第三十二話『クック・バッド』
春と二人きりで灰の街を歩く。
悪魔陣営の拠点までは残り半分あるか無いかくらいまで直進していた俺達は、とりあえずそこで二手に分かれた。『待つ側』と『行く側』の『行く側』として、俺と春は魔法適正を判断してくれるという中立を選んだらしい魔法使いの元へ向かっていた。
出発前の準備中に、行って帰って二日もかからないと聞いていたので、一晩は何処かで過ごす必要があるようだった。
「そうだ春、どのくらい近付いているかは何となく分かるんだよな?」
「は、はひ」
流石に、十歳以上離れているであろう男性と共に歩くのは緊張するのだろう。
急に話しかけて、というか二人しかいないので急に話しかけるしか無いのだが、俺はなるべく優しい口調を心がけた。
「だったら、目的地に近付いたら教えてほしい、そこで一旦今日は休もう。そして明日の朝に適正を見てもらって、夜には皆の元ってくらいでどうだろう?」
「そ、そそそうですね!! わかりました!」
いやにテンパっているのが一瞬不思議だったが、少し考えてハッとする。
――この構図は、大人の男性と大人になる前の少女じゃないか。
彼女の性質として、緊張しているのは当然だとは思ったが、二人で一晩過ごす事になるのは流石に何か思う所はあるだろうと思い、少し申し訳ない気もした。
やましい気持ちなど一切無いにしろ、愛や恋というものを忘れて久しく、男性女性というそれぞれの性別についてのモラルは持ち合わせたいと思っていたが、この世界に来てからはそれ以上に『天使か悪魔』というカテゴライズと『魔法使いか刻景使い』というカテゴライズ、そうして『神の子』という三種のカテゴライズしかしていなかった事に今更ながら気づいてしまった。
「悪い、デリカシーが無かったかもしれない。嫌な事があったらハッキリ言ってくれていいからな」
「いいいえ! 大丈夫なんですよ! そう大丈ぶ……っ!」
そういう子なのだろうと思いながら、あえて言わせてしまったようでより少しこちらが落ち込んでしまうが、この子よりも一応は大人として振る舞っておかなければと心に誓った。
そもそも、これは俺の目的の為の寄り道、俺の我儘でしか無い。勿論この道中で有益な情報が得られるのであればそれに越したことは無いが、まずは俺が皆のようにより強い力を得なければ話は始まらない。
そうであれば魔法でも何でも使ってやろうと決めた。異世界には残念ながら興味がなくても、この想いが強くあるのであれば、可能性はある。
そもそも、逃げるという事自体が俺の本意では無い。
暴かなければいけないと思い始めていた。今日もきっと現実では異世界病者が死を選び、誰かが悲しんでいる。それを救うヒーローになんてなれないとしても、それを始めてしまったヤツらに、一言でも言ってやらなければ気が済まない。
きっと、俺は知りたいのだろうと思う。
歪みきったこの異世界の真実を、歪まされたあの現実世界の真実を。
だが、それもまた急いていたのだなと思ったのは、俺達の進む道の先に見た事のある顔があったからだ。
「なぁ春……」
「は、はい……」
俺はもうこの時点でデリカシーがどうこう以上のミスを犯していた。
俺の我儘で魔法適正を調べに『行く側』と、補給を兼ねてそれを『待つ側』に分けた。
だが俺達に明確な敵がいるならば、動きを見られていたとしたならば、そのターゲットとして一番に狙うべき存在を考えた時に、狙われるのはどちらだろうか。
「知っている顔だ、おそらくは……」
「敵、ですね」
春の声色が真面目な物へと変わる。
――狙われるのは、情報を直接持っている俺と、春に決まっているじゃないか。
そんな単純な事にも気付かなかったのかと自分を殴りたい気持ちに駆られる。
フィリの腕の件で、彼女にこれ以上失ってほしくないという気持ちが先行していたのかもしれない。
俺はあえてあの場に三人を残したのだ。もう一度イロスが来たとしても、アルゴスが来たとしても、あの三人ならば撃退出来るだろうと。
そうして、春という存在の安心感に甘えていたのかもしれない。
彼女と共に戦った少しの時間で、もしかすると魔法使いと共に戦う事で俺の刻景の上に長く滞在出来ないという縛りが消えて、少しは戦力になれるかもしれないという驕りすらあったかもしれない。
「改めて、付き合わせて悪いな」
「いいえ、全力で、退けましょう」
俺は前に一人で佇んでいるスーツを来た目つきの悪い刻景使いに近付いていく。
「服だけで印象が変わるもんだな"コック"」
「変わりたくて変わったんちゃうわ! それに印象が変わったのはそっちも同じやろがい!」
彼はあくまで笑顔を保持したまま、からかうように話す。服装以外は俺が初めて会って話した時の印象だった。
天使陣営拠点の上位組織『篝火』に属する刻景使い、通称『コック』は空手のまま俺達の前で佇んでいる。
「正直、話し合いの余地が無い人間が多くてな。アンタが此処にいるってことは、通さないって事で、いいんだよな?」
「そりゃそうやろ。今やアクタん一味はこの世界共通のお尋ね者。詳しい事情なんざ知らんけどな、こっちもお上の命令に背くわけにはいかんねん。見逃しも無し、仲間になれば自分もお尋ね者。俺自体は話し合えてなんとかなるならそうもしたいで? でもま、こっちの気持ちはお構いなしや」
ため息交じりに話す彼の言葉には、敵意を感じなかった。ともかくそういう状況になっているのであれば、より上からの圧力が強く、強制的に俺達が持つ秘密を排除させる方向に世界が動いているということだ。
「その状況について疑問に思ったりだとか、俺達の仲間になるつもりは……」
「まぁ、あらへんわな」
そこで初めて、彼は銃を取り出した。
ハンドガンと呼ぶには些か大きめで、脳天を撃ち抜けば死ぬというよりも、頭を吹きとばせそうな造形をしていた。所謂マグナムリボルバーと呼ばれる種類だろうか。
「そうだとして、アンタが此処に来た時に得られる勝算ってあるか? アンタの刻景『タイムカード』の能力は、そもそも刻景使いを救う能力だろうよ」
「そうやなぁ、出来れば前線なんざ出たかなかったわ。お嬢にプリンを食わせてやれないのが残念や。けどまぁ、お嬢を殺しに行くかアクタンを殺しに行くかっちゅう話になりゃ、まぁ此処を選ぶわな。それに勝算が無いわけでもあらへんらしいで?」
そう言って彼はポケットから赤黒い球体を取り出し地面へ叩きつけた。
――そりゃ、悪魔とも結託してちゃそうもなるよな。
「魔物……か」
「まぁそういう概念自体は知らんけどな。アクタんを殺す道具として渡されたわ……って気持ち悪!」
赤い球体はその体積を見る見るうちに増やしていき、眼獣の姿へと変わっていった。
「ごつい兄ちゃんがぶつくさ文句言いながらくれたわ、こりゃえげついなぁ……」
つくづくアルゴスとは縁があるのだと思った。おそらくヤツもまた一枚噛んだか、噛まされたのだろう。
意外だったのは、その姿を初めて見たであろうコックは若干引き気味で、同じくそう見る機会も無いであろう春は何のリアクションも示さず、じっと状況を観察しているようだった。
「敵意……無さそうですね」
俺の近くで春がそっと囁く。
「けれど、やらなきゃいけないみたいだぞ……っとぉ!」
顕現した瞬間俺を狙って突っ込んで来る眼獣の口めがけ、横にしたマチェーテを食わせる。
口内を突き破り、四体いるうちのせっかちな一体は半身になり灰になった。勢いに合わせてこちらも勢いを込めたなら、マチェーテの仕掛けを使うまでも無い程に、この武器の切れ味は仕掛け屋により洗練されている。
「ああもう、勝手に始めよってからに! じゃあアクタン、恨むなよ!」
激しい銃声が耳を劈く、躱す余裕など無いと思った瞬間に、俺の眼の前の地面が大きくせり上がった。
「た、助かる」
「多くの刻景使いさんの武器は、基本的に銃ですので……、魔法使いの基礎としてまず銃弾の防ぎ方を覚えるんです。なので銃撃はなるべく……出来る限り防ぎます」
そういう教育を是非天使陣営にも取り入れてもらいたいと思いながら、俺は春の言葉に頷く。
銃弾一発分と眼獣一匹分のリードは手に入れ、コックの刻景は攻撃的な物では無い。
だとしても、彼の広範囲に広がる刻景は、刻景の上に存在するだけで時間を奪われてしまうという刻景使いとしての俺の弱みを考えると、何もせずとも即死に繋がるような力でもある。
それに気付き俺が自分の時計の残り時間を見た瞬間にはもう、カウントダウンが始まっている。
俺の強制的な刻景使用により死亡するまでの残り秒数はたったの『23秒』
本来ならば、春が出してくれた土壁が消えたこの瞬間に走り始めるべき数字だ。
だが俺は一旦、見える視界、見るべき存在情報の覚えられる限りを脳に叩き込み、後の勝利を買う為に3秒程を無駄にして、目的へと一直線に走り出した。




