第三十四話『曲がりくねった世界と苦』
銃声を躱す余裕が無かったのか、倒れるように春は地に伏せる。
ニヤリと笑ったままのコックが「ばぁか」と嘲笑う。
だが、その銃弾が当たった相手は、春ではない。
春を狙った眼獣の胴体を、確実に射抜いていた。
「決め打ち言うたやろが、誰があんなお嬢ちゃん狙うかいな」
その意図に気付く前に、俺もまた、コックの身体を切り裂いていた。
「でもま、妥当だわな。殺してくれてありがとな。名前も呼ばれんくなる程度の存在でも、プリンを食ってたお嬢のあの顔を歪ませたかなかったしな」
「笑いはしないだろうけど、アイツは容赦無く殺したかもしれないぞ?」
刻景が消えた中、息も絶え絶えで倒れているコックの横に座る。
彼の生命はもう長くない、なのに彼は俺の返事に笑ってみせた。
「くく、それもそうだわな。懐いた気がした猫も腹空いてただけってのが、現実や」
「いえ……、フィリさんは、きっと悲しんだと思います。それに最後、ありがとう、ございました……」
状況を確認したであろう春が、ゆっくりと近付いてくる。
深々と帽子を被ったままではあったが、倒れたままのコックに向かって大きくお辞儀をする。
「なんや、魔法使いってのにも礼儀正しい子がおるんやなぁ……、阿呆みたいな世界ででも生き伸びてみるもんや」
コックは頭を下げる春をチラリと見て、悪巧みをしているようにニヤっと笑う。
その意図はわからなかったが、彼は笑ったまま何も言わずに俺の腕をガっと掴んだ。
「しかしアクタん、ええ運持っとるもんやなぁ。時計見てみぃ」
言われて自分の時計を確認すると、残り時間は1秒を切るどころか、限りなく0秒に近い数字だった。
「俺の最後のカードでババを引いとらん、確率的には明らかに負けが強い目や。会ったのか分かっとった。ただ何秒のカードかまでは取るまで分からんからな。だから最悪死ぬかと思って謝ったんやけど、いらん事言ったな、返してや」
その生命もそう長くないはずなのに、痛みが奔っているはずなのに、まだ絞れると言わんばかりに、コックは言葉を続ける。
「いーや、しかしまぁ此処で死ねて助かったわ。どうもこの世界は胡散臭くなってきとるからな、せめて知っとるやつに食われたかったんや」
そう言いながら、彼は時計をつけた自分の右手をゆっくりと上げる。
「なぁアクタん、死ぬ前に俺の時間、食いなや。ちなみにな、俺の力が攻撃に変わるってのは、中々おもろかったで」
コックは、元々強い戦意など持っていなかったのだ。それでも尚、刻景を動かす事によって無理にでも俺を動かせようとした。結果を想像した上で、彼は訪れるべき敗北を望んでいたとすら、思ってしまう程に、彼からは敵意が無かった。
――殺すつもりなら最後の一発だって、俺か春を撃てばいいだけだったのだ。
「ああ、頂くよ」
その意図を汲みきれなかった自分を悔いながら、それでもこうなるしか無かったと思い込むように、俺はコックの時計に自分の時計を近づける。
コックの時計の時間が最低限まで減り、俺の時計へと時間が移っていく。
だがその時間も、10秒程度だった。ということは、合計で言えば30秒か40秒程度の時間で、彼は俺達に勝負を挑んだのだ。
「……ご馳走様。此処までしてくれても仲間には、なれなかったのか」
「なれへんなれへん。ネタをバラせば、追跡魔法だかがかけられとんのよ。だから逃げても殺されるって事や。なら、誰に殺されたいかくらいは、分かるやろ。さっさと行きや……って言いたいトコなんやけどな」
コックがポケットに手を入れた時に、最後の抵抗だと思った自分が、愚かしい。
出てきたのはクシャクシャになった煙草の箱だった。
「魔法使いの嬢ちゃん、せっかくだからアンタにも食わせたる。だからほら、コイツに火ぃくれや」
その意味はつまり、焼き殺せという意味だ。
俺には時間を限界まで渡し、更に自身を焼き殺させる事で、春の経験値にまでなると、彼は言っているのだ。
「アクタんはどきや。どうせなら野郎じゃなくて嬢ちゃんの顔でも見てた方が、今度はちゃんと娘のトコに行ける気がするわ」
――娘がいたなんて、一言も言わなかったじゃないか。
だからこその、その献身だったのかもしれない。
だからこその、望むべくして与えられようとした死だったのかもしれない。
良い事をしただなんて思えない、けれど彼は、逝くべき場所が違ったのだと、その言葉でやっと分かった。
「お前みたいなヤツが……何で、何でこんなバカみたいな世界に来てんだよ」
「勘違いするんやないで、どれもこれも全部俺の為や。これだけやりゃ、流石に次は天国やろ? なぁお嬢ちゃん、火ぃ頼む」
煙草を咥えたコックに向かって、春は黙ったまま、強い眼で頷いていた。
こんな状況に、春は怯えるのかと、嫌がるのかと、そう思っていた。
だが彼女とコックが頷き合うのを見て、二人はハッキリとこの世界の住人として生きているのだと思い知らされる。
春の指先から炎が現れ、そっとコックの煙草の先端を触る。
煙草の先端が春の炎の色よりも強い赤へと染まり、コックが大きく息を吐き出した。
「お嬢は煙草、嫌がったからなぁ。久々に吸うと、やっぱ……美味いもんやな」
ジリジリと煙草の先端が、灰になっていく。
「あぁ、満足やわ」
彼の眼から、生命が消えていく。
スーッと紫煙が空へ向かって行くのと同時に、コックの口から、煙草が落ちた。
「あぁ……美味かった。ごちそう、さん」
落ちた煙草が、真っ赤になるのと同時に火柱が上がる。おそらくまだ持っていたであろう銃弾の火薬が弾ける音が響いた。
強い炎はおそらくは熱さ等を感じる暇も無いくらいすぐに消え、残ったのは灰だけだった。コックが煙草を吸い始めた瞬間から、春が小さな声で何かを呟いているのが聞こえていた。あれは詠唱であり、彼女なりの鎮魂の言葉だったのかもしれない。
「芥さん達以外にも、良い刻景使いの人って、いたんですね」
春はコックに言われた事をそのまま返すかのような事を静かに呟く。
「あぁ、一緒に戦いたかった」
「追跡は、上位魔法です。普通の魔法使いじゃ使えないくらいの。だから、逃げても殺される。私達と一緒なら、私達も一緒に……。きっと、間違った事は、していません。していないはず、です」
そう呟く春の目尻に、少しだけ涙が溜まっているのが見えた。
「いいや、間違ってるんだよ。きっと、前提から、全部」
「ん……、ならやっぱり、正さないと、いけないですよね」
春が目尻を拭って、まだ熱を感じる灰を見据える。
彼女はコックが塞いでいた場所、今はもう灰しか無い場所に、改めて帽子を取って頭を下げた。
すると一陣の風が吹き、飛ばされそうになった帽子を彼女が掴むのと同時に、その頬を灰が撫でるように風に乗って消えていった。
「灰が……光ってる」
彼女が驚いたように呟くが、それはおそらく、錯覚だ。
ただ、彼女が帽子を掴もうと空を見上げた時に灰が舞っただけなのだ。
それでも、彼女の頬についた灰には、涙一筋分の道が出来ていた。
――間違いは、正されるべきだ。
だが、この世界は、取り返しのつかない間違いを俺達に押し付け続けている。
「自殺をしても、天国って行けるんでしょうか」
「地獄でも、此処よりはマシかもしれないけどな」
忘れようとするかのように、笑ってみる。
「あの方、娘さんがいたんですね。亡くなって、しまっているような口ぶりでしたが」
「俺も初めて聞いたよ。本当に神がいるなら、同じ所に行けたら良い。それでもアイツなら、地獄からでも這い上がるかもな」
忘れないようにするかのように、俺達の口数が増えていく。
「もっと、話してみたかったな」
「あぁ、俺もだよ」
飛んでいく灰が、太陽に照らされていた。
確かに、光っているのかもしれない。
ならばきっと、その行き先は天国であれと、我儘に願った。
「じゃあ、行きましょう」
そう言って歩き出した春の目には、もう涙の後は残っていなかった。
「ああ、急ごう」
ふと、俺の前を進む彼女の足跡を見て、彼女の優しさが見えた気がした。
そうして俺もまた、同じ事を思っていた事が分かり、それがまだ自分を見失わずにいられている証明のような気がした。
俺と春、二人の足跡は、右と左で分かれていたが、真ん中には未だに熱が残る灰が残っている。
春にとって、こんな行為が何度目の事なのかは分からない。
だけれど俺は、この世界に来てから、初めて灰を避けて歩いた。




