第三十一話『異なる二人、同じスピード』
天使長やイロスの強襲から数日が経った。
それぞれが十分な休息を取り、運の良い事に魔法使いや刻景使いと出会う事も無く、俺達は居場所を転々としながらも悪魔陣営へと少しずつ近付いていた。
太陽のようなものが照らす中、フィリは朝日が見繕った淡い緑色のワンピースを揺らしながら機嫌良さそうに歩いている。腰の右側には、見た目は少し厳つくなってしまうが仕掛け屋が仕立て直したショットガンのホルスターがあった。
「悪くない、悪くないのう、久々に銃など持って歩いとるわ」
「元々お嬢は射撃センスもずば抜けてやすしねぇ……。神に金棒って言った所ですかね」
実際の所、フィリを見る限りでは神の子の戦闘センスはずば抜けていると言っても過言ではないと思っていた。アルゴスやイロスといった敵の神の子達も、それぞれがそれぞれの力を以てして手強い相手だと感じた。
だからこそ、強くなるべきは自分自身だという気持ちが湧き、気持ちが急いていた。しかしこの世界に於ける能力の上昇については刻景使いより魔法使いの方が圧倒的に伸び代がある。
だからこそ、刻景の中を動けるという能力しかない俺は悩んでいた。
今俺の回りにいる連中は、春は事情があるとしても、殆どが俺の為を思って付いてきてくれた仲間達だ。だからこそ俺もまたしっかりすべきだという事を、動かないフィリの右腕を見る度に考えていた。
「芥君、なんだか最近おセンチだよね」
朝日が話しかけてくる、思えば彼女の口調は少しだけ軽くなった。
敬語がだいぶ取れたというのが大きいのかもしれないが、本来の彼女の口調はこのような物なのだろう。
「ハッキリ言うのも何だけど、このメンバーの中では弱いしな、俺」
「武器は強いぞ兄ちゃん、鍛錬するこったな」
仕掛け屋も仕掛け屋で少し砕けてきている。つまりは、俺達の関係性は概ね良好ではあった。
ただ、フィリの右腕の件に触れる事は無い。それはおそらく、各々が胸に秘めてる事があるのだろう。
俺の切実な悩みを聞いて困ったように笑っている朝日の横では、仕掛け屋が俺の近接用の武器であるところのマチェーテについての講義を始めようとしていた。それを遮るようにフィリが話に割り込んでくる。
「そうじゃのー、実際問題として芥の能力は特別ではあるが、強力な力とは呼べぬな。面白くはあるんじゃがのう」
フィリは容赦無く俺の悩みを刺してくる。だが間違いではないところが悲しい所だ。自分自身、刻景についてもいまいち理解出来ていないまま使っている。
そもそも俺の刻景には名前すら無いのだ。あえてつけるような事もないまま此処まで来てしまった。『刻景:タイムウォーカー』なんてのが無難なのだろうけれど、発動に名前がいるような刻景では無いし、そもそも誰かの刻景の上にいるだけで勝手に発動して時間を消費してしまうから逆に弱点ですらある。
刻景の中を動き回る以外にも何か出来る事がありそうな物なのだが、結局刻景の中を動けるというだけで、俺自身は刻景の発動範囲のような物すらピンと来ない。だからこそ鍛えようも無かった。
いつの間にか朝日あたりはある程度スロータイムの範囲を絞れるようになってきているというのに、俺と言えばマチェーテの素振りや限られている銃弾を大事に使いながらの射撃特訓くらいしかする事がない。
アルゴスやイロスのような能力の持ち主の前では、ハッキリ言ってそれらの技術が通用しない事はわかっているのだ。朝日や春とバディを組めればまだ戦えるかもしれないが、出来る事なら一人でも何とかやれる程度の実力は持ちたい。神の子レベルと同等にやり合えなくとも、時間稼ぎくらいは出来ても良いだろうと思っていた。
「で、でしたら……」
この暑い中で、ぽたりぽたりと汗をこぼしながら一生懸命黒いローブを纏って頑張って歩いている春がおずおずと会話に入ってくる。
「芥さん、魔法、覚えてみますか?」
その言葉に全員が一瞬歩みを止め、刻が止まった感覚を覚える。
だがその沈黙は一斉に各々の言葉でぶち壊されていった。
「そんなんできるの?!」
「有りえんじゃろうが!」
「そりゃおもしれえな!」
「ひえぇ……」
四者四様のリアクション、というか言い出した春が驚いているのが彼女らしい。
確かに魔法を覚えるという行為については、完全に思考の外であり、そもそも考えた事すら無かった。というより、そんな事がまかり通るわけがないと思っていた。
「いや、刻景使いなら流石に魔法は使えないんじゃ……?」
「そ、それがそういうわけでもないみたいで、魔法使いから見た刻景は特別で、使いようが無いのですが、魔法は所謂強い自己暗示や願望から生まれる奇跡みたいなものなので……。な、なのでやる気さえあれば……」
この世界での新たな歪みが見え隠れした気もしたが、もし俺が魔法を習得したとしたなら、今よりもいくらか戦いに貢献出来る場面もあるかもしれない。しかも教えてくれるのは茶褐色の色格の先生だ。それにそもそもこういうスタンスの人間はだいぶ少ないはずだから、アドバンテージにもなるはずだ。
そんな事を考えているとフィリがふと思いついたように失言をかましていた。
「であれば、なんでお主らは最初から使えるんじゃ?」
「し、死ぬ程の願望が、あれば……」
「おお……、確かにの……」
その言葉には流石にフィリも少し申し訳無さそうな顔をした。詳しい話こそまだ聞けていないが、春が元々悪魔陣営という事は異世界病者として死を選んだという事だ。その理由を聞きたい気持ちは勿論あるが、こちらから聞くよりも、いつか向こうから話してくれるような関係性になれたら良いと思っている。
ともかく、元悪魔陣営で魔法使いの春も今では仲間だ。だとすればやはりフィリが口に出したのはややセンシティブな話かもしれない。むしろそういう発言の後にフィリがやや取り繕って空気を読んだというだけでやや感動出来たりもするのだが。
「つまりは、俺であれ他の刻景使いであれ、魔法使いたいと強く願い続けたなら、刻景と魔法の両取りが出来る可能性があるということか」
「ざ、残念ながら適正のような物はありますので……。と、特殊色格の私が言うのも少し憚られますが、調べる事は出来ると思いますよ。中立の方でそういった事を生業としている方がいらっしゃるので、行ってみますか? 目的とは少々ズレますが……」
このふざけた世界で中立なんていう稀有な存在がいる事も驚きだったが、出来る事なら少し試してみたい気持ちもあった。
「だったら、一旦案内してくれるか? 朝日達は次作った拠点で休んでてくれて構わない。とりあえず仕掛け屋とフィリと朝日が入れば大体対処出来るだろうから、俺は春と二人で行ってみようと思う」
「ワシは構わんぞ、まぁ魔法に頼るのは好かんが。ハルもおるわけだしな、今更魔法を使うヤツが増えた所で変わらんじゃろ」
「お留守番かぁ……、でも戦力が分散すぎるのも良くないですしねー……。うん、待ってるよ!」
理解が早くて有り難い限りだった。フィリはやや不服そうではあったが、それでも少しでも力が手に入るならば魔法でも何でも手に入れてやりたい。
異世界病者について思う事は沢山あったが、魔法という概念についての嫌悪感はそこまで強くない。
「であれば、その間にある程度物資も探しておきやしょうぜ。弾薬や爆薬の類も正直補充しておきたいから丁度いい。行って来い!」
「悪いな、二人を頼む。それと春、しばらく二人になるけれどよろしく頼むな」
「いいいえ! こちらこそどうぞよしなにぃ……」
そういうわけで、俺が言い出した力不足問題から始まった妙な話題で、俺達は一旦拠点を決めた後に俺と春。朝日とフィリと仕掛け屋の二手に分かれる事になった。
「ポチタマの練習もしなきゃなー、仕掛け屋さん刀は使えないの?」
「響の嬢ちゃんなら得意だったんだがなぁ……、あまり獲物として好むやつもいないからな、朝日の嬢ちゃんに似合いそうだと思ったのはまぁ、俺の直感だな」
拠点を見つけた次の日、そんな会話を聞きながら、俺と春はお互いの荷物を準備し、装備を整える。
「じゃあ行ってくる。なるべく早めに戻るよ」
「遅くて良いぞ。時間を気にしとったらロクなもんにならん。遅くて良いから強くなって帰ってくるくらいの気概を見せるんじゃな」
「楽しみにしてるよー!」
何となく期待が重く感じたが、俺は少し緊張気味な春の後について、魔法の適正とやらを見てもらう為に彼女と並んで歩いた。
魔法使いと刻景使いが二人並んで歩くという光景が、未だかつて半界にあったかだろうかという事をぼんやりと思う。
どうあれ色んな事情があって、誰かをひたすらに憎んだり、否定し続けるという事ももしかすると違うのかもしれないな、なんて思うのは、俺が絆されているのか、それとも変わっているのか、自分自身ではよく分からず終いだったが、それ以上に強くなるためなら手段は問わないという気持ちが上回っていた。ならば異世界病者が求め続けた結果辿り着いた魔法ですら、出来るのであれば利用してやろうと思ったのだ。
リアスにいた頃には考えもしなかったような事を何となく思いながら、それでも隣で歩くまだ若い彼女がどうして異世界病者になってしまったのか聞けずに、何とも言えない沈黙を誤魔化すように、緊張からか少しだけ早足になっている彼女に合わせて歩いた。




