幕間の二『ウェルカムトゥようこそ、またイカ』
仕掛け屋がショットガンの改造を行う間、俺達は疲労困憊ながらも朝飯という事になった。幸いにも階下にはコンビニもある。この場所は敵のような者達に確実にバレているからさっさと動きたい気持ちもあるにはあったが、喰わねど高楊枝とは行かない。腰に赤と青の鞘を括り付けて、武士に一番近付いた朝日の腹が鳴っているのだ。それを聞かない振りをして俺はプリンを二つ手に取り、春に渡す。
「フィリのご機嫌取りだ」
「ふふ、私のご機嫌取りでも、ありますけれど」
春がそんな言うとは、少し驚きだった。それに印象的だったドモりも無い。
怯えや恐怖が消えた彼女は、こんなに落ち着いていて普通の子なのかと思う。思う程に、この場にいるという事実が悲しくなっていく。茶褐色の魔法使いは、何を思って現世を捨てたのだろうか。
「誰でも取り放題だから、ついでだよ。それに、嫌いじゃないだろ?」
「嫌いじゃ、無いですね」
途切れかける言葉も、心地よいテンポに聞こえた。おそらくは少しだけ機嫌が良いのだろう。
あれ程の死闘の後であっても、笑えるのは大事な事だ。冷たい事だとは決して思わない。
フィリが泣いていたならば、それは寄り添うべきかもしれないが、春はもうフィリがその右手について気にするべきではないと本当に思っていると理解しているのだろう。
ならば何も言う事は無い、過ごした時間は少なくとも、フィリに一番懐いているのは間違いなく春だ。
「ラーメン食べたいぃぃ、でもめんどいぃぃ……」
朝日はカップラーメンを手に店内をうろついていた。
色々と工夫をこなせば作れはするだろうが、彼女が言う通り道具が揃っていないこの場では面倒な商品の一つではあった。
「給湯機が駄目なら置くなよって思うんだけどな」
どうやら食品や商品などは定期的に補充らしいが、コンビニの設備としては電子レンジも給湯器も使い物にならないようだった。トイレは流れる。確認した。それにシャワーも浴びられる。だけれど「温めますか?」の言葉も無ければ自分で温める方法もない。この世界の理不尽さを感じながら、俺は適当に飲み物と栄養がメイキングされていそうなクッキー、最後にスルメイカを手に取る。人の機嫌は良ければ良い程良い。
「あ、あの。水なら私、沸騰、させますよ」
春がやや緊張した素振りで朝日に話しかける。思えばこの二人はあまり話していた印象が無い。
だからか春の言葉は少し引きつる、けれど朝日はそれを気にもかけずに春をギュっと抱きしめる。
「あぁ春ちゃん、愛してる……」
「ふぇぇ……」
ラーメンが結んだ不純な愛が生まれていた。
「燃えない容器を探そうか……」
今後の分も含めた食料を集めて、仕掛け屋とフィリの元に戻ると、もうショットガンの整備は済んだようだった。
フィリは不敵に笑いそのショットガンを腰のホルスターに横向きに仕舞う。
「蹴りからの射撃、払いからの射撃、単純にも撃てる。上出来じゃな、仕掛け」
もう既に右手が無い場合の立ち回りを考えているあたり、彼女も中々に戦闘民族のような気がした。
だが俺達もそれに追いつかないと、彼女に頼ってばかりはいられないのだ。
尤も、今は彼女が春にプリンを食べさせてもらっているので、頼っているというか、甘えているようにも見える。
「ふぇぁぁ……」
プリンを食べたフィリの声にならないような声は幸せそうだった。これこそ純粋かつ、雑に発せられた小さな愛の叫びかもしれない。
それを聞いて、きっとこの場の誰もの心が軽くなった事だろう。
「仕掛け屋、お疲れ、あんかけ丼玉子抜き二丁」
卵アレルギーだと言うので、とりあえずトレイに乗せる前に卵だけ取り除いておいた。
これは愛では無くただの気配りだが、勝手に人の食事に触るのは良くなかったかもしれない。
「あぁ、ありがとよ兄ちゃん。好きなのに食べられんのは辛いな。ウズラの卵の無いあんかけ丼に何の意味があるってんだ……」
自分で頼んだ注文に文句を言いつつ、仕掛け屋はズルズルと言わんばかりに中華丼を平らげていく。
ズルズルという音はもう一つ聞こえていた。豪快にラーメンを啜りながらハッピーを撒き散らして頬を膨らませている金髪娘の食いっぷりを見ないようにしながら、俺はイカをライターで炙り、齧る。
どうしてか、あまり食欲が沸かない。スキットルに残っていた僅かなウイスキーをゴクリと一口飲んで、ぼうっと皆を見ていた。
「統一感ってなんだろうなぁ……」
イカを齧る自分、ラーメンを啜る朝日、卵抜きあんかけ丼をスプーンでかっこむ仕掛け屋、甘さが余程疲れた体に効いたのかプリンを食べさせられたままの表情でぼーっとしている幸せそうなフィリ、最後にプリンを食べて嬉しそうな表情をしている春。
それぞれがそれぞれの小さな幸せを口に詰め込んでいた。
「あ、アクタ、それよこせ」
プリンの魔力から解き放たれたフィリがおもむろに俺の前に来てスルメイカをねだる。
長めのを一本口に加えさせると「ん!」と言いながら口元のイカをこちらに向けた。
「あ、私やります!」
俺がライターで炙っている所を見ていたのだろう。張り切る春の気持ちは分かるが、彼女が手加減をしなければ、と言うよりかは俺が手を引かなければ炙ったイカとそれを持ち燃えている俺になる所だった。
それほどに勢い良くフィリの前を炎が通り過ぎていく。
「んむ、よい"ひ"じゃ」
わざと残したであろう残り火が、フィリのイカを丁寧に炙る。おそらくはライターでやるよりも余程美味しくなっているはずだ。それは真心故というよりも、単純にライターの火よりは純粋な火の方が美味しそうな気がするという話。
俺は宙に残っていた揺らめく残り火に自分のイカも捧げる。もうスキットルのウイスキーの中身もそう多くない、美味しい魔法のつまみになってくれ。
「ふぃがひふの、おふひは」
プリンにイカという食い合わせが悪そうな流れも気にせずに、フィリはお行儀悪くイカを喰らう。
何を言ったかあまりわからなかったが、春には何となく理解出来たようでがやや嬉しそうにしながら恐縮している。それを見ながらぼんやりと貰った残り火で炙ったイカを食べてみると、やはりなんだかいい味になっている気がした。本来は間違いなく魔法とはこんな用途じゃ無いはずなのだが、本人が良いのならば良いのだろう。
「なんか、フィリは茶碗蒸しとか好きそうだよな。甘めで、栗とか入ってるヤツ」
「分かる! 流石にイカは入ってないだろうけど、好きそうだよね! 茶碗蒸し!」
朝日が食べ終わったカップラーメンの容器を手に、洗面所の方へ歩いて行く。食べ終わったというか、飲み終わったといった方が正しいのかもしれない。容器を振りながら歩くテンションで、汁が一滴すら溢れていなかった。
「歯、磨いてくる!」
流石乙女という所だ。しかし、通りがかりに俺たちの元にお泊りセットのようなケアアイテムを置いていくあたり、朝日も世話焼きなのだろう。身だしなみを整えるのも朝日が最初で、後は順不同で後に続けという細やかな気配りなんだろうと思った。
「ふむ、あやつも気が利くの。男だけじゃな、気が利かんのは」
「茶碗蒸し、食ってみてえなぁ……」
フィリの話をあえて躱して、卵アレルギーの仕掛け屋が遠い目をする。
「チャワンムシ、虫じゃろ? 食えるのか? 甘いのか?」
「いえお嬢、茶碗蒸してえのはそのプリン……、を作るのと同じ卵……、だとかをですね、色々味付けして蒸したモンです、味は……分からんですね」
仕掛け屋は卵やプリンの言葉の度に寂しそうな顔をしたりしながら元神の子クエスチョンに真面目に答える。彼はフィリに対しては本当に律儀で、丁寧だ。
フィリの質問は出自が俺達とは違うからこそなのだろう。とはいえコックが食わせていなかったのが意外ではあるが。ただ、卵アレルギーの仕掛け屋に味を言わせるのは少し申し訳ないと思った。だがソレ以上に、そもそも『虫だとして甘くて食えるなら食うのだろうか?』という神の子逆クエスチョンをぶつけたい気持ちではあったが。
「味はなんていうんだろうな、優しい味っていえばいいか」
おそらくはこれが一般的な回答だと思った、優しくない茶碗蒸しは多分無い。
たとえそれが失敗してちゃんと卵が膨らまなかったり、表面がしんなりしていたり、要は素人が作る茶碗蒸しだとしても、それはきっと優しい味なのだろうと思う。そう、思ってくれる人がいた。
「ふむ、食べ物も感情に例えるか、不思議なもんじゃの」
言われてみると確かにそうだが、個人的に茶碗蒸しについてはそうとしか言いようが無い。
作って貰った記憶こそ無いが、作った記憶はある。成功こそしなかったが、誰かに喜んで貰えた記憶もある。優しい味だというのも、その誰かが言ってくれた記憶があるが、良い思い出では無いから、誰かで良い。
「料理は愛情か、真心か。分からんけれどいつか作ってやるさ。失敗してもいいならな。、まぁ……さっきからフィリが食べてる物の味を合わせたらそんなのになるんじゃないか」
「葛籠の兄ちゃん……俺の夢を、プリンとイカの集合体として表現するのはやめてくれねえか……」
溜息をついた仕掛け屋にとっては、茶碗蒸しは夢と言える程の食べ物らしい。思えばあんかけ丼から取り除いたウズラの卵についても、少し羨ましさと恨めしさを混在させながら、食べるのを我慢していたように見えた気がする。
好きな物を食べられないのは難儀な話だ。体質と言えばそれまでだが、人によってアルコール摂取の許容量然り、アレルギーならば勿論それも然り、どうしてか人は差を持って生まれてくる、当たり前のようで、不思議な話だ。
――であれば、自死もまた体質的な物であり、発症の時を選ばぬ病だろうか。
もし異世界病に病原菌があったら、という話が現実で取りたざされたことがある。研究の結果そんな物は見つからなかったらしい。一瞬そんな事が頭をよぎったが、選択の結果でしかないのだと、考えるのをやめた。せっかくの食事時で、息をつける時間だ。取り留めのない会話を大切にしたい。
「したって卵アレルギーが卵が好きなのは不思議だよな。個人差はあれどそもそも食物系のアレルギーって死ぬ可能性もあるような……」
取り留めのない会話では無い事に、地雷を踏んだかもしれない事に言ってから気づいた。
「これ以上は何も考えちゃいけねえし、何も言っちゃいけねえよ……。ただ俺は卵が好きで、アレルギーだって話だ、それ以上は何も言うなよ。ただ俺は一つプリンを選んだ、それだけだからな」
真面目な顔をしていた、顔は少し赤かった。仕掛け屋が人格者で良かったと思った。これは確かに、何も考えちゃいけない。
だって、彼はプリンを選んだのだ。ならば、もう茶碗蒸しは食えない。
「豆乳が、卵の代わりになるらしい。夢が叶うってんなら、作る時が来たらそうしようか」
「んーー? 何をトウニュウするんじゃ?」
どうやらフィリは俺が辿り着いてしまった仕掛け屋の秘密について、興味が無いらしい。
「豆乳っていうのはですね……、大豆……じゃなくて豆でいっか。えっと、豆を……」
豆乳の説明は何とも言い難いだろう、俺達は一瞬言い淀んでいたが、フィリの中で気が利くと評判の優しい魔法使いが丁寧に説明しはじめる。
そんな元神の子クエスチョンのやり取りを聞きながら、俺と仕掛け屋は二人で苦笑していた。




