第三十六話『暗闇の中で咲く満開の春』
一旦夜を明かす為に俺達、というよりも春が進んで選んだ小屋は、雑貨屋のような様相をしていた。硝子張りのウィンドウの奥には、灯りが無いのにも関わらず色鮮やかに見える服等も並んでいる。知る人ぞ知る隠れた名店なんていうのは意外とこんな住宅地にあったりするイメージがある。
「此処……好きなんです。食料は、足りてますよね?」
少し照れた春が言うそれは、初めての自己主張のような、我儘のようなものに聞こえた。
それに少し微笑ましく思いながら、俺は頷いて彼女の後に続く。
ドアを開けるカランという音に返事をする者はいない。
静かな店内、流れる音楽も勿論無かったが、そもそもが音楽が流れているような店では無いのかもしれない。
棚をよく見ると、俺自身あまり入った事の無いような可愛らしいボタンや雑貨などが所狭しと売られていた。それぞれが小洒落ていたが、あまり見たことの無い物が多い。
「綺麗なもんだな……」
俺は籠の中に入っているボタンを一つ手にとって見ると、ひんやりと冷たさが伝わる。
そのボタンはどうやら硝子で出来ているようだった。
「硝子……?」
春がこの店を選んだという事もあって、魔法で出来た道具か何かなのだろうかと考えるが、やや興奮気味の彼女の返事で単純な世間知らず、というより世界知らずの自分に気付く。
「は、はい! 現実でいうところの、チェコの名産品でした」
チェコ……、道理で見たことが無いはずだ。ということはおそらく此処は輸入雑貨の店という事なのだろう。
チェコという国について俺が知っている事は殆ど無い。そう考えると、日本という国から出ず終いの俺が見るチェコという国は、ある意味異世界のような感じがして不思議だった。
自分の知らない、けれど自分がいた地球という世界にあった一つの国、そこには違う言葉を喋る人間が確かにいて、違う文化があって、こんなに綺麗なボタンがある。世界が異なるという事を異世界と呼ぶのであれば、チェコは勿論、行った事が無ければ隣町だって、自分の家の近所の路地裏だって異世界に成りうるような気がした。
「異世界から異世界を見てるんだな」
「ふふ、不思議な言い方をしますね」
彼女は言葉に詰まらず、単純な微笑みと共に返事をする。本当にこの店の事が好きなのだろう。
興奮したりリラックスしていたり、今の春は一人の魔法使いというよりも、一人の女の子のように見えた。
「そんなに好きならワンポイントくらいあってもいいんじゃないか? 持っていく分には、この世界じゃ窃盗になる事も無いし」
羨ましそうに店内を見回る彼女の姿を見ると、やはり簡素な服装で、洒落た部分は一つも見当たらなく、装飾品のような物も見当たらなかった。気づいていないなら大反省だと思いつつも、これだけ物があるならば多少は着飾るという事も出来るだろうと考える。
「いえ……っ! 私なんかがこんな綺麗な……」
春がそう言った時に、彼女の視線が一瞬、店の高めの棚に展示してあるワンピースを見た。
それはフィリが着ていた白一色だったワンピースに良く似ている。ただこちらの方が袖が長く、やや明るいデザインだった。外がだんだんと暗くなってきたのと店内に灯りが無いせいで、細かい発色まではよく見なければ分からなかったが、春に良く似合いそうだった。
「……いいじゃないか、フィリと揃いみたいで」
よく見ると、薄めの黄色だろうか。季節も含めた二重の意味で春らしい色に見えた。ただ、何となく癖でタグの値段を凝視してしまった時に、その値段の高さに少し笑ってしまった。
それに、春の身長では台でも持ってこないと展示されているその服自体に手が届かないだろう。勿論現実であれば金銭的に手が届かなかっただろう。
彼女の性格を考えると、お洒落をするという事について不相応だと思ってしまうのだろうなという気持ちも分かるが、そもそも春のような年代の子が、この数万数千円する値段の服を、罪に問われないからといって台を引っ張ってきて取るなんていうのは、勇気がいるどころの話ではなく、図々しさがなければ無理だろう。
「まぁ、なんていうか。色々と分かる気がするっ! っとと」
だが、俺は少なくとも彼女より大人であるし、多少図々しくもある。
値段が気になるというのなら、いつか現実に戻る事が出来たなら、この店にその金額分を勝手に置きにいったって良い。ただ、そんな事をわざわざ言うつもりは無いが。
俺はジャンプしてワンピースにつけられているハンガーらしき物を留具から外して、彼女に渡す。
「もう我慢なんざいらないだろ。だからって何でもしていいわけじゃなくても、このくらいは多目に見てくれる」
俺のジャンプに驚いた春の身体に触れないように、俺はワンピースを合わせる。サイズ感も悪くなさそうだ。ならば後はこれを彼女が受け取るだけ。帽子との色合いも……、おそらくそこまでは悪くないはずだ。
「なら……、着てみます、ね」
「ああ、気に入ってるなら」
彼女は怖がっているかのようにそっと手を伸ばし、俺からワンピースを受け取ると、少し照れた顔でそれを愛おしそうに抱きしめながら、店の奥にある試着室へと駆けて行った。
静かな室内、流石に衣擦れの音が聞いてしまうのは気まずいと思い、俺はせっかくだからと土産を探す。
――朝日とフィリと……響か。
お洒落などしている暇は無いのかもしれない。
けれど結局の所、俺達には感情があるのだ。だからこそ春は欲しい服に憧れを抱いていたのだろうし、朝日は身だしなみに気を使う。ならばきっと、こんな偶然もそうそう無いだろうからこそ、何か見繕うのも悪くないと思えた。響に渡せるかは分からないが、それでも彼女だって仲間であってほしいと思っている。
キラリと光るヘアピン達の束。きっとこれをキラキラした目で見つめていた子達がいたのだろう。値段も比較的安価だ。とはいえ自分自身でヘアピンを買った事が無いから『お洒落なお店代』が上乗せされているのかもしれないが。
あの綺麗な黒髪を切り落としてしまった響には似合わないだろうと思ったが、煌めくような金髪が眩しい朝日には丁度良いだろうと一つずつ中身を見ていく。青と黒い四角形が連なったヘアピンが気になり手に取った。髪の色が金色とはいえ、黒色を差してしまうのは縁起として少し気が引けたが、青の発色も綺麗に見えて、少し気に入ってしまった。とはいえ使うかどうか分からないアクセサリーを渡すのも、と悩んでいると後ろから声をかけられる。
「大丈夫、ですよ。きっと、喜んで貰えると思います」
選ぶのに集中していたのだろう、いつの間にか着替え終わった春が淡い黄色のワンピースを着て、はにかんでいた。
「なら、信用する。春も似合ってるよ」
「へへ……、信用、しますね」
俺はヘアピンをポケットに仕舞うと春は嬉しそうにくるりと回った。
「季節も何も分からない世界でも、春らしいな」
茶褐色と呼ばれる魔法使いは、赤褐色のとんがり帽子をかぶり、淡黄色のワンピースを纏っている。
それらがたとえちぐはぐな組み合わせだとしても、その笑顔からは、満開の春が見えるようだった。
「なぁ、何で帽子の色と色格、合わせなかったんだ?」
その言葉に、彼女の笑顔は曇る。もしかすると、もしかしなくても、地雷を踏み抜いたかもしれない。
「私があの子の頭を撃ち、あの子は帽子を撃ち抜いた。それだけの話、です」
つまり、赤褐色の色格の魔法使いも、いたという事なのだろう。
「悪魔陣営から逃げる時の話、ですね……。コックさんみたいに、魔法使いの中でも私に立ちはだかった子がいたんです。そう、いたんですよ」
それ以上の詳しい事を、彼女は何も言わなかった。ただ、帽子を深くかぶる。
「悪い、嫌な事聞いたな」
「いえ、この世界じゃ些細な事なんです。きっと芥さんも、乗り越えるんですよね?」
それはおそらく、コックの事を聞いているのだろう。
それでやっと、彼女が面識もないコックの死について、事が済んでしばらく経ってからも何かを考えていた理由が分かった気がする。勿論コックの死についても思う所はあったのだろうとは思うが、単純に彼女の身、そして彼女が言う『あの子』の事を思い出していたのだろう。
「あぁ、乗り越えるさ」
「ん、そうだと思ってました。……じゃ、じゃあ! 仕掛け屋さんのお土産、どうしましょう?」
無理に明るく振る舞ったのだろう。だからこそ、その健気さを無駄にするわけにはいかないと、俺は雑貨屋兼お高い服屋のカウンターに置いてあった『向日葵の種コーヒー』なる物を手に取ってカバンに突っ込む。
「アイツにはこれで良いだろ」
するとそれを見ていた春が吹き出し、堪え気味ではあったが笑い声が聞こえた。
「あ、あまりにも……っ! 雑では……!」
「良い良い。アイツに洒落たモンなんかいらないよ。いい大人なんだからコーヒーくらい飲むだろ。飲まないなら俺が飲む」
どうやら仕掛け屋への雑さが笑いのツボに入ってしまった春は、しばらく笑いを堪えては堪えきれずに微笑みを漏らしていた、それを見れば、何処からどう見ても普通の女の子だ。
こうやって笑っていられる子が、どうして自殺なんて行為に至ったのだろうと考えかけた頭を切り替えて、俺は春と一緒にフィリに似合いそうな帽子を見繕う事にした。
「どうせ服を似せたんだ、せっかくなら帽子も合わせた方が良い。とんがらなくても」
それは、帽子に纏わる嫌な思い出を良い思い出で塗り替えられる事が出来たならばという考えもあったが、春はその思惑には特に気付かないようで、楽しそうに帽子コーナーを見ている。俺が麦わら帽子を指差すと彼女はまた「な、夏の少女……」と笑いを堪えていた。今なら箸が転がっても笑ってくれそうだ。
結局、春の見立てでキャスケット帽を選んだ。それは彼女から渡してくれと言うと、彼女は緊張した面持ちで自分のカバンへと丁寧に帽子を詰め込んでいた。
「じゃあ、奥の部屋が居住スペースになっているので、向こうで休みましょうか」
そう言って、春は慣れた素振りでカウンター奥へと進んでいく。
危惧していた気まずい事も起こりそうにないし、敵襲があれば必ずドアのベルで気付く。
こういう日があったって良いと、昼間背負った生命を抱えながら、俺はカウンターの上にあった従業員を呼ぶ為の手押しのベルをこっそりとカバンに詰め込んだ。
風の音以外には基本的に音が無いようなこの世界であったならば、その小さなベルの音も大きく響くのでは無いかと思った。結局の所、それはきっと願望で、実際は風の音にかき消されるのだろうけれど、それでも鐘が響くのならばと、手にとってしまった。
何処にいるかも分からないあの堕天使も、このベルの音を聞けば気付いてくれる気がして。
もしもう一度出会えてあの堕天使に渡せたなら、何処にいてもそのベルの音を聞けば駆けつけられる気がして。
こんな事を言うつもりは一つも無いが、勘の良いアイツにはどうせ笑われるんだろうなと思いながらも、自分もまた小さく笑みを溢していた事に気付いて、少しだけ悔しかった。




