第四十一話『灰を吸い、汚れた土を見る』
色々と問題があった雑貨箭を通り過ぎて、俺と春は住宅地を抜けビル街へと戻る。
見慣れた灰だらけの道。目に映る灰、それら全てが、今の俺にとっては一つの可能性に見えた。
――潰えた生命に可能性を見出すなんて、皮肉どころの話ではないはずなのに。
痛む心に、それでも割り切るべきなのだと強く言い聞かせる。
刻景使いも魔法使いも、つまりは同じ人で、異世界病という病に取り込まれたかどうかだけの違いしか無い。今まで俺は刻景使いこそが、正しいように思っていた。だけれどその実、刻景使いが現実で行った事には絶望が喰らいついている。なのにも関わらず、異世界病というだけで俺は死んでいく彼らを良くない存在だと思いこんでいたのだ。
考えてみるならば、絶望に塗れて死を選んだ刻景使いと、絶望の中に塗れても希望を信じて死を選んだ魔法使いに、どれだけの差があるだろうか。
要は手遅れだったのは、俺達だったのだ。死を選んでから、天使の言葉によって心変わりをしている。そう考えた時に残った嫌悪は、自分への物だけだった。
「結局の所、俺には他の属性が使えないって事でいいのか?」
そんな思考を振り切るように、俺達の足跡を見つめている春に話しかける。
だがいつかのように、やはり返事がない。下を向いている為に表情も見えなかった。
「ダークブラウ……」
「いえ聞いてますっ。か、考えてたんです……アッシュさん」
茶褐色の色格を持つ魔法使いは少し意地悪そうな顔で俺をアッシュと呼ぶ。確かに、変な感じだ。
「あぁ、悪い」
「い、いえ! すぐ返事しなかった私も……」
「じゃなくて、春は春であって俺もまた俺なんだよな。色で呼ぶには寂しすぎた。少し意地悪だったよ、悪い」
俺の言葉を聞いた春は少しだけ寂しそうに笑って「大丈夫です、気にしないでください」と呟いた。
「ええっと、おそらく……芥さんがこの世界に至った理由に、他の属性が適応してくれていないのかと、思います」
つまり魔法使いは正しく魔法を求めて命を絶ったのに比べて、俺はその願望は無いままに命を絶とうとした。だからこそよく言われる火属性や水属性なんて魔法が使えないのかもしれない。
「そりゃまぁ、最初は異世界病者を見すぎて、魔法って概念自体を嫌っていたくらいだ。魔法そのものに好かれるわけはないよな」
「強いイメージがあるなら、可能なのかもしれませんが。灰属性を持っているのであれば、その強みを伸ばすべきだなって……私は思います」
有り難い先輩からのアドバイスに、俺は頷く。
「あとは……より具体的なイメージを持つ為に詠唱を考えるというのも、強力な魔法を使う近道になるかもしれない、ですね」
詠唱、春がどデカい魔法を使う時に呟くあの文言の事だろう。妙に芝居がかっているような、そして何かの自己暗示のような、そんな印象を持っていたが、そんな意味があったとは知らなかった。実際に必要不可欠だとすら考えていたのだ。
「吸い寄せる灰の壁は何物も通さず、我らを包む」
俺はいつかの春が言っていた事を朧げながら思い出し、山の様に積もっている灰に向かってその手を伸ばしてみる。すると灰が浮かび上がり俺達の方へ吸い寄せられ、俺を中心に小さい半球を創った。
「……成る程な」
「でもきっと……、えい!」
春はその手で半球となり俺達を隠した灰の壁へとパンチする。するといとも簡単にその壁は崩れ去った。
「イメージの具現化は、物凄く早く掴めていると、思います」
「でもこれじゃただのハリボテだな。そう簡単にはいかないか……」
それでも、相手の視界を阻害する程度には使えそうだと思った。防御壁としては、三流どころの話では無かったが。しかし、たしかにイメージとして堅い壁を想像し、詠唱としても口に出してはいた。だけれど、結局は決して強力ではないであろう春のパンチにすら崩される程度の硬さだ。
「イメージと、想いみたいな物、なんでしょうね」
春は握った拳をパッと開く。その手から風が渦巻いていた。
「灰を頭からかぶると、困っちゃいますよね?」
そう言って彼女は手の上にある風を放ち、俺が創った灰の半球を吹き飛ばした。
「これは、簡単な例……ですね。私は元々風の適正があるので、イメージだけで使えますが、芥さんの場合はより強いイメージが必要なのかも、しれません。私に風の適正が無かったなら、二人して灰塗れになるのは嫌だなって想うはずなんです」
「その想いが、風を起こすってことか……」
春は「ですです」と言いながら頷く。つまり今俺が使った、俺達を守るという名目の灰の防御壁は、単純に試しとして使っただけの魔法で、何かから自分達を守る為の物では無いのだ。
その意識の違い、想いの違いが魔法という物に影響するのであれば、春のパンチで崩されても仕方がない。
「本物の銃で試すには、リスクがありすぎるな」
「それでも、芥さんならきっと大丈夫ですよ……想いの強さは、もうきっと皆分かってます。芥さんが皆さんの想いの強さを分かっているように」
改めてそう言われると少し照れてしまうが、つまりは実戦になるまで、例えばこの防御壁がどれだけ機能するかという事は分からないという事だ。
「ですが……灰の槍の威力は高かったですよね……」
「痛みを、思い出したんだろうな」
光の槍に射抜かれた痛みは、今もしっかりと覚えている。しかし、それ以上に俺はあの日の痛みを覚えているのだ。だからこそ、そのイメージもまた、その想いもまた、怒りのような、悲しみのような力として、発揮してしまったのかもしれない。
「俺が光の槍に射抜かれた日は、天使陣営じゃなくなった日の事だからな」
「だから……ですか……」
春はそう言ったまま、黙り込む。思えばお互いに逃げてきたという経緯しか知らずにいたのだ。話題としてはあまり良くない物を選んだしまったのかもしれない。
「私が……、中原春と告げた時に、芥さん達は気にしない素振りをしてくれましたよね」
だが、春が言い出した話は、それ以上に重たさを感じる話題だった。
「あれ、凄く嬉しかったんです。皆さん、私の事を春って呼んでくれて。言わなくたってきっと、何となく想像はついているんだと思うんですよね、私の、名前を聞けば」
――それ以上は、聞きたくない。
「でも、やっぱりいつか、言わなきゃいけないんだと思うんです。だけど、私は芥さんに聞いて欲しい」
いつの間にか、彼女のいつも何かに怯えているような口調は、戦闘中の彼女のようなしっかりとした口調に変わっていた。いつか聞く日が来るのだろうと思っていた。
それがきっと、彼女にとっての今だったのだろう。
「始まりの二人は、知っての通り、私の両親です」
つまり、俺達が目的としている、敵こそが、彼女の両親という事になる。
「でも、ちょっとまってくれ。現実の二人に確か子供なんて……」
「いたんですよ、お腹の中に」
そうであってもおかしい、始まりの二人が死に、異世界病が流行ったのは十年前だ。
ならばこの世界で生命が生まれる事があったとしても、彼女は十歳程度であって然るべき、なのに春は、小柄ではあるが明らかに十代半ば過ぎの見た目をしている。
「歳、ですよね?」
彼女は、俺の思考を読んでいるかのようにクスリと微笑む。
「この世界は駄目なんです。あの人達の、思い通り。そんなあの人達が、生まれたばかりの赤ちゃんの子育て、すると思います?」
つまり、何でもありだとでも、言うのだろうか。
「魔法はイメージ、そうして灰は生命の残滓でもあります。それを吹き込まれて、気づいた時には、害一つ無い土の上にいました」
茶褐色という言葉が頭をよぎる。特殊色格がその人の人生の象徴であるのならば、春が目覚めた時は、きっと薄汚れた土の上だったのだろう。
「灰を取り込んで、無理やりに育てられたのが私、中原春という存在なんですよ。自分で自分の面倒見れる年齢まで、誰かの灰によって強制的に成長を促されたんです。そんな事すら可能にするのが、灰魔法」
この世界では人は肉体の死という過程を辿らず灰になる。そうして灰人という存在も後押しして、その言葉の信憑性は高かった。
「だからこそ、逃げてきた……」
「だって、私っていらない子なんですもん。汚れちゃってるんですよ、そもそもの生まれが」
彼女はこの世界に於いて死を知らない唯一の存在だろう。その代わりに、無理やりに生を注ぎ込まれていたという皮肉。
『汚れつちまつた悲しみに』
いつかの朝日の言葉が頭をよぎる。
中原中也の詩を、まるで体現するような悲しみがそこにはあった。
「私は、この世界で生まれた唯一の赤子であり、だからこそあの間違った二人を、終わらせなきゃ、いけないんです」
それは、彼女の口から出た。初めての覚悟だった。逃げる事をやめる音が、聞こえた気がした。
「汚れてたら、払えばいい。少なくとも俺は一つも気にはしないさ。けれどそうだな……終わらせるのには、賛成かもな」
あえて『かも』と言った。この世界の真相にたどり着くまでは、壊すわけにはいかない。フィリが、響が、そうして春が、どうなるかという事も、そうして俺や朝日がどうなるかという事も未だ分からないままだ。
それでも、彼女の覚悟は、伝わっていた。
「行こう、仲間が待ってる」
「……はい!」
春を歪めてしまった灰魔法が、俺の中にもきっと眠っているのだろう。
それに軽い嫌悪を覚えながらも、それでも前へ、前へと足を動かし続ける。
きっと彼女の言葉は、全てにたどり着くほんの一欠片でしかないのかもしれないが、それでも中原春という少女は、いざとなれば誰の灰をも踏む程の覚悟が出来ているように思えた。




