第三十八話『それしか無いなら是非も無い』
篝火にいた時ぶりのベッドだったからか、時間も忘れてグッスリと眠ってしまっていたようだった。誰かを抱きしめる夢を見ていた気がしてハッとするが、昨晩俺が抱きしめたままの枕が胸の中にあって安心する。
つまり俺のやらかしは無いだろうと枕を頭の上に戻そうとするが、どうにも枕が外れずに毛布の中を見てみると、ガッチリと俺の胸元あたりにある枕を抱きしめる細い腕が見えた。
「これは、怒られるな……」
抱きしめられていたのは俺の方、というよりも俺が抱きしめた枕を抱きしめられていた。そんな事も知らずに春は未だに幸せそうに寝息を立てている。
確かに一緒に同じ物を抱きしめているのだ、俺の身体を直接抱きしめられているわけではないから、俺が気付く確率も低いだろう。とはいえこれはこれで中々問題行為な気がしてならない。
そもそも彼女は寝相が余り良くないのか、俺から毛布の殆どを奪い去っている。
しかも俺を抱きまくらにしているという事はその右腕に俺の体重が乗っていたわけなのだが、このベッドが高そうなベッドで良かったと心から安心した。ダブルベッドがフカフカだったお陰でその腕には不可がかかっていないようで、俺はその手を一旦そーっと外してから枕を返し、未だ寝息を立てている春にバレないように布団から出た。
「セーフ、か」
「ああああああ!! アウトでした!」
そりゃずっと敵襲に怯えて睡眠もロクに取れてないって言っていたし、やっぱり気付くよなあと思いながら、狼狽える彼女をボウっと眺める。
慌てて起きたものだからワンピースはめくれ上がっているし、寝癖もひどい……それは俺も同じかもしれないが。
「アウトかぁ……、だよなぁ……」
俺はベッドの上で急に起き上がった彼女の腰元まで、さりげなく毛布をかけてあげる。
「ご、ごめんなさい本当に!!」
「いや……、こちらこそではあるんだけど……、とりあえずどうだろう。皆には秘密にしておこうか」
春はコクコクコクコクコクコクと頷く、雑貨屋だけに、会津地方名物の首を振る赤い牛の張り子になったかと思う程に彼女は頷いている。丁度顔も真っ赤だし、確かあの張り子は魔除けだったし、もしかしたら彼女は牛なのかもしれない、なんて事を考えている俺もきっと寝ぼけているのだろう。
抱きしめられただけだから、俺は多分悪くない。悪くないと春は言う、絶対に言うだろう。けれどおそらくそれを聞けば朝日もフィリもおそらく俺を悪いと言う。本気では無いだろうけれども、シンプルに怒られてしまいそうだ。仕掛け屋は何というか……、散々からかわれる気がする。だから何も無かった事にするのがお互いにとって良い気がした。
「久々のな、ベッドだったんだもんな? 大丈夫大丈夫、分かる分かる……」
「うぅぅ!!」
俺は彼女が自分の身なりを直して部屋から出てきてくれるよう願いつつ、居間に向かい朝食の準備をする。といっても居間が明るくなっているだけで昨日の様子と何ら変わりがない。
流石に床に座る必要も無いだろうと電気ランタンを仕舞い、テーブルの上にとりあえず紙皿とコップを用意する。
「あ……、ありがとうございます……」
髪の毛はまだ跳ねたままだったが、流石にはだけかけたワンピースはしっかりと着直した春が居間に入ってくる。俺はそれに軽く手を振りながら、俺が座っている椅子の前の席を勧めた。
「食卓って程でもないけれど、床よりはな。食べたら軽くシャワーでも浴びて行こう」
流石に床で電気ランタンの光を元に食べるおにぎりよりかは、朝のテーブルの前で食べるサラダの乗った皿の方が見栄えが良い。彼女も嬉しそうにサラダをほうばっている。……ドレッシング抜きで。
――ウサギ?
生野菜の美味しさを感じる派なのだろうか。だがそれに言及するのも野暮なので俺は自分のサラダにはパッケージのドレッシングをかけて食べた。
台所の蛇口から水は出ないのにどうしてかシャワーは出るというこの奇妙な感じに納得は出来ない物の、シャワーが浴びられそうなのを確認すると春を呼ぶ。返事が無いので居間まで見に行くと春はどうやら寝室に戻っているようだった。
奥から「うぉぉぉ……っ!」という春には珍しい声が聞こえて焦りながら寝室に駆け込むと、彼女はバッと何かを後ろに隠してから、漁っていた棚も閉めずに「シャ、シャワーお先に頂きます!」と走り去った。
何となく予感はしつつも、その棚を覗く。どうせ誰に見られているわけでも無いだろうと思い、彼女が漁っていた棚の中身を覗く上げる。どうやら相当焦って何かを探したらしく、棚の中は色とりどりの布で溢れかえっていた。
――布と紐、布と紐、紐……に少しだけ布? ……真っ直ぐ?!
確かに彼女の年齢から考えるとこれは『うぉぉぉ……っ!』というラインナップなのかもしれない。実際、真っ直ぐな物があるとは聞いていたが、俺も見たのは始めてだったので思わず声が出かけた。
何とも奥深い物なのだと思いながら、願わくば彼女が彼女らしい物を手に取れている事を祈って、俺はその棚をあえて開けっ放しにして何も見ていないという事にして彼女を待ちつつ、彼女がこの家の衣類を貰うつもりでいたのなら、せっかく手に入れた一張羅で眠らせずに寝巻きも借りてしまえば良かっただろうにと思っていた。
その内にさっぱりとした感じで嬉しそうにシャワーから出てくる春と入れ替わる。手にはお泊り用の歯ブラシセット。俺も朝日に持たされたそれを手にシャワーへと向かう。理由は分からずともシャワーを浴びられるのは僥倖だ。カラスの行水程度ではあるが俺も身体を清潔にする。リラックスというよりかはエチケットという意味合いが強い。
しかし、蛇口は使えないのにも関わらずシャワーは機能する理由が良く分からない。この世界の必要な物が必要に応じて順次現れるという習性は分かったが、もしかすると飲料は殆どペットボトル飲料水で補っているから台所の蛇口は機能せず、シャワーを浴びるという行為は必要と判断されているから蛇口を捻ると水が、しかも望めばお湯すらも出るのかもしれないと、少し温めのシャワーを浴びながらぼんやりと考えていた。
この前朝日に切ってもらったばかりで短くなった髪をガシャガシャとタオルケットで拭きながら居間へ戻ると、春は自分の髪の毛に当ててブワーっと風を起こしていた。
「文明の利器どころの騒ぎじゃないな……」
「あ、はは……。便利ー……ではあります」
お湯を沸かしたり髪を乾かしたりという日常生活チックな魔法を見ていると、戦闘中の彼女とのギャップが強すぎて少し笑えてくる。
食事もシャワーも終わり、一晩分の宿を借り、そこそこのお値段の品物を勝手に頂いた無人の家に俺達は頭を下げる。
「あ、そうだ。芥さん、これ」
そう言って彼女は俺に幾つかの緑色をしたガラスボタンを手渡す。
少し冷えた手触りの、チェコの名産品。あの雑貨屋ではおそらく見る限り一番多く売られていた物だ。
「試しに一つ、投げて見ますね」
名産品に何て事をと思いながらも、俺は彼女の絵にならない投擲フォームを見つつガラスボタンの行方を見守る。おそらく彼女はもっと遠くへ投げようとしたつもりなのだろうが、そのガラスボタンは俺達の近くでパリンと音を立てて割れる。
――その瞬間、割れたボタンを中心としてかなり強い風が舞い上がった。
近場にいる俺達ですら一瞬身動きが出来なくなる程度の業風、めくれあがるワンピース。
俺の前に数歩進んでいたせいで気付かない春、だから余計にめくれあがるワンピース、どころか彼女自体が浮きかけてあわあわしている。数秒でその風は止んだのもあり、浮き上がって慌てていた事もあり、後ろから見ていた俺の光景については、黙っていれば気づかれないという事で自分を納得させた。
「あわわわわ! いやあのすみませんもう少し前に投げ……」
「流石の威力だな、これを短時間で?」
現状彼女の服は整っている、だから彼女が冷静に考えて状況を振り返る前に話を戻した。
「い、いえ……、本当はもう少し手を加える事も出来たと思うので完成とは言い難いのですが、このくらいでも役に立つならと……」
「大助かりだ。使いようによっては加速にも使えるだろうし奇襲にも使える。このままでも十分ありがたい。俺がシャワー浴びてる間に?」
「ですね……、魔法具は作った事が無かったので、あくまで強い風を込めるくらいしか出来ませんでしたけど……」
『魔法具』
この世界では始めて聞いた言葉だが、要は彼女自身の魔法を何らか……この場合はガラスボタンに込めた魔法を使える道具があるということだ。本来魔法使いは自分自身の手で魔法を使っている為に、あまり必要とはしないのかもしれない。もしくは自身の手で無ければ経験値にならないのだとか、作らないという事は色々と理由があるのだろう。ただ俺達と組んでいる今ならそれは大きなアドバンテージになる。
「仕掛け屋泣かせだな……」
「いえいえいえ! そんな大袈裟な事は……」
アナログな技術の組み合わせで仕掛けを作っている仕掛け屋と、まさにファンタジーな技術で仕掛けを作っている春。やっている事は似ているが、分野が全く違う。だがもしその二つが融合したなら。
「帰ったら、一緒に何かやってみると良い。泣きはしても絶対にアイツは喜ぶから」
これもあるしな、と向日葵の種コーヒーを掲げると彼女は思い出したように笑っていた。
笑ってくれて何よりではあるが。実際に美味い飲み物だと個人的には思っているので、分けて飲みたいなんて事を考えていた。
歩く事数十分、彼女がある家の少し前で立ち止まる。
あそこが目的地だろうなという事はしばらく前から気付いていた。
何というか、ゴテっとしている。好みといえばそれまでだが、普通は住んでいるだけで不思議な人呼ばわりされそうな風貌の家。赤や黄色や青の原色で塗られた壁や屋根が少し目に痛く、入り口にはピカピカと光り続ける『WELCOME』の文字が光っていた。
「あー……、大丈夫、何だよな?」
「えぇ……、まぁ、人に害を成すような人では、無いと思います」
綺羅びやかにようこそと言っているくらいだから、確かに害は無いのかもしれないと思い、小屋へと近づく。俺達も随分長い事眠ってしまっていたようで、もう時間としては昼くらいになってきていた。
「陽も照って来たし、じゃあ入ろうか」
「紐?!」
俺はその言葉を聞いていない振りをしてドアをノックする。
「日も照って来たし、じゃあ、入ろうか」
「……はい」
春もそれ以上何も言わずに頭を下げる。昨日あたりから急に彼女の事が随分とドジっ子に見えて来た。
紐については、何も言うまい。それしか無かったのだろうから。
紐についての事を頭からデリートしようとしていると、小屋の中からそんな事を一瞬で忘れさせるような「はぁ~~い!!」という想定外の声が飛んできた。
思わず俺と春がドアから数歩下がると、ドアが勢いよく開かれ、その声の主が現れる。
「アーラハルちゃん! 久しぶりねぇ! なーにまぁ! イイ男捕まえちゃってぇ!」
春がビクリと身体を震わせてこちらを見る、害は無いと言っていた割に、怖がっているような気がした。
「お兄さんも良い男じゃないの~! ヤダァ何のよう? アタシを口説きに?」
「い、いや……、魔法使いの適正を……」
説明を早々に放棄した春に代わって、俺がテンション高めのマシンガントークに対応する。
「もう! 冗談冗談! でもアラァン? でもアナタって刻景使いよね? いよいよ不思議なお話が始まっちゃうのかしらぁ……」
パーマがかかった長めの緑髪、服装はタンクトップとピッチリとしたジーパン。
そうして俺を一目で刻景使いだと見抜いた茶色い眼。只者では無い事は確かだ。
「ていうかヤダアタシ! スッピンじゃないの! でもまぁ久々のお客さんだからサービスしちゃう! さぁ入って入って!」
だが、それ以上に、問題があるような、無いような。俺達を招き入れ急いで家の中へ戻っていく時に、その人の胸が揺れる。筋肉隆々で、俺でも殴られたら吹き飛ぶくらいに、身体を鍛えているようだった。
そうして問題として考えるのは失礼だと思いつつも、初対面で困惑してしまう程度にはハッキリと、俺の耳には女性的な言葉を話し続ける雄々しい男の声が聞こえ続けていた。
確かに、彼……というより彼女は不思議な人だなと納得して、嫌悪などは無いが早く慣れようと思いながら、俺は春と一回だけ眼を合わせて、小屋の奥へと進んだ。




