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異世界病者の灰を踏む  作者: けものさん
第二章『の・ようなもの達』
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第二十六話『その言葉をくれていたなら』

 ぼんやりとして、和やかな時間を魔法使いと過ごす。そんな事があるなんて思っちゃいなかった。

というよりも異世界病者とこんな時間を過ごすなんて事を思っちゃいなかったという方が正しいかもしれない。彼女が使える土魔法の原理や主な使い方、雷魔法と風魔法の応用魔法なんて話を聞いていたらあっというまに外は明るくなりはじめていた。何度か暖かい紅茶を入れては、お互いの力についての情報を共有した後、しばし沈黙が訪れる。会話の導入はほぼ全て俺からだった。だからこそ俺が喋りかけるのを止めると彼女も静かになる。


 その沈黙は、俺の小さな懸念と、決意の為の時間だった。

「春も、憧れてたのか?」

 聞きにくい話題かもしれないが、俺が彼女を信用する為に、意を決して話を持ち出す。異世界病者という立場と、それに苦しめられて死を選んだ俺達が、分かり合う為に本当に必要な話はこの一つだ。

「えっと、憧れていた、とは……?」

 異世界病者ならばこんな話すぐにピンと来るだろうに、決して鈍い子では無いように思っていたから少し意外だった。何故ならば自ら望んで自殺する程に憧れていた世界だ。

「そりゃ、異世界にさ」

「いえ……、私は……。……ん、ある意味では、憧れているのかもしれません。ただ、それ以上にこの世界をどうにかしたいという気持ちが、上回っています」

 何処から湧いた義勇心なのか不思議だったが、彼女にとってこの歪な世界は、その憧れを断ち切ってまでどうにかしたい事なのだろう。それを知って少しだけ安心した。

「なら、いいんだ。悪い、変な事聞いたな」

「い、いえ! いいんです。憧れよりも大事な事は沢山ありますし、私は本当に、一人じゃなくなっただけで幸せなくらいですから……、やらなきゃいけないことは、大変ですけど……」

 その言葉はまるで異世界病者の言葉とは思えないような、前向きで希望に溢れている言葉のように思えた。もし全ての異世界病者が彼女のような考え方をしていたなら、どれだけの自殺者が減った事だろう。そもそも異世界病など生まれず、俺もまた現実を生きていたかもしれない。

「強いんだな……、まぁそりゃそうか、ダークブラウンだしな」

 自分で暗くしてしまった空気を無理やり取り繕うように、俺は彼女のややカッコつけな色格を差して話題を変えようとする。思えば少し意地悪だったかもしれない。

「そ、その名前で呼ぶのは流石に……、ふぁぁ……ぁ! す、すみません」

 ダークブラウンの話はやめるべきだったと思う前に、彼女は眠たそうにあくびをして、ダークブラウンどころではない勢いで俺に『ダークブラウンのとんがり帽子』ごと頭を下げる。

「いいよ、寝といで。もうそろそろ明るくなってきたし、フィリに何か言われても俺が良いって言ったって言えば良い」

「そーそ、でもまぁグースカちゃんだからどっちが先に起きるか見ものですけどね~」

 朝日が寝袋から這い出しながら、春に「まだあったかいよ?」と自分の入っていた寝袋を勧める。

彼女自身も数時間の睡眠しか取れていないだろうに、その寝所へと春を誘導する。

「い、いえ、悪いですよぅ……」

「いーの、私は少しで。しっかり眠れちゃってびっくりなくらいだから!」

 朝日から少し意味深な言葉が飛び出たが、春はそれには気付かずに押し切られるように寝袋に詰められ、観念したように目を閉じる。するとすぐに寝息が聞こえ始めた。


「やー、寝た寝た! この眠れぬ私がコロリなんて珍しい事もあったもんですよー」

 思えばこの前も俺が起きた頃には仕掛け屋と共に外出していたから、彼女が寝ている所は事実この数時間しか見ていない。かなりのショートスリーパーなのだろうか。

「もらっちゃっていいですよね?」と言いながら朝日は春の飲みかけの紅茶に手をつける。言う事ややる事はあっけらかんとしているが、朝日からは妙な雰囲気を感じる時がある。

「もういいのか? 眠らなきゃ身体に毒だろ」

「へへ、だからこそ眠りを求めて毒を飲むのですよ、芥君。私はね、基本的に大量のお薬パゥワーが無いと眠れない人なんですよ。だけれど身体が限界まで疲れていたら眠れるもんなんですねぇ……、新たな知見を得ました!」

 眠りを求めて毒を飲む、言い回しは独特だったが要は睡眠薬の事だろう。『大量のお薬パゥワー』がどれだけの物かは分からない物の、彼女もまた彼女なりに大きな問題を抱えていた事が分かる。

「春ちゃんは大丈夫そうです?」

 朝日は春の寝息を確認してから、小声で聞いてくる。

「あぁ、引っ込み思案なだけで、いい子だよ。話しかけないと話さないけどな」

「それはー……、うん。芥君は見た目ちょっと怖いからねぇ……。せめて髪切りません? セットしたげますよ?」

 彼女はピース、というよりハサミのポーズをしてチョキチョキと指を動かす。

「セットって、医療従事者だろ……」

「私の場合特別なんですよ、元々獣医希望でしたし、もっと言えばトリマーの勉強もしましたから! 似たようなもんです!」

 自信満々に言う事でもないし、本業の美容師とトリマーに怒られろとも思ったが、まだ日が登り切るまでは時間がある。少し不安ではあったが少しは春が萎縮しないでくれるならとお願いする事にした。

「ん、劣悪な環境の割に良い髪質してますね。あ、動かないでね!」

 適当に持ってきた布で身体を巻かれ、水っけのあるタオルで頭をゴシゴシと拭かれる。

そうして水気がまだ少し残っているまま、朝日は器用にハサミを動かしていった。

「シャワーはあるみたいなんでへーきですよ、でもまぁササッとね?」

「手慣れたもんだな……」

 俺が苦笑すると、ジャキンと前髪が床へと落ちる。手慣れているのは確かだが大雑把かもしれない。

「弟くんのをね、時々。あの子は勉強の虫でしたから、美容室行くのも億劫だからって、それどころか床屋すら行きたくないって言うもんですから、代わりに私が」

「薄々気づいてはいたけれど、中々厳しそうな家柄だよな」

「私以外には、ですけどね。いや、私にも厳しかったのかな……。あはー、もう覚えていないや」

 そんなはずがない事は彼女の声色でよくわかった。けれど言いたく無いという事も同時に分かり、俺は彼女の言う通りに前を向いたり、少し横を向いたりする。

「私の家はですね、医療系だったんです。おにーちゃんは将来有望な外科医、弟も研修生ながら期待されていました。私は、あはは。あははって感じだったんですよね」

 その独白は、おそらく彼女がこの世界に来た理由だ。だからこそ、こんな状態でも向き合わなければいけない。器用にハサミは俺の髪を切り落としていく。だがそれが少しずつ丁寧になっていくのを感じていた。

「子供の頃から、獣医になるのが夢だったんですよねぇ……。物心付いた頃にはもう老齢だったシベリアンハスキーがいたんです。あの子が亡くなった時、生き返ってって泣き喚いたっけ。それからかな」

 パチリ、パチリと、小気味よいハサミの音とは真逆の小さな声が耳元で囁かれる。

「なれたのか?」

「ええ、なれましたよ。代わりにパパとママの私の見る目はどんどん変わっていきましたけどね。初めて夢を語った時のパパの表情の意味なんて、子供の私に分かるわけないですしね。私なりに突き進んだ頃には、もう私は夜久家という医療家系のはみ出し者でした」

 獣医だって勿論立派な職業だ。それでも朝日が言おうとしている事も分かる。人間と動物の命を天秤にかけた時、どちらに重きがあり救うべきか、そうしてどちらを救う人間を一般大衆や一流の医療一家が求めているかという事は、納得出来ないが理解は出来る。

「医療系に進んだ夜久家の三人の子供の中で、救った命の数は私が一番多かった。けれど、けれどね芥君。夜久の家系は、私を嘲笑ったんだ。あの子の仕事の代わりくらいいくらでもいるのに、権威ある夜久の子が獣医なんかって」

 あまりにも残酷な独白だった。間違い無く彼女の優しさも、その技術も、直接的に動物の命を救い、間接的に飼い主の心を救ったはずだ。それなのに、それなのに権威の為に嘲笑う。それこそ、軽い魂。俺ならば救わない命で、尊さの欠片もない命に他ならない。

「ごめんなさい、ちょっと思い出しちゃって、やな事話しちゃいましたね」

 いつの間にか俺の両手は巻きつけられた布を握りしめていた。朝日はその手にそっと触れて、俺の目を見る。

「生きるのって、大変でしたね……!」

 その言葉と同時に、俺の手を包み込むように彼女はギュッと強く掴んだ。

「分かった、分かったよ。次は俺の話だって言うんだろ」

「ふふ、分かってるじゃないですかぁ。でもその前に最後の仕上げっと!」

 朝日は吐息がかかる程の距離で俺の前髪を整えると、布に纏わりついた俺の毛髪をパッパッと払ってから、俺の頭をブラシのような物でやや雑に梳かしていく。

「もう終わりますからね~」

 俺を犬か何かと勘違いしているのではないかと言わんばかりの扱いには些か不服だったが、、ハサミを仕舞い、何処からか持ち出した鏡で俺の短くなった髪を見せて貰った後は何も言えなかった。

「すっきり、うん。思った通りに出来たなー」

 あっけらかんと笑う朝日だが、その技術はプロの美容師の経験が少ない俺から見れば十分過ぎる程の出来だった。自分が少し男前に見えてしまって何を考えているのだろうと思った程だ。

「あぁ、前が見えるとこんなにスッキリするんだな」

 俺は椅子から立ち上がり、シャワーの方向を教えてもらう。

「バスタオルやシャンプーの類いもあるんで! キレイキレイしてきてくださいねー! 終わったらまたお話しましょ!」

 確かに、彼女があれだけの事を話してくれたのだ。何となく思い出したなんて、おそらくは誤魔化していたのだと思う。自惚れだとしても、信用されているからこその言葉だと思いたい。たとえそれが本当に彼女の気まぐれでも、どうしても言いたい言葉が、シャワーに行く前に口から零れかけていた。

「詳しい事は分からない。だけどさ」

 口にしようとして、それでも言葉に出来るか分からない言葉。いつのまにか握り拳になっている事に気づいて、言いながら笑ってしまった。

「夢を叶えて、救った命が現実で生きてるんだろ。だったら、間違った事なんて一つもしてないだろ」

 そう言って、彼女の目を真っ直ぐに見た。距離こそあったが、鬱陶しい前髪が無くなって、初めてしっかりと彼女の目を見た気がする。父親譲りだという綺麗な翠色の目が何となく皮肉にも思えて、それでも綺麗なその目が潤いを帯びた瞬間とんでもない事を言ってしまったのかもしれないと思い、言葉を待たずに俺は逃げるようにシャワー室へと向かった。


 夜久朝日は、間違った事なんて一つもしていない。生まれに左右されただけの被害者だ。獣医として生きていたならば、今もまだ誰かを救っていた。そうして自殺した今も俺を救ってくれている。根っからの善人で、痛々しい程に真っ直ぐな少女のような女性。シャンプーを流す度に流れる自分の髪を見る度に彼女の境遇を思ってしまう。ついでにあったリンスもつけて少し洒落っ気を出してから、身体の汚れを丁寧に落とし、気が利くことに髭剃りまであったのでそれも拝借してさっぱりした頃、シャワー室の小窓からはオレンジ色の朝日が差し込んでいた。

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