第三十九話『異世界病者と灰色の世界』
今の状況を端的に言えば、緑のオカマの家を訪ねた俺達だったが、目的はもっと重要な所にある。
「好きな所に座ってねん♪」
まだ名も知らぬ緑のオカマに通された部屋は小屋の外見とは似つかず殺風景で、妙に椅子が多い。
春は部屋の入り口に立ったままこちらをジッと見つめていた。
――もう、始まっているのかもしれない。
好きな所に座れと言われたが、椅子の種類はそれぞれ違う。
簡易的なパイプ椅子から、ゆったりもたれかかれそうな高級そうな椅子、部屋の端にはソファもある。
「その前に、名前を知りたい」
「あらぁ? アタシに興味?」
その茶色い目は明るさを纏わずに笑っている。
「そもそも、春は別として俺達は初対面だ。椅子に座って顔を突き合わせる前に、挨拶くらいはあってもいいんじゃないか?」
それを聞いた彼……彼女はそちらからどうぞと言わんばかりにこちらに掌を見せた。
「とはいえ、俺の事は知ってるんだろうな。葛籠を抜く、塵芥の芥で葛籠抜芥。最近この世界を騒がせている二人のうちの一人。……よろしく頼む」
軽く頭を下げて彼女の顔を見ると、満足げに笑っていた。
「そうねぇ……、アタシの事はMrs.グリーンパパイヤって呼んで頂戴」
「私の時と違いませんか?!」
部屋の入り口で俺とのやり取りを見ていた春が慌てて訂正を入れるが、嘘を吐く緑のオカマは俺達をからかうようにケラケラと笑う。
「まぁ……、アタシの事はどうでもいいの! 『ミセス』とでも呼んで頂戴。そこは変わらないから!」
ミセスという事は女性として扱うべきなのだろう。そうして誰かとの婚姻関係にあったという事になるのだが、彼女には相方とでも呼べる存在がいたのだろうか。日本で同性婚が認められていないという事は、そのミセスという肩書きはこの世界に来てから得たと考えてもいいかもしれない。
「それじゃあミセス、よろしく頼む」
とはいえ考えるのも、話を聞くとしてもこれからだ。テーブルに隔てられてはいるが、俺はミセスが座った椅子から一番近い椅子へと腰掛ける。決して高級な椅子では無いが、腰が痛くなるような材質でも無さそうだった。それ以上に、春の奇妙な様子を見てから、彼女の一言一句と表情を見逃してはいけないような気がしたのだ。
「ふぅん……。芥ちゃんはそこに座るのね」
テーブル越しにミセスが笑う。やはりおそらく、この時点で俺への適正検査のような物が行われているのだろう。
「アタシの適性検査はねぇ、嫌われるのよ。面倒だしぃ? だけどまぁアタシがこの世界で一番の目利きよん? だから安心して?」
ミセスが机を、トン、トンと叩く。
「芥さん……、気をつけて……」
春の声が、ミセスの指から発する音にかき消されていく。
「青だと良いわね、きっとその方が幸せよ」
トン、トン、トン! と彼女の指が強く机を打った瞬間、俺の視界が真っ暗になる。
「だって、こんな人生嫌」
「勉強するより、ずっといいじゃんか」
「夢見るのもいけないのか?」
いつか聞いた、誰かの声が聞こえてくる。
これは、現実で俺が救えずに自殺していった異世界病者達の声だ。
「始まりの二人は待ってるって言ってたし」
「友達も行っちゃったから、私も……」
「ぼくはまほうつかいになるんだもん!」
若ければ若い程、強情で。
けれど歳を取れば、それはそれで自我が揺るがなくて。
「科学的根拠だって出ている」
嘘だ、そんなのはでっちあげなのに。けれど事実、この世界があるという皮肉。
「そもそも、この世界が嘘なんじゃないの?」
そんな事を言い始めたら、キリが無いじゃないか。
「お母さんね、疲れちゃった」
そんな事を言われても、俺には何も言えない。
「母さんを殺したのはお前だよ」
じゃあ、どうしてアンタも子供を残して死んだんだよ
「お兄ちゃんに心は無いの?!」
だったら、俺はお前の葬式で泣いちゃいないよ。
「俺は、もうどうでもよくなったよ」
俺は、どうでもよくなんかなかったよ。
母さんも、父さんも、妹も兄貴も。
皆、皆、逝ってしまった。
俺の声は届かない、ただの一言も、届かない。
ただ真っ暗な世界の中で、耳に届くのは俺が現実世界で死を覚悟するまでに聞いた異世界病者達の声で、頭の中に流れ込んで来るのはその異世界病者達が死んだ日の事だ。
「こうすれば魔法が使えるんだって、お母さんが」
そんな言葉を、嫌になる程聞いた。抱きしめようとしても、身体は動かない。
「出せ、出せよ! 殺してくれ! 俺は異世界に行くんだ!」
薬で治るのならば、良かっただろうに。
「お兄さんも一緒に死なない? 幸せになれるんだってよ?」
なれない、きっとなれないんだ。
一つずつ、答えていく。けれど一つも、届かなかった言葉達。
俺が、死ぬのを止められなかった人達。
「響なんて、死んじゃえばいい」
急に心臓が高鳴った。俺が始めて、死を知った日。
でもそれは、それだけは、違う。彼女は異世界病者なんかじゃ、ない。
「飛びなよ、ほら。今なら誰も見てないし、苦しいんでしょ? 飛びなよ!!」
風景が、頭の中に無理やり流れ込んでくる。カメラ越しに、見つめていた景色。
カメラ映像では風の音で、音声として残らなかった、声。
「飛べって言ってんだろ!」
女生徒の怒号に、響は静かに答える。
「……いいよ、その代わり」
――いつまでも、待ってるから
響はそう言い残して、天使が羽根を広げるように手を広げたまま、屋上の手すりから消えていく。
「ほんとに飛んだよ……」
お前らが、殺したんじゃないか
「ねぇ、自殺だよね? 自殺でいいんだよね?」
アイツは、死にたかったわけじゃない。
「なぁアンタ! 何撮ってんだよ!」
だから、俺の人生が狂ったとしても、間違いなんかじゃ、なかった。
見えていた風景がぼやけて消え、真っ暗闇に戻された後で、世界で一番見られたであろう動画の一部分の声が聞こえた。
「今度は、異世界で」
そんな事、許せる、はずがない。
「それじゃま、逝きますかぁ……」
いつかの、俺の声が聞こえた。
結局は、これもまた、紛れもない死だった。
「あぁ、間違いだった。結局は、俺もまた間違いだったんだよ」
やっと絞り出した声は、ミセスの机を叩く音をかき消す。
「生きる事を諦めたという結果が、この世界を創り出しているんだろ。何を知りたかったかは分からないが、俺は分かったよ、ミセス」
「そうね……、久々に面白いものが見れたわ」
ミセスは真剣な表情で、俺では無く春を見つめていた。
「とんっっでもないの、連れてきたわね」
「私の時だって、とんでもないって、言ってましたよ」
「まぁ、そうなんだけど……。はい、終わり」
適当なのか本気なのか分からないまま、俺の適性検査は終わったようだった。
ミセスは席を立って「飲み物でも持ってくるわね」と言いながら消えていく。その後ろ姿が少し震えているように見えた。
だが肝心な適正検査の結果を聞いていない。
俺が魔法を使えるのかどうか、そうして色格は通常の物なのか、特別な物なのか。
「なぁ、春もアレやったのか?」
「ええ……、やりました。芥さん程、長くはありませんでしたけど……」
彼女はカバンからハンカチを取り出し、俺に手渡してくる。
何かと思って受け取り、顔に当ててみると尋常じゃない量の汗をかいていた。
「結局、俺の適正はどうなったんだろうな」
「あれ……? 聞いていませんでしたか? さっき終わりって言う前に……」
――彼女は『はい』と言った。
「いやまさか、そんな事は無いだろ」
「なぁーに? アタシを疑うの? 芥ちゃんは紛れもない特殊色格よ? そもそも色格っていうのはその人の人生で決まるわけ。なーら納得も出来ると思わなーい?」
ミセスは春もテーブル前に呼び寄せ、俺達の前にティーカップを置き、その上にそっとペットボトルの紅茶を注いだ。優雅に見えるが滑稽にも見える。
「アラ? ハルちゃんは驚かないのね」
「えぇ……、何かしら、あるのだろうと確信はしていましたし……。それでも……」
つまり、俺は、その生涯の多くを死を見る事に費やしてきた。
だからこそ、この世界の死の象徴である色を授かったとでも、言いたいのだろうか。
「二人が何と言おうが芥ちゃんの色格は、紛れもなく『灰色』よ。間違うわけがない、間違えるわけがない。間違っていいわけがない。アタシはね、その色を待ってたんだから」
ミセスがティーカップに手を付けずにペットボトルに残った紅茶をグビグビと飲み干し、ペットボトルを握りつぶす。
「やるんでしょ? アンタ達」
「まぁ、そういう事になるんだろうな」
俺達が相手にしているのはそういう奴らなのだから、もはややり合うという事は、この世界と戦うという事に他ならないのだろう。
「そうね、ぶち壊しちゃって頂戴。その為ならアタシの持てる全てを以て協力してあげるわ、灰色ちゃん?」
ウィンク付きのその笑顔はあまり気持ちの良い物ではなかったが、少なくともやっと、俺に意味が出来たような気がした。
今までは、ただ踏むだけだった。ただ灰を踏んで進むだけだったのだ。灰を掬う事もせず、灰になる前に救う事も出来なかった。
そんな俺に与えられた色が『灰』であるならば、俺もまたその力の全てを以て、誰かに踏まれる為に、誰かが俺を踏む事で生きる事が出来るような、熱を帯びた灰になろうと、そう誓った。




