第三十三話『ガードゲーム』
コックの意思がどうであれ、彼が俺の刻景の効果を知っていて、刻景が展開された時点で、もう戦い合うしかないのは明らかだった。
おそらく彼は俺を見逃す事は出来ないだろうし、俺もまた、俺だけを狙うならまだしも、彼に俺以外の人間を狙うという自由選択がある以上、見逃すわけにはいかない。
要は、彼が一番殺しやすいと感じたのが俺だったというだけだ。
情報共有も徹底されているのだとしたら、二手に分かれた事自体も悪手だったかもしれない。だとしても、力を手に入れなければジリ貧になってしまうのは明白だった。
ミスはした、それでもそれを帳消しにするくらいの成果を持って帰れば良い。
そうして、彼がまず最初に狙うべきは俺だという事が、少しだけありがたくもあった。彼の刻景の上にいるだけで一秒ずつ減っていく俺の生命の時間は、彼が俺を狙いやすいという事の証明でもある。わざわざ出向いたという事は、向こうの生命の時間は潤沢にあるのだろう。少なくとも、20秒では無い。
刻景の上にいるだけでカウントダウンが始まる俺と、彼の『刻景:タイムカード』の相性は最悪だ。だが彼のその刻景の効果自体は、紛れもなく刻景使いにのみ有利な状況を作り出す。
俺は刻景の中を大外周りで走りながら、その周回上にいる眼獣に一太刀入れつつ、そのまま目的地まで走る。
これは単純に、当たればラッキー程度の一撃、それでも続けていけば意味はある。
続ける時間が俺にあるかといえば『今は無い』
だが、すべき事はこれで良い。
「いただき、ます!」
敬意を込めてカードを掴み取る。
15秒まで減った時間が再び20秒に増え、コックの刻景の範囲内に新たなカードが出現する。
コックが使うタイムカードの効果は、刻景使いが刻景を使う時に消費する『生命の時間』を増やすカードを自身の刻景の内部に創り出す力だ。
その秒数の詳しい振り分けは忘れたが、最大で五秒程度だったはず、広い範囲内にランダムに現れる為、場合によっては彼自身が走って取りに行こうが、結局マイナスになる可能性すらあると言っていた記憶がある。だからこそ彼自身にとってはあまり意味の無い効果。
しかし、こと他の刻景使いがいる場合については、カードを取リ続けるだけで彼の時間と引き換えに時間を増やし続ける事が出来る。
唯一、刻景の上にいるだけで秒数を消費してしまう俺だけが彼の刻景によってダメージを受けてしまうのだ。
だが、走り回る眼獣がいるこの状況に於いて、攻撃をしながら秒数を稼ぐという行為が出来るのは、刻景の内容としては最悪の相性でも、同時に刻景使いという事実を持つ俺にとっては、勿論通常の刻景使いと同じく利点にも成りうる。
「まぁそうくるわな!」
コックが俺めがけて銃弾を放つ音がするが、俺はその音だけを聞いて目もくれず次のカードの方へと走った。近くで何かが弾ける音がする。つまりは春が何かしてくれているという事で間違い無い。信頼と共に、俺は走った。
次のカードを握りつぶすように掴み取るが、次のカードの位置は確認せず、俺は視界に映っていた春を狙っているであろう眼獣へと走る。
――彼女が盾だというのなら、俺は剣であらねばならない。
タイムカードを拾うのは確かに優先事項だが、それでも最優先は、春の命だ。
自己犠牲が正しいとは思わない、だが彼女はさっき確実に俺の生命を救った。ならば恩返しと捉えてもいいだろうと、自分の中で納得させようとしている自分に笑いが出た。
全身の眼が春を追っている眼獣の腰をマチェーテの引き金を引きながら叩き切る。始めて戦った時の印象よりも、どうしてかあまり強そうに思えないのが不思議だった。見た目は間違いなくアルゴスの創り出した眼獣で間違いないが、最初の時はもっと反応速度が早かったような気がする。
「芥さん! 左斜め後ろにカード!」
その言葉に、一瞬思考していた自分の意識が現実に戻ってくる。おそらくは俺の行動を見ていた春も、カードが必要な物だと分かったのだろう。こういう時の春は、常に冷静に状況を見ている気がする。
何故なら、俺が春の方へ走り始めてすぐに、眼獣に対して身構えていた彼女が身構えるのをやめたのを見たからだ。俺が駆け寄り始めた瞬間に、俺と春は眼が合っていた。であればたとえ眼の前まで眼獣が迫っていても、俺が倒してくれるのだと、彼女はその瞬間にしたのだろう。その信頼がありがたくも、少し重たい。
――いつもこうあれるなら、いいんだけどな。
そうして、もう既に彼女の中では次の行動の準備に取り掛かっているのだ。その証拠に彼女の両手には雷が見える。
「……地は雷光を纏う、道は汝が為に!」
その詠唱と共に、半径10メートル程の刻景を丸々包み込むような雷が降り注ぐ。まるで雷がカードまでの道を照らしているように見えた。だが、よく見るとそれはある意味正しいが、錯覚でもある。カードまでの道だけが、ただの道になっていた。
実際はカードまでの道以外の地面が帯電していたのだ。
「此処から直進で!」
「助かる!」
彼女の雷によって、コックや眼獣の動作は緩慢化していた。だが、ダメージがあるというわけでは無さそうだ。
――それでも、動けないならば斬れてしまう。
帯電して動きを鈍らせている眼獣がカードの近くにいるという事すら、春は分かっていたのかもしれない。それは少し買いかぶりすぎかもしれないが、もしもそうならばそのお膳立てを崩すわけにはいかないと、俺は引き金を引いて叩き切る。いくら眼があったとしても、避けられなければ何の意味も無い。
「三!」
その声を合図に地面の帯電が消え、チラリと時計を見ると、それでも俺の残り時間は10秒を切っていた。
体感で考えると、一枚目は5秒、二枚目も3秒以上だろう、だがこのカードはおそらく外れ、1秒程度だ。
ならば向かう先はもう、カードでは無い。
「三枚おろしは俺も得意や!」
俺が地を駆ける音を消し去るように銃声が耳を劈く。一瞬目をつぶってしまった瞬間、顔に土が当たるのに気づいた。目を開けると崩れ落ちる土の塊。最初の一発目を撃たれた時には視認しなかったが、要は俺が始めて魔法使いと戦った時に使われた銃弾を自動で弾くデコイのような物を、春はあらかじめ俺につけてくれていたのだろう。
俺もまた春を信頼していたからこそ、たった今、目に映る瞬間まで実態を知らずにいた。
――だが、放たれるその銃弾の正確な数を彼女は知っていただろうか。
彼女自身が戦う分には壊される度に増やせばいいが、彼女から離れている俺に付け直すという事は出来ないのだろう。勿論、彼女くらいならばリボルバーに何発入るかなんて事は知っていてもおかしくない。少なくとも五発分で完璧だとは思っていなかったはずだ。だが、時間が無かった。おそらくは俺が動き出すまでに創り出せたのが、今俺を守る自動デコイの数だったのだろう。
四発目の銃撃、五発目の銃撃は無視して進む。そうしなければ俺の生命の時間も尽きてしまう。カードの位置は、もう俺の視界には映っていなかった。
そして、俺を守るデコイもまた、五発目の銃撃を防いだ時点で全て消滅している。
コックが銃をリロードする隙は無かったはずだから、おそらくは後一発分、コックの銃には弾が残っている。眼獣が視界にいないという事は、おそらく春の方を向いている。ならば一撃で、この刻景を終わらせなければいけない。
眼前にコックが迫る、その顔は、目つきが悪いながらも、笑っていた。銃は依然、こちらを向いている。だが、その引き金を引く素振りが無い。
「コック、悪いな」
どういうつもりだか分からないが、俺が眼の前でマチェーテを振りかぶっていても、彼は笑っていた。銃の引き金は、まだ引かない。こちらは生命をかけているのに、向こうはまるで三枚おろしされる前の魚のように、抵抗をやめていた。
「ええで、こんなもんはな、決め打ちや」
コックがそう言った瞬間、コックは思い切り身体を引いて、俺のマチェーテを躱す。
空振った瞬間、俺の時計の数字が2秒になっているのがチラリと見えた。
攻撃を躱された瞬間、目の前にカードが現れる。
要は、カードはコックの真後ろに出現していたのだ。
「悪いな、アクタん」
時間を気にしていた俺が、思わずそれを掴んだ瞬間、彼の最後の銃口が大きく逸れる。その先には、眼獣と相対している春の姿がある。
俺は焦りながらも振り下ろしたままのマチェーテを握り直し、コックの腹部から肩へ振り上げる。確実な手応えと、ふらりと倒れるコックの身体。
だが、それと同時に、倒れながらコックが銃の引き金を引くのを見た。
そうして、その銃弾は、コックが狙ったであろう物を、確かに撃ち抜いていた。




