜かれ、風を斬る。
――悪魔は、彼女の事をラハルと呼んだ。
その事は一旦後に考えようと思いながらも『ラハル』という言葉の響きを思い出す。
ミセスに会った時の彼女の妙な反応、よく考えるとミセスは春の名前を一度もきちんど呼んでいない……いや、呼んでいたはず。言ってしまえば数時間前の事だ。出会った時の印象的な言葉を覚えている。
『アーラハルちゃん!』
その見た目のインパクトと口調で、俺はてっきり『アーラ、春ちゃん』と言っているのだと思いこんでいたが、実際の所どうだったのだろう、ミセスは『あー! ラハルちゃん』と言っていたのでは無いだろうか。
それがもしも正しいのであれば、春があの瞬間に身体を硬くし俺の顔を伺ったのも理解が出来る。そうしてそう呼ばれた事に彼女が怒りや怯えを示したという事は、春自身が始まりの二人の子供であるという事以上に、言いたくない事だったのだろう。
「えっと、芥さん……」
「話は後で聞く。今は、退けるぞ」
もう、彼女の言葉を単純に待つ気は無い。伝えてくれるのだと、知っている。
だから、俺はレイピアの剣先を見ながら、マチェーテを取り出そうとした。だが、そのマチェーテがあるはずの場所に無く、それは春がセーレと呼んだ悪魔の手の中にあった。
「ふむ、良い武器をお持ちですね。ただ刻景使いらしく、小賢しい」
彼はマチェーテを空に向けて、そのトリガーを何度も引いた。
響き渡る銃声の後、カチカチと言う音を確認して、ヤツは俺のマチェーテを灰の上へと捨てる。
「彼は……簡単に言えば物取りの悪魔です。だから……」
「丁度良いって、事だよな?」
俺が笑いかけると、彼女は真剣な顔で頷く。
もう、武器が無くなったとしても無力ではない。
魔法の世界にまで身を投じたのだ。ならば俺も覚悟しなければならない。
あれだけなりたくなかった魔法使い。あれだけ絶望を招いた異世界病者の果てを、俺が真似るという滑稽な話。
――だけれど、それでも俺には力が必要なのだ。
「ぶっつけ本番はいつもの事だ。先に行くから、援護を頼む」
おそらくセーレの狙いは俺で、春に関しては殺すつもりが無いように思えた。
だが、この場で春を連れ去られるわけにはいかない。ならば進むべきは、間違いなく俺で、狙われるのも間違いなく俺だ。ならば、前に進もう。
俺は灰だらけの道の上に、右手を添えて走った。
頭に浮かべるイメージは、灰剣。斬り落とすべきは、レイピアを持ったヤツの右手だ。
彼は奪われたのにも関わらず突進してくる俺を不思議そうな目で見てから、灰が俺の手に集まっているのを見て、驚愕の表情を浮かべていた。




